岩崎電気 の歴史

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創業 1944年
創業者 岩崎福市
創業地 東京都渋谷区
創業
1944年8月18日、岩崎通信機の常務取締役だった岩崎福市氏が軍部の要請を受け、東京都渋谷区代々木上原町に資本金200万円で岩崎電波工業を創立した。目的は超短波兵器部品の製造にあり、荻窪・甲府・秋田・新潟など7工場を1年のうちに買収・増設している。敗戦で唯一の注文元が消えると6工場を整理し、1945年9月に社名を岩崎電気へ改めて西荻窪工場だけを残した。照明へ向かうのは1949年3月で、反射形白熱電球と照明器具の生産に入る。ただし岩崎氏は後年、これを当たると見込んで選んだのではなく、苦しまぎれに始めたことだったと述懐している。
決断
家庭の電球には手を出さず、屋外と大空間の光源だけを取った。反射形電球アイランプは写真スタジオとショーウインドーで採用され、続いてガソリンスタンド、工事現場、広告塔へ広がって市場占有率90%に達した。1955年5月に始めた高圧水銀ランプは後発の参入だったが、屋外へ光を投げる売り先を先に押さえていたため、まもなく首位へ立つ。岩崎福市社長は1960年の対談で、東芝が持つ家庭用電球を別扱いにし、蛍光灯も脇へ置いて新しい光源に絞ると区切っている。1959年12月の株式公開で調達した資金から6億7,000万円を投じた埼玉製作所は1960年に操業を始め、1962年までに主力がここへ移った。1966年の水銀灯は全国生産の40.8%を占め、高ワット中心の品揃えのため金額では50%を超えた。
現況
創業以来の主力だった水銀ランプは、条約で生産そのものを禁じられた。2013年10月に採択された水俣条約は一般照明用の高圧水銀ランプを規制対象に置き、岩崎電気ではアイ水銀ランプなど4系統が該当する。2020年6月末で受注を締め切り、同年12月に生産を終えた。代替は自前で用意しており、2010年12月に帝人と共同開発したLEDアイランプは消費電力を従来の約10分の1に下げ、2015年には横浜スタジアムのナイター照明708台をLED投光器へ置き換えている。上場最後の期となった2022年3月期の連結売上高は531億円で、2002年3月期の706億円から175億円縮んだ。2023年3月のTOBでカーライル傘下へ入って6月9日に上場を廃止し、2026年1月にはスタンレー電気が702億円で全株式を取得した
競合
競争優位は光源の性能ではなく、売り先を屋外に限ったことから来ていた。1963年時点で照明装置の全国生産に占める比率は岩崎電気が37〜38%、2位の松下電器が25%、3位の東芝が10%弱だった。両社は家庭用電球という最大の市場を持ち、その量産と流通に組織を割いている。岩崎電気はそこへ入らず、街路灯・防犯灯・高速道路・工場照明という官公需と産業用に品目を寄せ、1本あたりの単価が高い高ワット品で金額の占有率を稼いだ。ただしこの選び方は、光源が交換部品でなくなった時点で効かなくなる。寿命約40,000時間のLEDは交換需要そのものを細らせ、2019年には国内のLED市場が減少へ転じた。
長期業績の推移 1961〜2022年
岩崎電気:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2022年3月期

創業ストーリー 超短波兵器部品から反射形白熱電球へ転じた岩崎電気 (1944年〜)

超短波兵器部品から反射形白熱電球へ転じた岩崎電気

創業ストーリー(1)

軍部要請で創設した超短波兵器部品の7工場

1944年8月18日、岩崎通信機の常務取締役だった岩崎福市氏が、当時の軍部からの要請を受け、東京都渋谷区代々木上原町に資本金200万円で岩崎電波工業を創設した[1]。目的は超短波兵器部品の製造にあり、工場はまず杉並区高井戸に置いた[2]。軍需が急増するにつれ、荻窪工場、西荻窪工場、荏原工場、甲府工場、秋田工場、新潟工場など7工場を相次いで買収し、増設した[3]。創立からの1年で、同社は資本金200万円のまま、東京から甲府、秋田、新潟にまたがる7つの工場を抱える会社になった[4]。終戦までの1年間、この7工場がつくったのは軍の求める兵器部品である[5]

