村田製作所 の歴史

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創業 1944年
創業者 村田昭
創業地 京都市
創業
1944年10月、村田昭氏が京都市中京区で個人経営の村田製作所を創業し、セラミックコンデンサの製造を始めた。京都の碍子屋に生まれた昭氏は電気の知識を持たないまま、三菱電機伊丹製作所向けのチタン酸化物セラミックコンデンサを3カ月で完成させて取引を開始している。1950年12月に資本金100万円の株式会社へ改組し、1961年2月には本社を現在の京都府長岡京市へ移した。1963年3月に大阪証券取引所第二部、1969年12月に東京証券取引所第二部へ上場する。唯一の取引先だった大企業と取引を続けるには、安く売るのではなく他社が作れないもので通すしかなかった。
決断
他社が作れない部品だけを作り、値決めの条件を自分で持ってきた。1950年代に原料と生産設備を内製化して垂直統合を築き、外から買う原料と設備では焼き物の品質が安定しないという壁を越える。完成品には出ないと決め、1985年の講演で昭氏は部品屋は部品に徹すると述べた。1977年度に円高差損10億円を計上して下期の売上高営業利益率が20.8%から6.7%へ低下すると、1979年には輸出の96%を円建てへ統一する。1993年12月にも円建てのまま生産設備を自前で開発する国内生産を保ち、低賃金の国へ工場を移す同業とは別の道を取った。セラミックフィルターで世界シェア85%を握っていたことが、通貨の条件まで買い手に飲ませる余地を作った。
現況
利益はすべてコンポーネントが生み、モジュールは赤字を出している。2026年3月期の売上高1兆8,309億円は、コンポーネント1兆1,597億円、デバイス・モジュール6,560億円、その他152億円で構成される。セグメント利益はコンポーネントが3,151億円である一方、デバイス・モジュールは265億円、その他は68億円の損失であった。全体の営業利益2,818億円、当期純利益2,339億円はいずれも前期を上回っている。2017年にソニーから譲り受けたリチウムイオン二次電池事業では8年におよぶ構造改革が続き、米Resonantから得たXBAR技術ものれん438億円を全額減損した。MLCCで世界の約4割を握る本体が、第2の柱を作ろうとした二つの買収の損を吸収している。
競合
同じ材料から出た同業は完成品へ向かい、村田は部品に留まった。1984年当時、京セラはサイバネット工業とヤシカの買収で完成品メーカーへ進み、太陽誘電は磁気テープへ参入している。村田昭氏は家電メーカーに対抗してまで完成品は作らないと言い切り、部品専業を通した。ただし単一路線に不満を持つ技術者は一人ずつ去り、移った先で最も多かったのが京セラであった。その京セラの参入でチップ積層セラミックコンデンサーのシェアは5年で10%近く下がり、平均単価1円前後の製品には毎年2〜3%の値下げ要求がかかる。深く狭く掘る方針が、同じ材料を扱う会社を競合として育てた。
村田製作所:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 碍子屋から電子部品の町工場へ産業を開拓 (1944年〜)

清水焼から碍子、そしてチタコンへ

村田昭氏は京都市東山区の碍子屋に生まれ[1]、旧制商業学校を結核で中退した。父親は堅実な職人気質で同業の下請けも厭わない人物であったが、昭氏は碍子ではなく特殊磁器の世界に可能性を見ていた。電気の知識は持たなかったが、焼き物の電子部品化に事業機会を見出し[2]、1944年10月、京都市中京区四条大宮北の染物工場のあとを借りて150平方メートルの工場とし、村田製作所を個人創業した。[3]男性職人1名と女性約10名の町工場で、設備は手作りのガス炉と仕上げ用の裁縫机が並ぶだけの零細な出発であった。当時の京都には清水焼の職人基盤があり、焼き物の工程知識を電子部品へ転用する下地は揃っていた。

  • 村田製作所 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]創業者の氏名は村田昭
    • [2]1944年10月 村田昭が京都市で村田製作所を個人創業(セラミックコンデンサ製造開始)
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [3]創業時の工場は京都市内の染物工場のあとを借りたもの(概略書『企業の歴史:明治百年』1968)

当初はステアタイトと呼ばれる高周波絶縁体に着目していたが、三菱電機伊丹製作所の協力工場として求められたのは、通信機向けのチタン酸化物セラミックコンデンサ(チタコン)であった[4]。電気の知識がないまま試行錯誤を繰り返し、3カ月後にサンプルを完成させた。学歴を理由に一度は断られた大企業との取引を、品質で開いた経緯である。『生まれつき、人と競争するのがいやだったから、一歩、人の先を行くようになった』[引用元](日経ビジネス 1980/3/10)という昭氏の姿勢が、人のやらない領域を選ぶという独自技術路線の原点になった。後年も『当社は安値商売はしない』[引用元]と昭氏は語り、価格競争ではなく品質と技術で顧客を掴む方針を創業期から一貫して掲げた。

