メイコー の歴史

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創業 1975年
創業者 名取勝也
創業地 神奈川県綾瀬市
創業
1975年11月、名屋佑一郎氏が神奈川県綾瀬市で名幸電子工業株式会社を設立した。1943年12月生まれの同氏は1973年に昭和無線工業へ技術者として入社し、基板開発に携わるなかでより高性能なプリント配線板が要ると見て、当時の先端品だった両面基板に商機を見出した。前年の1974年には自宅の庭の10坪ほどの小屋でパターン設計と製造を始めており、法人の設立目的も「プリント配線板の製造販売」一本に定めている。1979年に流行したシューティングゲーム『スペースインベーダー』向けの基板で業績を拡大したが、1985年のプラザ合意後の円高で顧客の生産が海外へ移り、創業来初の赤字を計上した。1991年4月に商号を株式会社メイコーへ改めている。
決断
作れる層数を一段ずつ上げ、その都度、作る場所も動かしてきた。1980年9月に綾瀬市の新本社工場で設計から最終製品までの一貫生産を敷き、その3か月後には多層プレス機を導入して多層プリント配線板の製造を始め、両面板の専業から抜けた。1997年11月には山形工場にビルドアップ新工法の建屋を新築している。層数を上げる投資と並行して生産地も移し、1998年8月の香港法人、同年12月の広東省南沙の製造法人を経て、2001年1月に広州工場を稼働させて生産の主力を中国へ移した。2005年7月には湖北省武漢へ第二の製造法人を置き、2007年1月にはベトナムのハノイへ進んだ。2008年3月には日本ビクターのサーキット事業を譲り受け、従業員147名ごと国内の商品力を補っている。生産地を先に動かしたことが、顧客が海外生産へ移るたびに受注を失う立場から、移った先で受注する立場へ同社を変えた。
現況
生産設備の置き場所は、中国からベトナムへ移った。2026年3月期の有形固定資産はベトナム1,038億円で、日本426億円と中国285億円の合計を上回る。連結売上高2,406億円・営業利益246億円・純利益198億円はいずれも過去最高で、地域別売上は日本791億円、ベトナム408億円、中国394億円と続く。伸びを支えたのは車載の電動化とデータセンター向けの高多層基板で、売上高は1年で16%増えた。武漢工場は2010年代後半に連結売上の3割超を担っていたが、米中の貿易摩擦で受注が縮んだ2020年3月期を境に、ベトナムのハノイ・ホアビン各社への分散投資が優先された。工場の置き場所を動かし続けたことが、武漢一極の受注変動を事業全体へ及ばせない構えを作った。
競合
同じプリント配線板から出発しても、半導体の側へ抜けるか量産に残るかで道が分かれた。イビデンは1994年にインテル向けパッケージ基板へ資源を一点集中し、半導体パッケージ基板という上流の一品目へ経営資源を集中した。メイコーは車載・産業機器・データセンター向けの基板を量で供給する側に残り、層数と工法を上げながら品目の幅を保っている。競争の焦点は技術の高さではなく供給力をどこへ置くかにあり、2007年のハノイ進出以降、ベトナムに4つの製造法人を並べた。創業者の名屋佑一郎氏が50年社長を務め、同族と関連会社で議決権の24〜25%を保ったことが、この規模の設備投資を短い間隔で繰り返す決定を可能にしたとみられる。上流へ抜けなかったことで、メイコーは特定の顧客の設計に縛られず、需要の移り先に合わせて工場を建てる自由を保った。
メイコー:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

創業ストーリー 1975年創業──プリント配線板専業の出発と国内一貫生産体制 (1975年〜)