  • 証券業報 12号(1959年)「岩崎電気株式会社」/企業の歴史 : 明治百年 3編 企業の歴史(1968年)「岩崎電気」
    • [1]1944年8月、岩崎通信機の常務取締役だった岩崎福市が軍部の要請で東京都渋谷区代々木上原町に資本金200万円の岩崎電波工業を創設し、超短波兵器部品の製造を目的として当初工場を杉並区高井戸に設けた。設立は1944年8月18日
    • [2]1944年8月、岩崎通信機の常務取締役だった岩崎福市が軍部の要請で東京都渋谷区代々木上原町に資本金200万円の岩崎電波工業を創設し、超短波兵器部品の製造を目的として当初工場を杉並区高井戸に設けた。設立は1944年8月18日
  • 証券業報 12号(1959年)「岩崎電気株式会社」
    • [3]軍需の急増化に伴い荻窪工場、西荻窪工場、荏原工場、甲府工場、秋田工場、新潟工場など7工場を相次ぎ買収増設した
    • [4]軍需の急増化に伴い荻窪工場、西荻窪工場、荏原工場、甲府工場、秋田工場、新潟工場など7工場を相次ぎ買収増設した
    • [5]同社は終戦まで兵器部品の製造を行っていた

敗戦は、軍部という唯一の注文元を一度に消した。企業の縮小にあたって生産の集中化を図り、7工場のうち6工場を整理したうえで、1945年9月に社名を岩崎電気へ改めた[6]。手元に残ったのは西荻窪工場一つで、同社は1949年1月にこれを本社工場として再建に乗り出した[7]。同年10月には特別経理会社法により100万円を減資し、改めて50万円を増資したことで、資本金は150万円となった[8]。創立時に積んだ200万円を下回る水準まで、資本金はいったん縮んだ[9]。終戦とともに、同社は製品を特殊電球と真空管に絞り、照明の専門メーカーとして再出発した[10]

  • 証券業報 12号(1959年)「岩崎電気株式会社」/岩崎電気 有価証券報告書【沿革】
    • [6]終戦により企業縮少で生産集中化を図って6工場を整理し、社名を岩崎電気株式会社と改称した。商号変更は1945年9月
    • [7]1949年1月、西荻窪工場を本社工場とし再建に乗出した
  • 証券業報 12号(1959年)「岩崎電気株式会社」
    • [8]1949年10月に特別経理会社法により100万円を減資し、改めて50万円を増資のうえ資本金を150万円とした
    • [9]1949年10月に特別経理会社法により100万円を減資し、改めて50万円を増資のうえ資本金を150万円とした
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編 企業の歴史(1968年)「岩崎電気」
    • [10]終戦とともに製品を特殊電球・真空管にしぼって照明専門メーカーとしてスタートをきった
  • 証券業報 12号(1959年)「岩崎電気株式会社」/企業の歴史 : 明治百年 3編 企業の歴史(1968年)「岩崎電気」
    • [1]1944年8月、岩崎通信機の常務取締役だった岩崎福市が軍部の要請で東京都渋谷区代々木上原町に資本金200万円の岩崎電波工業を創設し、超短波兵器部品の製造を目的として当初工場を杉並区高井戸に設けた。設立は1944年8月18日
    • [2]1944年8月、岩崎通信機の常務取締役だった岩崎福市が軍部の要請で東京都渋谷区代々木上原町に資本金200万円の岩崎電波工業を創設し、超短波兵器部品の製造を目的として当初工場を杉並区高井戸に設けた。設立は1944年8月18日
  • 証券業報 12号(1959年)「岩崎電気株式会社」
    • [3]軍需の急増化に伴い荻窪工場、西荻窪工場、荏原工場、甲府工場、秋田工場、新潟工場など7工場を相次ぎ買収増設した
    • [4]軍需の急増化に伴い荻窪工場、西荻窪工場、荏原工場、甲府工場、秋田工場、新潟工場など7工場を相次ぎ買収増設した
    • [5]同社は終戦まで兵器部品の製造を行っていた
    • [8]1949年10月に特別経理会社法により100万円を減資し、改めて50万円を増資のうえ資本金を150万円とした
    • [9]1949年10月に特別経理会社法により100万円を減資し、改めて50万円を増資のうえ資本金を150万円とした
  • 証券業報 12号(1959年)「岩崎電気株式会社」/岩崎電気 有価証券報告書【沿革】
    • [6]終戦により企業縮少で生産集中化を図って6工場を整理し、社名を岩崎電気株式会社と改称した。商号変更は1945年9月
    • [7]1949年1月、西荻窪工場を本社工場とし再建に乗出した
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編 企業の歴史(1968年)「岩崎電気」
    • [10]終戦とともに製品を特殊電球・真空管にしぼって照明専門メーカーとしてスタートをきった
創業ストーリー(2)

