700億円という金額は、当時の東京製鐵の利益水準からすれば一期分の稼ぎに近い。それを借入なしで薄板へ振り向けた判断の背後には、H形鋼で首位に立ったことがそのまま安泰を意味しないという読みがあった。高炉大手が電炉各社を系列に収め終えたとき、独立のまま残るには相手の主力品種へ入っていくしかない——池谷正成氏が5年前から温めていた筋書きは、この点で一貫していただろう。薄スラブ連続鋳造を技術者の意見で見送った場面は、その筋書きのなかでは例外的に慎重な選択にあたる。
ただし、参入の時期と市況の谷は重なった。ホットコイルの量産にこぎつけた翌年から赤字が5期続き、用地まで買った三重工場は建てられずに終わっている。品種を拡大する投資は、需要が伸びていれば能力の拡張になり、需要が縮めば償却の重みだけが残る。1991年の薄板は、その両方を順に経験したうえで、2009年の田原工場と2024年の低CO2鋼材"ほぼゼロ"まで続く板物の系譜の最初の一本として残った。