名屋佑一郎氏による創業──昭和無線工業からの独立

1975年11月、神奈川県綾瀬市[1]において名幸電子工業株式会社(メイコーの旧社名)が設立された[2]。創業者の名屋佑一郎氏(1943年12月生まれ、当時31[3]歳)は、少年期からゲルマニウムラジオを自作するなど電機に親しみ[4]、1973年に技術者として昭和無線工業株式会社(現SMK)に入社した[5]。基板の開発に携わるなかで、今後はさらに高性能なプリント配線板が必要になると見て、当時の先端品であった両面基板の需要拡大に商機を見出し独立を決意する。1974年に自宅の庭の10坪ほどの小屋を整備して基板のパターン設計と製造を始め[6]、翌1975年に法人化したのが同社の出発点である。設立目的は『プリント配線板の製造販売』で、創業時は両面プリント配線板の販売を中心とした。

  • メイコー 有価証券報告書【沿革】
    • [1]設立地は神奈川県綾瀬市
    • [2]1975年11月 名幸電子工業株式会社を設立(プリント配線板の製造販売)
  • メイコー 有価証券報告書
    • [3]創業者は名屋佑一郎氏、生年1943年12月・設立時31歳
    • [4]少年期からゲルマニウムラジオを自作するなど電機に親しんだ
    • [5]創業者は1973年に技術者として昭和無線工業(現SMK)に入社(前職。旧本文の未確認を二次資料で裏づけ)
    • [6]1974年に自宅の庭の約10坪の小屋で基板のパターン設計・製造を開始(法人化の前年・独立の起点)

1978年4月、電子応用機器製品の開発を目的にシステム開発部を設置[7]した。これは現在の自社テクノ・自社テックの前身となるグループ会社の出発点である。創業3年目で本業のプリント配線板に加えて電子応用機器の事業領域に進出した格好で、専業メーカーとしての主軸は維持しつつ、周辺領域への展開を始動した。1978年10月には基板の最終検査工程用にメイコー専用の基板検査機を開発[8]、自社開発技術の確立にも着手した。

  • メイコー 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1978年4月 電子応用機器製品の開発を目的にシステム開発部を設置(現メイコーテクノ・テックの前身)
    • [8]1978年10月 基板の最終検査工程用に自社専用の基板検査機を開発

1979年に国内で大流行したシューティングゲーム『スペースインベーダー』向けのゲーム基板の製造・販売を皮切りに、同社の業績は拡大した[9]。創業以来一度も後退することなく1985年に創業10周年を迎えたものの[10]、同年のプラザ合意を機とする急速な円高で顧客の海外生産移転が進み、受注が激減[11]して創業来初の赤字を計上する。取引先だけでなく競合他社にも発注を頼み込むほど追い込まれたが、家庭用ゲーム機向けの受注と車載基板の将来性への着目[12]によって立て直した。名屋佑一郎社長は、この時期を創業50年で最も苦しかったと振り返っている。

    • [9]1979年 大流行した「スペースインベーダー」向けゲーム基板の製造・販売を皮切りに業績が拡大
    • [11]1985年 プラザ合意後の急速な円高・顧客の海外生産移転で受注が激減し、創業来初の赤字を計上
    • [12]家庭用ゲーム機向けの受注と車載基板の将来性への着目で苦境を脱した
  • メイコー 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1985年 創業10周年(1975年11月創業から起算)
  • メイコー 有価証券報告書【沿革】
    • [1]設立地は神奈川県綾瀬市
    • [2]1975年11月 名幸電子工業株式会社を設立(プリント配線板の製造販売)
    • [7]1978年4月 電子応用機器製品の開発を目的にシステム開発部を設置(現メイコーテクノ・テックの前身)
    • [8]1978年10月 基板の最終検査工程用に自社専用の基板検査機を開発
    • [10]1985年 創業10周年(1975年11月創業から起算)
  • メイコー 有価証券報告書
    • [3]創業者は名屋佑一郎氏、生年1943年12月・設立時31歳
    • [4]少年期からゲルマニウムラジオを自作するなど電機に親しんだ
    • [5]創業者は1973年に技術者として昭和無線工業(現SMK)に入社(前職。旧本文の未確認を二次資料で裏づけ)
    • [6]1974年に自宅の庭の約10坪の小屋で基板のパターン設計・製造を開始(法人化の前年・独立の起点)
    • [9]1979年 大流行した「スペースインベーダー」向けゲーム基板の製造・販売を皮切りに業績が拡大
    • [11]1985年 プラザ合意後の急速な円高・顧客の海外生産移転で受注が激減し、創業来初の赤字を計上
    • [12]家庭用ゲーム機向けの受注と車載基板の将来性への着目で苦境を脱した

