多層プリント配線板へ進出(1980年・メイコーの決断) 更新:2026/07/23 論点 両面板から多層板へ進出するか メイコー:業績の推移 売上高(億円)経常利益率(%) 両面板専業からの脱却と、より高度な製品分野への転換 何をなぜ決めたか:両面板専業からの脱却と、より高度な製品分野への転換 概要 1980年12月、名幸電子工業(現メイコー)が多層プレス機を導入し、多層プリント配線板の製造を開始した経営判断。創業時から扱ってきた両面板(配線層数2)に対し、内層にも回路を持つ層数3以上の製品へ参入した。 背景 1975年の創業以来、同社は両面板の販売を中心に伸び、1979年に流行したゲーム機向け基板の受注で生産を広げていた。一方で電子機器の側では1970年代のうちに多層基板が使われはじめ、層数を増やせない基板メーカーは扱える機器が限られる状況にあった。 内容 1980年9月に神奈川県綾瀬市の新本社事務所・工場を新設して設計から最終製品までの一貫生産体制を構築し、その3カ月後に多層プレス機を据えた。1978年に自社専用の基板検査機を開発しており、設計・製造・検査を社内に置いたうえで工程を一段積み増した。 含意 層数を上げる投資は以後も繰り返され、1997年11月にはビルドアップ新工法の建屋を山形工場に建てた。2025年3月期の売上高2,068億円を支えるAIサーバー向け高多層基板まで、1980年の多層プレス機はその最初の一段にあたる。 いつ何が起きたか 7件 考察:設備で決まる受注の範囲 考察 考察:設備で決まる受注の範囲 プリント配線板の会社にとって、層数は品質の等級ではなく、受けられる仕事の範囲そのものにあたる。両面板しか作れない工場には、内層に配線を通した機器の図面は届かない。1980年の名幸電子工業は、ゲーム基板の注文が伸びている最中に、まだ注文の来ていない層のための機械を買った。両面板の需要が続くかどうかを読んだのではなく、届く図面の種類を自分で広げにいった判断と思われる。 この選び方は以後も反復された。1985年の円高で受注が消えたときに残ったのが、車載という次の用途への見立てであったことも同じ性格を示している。設備を先に持つ会社は、市況が変わるたびに製品構成の側から立ち直る余地を持つ。 Yutaka Sugiura, 2026年7月 参考文献 参考文献 参考メイコー 有価証券報告書【沿革】メイコー 有価証券報告書(2006年3月期)【対処すべき課題】メイコー 有価証券報告書(2025年3月期・連結)メイコー 統合報告書2025(MEIKO corporate report 2025) 次に読む決断 メイコーの意思決定1998年メイコーメイコー中国広東省で海外生産香港に設置した拠点を軸とした、国内生産から海外への生産移管1998年2008年メイコーメイコービクターのサーキット事業譲受他社事業の譲り受けによる自前主義から外部成長への転換2008年同じ問い:新技術量産への設備投資1989年三菱樹脂三菱樹脂三菱商事と共同出資会社設立光学式ビデオディスク事業への24億円投資と、新領域への足がかり1989年1990年三洋電機三洋電機二次電池へ経営資源を集中二次電池に資源を配分する傾斜投資という、次の主力事業への賭け1990年1970年川崎汽船川崎汽船自動車専用船PCCの実用化フルコンテナ船の投入と、世界初となる専用船型による輸送の刷新1970年1991年東京製鐵東京製鐵岡山工場で熱延帯鋼へ参入高炉独占品種だった熱延広幅帯鋼への電炉メーカーとしての量産参入1991年1998年カネカカネカカネカソーラーテック設立専業子会社の設立と、薄膜シリコンへの100億円超の投資1998年 × 出所