苦しまぎれの転換が当てた反射形白熱電球

戦争中は軍需品ばかりをつくっていたため、終戦後にそれをどう別の製品へ転換するかで、同社は非常に苦労した[11]。岩崎氏は後年、照明への進出について、当たると見込んで選んだのではなく、苦しまぎれに始めたことだったと振り返っている[12]。決め手になったのは、自社の技術がもともと照明関係に近かったことである[13]。技術者だった常務が、リフレクターの形の照明はこれからの光源として優れていると着眼した[14]。岩崎氏はその見通しを容れ、思い切ってやろうと決めた[15]。照明器具と反射形白熱電球の生産に入るのは、それから間もない1949年3月である[16]

  • 野田経済 1960年8月22日号
    • [11]岩崎福市は照明関係の仕事に目をつけた理由を「苦しまぎれにやつたこと」と述べ、戦争中は軍需品ばかりつくっていたため終戦後の転換に苦労したこと、自社の技術が照明関係に近い技術だったこと、技術屋である常務がリフレクターの形の照明が伸びると着眼し、思い切ってやろうと決めたことを挙げている
    • [12]岩崎福市は照明関係の仕事に目をつけた理由を「苦しまぎれにやつたこと」と述べ、戦争中は軍需品ばかりつくっていたため終戦後の転換に苦労したこと、自社の技術が照明関係に近い技術だったこと、技術屋である常務がリフレクターの形の照明が伸びると着眼し、思い切ってやろうと決めたことを挙げている
    • [13]岩崎福市は照明関係の仕事に目をつけた理由を「苦しまぎれにやつたこと」と述べ、戦争中は軍需品ばかりつくっていたため終戦後の転換に苦労したこと、自社の技術が照明関係に近い技術だったこと、技術屋である常務がリフレクターの形の照明が伸びると着眼し、思い切ってやろうと決めたことを挙げている
    • [14]岩崎福市は照明関係の仕事に目をつけた理由を「苦しまぎれにやつたこと」と述べ、戦争中は軍需品ばかりつくっていたため終戦後の転換に苦労したこと、自社の技術が照明関係に近い技術だったこと、技術屋である常務がリフレクターの形の照明が伸びると着眼し、思い切ってやろうと決めたことを挙げている
    • [15]岩崎福市は照明関係の仕事に目をつけた理由を「苦しまぎれにやつたこと」と述べ、戦争中は軍需品ばかりつくっていたため終戦後の転換に苦労したこと、自社の技術が照明関係に近い技術だったこと、技術屋である常務がリフレクターの形の照明が伸びると着眼し、思い切ってやろうと決めたことを挙げている
  • 岩崎電気 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1949年3月、反射形白熱電球(リフレクターランプ)と照明器具の生産を開始した

1949年3月、岩崎電気は反射形白熱電球(リフレクターランプ)と照明器具の生産を開始した[17]。ランプの中に反射鏡をつくり、それ自体をそのまま投光照明に使える仕組みで、日本で初めて手がけたこの反射形電球は爆発的な売れゆきをみせた[18]。従来のランプには一定の限度以上に明るくできないという光源の限界があり、反射形はその限界を越える強烈な明るさを備えていた[19]。1950年以後、同社は製造品目を照明器具とリフレクターランプだけに絞った[20]。家庭用の電球は手がけず、強い光を要する現場の光源に製品を寄せた[21]。この反射形電球はアイランプの名で売られた[22]