国内一貫生産体制と多層板への進出

1980年9月、神奈川県綾瀬市の新本社事務所・工場を新設し、設計から最終製品までの一貫生産体制を整えた[13]。創業から5年目で国内生産の中核拠点が固まった。同年12月には多層プレス機を導入し、多層プリント配線板(多層板)の製造を開始した[14]。両面板(2層)から多層板への進出は、プリント配線板業界における高付加価値化の典型的なステップで、メイコーは創業5年目で高密度実装が要求される高付加価値領域に進出した。1981年12月には世界で初めてマルチビデオプロセッサーを開発[15]、研究開発を通じた独自技術の確立にも取り組んだ。

  • メイコー 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1980年9月 新本社事務所・工場を新設し設計から最終製品までの一貫生産体制を確立
    • [14]1980年12月 多層プレス機を導入し多層板の製造を開始
    • [15]1981年12月 世界で初めてマルチビデオプロセッサーを開発

1982年3月、片面プリント配線板の製造を目的[16]にマルチテック株式会社を設立(現メイコーテック)した。事業領域の拡張に伴うグループ会社の分社化である。同年9月にはコスミック・コモドールジャパンとの合弁[17]で山形名幸電子株式会社を設立、プリント配線板の製造合弁会社として生産体制を拡張した。1990年6月には福島工場を新設[18]、国内生産能力を増強した。1991年4月、商号を株式会社メイコーに変更[19]、現社名(メイコー)が確立された。創業16年で『名幸電子工業』から『メイコー』への商号変更を経て、ブランドの統一を完了した。

  • メイコー 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1982年3月 片面プリント配線板の製造を目的にマルチテック株式会社を設立(現メイコーテック)
    • [17]1982年9月 コスミック・コモドールジャパンと合弁で山形名幸電子株式会社を設立
    • [18]1990年6月 福島工場を新設
    • [19]1991年4月 商号を株式会社メイコーに変更
  • メイコー 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1980年9月 新本社事務所・工場を新設し設計から最終製品までの一貫生産体制を確立
    • [14]1980年12月 多層プレス機を導入し多層板の製造を開始
    • [15]1981年12月 世界で初めてマルチビデオプロセッサーを開発
    • [16]1982年3月 片面プリント配線板の製造を目的にマルチテック株式会社を設立(現メイコーテック)
    • [17]1982年9月 コスミック・コモドールジャパンと合弁で山形名幸電子株式会社を設立
    • [18]1990年6月 福島工場を新設
    • [19]1991年4月 商号を株式会社メイコーに変更

1997年ビルドアップ新工法と国内R&D拠点

1997年11月、山形工場敷地内に『ビルドアップ新工法[20]』(多層基板を順次積層して製造する高密度実装技術)による基板製造のための建屋を新築した。ビルドアップ基板は、当時の携帯電話・ノートPCの小型化・高性能化に対応するための高密度実装技術で、メイコーは国内プリント配線板メーカーとして新工法の生産能力を整えた。創業22年で、両面板(2層)→多層板→ビルドアップ基板という製品ポートフォリオを順次積み上げた。

  • メイコー 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1997年11月 山形工場敷地内にビルドアップ新工法による基板製造のための建屋を新築

山形工場の前史として、1982年9月に山形名幸電子(プリント配線板の製造合弁会社)が設立[21]されており、東北地方が国内生産の拠点に加わっていた。1990年6月には福島工場が新設され[22]、首都圏近郊の神奈川県綾瀬市本社・工場と、東北の山形・福島とに国内の生産拠点が広がった。1997年のビルドアップ基板の建屋はその山形に置かれている。

