決断
家庭の電球には手を出さず、屋外と大空間の光源だけを取った。反射形電球アイランプは写真スタジオとショーウインドーで採用され、続いてガソリンスタンド、工事現場、広告塔へ広がって市場占有率90%に達した。1955年5月に始めた高圧水銀ランプは後発の参入だったが、屋外へ光を投げる売り先を先に押さえていたため、まもなく首位へ立つ。岩崎福市社長は1960年の対談で、東芝が持つ家庭用電球を別扱いにし、蛍光灯も脇へ置いて新しい光源に絞ると区切っている。1959年12月の株式公開で調達した資金から6億7,000万円を投じた埼玉製作所は1960年に操業を開始し、1962年までに主力がここへ移った。1966年の水銀灯は全国生産の40.8%を占め、高ワット中心の品揃えのため金額では50%を超えた。