  • 岩崎電気 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1949年3月、反射形白熱電球(リフレクターランプ)と照明器具の生産を開始した
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編 企業の歴史(1968年)「岩崎電気」
    • [18]昭和24年、わが国ではじめて手がけた反射形電球が爆発的な売れゆきをみせた。この電球はランプの中に反射鏡をつくり、そのまま投光照明に使えるしくみになっている
  • 野田経済 1960年8月22日号
    • [19]岩崎福市は、従来のランプは一定の限度以上に明るくできないという光源の限界があり、リフレクターランプは従来のランプの持たない強烈な明るさを持つと述べている
    • [21]岩崎福市は、家庭の電球は東芝が手がける分野であり自社は別だとしたうえで、自社の反射形電球をアイランプと呼び、写真・投光器・店内照明などの分野で専門メーカーとして最大だと述べている
    • [22]岩崎福市は、家庭の電球は東芝が手がける分野であり自社は別だとしたうえで、自社の反射形電球をアイランプと呼び、写真・投光器・店内照明などの分野で専門メーカーとして最大だと述べている
  • 証券業報 12号(1959年)「岩崎電気株式会社」
    • [20]昭和25年以後は製造品目を専ら照明器具及びリフレクターランプの製造のみに絞った
  • 野田経済 1960年8月22日号
    • [11]岩崎福市は照明関係の仕事に目をつけた理由を「苦しまぎれにやつたこと」と述べ、戦争中は軍需品ばかりつくっていたため終戦後の転換に苦労したこと、自社の技術が照明関係に近い技術だったこと、技術屋である常務がリフレクターの形の照明が伸びると着眼し、思い切ってやろうと決めたことを挙げている
    • [12]岩崎福市は照明関係の仕事に目をつけた理由を「苦しまぎれにやつたこと」と述べ、戦争中は軍需品ばかりつくっていたため終戦後の転換に苦労したこと、自社の技術が照明関係に近い技術だったこと、技術屋である常務がリフレクターの形の照明が伸びると着眼し、思い切ってやろうと決めたことを挙げている
    • [13]岩崎福市は照明関係の仕事に目をつけた理由を「苦しまぎれにやつたこと」と述べ、戦争中は軍需品ばかりつくっていたため終戦後の転換に苦労したこと、自社の技術が照明関係に近い技術だったこと、技術屋である常務がリフレクターの形の照明が伸びると着眼し、思い切ってやろうと決めたことを挙げている
    • [14]岩崎福市は照明関係の仕事に目をつけた理由を「苦しまぎれにやつたこと」と述べ、戦争中は軍需品ばかりつくっていたため終戦後の転換に苦労したこと、自社の技術が照明関係に近い技術だったこと、技術屋である常務がリフレクターの形の照明が伸びると着眼し、思い切ってやろうと決めたことを挙げている
    • [15]岩崎福市は照明関係の仕事に目をつけた理由を「苦しまぎれにやつたこと」と述べ、戦争中は軍需品ばかりつくっていたため終戦後の転換に苦労したこと、自社の技術が照明関係に近い技術だったこと、技術屋である常務がリフレクターの形の照明が伸びると着眼し、思い切ってやろうと決めたことを挙げている
    • [19]岩崎福市は、従来のランプは一定の限度以上に明るくできないという光源の限界があり、リフレクターランプは従来のランプの持たない強烈な明るさを持つと述べている
    • [21]岩崎福市は、家庭の電球は東芝が手がける分野であり自社は別だとしたうえで、自社の反射形電球をアイランプと呼び、写真・投光器・店内照明などの分野で専門メーカーとして最大だと述べている
    • [22]岩崎福市は、家庭の電球は東芝が手がける分野であり自社は別だとしたうえで、自社の反射形電球をアイランプと呼び、写真・投光器・店内照明などの分野で専門メーカーとして最大だと述べている
  • 岩崎電気 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1949年3月、反射形白熱電球(リフレクターランプ)と照明器具の生産を開始した
    • [17]1949年3月、反射形白熱電球(リフレクターランプ)と照明器具の生産を開始した
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編 企業の歴史(1968年)「岩崎電気」
    • [18]昭和24年、わが国ではじめて手がけた反射形電球が爆発的な売れゆきをみせた。この電球はランプの中に反射鏡をつくり、そのまま投光照明に使えるしくみになっている
  • 証券業報 12号(1959年)「岩崎電気株式会社」
    • [20]昭和25年以後は製造品目を専ら照明器具及びリフレクターランプの製造のみに絞った
創業ストーリー(3)