  • メイコー 有価証券報告書【沿革】
    • [21]1982年9月 山形名幸電子(プリント配線板の製造合弁会社)を設立
    • [22]1990年6月 福島工場を新設

国内でビルドアップ新工法の建屋を設けた1997年11月に続き、1998年8月には香港拠点を設立[23]、同年12月には中国広東省(番禺南沙)へ進出した[24]。国内で新工法を立ち上げた時期と海外展開の本格化が前後しており、国内で開発した工法を海外の生産拠点に展開していく流れの起点と読むこともできる。

  • メイコー 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1998年8月 香港拠点を設立
    • [24]1998年12月 中国広東省(番禺南沙)へ進出
  • メイコー 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1997年11月 山形工場敷地内にビルドアップ新工法による基板製造のための建屋を新築
    • [21]1982年9月 山形名幸電子(プリント配線板の製造合弁会社)を設立
    • [22]1990年6月 福島工場を新設
    • [23]1998年8月 香港拠点を設立
    • [24]1998年12月 中国広東省(番禺南沙)へ進出

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メイコーの沿革1975〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1975〜1997年1975年創業──プリント配線板専業の出発と国内一貫生産体制名幸電子工業を設立
システム開発部を設置
基板の最終検査工程用に自社専用の基板検査機を開発
新本社事務所・工場を新設し設計から最終製品まで一貫生産体制を確立
両面板専業から多層プリント配線板への進出

1980年12月、名幸電子工業(現メイコー)が多層プレス機を導入し、多層プリント配線板の製造を始めた経営判断。創業時から扱ってきた両面板(配線層数2)に対し、内層にも回路を持つ層数3以上の製品へ踏み込んだ。

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★★★
世界で初めてマルチビデオプロセッサーを開発
マルチテックを設立
コスミック・コモドールジャパンと合弁で山形名幸電子を設立
福島工場を新設
商号をメイコーに変更
山形工場敷地内にビルドアップ新工法による基板製造のための建屋新築
1998〜2015年中国・ベトナム生産拠点の確立と市場上場名幸電子香港有限公司を設立
香港・中国広東省を拠点とする海外生産への移行

1998年8月に香港へ名幸電子香港有限公司を、同年12月に中国広東省南沙地区へ名幸電子(番禺南沙)有限公司を設立し、2001年1月に広州工場の操業を始めた経営判断。国内5工場体制の専業メーカーが、生産そのものを中国へ移した。

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★★★
日本証券業協会に株式を登録
中国広州工場が稼働★★
名屋佑一郎Meiko Electronics Vietnam Co. Ltd.を設立★★
名屋佑一郎日本ビクターのサーキット事業譲受による外部成長への転換

2008年1月30日、メイコーが取締役会で日本ビクターとの事業譲渡契約の締結を決議し、同日契約を結んで3月31日にサーキット事業を譲り受けた経営判断。創業以来、工場を自ら建てて伸びてきた同社が、他社の基板部門を丸ごと引き取った最初の大型案件にあたる。

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★★★
名屋佑一郎ベトナムEMS工場稼働★★
名屋佑一郎マルチテックへ映像機器事業・産業機器事業を譲渡しメイコーテックに商号変更
名屋佑一郎ベトナムPCB工場稼働
名屋佑一郎石巻工場稼働
名屋佑一郎Meiko Electronics Thang Long Co. Ltd.を設立
2016〜2025年車載・データセンター向け高多層基板への転換とプライム市場移行名屋佑一郎EMS会社の出資持分を取得しMeiko Towada Vietnamとして子会社化
名屋佑一郎メイコーエンベデッドプロダクツとメイコーエンベデッドテクノロジーを子会社化
名屋佑一郎天童工場を新設
名屋佑一郎Meiko Electronics Hoa Binh Co. Ltd.を設立
名屋佑一郎石巻工場を山形メイコーより分社し宮城メイコーとして法人化
出典・参考

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