GSユアサ完成車メーカーとの過半出資合弁による車載用リチウムイオン電池事業への参入

時期 2009年4月
意思決定者(推定) 依田誠 社長
論点 車載用リチウムイオン電池への参入方式と量産投資の負担分担
概要
GSユアサは2007年12月に三菱商事・三菱自動車工業とリチウムエナジー ジャパンを、2009年4月に本田技研工業とブルーエナジーを設立し、車載用リチウムイオン電池へ参入した。いずれもGSユアサが過半を出資して主導権を握る形式で、合弁交渉の前提条件には過半の出資が置かれた。
背景
日本電池は1997年に三菱電機と合弁を設立して携帯機器向けリチウムイオン電池へ参入したが、量産投資の競争についていけず2002年に合弁株の過半を三洋電機へ譲渡し、民生用の量産から退いた。以後はH2Aロケットや人工衛星向けなど大型・ニッチ用途にとどまり、主力は売上の6割を占める鉛蓄電池であった。
内容
資本が最も動いたのは2009年で、5月発表の2010〜12年度中期経営計画は年平均250億円の設備投資を掲げ、その約7割をリチウムイオン電池の増産に充てた。7月下旬には最大4,600万株の公募増資で328億円の調達を見込み、7〜8月の一般募集増資と第三者割当増資で資本金は330億21百万円となった。
含意
三菱自動車の『アイ・ミーブ』向け生産は2009年春に始まり、2012年3月には栗東の第一工場棟が稼働した。ただし採算は伸びず、三菱系の合弁は2024年に事業を本体へ移して清算された。2025年3月期の決算説明会では、営業利益率10%は現状では難しいと会社側が認めている。
筆者の見解

過半を握るという条件

二つの合弁で最も変わっていたのは、電池メーカーの側が過半を出資したことであった。依田誠社長が、合弁交渉の前提条件としてマジョリティを要求したと語れたのは、1997年に三菱電機と組んだ民生用の合弁で投資競争についていけず、5年後に過半を手放した記憶が残っていたからだとみられる。相手の設備計画に従って投資だけを負う立場を、二度は取らないという条件であった。

もっとも、主導権は採算を保証しなかった。生産の立ち上げから十数年を経た2025年3月期の決算説明会でも、会社側は営業利益率10%を目指したいが現状では難しいと述べ、達成の時期を第七次中期経営計画の期間へ置いている。栗東工場の稼働は2024年度上期に60%まで落ち、三菱系のリチウムエナジー ジャパンは2024年に事業を本体へ移して清算された。過半を握るという条件は、納入先を確保する問題までは解いても、物量と操業度の問題までは解いてくれなかったといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

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出典・参考
  • ジーエス・ユアサ コーポレーション 有価証券報告書 第21期(2025年3月期)【沿革】
  • ジーエス・ユアサ コーポレーション 有価証券報告書(2010年3月期・連結)
  • ジーエス・ユアサ コーポレーション 2025年3月期 決算説明会 質疑応答

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