写真とガソリンスタンドが開いた投光照明の口

反射形電球を最初に採り入れたのは写真だった[23]。影をつくって写すための照明として使われ、当時の写真機ブームに合った[24]。写真のスタジオ照明に続いて、デパートやショーウインドーの照明にも採用された[25]。次に岩崎電気が狙ったのが投光器である。従来の投光器は器具の中にミラーを置き、そこへランプの光を反射させて遠くへ届かせる方式で、費用も維持の手間もかさみ、取り付けにも相応の設備が要った[26]。同社はこれをリフレクターのランプ一つで置き換えられると見て、日本無線と話し合ってガラスを研究し、投光器用のガラスをつくり出した[27]

  • 野田経済 1960年8月22日号
    • [23]岩崎福市は、リフレクターランプが一番最初に普及したのは写真で、影をつくって写すための照明として写真機ブームに当たったと述べている
    • [24]岩崎福市は、リフレクターランプが一番最初に普及したのは写真で、影をつくって写すための照明として写真機ブームに当たったと述べている
    • [26]岩崎福市は、昔の投光器は中にミラーがあってランプを反射させて光を届かせる方式で費用がかかり維持もたいへんで、取り付けに相当の設備を要したと述べ、これをリフレクターのランプでできるはずだとして日本無線と話し合い投光器用のガラスをつくり出したと語っている
    • [27]岩崎福市は、昔の投光器は中にミラーがあってランプを反射させて光を届かせる方式で費用がかかり維持もたいへんで、取り付けに相当の設備を要したと述べ、これをリフレクターのランプでできるはずだとして日本無線と話し合い投光器用のガラスをつくり出したと語っている
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編 企業の歴史(1968年)「岩崎電気」/野田経済 1960年8月22日号「照明ひとすじに――岩崎電気社長 岩崎福市 本所会長 野田豊」
    • [25]反射形電球はまず写真のスタジオ照明、ショーウインドー照明に採用された。岩崎福市はデパートやショーウインドーの店内照明を第三の用途として挙げている

売り出した当初は、従来の投光器を見慣れた目にはあまりに簡単なつくりで、玩具のようだと受け取られてほとんど使われなかった[28]。1年ほど経って最初に使い出したのはガソリンスタンドで、シェルとスタンダードが採用し、それに右へならう形で他の石油会社も使い出した[29]。スタンドの敷地に塔を立て、その先に赤い柄と丸い大きなランプを付ける照明が、全国のスタンドへ広まり[30]、用途はさらに工事現場や広告塔の照明へも及んだ[31]。1954年2月、岩崎電気は資本金を300万円に増資した[32]。1949年10月に150万円まで縮めた資本金は、5年足らずで倍になった[33]