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [4]三菱電機伊丹製作所の協力工場として通信機用セラミックコンデンサ(チタコン)の製造に着手(概略書『企業の歴史:明治百年』1968)
  • 村田製作所 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]創業者の氏名は村田昭
    • [2]1944年10月 村田昭が京都市で村田製作所を個人創業(セラミックコンデンサ製造開始)
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [3]創業時の工場は京都市内の染物工場のあとを借りたもの(概略書『企業の歴史:明治百年』1968)
    • [4]三菱電機伊丹製作所の協力工場として通信機用セラミックコンデンサ(チタコン)の製造に着手(概略書『企業の歴史:明治百年』1968)

終戦による民需転換と垂直統合の始まり

1945年の終戦で軍需は消滅し、昭氏は従業員の大半を解雇して電熱器販売で糊口をしのいだ。1946年頃、占領軍命令でラジオがスーパーヘテロダイン方式に切り替えられると、中間周波数の帯域制御に用いるチタコンの民需が立ち上がった。復員ブームでラジオが飛ぶように売れ、村田製作所は軍需から民需へ事業基盤を移した。1950年12月には資本金100万円で株式会社化し[5][6]、家業から会社組織への足場を固めた段階に入る。終戦直後の混乱期に民需向け部品のラインを持てたことが、ラジオ需要拡大の追い風を取り込む条件となった。軍需依存のまま戦後を迎えた同業が次々と姿を消すなか、村田製作所は早い段階で顧客の軸足を民生機器側に移し替えたことで、事業継続の道を残した形である。

  • 村田製作所 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1950年12月 資本金1百万円の株式会社に改組し商号を株式会社村田製作所に変更
    • [6]1950年12月の株式会社化時の資本金100万円(1百万円)

京都大学工学部の田中哲郎教授との産学連携でチタン酸バリウム(チタバリ)の実用化に成功し、誘電率のとくに高いコンデンサを開発した。1951年6月に福井工場、1952年2月に京都工場[7]を相次いで設けて量産の足場を固め、防衛庁の磁器絶縁物認定許可工場、磁器蓄電器のJIS表示認可工場としても認められた。米国から輸入した調合済み原料では品質のばらつきが出るという経験から、原料の調合から成形・焼成・加工までを自社で一貫する垂直統合モデルが、芽生えた。『ラジオ用コンデンサーが1個5円ほどのところ、テレビ用コンデンサーは30円、50円と高く売れた』[引用元]と昭氏は回想しており、テレビ向けチタコンへの事業集中が初期の高収益を生んだ。1955年4月には研究部門を株式会社大宮技研として分離し、のちに正特性サーミスタ『ポジスタ』の世界初商品化とセラミックフィルターの開発につなげた。

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [7]1951年6月 福井工場を設置・1952年2月 京都工場を設置(概略書『企業の歴史:明治百年』1968)
  • 村田製作所 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1950年12月 資本金1百万円の株式会社に改組し商号を株式会社村田製作所に変更
    • [6]1950年12月の株式会社化時の資本金100万円(1百万円)
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [7]1951年6月 福井工場を設置・1952年2月 京都工場を設置(概略書『企業の歴史:明治百年』1968)

セラミックフィルター世界シェア80%と東証上場への足掛かり

1963年にセラミックフィルターが完成し、のちに世界シェア80%を押さえる製品に育った。同年3月に大阪証券取引所市場第二部に上場し、1969年12[8]月に東京証券取引所市場第二部にも上場、1970年2[9]月に両取引所で市場第一部へ指定替えとなった。創業から約20年で村田製作所は年率20%の成長を維持し、上場時の資本金は3億9,000万円[10]、セラミックコンデンサの市場占有率はテレビ用で50%、通信機用で95%に達した。1962年9月に本社を現在の京都府長岡京市に移し、同月に福井村田製作所に資本参加して[11]地域分業型の生産体制の足がかりをつくった。独立採算の関係会社群を核とする分社経営の原型が、ここから組み上がった。

  • 村田製作所 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [8]1963年3月 大阪証券取引所市場第二部に上場(1970年2月 第一部指定)
    • [9]1969年12月 東京証券取引所市場第二部に上場(1970年2月 第一部指定)
    • [10]1963年3月上場時の資本金3億9,000万円
    • [11]1962年9月 ㈱福井村田製作所に資本参加(地域分業型生産体制の端緒)

昭氏はセラミックスを『セラミックは不思議な石ころ。今後、無限とも言える可能性を持つ商品』[引用元]と呼び、その可能性に賭け続けた。部品専業を貫き、完成品メーカーと競合しないことで長期取引を築く方針が、固まった。1950〜60年代に入社した岡崎清氏、佐々利治氏、脇野喜久男氏ら技術者陣が、その後の製品多様化を支える布陣となった。碍子屋の息子が電気の知識なしに始めた町工場は、創業から20年足らずで日本のセラミックス電子部品産業の中核企業へ転換した。1968年の概略書も、材料からの一貫生産体制をもつ独自[12]メーカーと記し、セラミックコンデンサで世界第一位、生産は月産1億個に近づいたと伝えている。京都を地盤に材料研究と量産を備えた体制が、次の海外展開期を支える土台となった。チタコンから始まった事業領域は、コンデンサ・フィルタ・サーミスタへ広がり、電子部品のラインナップを積み上げた。

