1975年11月、神奈川県綾瀬市[1]において名幸電子工業株式会社(メイコーの旧社名)が設立された[2]。創業者の名屋佑一郎氏(1943年12月生まれ、当時31[3]歳)は、少年期からゲルマニウムラジオを自作するなど電機に親しみ[4]、1973年に技術者として昭和無線工業株式会社(現SMK)に入社した[5]。基板の開発に携わるなかで、今後はさらに高性能なプリント配線板が必要になると見て、当時の先端品であった両面基板の需要拡大に商機を見出し独立を決意する。1974年に自宅の庭の10坪ほどの小屋を整備して基板のパターン設計と製造を始め[6]、翌1975年に法人化したのが同社の出発点である。設立目的は『プリント配線板の製造販売』で、創業時は両面プリント配線板の販売を中心とした。
1978年4月、電子応用機器製品の開発を目的にシステム開発部を設置[7]した。これは現在の自社テクノ・自社テックの前身となるグループ会社の出発点である。創業3年目で本業のプリント配線板に加えて電子応用機器の事業領域に進出した格好で、専業メーカーとしての主軸は維持しつつ、周辺領域への展開を始動した。1978年10月には基板の最終検査工程用にメイコー専用の基板検査機を開発[8]、自社開発技術の確立にも着手した。
1979年に国内で大流行したシューティングゲーム『スペースインベーダー』向けのゲーム基板の製造・販売を皮切りに、同社の業績は拡大した[9]。創業以来一度も後退することなく1985年に創業10周年を迎えたものの[10]、同年のプラザ合意を機とする急速な円高で顧客の海外生産移転が進み、受注が激減[11]して創業来初の赤字を計上する。取引先だけでなく競合他社にも発注を頼み込むほど追い込まれたが、家庭用ゲーム機向けの受注と車載基板の将来性への着目[12]によって立て直した。名屋佑一郎社長は、この時期を創業50年で最も苦しかったと振り返っている。
1980年9月、神奈川県綾瀬市の新本社事務所・工場を新設し、設計から最終製品までの一貫生産体制を整えた[13]。創業から5年目で国内生産の中核拠点が固まった。同年12月には多層プレス機を導入し、多層プリント配線板(多層板)の製造を開始した[14]。両面板(2層)から多層板への進出は、プリント配線板業界における高付加価値化の典型的なステップで、メイコーは創業5年目で高密度実装が要求される高付加価値領域に進出した。1981年12月には世界で初めてマルチビデオプロセッサーを開発[15]、研究開発を通じた独自技術の確立にも取り組んだ。
1982年3月、片面プリント配線板の製造を目的[16]にマルチテック株式会社を設立(現メイコーテック)した。事業領域の拡張に伴うグループ会社の分社化である。同年9月にはコスミック・コモドールジャパンとの合弁[17]で山形名幸電子株式会社を設立、プリント配線板の製造合弁会社として生産体制を拡張した。1990年6月には福島工場を新設[18]、国内生産能力を増強した。1991年4月、商号を株式会社メイコーに変更[19]、現社名(メイコー)が確立された。創業16年で『名幸電子工業』から『メイコー』への商号変更を経て、ブランドの統一を完了した。
1997年11月、山形工場敷地内に『ビルドアップ新工法[20]』(多層基板を順次積層して製造する高密度実装技術)による基板製造のための建屋を新築した。ビルドアップ基板は、当時の携帯電話・ノートPCの小型化・高性能化に対応するための高密度実装技術で、メイコーは国内プリント配線板メーカーとして新工法の生産能力を整えた。創業22年で、両面板(2層)→多層板→ビルドアップ基板という製品ポートフォリオを順次積み上げた。
山形工場の前史として、1982年9月に山形名幸電子(プリント配線板の製造合弁会社)が設立[21]されており、東北地方が国内生産の拠点に加わっていた。1990年6月には福島工場が新設され[22]、首都圏近郊の神奈川県綾瀬市本社・工場と、東北の山形・福島とに国内の生産拠点が広がった。1997年のビルドアップ基板の建屋はその山形に置かれている。
