本田技研とブルーエナジー設立(2009年・GSユアサの決断)更新:2026/07/24論点量産投資の負担を完成車側と分担するかGSユアサ:業績の推移売上高(億円)経常利益率(%)データ出所完成車メーカーとの過半出資合弁による車載用リチウムイオン電池事業への参入何をなぜ決めたか:完成車メーカーとの過半出資合弁による車載用リチウムイオン電池事業への参入概要GSユアサは2007年12月に三菱商事・三菱自動車工業とリチウムエナジー ジャパンを、2009年4月に本田技研工業とブルーエナジーを設立し、車載用リチウムイオン電池へ参入した。いずれもGSユアサが過半を出資して主導権を掌握する形式で、合弁交渉の前提条件には過半の出資が置かれた。背景日本電池は1997年に三菱電機と合弁を設立して携帯機器向けリチウムイオン電池へ参入したが、量産投資の競争についていけず2002年に合弁株の過半を三洋電機へ譲渡し、民生用の量産から退いた。以後はH2Aロケットや人工衛星向けなど大型・ニッチ用途にとどまり、主力は売上の6割を占める鉛蓄電池であった。内容資本が最も動いたのは2009年で、5月発表の2010〜12年度中期経営計画は年平均250億円の設備投資を掲げ、その約7割をリチウムイオン電池の増産に充てた。7月下旬には最大4,600万株の公募増資で328億円の調達を見込み、7〜8月の一般募集増資と第三者割当増資で資本金は330億21百万円となった。含意三菱自動車の"アイ・ミーブ"向け生産は2009年春に始まり、2012年3月には栗東の第一工場棟が稼働した。ただし採算は伸びず、三菱系の合弁は2024年に事業を本体へ移して清算された。2025年3月期の決算説明会では、営業利益率10%は現状では難しいと会社側が認めている。いつ何が起きたか9件考察:過半を確保するという条件考察考察:過半を確保するという条件二つの合弁で最も変わっていたのは、電池メーカーの側が過半を出資したことであった。依田誠社長が、合弁交渉の前提条件としてマジョリティを要求したと語れたのは、1997年に三菱電機と組んだ民生用の合弁で投資競争についていけず、5年後に過半を手放した記憶が残っていたからだとみられる。相手の設備計画に従って投資だけを負う立場を、二度は取らないという条件であった。もっとも、主導権は採算を保証しなかった。栗東工場の稼働は2024年度上期に60%まで落ち、三菱系のリチウムエナジー ジャパンは2024年に事業を本体へ移して清算された。過半を握るという条件は、納入先を確保する問題までは解いても、物量と操業度の問題までは解いてくれなかったといえる。Yutaka Sugiura, 2026年7月参考文献参考文献参考ジーエス・ユアサ コーポレーション 有価証券報告書 第21期(2025年3月期)【沿革】ジーエス・ユアサ コーポレーション 有価証券報告書(2010年3月期・連結)ジーエス・ユアサ コーポレーション 2025年3月期 決算説明会 質疑応答次に読む決断GSユアサの意思決定2004年GSユアサGSユアサ日本電池・ユアサ統合株式移転による経営統合と、高槻事業所の閉鎖・希望退職を伴う減産2004年2016年GSユアサGSユアサパナソニック鉛電池事業を譲受製造会社ごと引き取る形での取り込みと、国内鉛蓄電池事業の集約2016年同じ問い:自社技術による隣接領域への展開2017年楽天グループ楽天グループ完全仮想化でMNO参入既存3社に挑む第4の携帯事業者としての自前網の構築2017年1991年東京製鐵東京製鐵岡山工場で熱延帯鋼へ参入高炉独占品種だった熱延広幅帯鋼への電炉メーカーとしての量産参入1991年1989年三菱樹脂三菱樹脂三菱商事と共同出資会社設立光学式ビデオディスク事業への24億円投資と、新領域への足がかり1989年1970年川崎汽船川崎汽船自動車専用船PCCの実用化フルコンテナ船の投入と、世界初となる専用船型による輸送の刷新1970年1946年明治製菓明治製菓ペニシリン製造の開始抗生物質の原末まで自前で生産する体制の構築と、戦災を受けた川崎工場の再起1946年×出所