  • 野田経済 1960年8月22日号
    • [28]岩崎福市は、最初はあまり簡単なものでおもちゃみたいな感じがしてとても使われず、一年ぐらいしてガソリンスタンドが使い出し、シェルとスタンダードが最初に使ってそれに右へならえで各社が使い出したと述べ、ガソリンスタンドには塔が立って赤い柄がついた丸い大きいランプが付いていると語っている
    • [29]岩崎福市は、最初はあまり簡単なものでおもちゃみたいな感じがしてとても使われず、一年ぐらいしてガソリンスタンドが使い出し、シェルとスタンダードが最初に使ってそれに右へならえで各社が使い出したと述べ、ガソリンスタンドには塔が立って赤い柄がついた丸い大きいランプが付いていると語っている
    • [30]岩崎福市は、最初はあまり簡単なものでおもちゃみたいな感じがしてとても使われず、一年ぐらいしてガソリンスタンドが使い出し、シェルとスタンダードが最初に使ってそれに右へならえで各社が使い出したと述べ、ガソリンスタンドには塔が立って赤い柄がついた丸い大きいランプが付いていると語っている
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編 企業の歴史(1968年)「岩崎電気」
    • [31]反射形電球はガソリンスタンド、工事現場、広告塔の照明にとりいれられた
  • 証券業報 12号(1959年)「岩崎電気株式会社」
    • [32]1954年2月、資本金を300万円に増資した。1949年10月時点の資本金は150万円
    • [33]1954年2月、資本金を300万円に増資した。1949年10月時点の資本金は150万円
  • 野田経済 1960年8月22日号
    • [23]岩崎福市は、リフレクターランプが一番最初に普及したのは写真で、影をつくって写すための照明として写真機ブームに当たったと述べている
    • [24]岩崎福市は、リフレクターランプが一番最初に普及したのは写真で、影をつくって写すための照明として写真機ブームに当たったと述べている
    • [26]岩崎福市は、昔の投光器は中にミラーがあってランプを反射させて光を届かせる方式で費用がかかり維持もたいへんで、取り付けに相当の設備を要したと述べ、これをリフレクターのランプでできるはずだとして日本無線と話し合い投光器用のガラスをつくり出したと語っている
    • [27]岩崎福市は、昔の投光器は中にミラーがあってランプを反射させて光を届かせる方式で費用がかかり維持もたいへんで、取り付けに相当の設備を要したと述べ、これをリフレクターのランプでできるはずだとして日本無線と話し合い投光器用のガラスをつくり出したと語っている
    • [28]岩崎福市は、最初はあまり簡単なものでおもちゃみたいな感じがしてとても使われず、一年ぐらいしてガソリンスタンドが使い出し、シェルとスタンダードが最初に使ってそれに右へならえで各社が使い出したと述べ、ガソリンスタンドには塔が立って赤い柄がついた丸い大きいランプが付いていると語っている
    • [29]岩崎福市は、最初はあまり簡単なものでおもちゃみたいな感じがしてとても使われず、一年ぐらいしてガソリンスタンドが使い出し、シェルとスタンダードが最初に使ってそれに右へならえで各社が使い出したと述べ、ガソリンスタンドには塔が立って赤い柄がついた丸い大きいランプが付いていると語っている
    • [30]岩崎福市は、最初はあまり簡単なものでおもちゃみたいな感じがしてとても使われず、一年ぐらいしてガソリンスタンドが使い出し、シェルとスタンダードが最初に使ってそれに右へならえで各社が使い出したと述べ、ガソリンスタンドには塔が立って赤い柄がついた丸い大きいランプが付いていると語っている
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編 企業の歴史(1968年)「岩崎電気」/野田経済 1960年8月22日号「照明ひとすじに――岩崎電気社長 岩崎福市 本所会長 野田豊」
    • [25]反射形電球はまず写真のスタジオ照明、ショーウインドー照明に採用された。岩崎福市はデパートやショーウインドーの店内照明を第三の用途として挙げている
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編 企業の歴史(1968年)「岩崎電気」
    • [31]反射形電球はガソリンスタンド、工事現場、広告塔の照明にとりいれられた
  • 証券業報 12号(1959年)「岩崎電気株式会社」
    • [32]1954年2月、資本金を300万円に増資した。1949年10月時点の資本金は150万円
    • [33]1954年2月、資本金を300万円に増資した。1949年10月時点の資本金は150万円

高圧水銀ランプで工場と街路を照らし、全国生産の4割を取る

創業ストーリー(4)

家庭の電球を避けて選んだ高圧水銀ランプ

岩崎電気が高圧水銀ランプの生産を始めたのは1955年5月である[34]。当時この光源を国産化していたのはごく少数のメーカーにすぎず、同社の参入は他社に後れをとる。それでも同社はまたたく間に首位へ立ち、以後その座を他社へ譲らなかった[35]。先に握っていた足場が効いている。1949年に日本ではじめて手がけた反射形電球は、ランプの中に反射鏡を持ち、そのまま投光照明に使える。写真のスタジオ照明とショーウインドー照明にまず採用され、続いてガソリンスタンド、工事現場、広告塔へ広がって、市場占有率90%を占めた[36]。屋外と大空間へ光を投げる売り先を、水銀灯より先に押さえていた。

  • 岩崎電気 有価証券報告書【沿革】
    • [34]1955年5月、高圧水銀ランプの生産を開始
  • 日本一の企業(1967年)「日本の光をつくる岩崎電気」
    • [35]昭和30年に水銀灯の生産にふみ切った当時、国産化していたのは一、二のメーカーにすぎず、遅れてスタートしてもまたたく間に首位に立ち、その間ずっと首位を他社に譲らなかった
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編 企業の歴史(1968年)「岩崎電気」
    • [36]昭和24年にわが国ではじめて手がけた反射形電球はランプの中に反射鏡をつくりそのまま投光照明に使え、写真のスタジオ照明・ショーウインドー照明、続いてガソリンスタンド、工事現場、広告塔の照明に採用され、市場占有率90%で首位