国内でビルドアップ新工法の建屋を設けた1997年11月に続き、1998年8月には香港拠点を設立[23]、同年12月には中国広東省(番禺南沙)へ進出した[24]。国内で新工法を立ち上げた時期と海外展開の本格化が前後しており、国内で開発した工法を海外の生産拠点に展開していく流れの起点と読むこともできる。
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|---|---|---|---|---|
| 1975〜1997年1975年創業──プリント配線板専業の出発と国内一貫生産体制 | 名幸電子工業を設立 | ★ | ||
| システム開発部を設置 | ★ | |||
| 基板の最終検査工程用に自社専用の基板検査機を開発 | ★ | |||
| 新本社事務所・工場を新設し設計から最終製品まで一貫生産体制を確立 | ★ | |||
| 両面板専業から多層プリント配線板への進出 1980年12月、名幸電子工業(現メイコー)が多層プレス機を導入し、多層プリント配線板の製造を始めた経営判断。創業時から扱ってきた両面板(配線層数2)に対し、内層にも回路を持つ層数3以上の製品へ踏み込んだ。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 世界で初めてマルチビデオプロセッサーを開発 | ★ | |||
| マルチテックを設立 | ★ | |||
| コスミック・コモドールジャパンと合弁で山形名幸電子を設立 | ★ | |||
| 福島工場を新設 | ★ | |||
| 商号をメイコーに変更 | ★ | |||
| 山形工場敷地内にビルドアップ新工法による基板製造のための建屋新築 | ★ | |||
| 1998〜2015年中国・ベトナム生産拠点の確立と市場上場 | 名幸電子香港有限公司を設立 | ★ | ||
| 香港・中国広東省を拠点とする海外生産への移行 1998年8月に香港へ名幸電子香港有限公司を、同年12月に中国広東省南沙地区へ名幸電子(番禺南沙)有限公司を設立し、2001年1月に広州工場の操業を始めた経営判断。国内5工場体制の専業メーカーが、生産そのものを中国へ移した。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 日本証券業協会に株式を登録 | ★ | |||
| 中国広州工場が稼働 | ★★ | |||
| 名屋佑一郎 | Meiko Electronics Vietnam Co. Ltd.を設立 | ★★ | ||
| 名屋佑一郎 | 日本ビクターのサーキット事業譲受による外部成長への転換 2008年1月30日、メイコーが取締役会で日本ビクターとの事業譲渡契約の締結を決議し、同日契約を結んで3月31日にサーキット事業を譲り受けた経営判断。創業以来、工場を自ら建てて伸びてきた同社が、他社の基板部門を丸ごと引き取った最初の大型案件にあたる。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 名屋佑一郎 | ベトナムEMS工場稼働 | ★★ | ||
| 名屋佑一郎 | マルチテックへ映像機器事業・産業機器事業を譲渡しメイコーテックに商号変更 | ★ | ||
| 名屋佑一郎 | ベトナムPCB工場稼働 | ★ | ||
| 名屋佑一郎 | 石巻工場稼働 | ★ | ||
| 名屋佑一郎 | Meiko Electronics Thang Long Co. Ltd.を設立 | ★ | ||
| 2016〜2025年車載・データセンター向け高多層基板への転換とプライム市場移行 | 名屋佑一郎 | EMS会社の出資持分を取得しMeiko Towada Vietnamとして子会社化 | ★ | |
| 名屋佑一郎 | メイコーエンベデッドプロダクツとメイコーエンベデッドテクノロジーを子会社化 | ★ | ||
| 名屋佑一郎 | 天童工場を新設 | ★ | ||
| 名屋佑一郎 | Meiko Electronics Hoa Binh Co. Ltd.を設立 | ★ | ||
| 名屋佑一郎 | 石巻工場を山形メイコーより分社し宮城メイコーとして法人化 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(メイコー)