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [12]1968年時点で材料からの一貫生産体制をもつ独自メーカーとされ、セラミックコンデンサで世界第一位・生産は月産1億個に近づいた(概略書『企業の歴史:明治百年』1968)
  • 村田製作所 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
    • [8]1963年3月 大阪証券取引所市場第二部に上場(1970年2月 第一部指定)
    • [9]1969年12月 東京証券取引所市場第二部に上場(1970年2月 第一部指定)
    • [10]1963年3月上場時の資本金3億9,000万円
    • [11]1962年9月 ㈱福井村田製作所に資本参加(地域分業型生産体制の端緒)
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [12]1968年時点で材料からの一貫生産体制をもつ独自メーカーとされ、セラミックコンデンサで世界第一位・生産は月産1億個に近づいた(概略書『企業の歴史:明治百年』1968)

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村田製作所の沿革1944〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1944〜1963年碍子屋から電子部品の町工場へ産業を開拓村田昭が京都市で村田製作所を創業★★
原料と生産設備の内製化による垂直統合の構築と、完成品分野への不参入

碍子屋の息子であった村田昭氏が1944年10月に京都で始めた町工場が、原料の調合から成形・焼成・加工まで自社で握り、生産設備まで社内で開発する体制を組み上げ、完成品分野には出ないと決めた一連の判断。1950年12月の株式会社化を境に、部品専業のまま高い収益を残す型が固まった。

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★★★
本社を移転
福井村田製作所に資本参加
大阪証券取引所市場第二部に上場
1964〜2006年世界シェアを武器にした円建て戦略の時代販売会社を設立
東京証券取引所市場第二部に上場
生産・販売会社を設立
欧州初の販売会社をドイツに設立
生産・販売会社を買収
カナダの多国籍企業エリー社(ETP)買収による海外拠点の一挙獲得

1980年、村田製作所が創業者・村田昭社長の主導で、カナダに本社を置く多国籍電子部品メーカー、エリー・テクノロジカル・プロダクツ(ETP)を買収した経営判断。株式の3分の2をまず取得し、5年以内の完全子会社化を契約した。米国・カナダ・西独・メキシコの工場と、フランス・イタリアの販売会社を一挙に引き受けた。

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★★★
野洲事業所を開設
生産会社を設立
横浜事業所を開設
村田泰隆生産・販売会社を設立
村田泰隆輸出取引の円建てへの統一と、生産設備まで自前で開発する国内生産の維持

円高が進むたびに電子部品各社が生産を海外へ移した1990年代前半、村田製作所は輸出取引を円建てに統一したまま国内生産を維持し、原料と生産設備を自前で作ることで原価を下げる道を選んだ経営判断。1993年12月、村田泰隆社長は工法の独自性と組織改革でこの路線を固めた。

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★★★
村田泰隆初の生産会社を設立
村田泰隆中国・生産会社を設立
2007〜2024年スマホMLCC依存と「第2の柱」模索が並走した時代村田恒夫村田恒夫が代表取締役社長に就任
村田恒夫Murata Power Solutionsを買収
村田恒夫リーマンショックで初の大幅な営業赤字に転落★★
村田恒夫フィンランドのVTI Technologiesを買収★★
村田恒夫ルネサスエレクトロニクスのパワーアンプ事業を譲受★★
村田恒夫米pSemi Corporationを買収★★
村田恒夫ソニーからのリチウムイオン二次電池事業の譲受と、8年続いた構造改革

2016年10月31日、村田製作所がソニーのリチウムイオン二次電池事業を約175億円で譲り受ける契約を結び、2017年9月1日に完了した経営判断。ソニーグループの対象事業に従事する約8,500名を引き受け、全額出資子会社の東北村田製作所が事業を継承した。

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★★★
中島規巨中島規巨が代表取締役社長に就任
中島規巨米Resonant社の買収によるXBAR技術の取得と、のれん438億円の全額減損

2022年2月15日、村田製作所が高周波フィルタの設計・開発を手がける米Resonant社を約3億ドル(約336億円)の株式公開買付けで買収すると発表し、3月28日に完了した経営判断。目的は3ギガヘルツ以上の帯域に対応するXBAR技術の取得であった。

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★★★
中島規巨米国政府とデータセンター供給でフレームワーク協定を締結
中島規巨Resonant社買収のれん全額438億円を減損★★
中島規巨マイクロ一次電池事業をマクセルに譲渡★★
出典・参考
  • 村田製作所 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)

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