家庭の電球に手を出さないという線は、岩崎福市社長が1960年8月の対談で引いている。東芝は家庭用の電球を持ち、そこが照明で最も大きい市場になるが、岩崎電気はそれを別扱いにし、蛍光灯も脇へ置いて、新しい光源の照明に絞る。その範囲でなら専門メーカーとして自社が一番大きい、という区切り方だった[37]。需要は区切った側で膨らんでいる。商店街の照明革新、都市美化、高速道路の整備が次々に進み、水銀灯は開拓される新しい需要に追いたてられて伸びた[38]。明るい街づくり運動が全国的なもり上りをみせて防犯灯と街路灯が先を競って建てられ、工場の照明も水銀灯へ切り替わった[39]

  • 野田経済 1960年8月22日号
    • [37]岩崎福市社長は1960年8月22日号の対談で、東芝はハウスキュー(家庭の電球)をやっており照明で一番大きい問題だがこれは別にしなければならない、蛍光灯も別にして新しい光源の照明では専門メーカーとして自社が一番大きい、と述べた
  • 日本一の企業(1967年)「日本の光をつくる岩崎電気」
    • [38]商店街の照明革新、都市美化、高速道路の整備が次々に進み、水銀灯は開拓される新しい需要に追いたてられておどろくほど伸びた
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編 企業の歴史(1968年)「岩崎電気」
    • [39]明るい街づくり運動が全国的なもり上りをみせ、防犯灯・街路灯が先をきそって建てられ、工場の照明が水銀灯にきりかえられていった

生産の積み上がりは本数に表れた。1966年3月末までに、反射形電球は製造開始いらい2,000万本、水銀ランプは200万本に達している[40]。水銀灯の全国生産に対する比率は、1964年が89万3,000本のうち32万6,000本で36.5%、1965年は80万5,000本のうち26万6,000本で33.1%へ下がり、1966年は86万本のうち35万1,000本で40.8%へ急伸した[41]。この占有率は本数の比率である。水銀灯には家庭の庭園灯でおなじみの40ワット、60ワットから大型まで幅があり、同社は低ワットに弱いかわり高ワットに絶対の強味を発揮するため、一本当りの単価が高い。生産金額に換算すれば50%を超えた[42]

  • 日本一の企業(1967年)「日本の光をつくる岩崎電気」
    • [40]昭和41年3月末に、リフレクターランプ製造開始いらい2,000万本、水銀ランプ200万本という業界初の数字を達成
    • [41]電球工業会の資料で、昭和39年は全国生産高89万3,000本に対し32万6,000本で36.5%、40年は80万5,000本に対し26万6,000本で33.1%、41年は86万本に対し35万1,000本で40.8%
    • [42]水銀灯は家庭の庭園灯の40・60ワットから大型まで幅があり、岩崎電気は低ワットに弱いかわり高ワットに絶対の強味を発揮して一本当りの単価が高く、占有率を生産金額に換算すれば50%をこえることは確実
  • 岩崎電気 有価証券報告書【沿革】
    • [34]1955年5月、高圧水銀ランプの生産を開始
  • 日本一の企業(1967年)「日本の光をつくる岩崎電気」
    • [35]昭和30年に水銀灯の生産にふみ切った当時、国産化していたのは一、二のメーカーにすぎず、遅れてスタートしてもまたたく間に首位に立ち、その間ずっと首位を他社に譲らなかった
    • [38]商店街の照明革新、都市美化、高速道路の整備が次々に進み、水銀灯は開拓される新しい需要に追いたてられておどろくほど伸びた
    • [40]昭和41年3月末に、リフレクターランプ製造開始いらい2,000万本、水銀ランプ200万本という業界初の数字を達成
    • [41]電球工業会の資料で、昭和39年は全国生産高89万3,000本に対し32万6,000本で36.5%、40年は80万5,000本に対し26万6,000本で33.1%、41年は86万本に対し35万1,000本で40.8%
    • [42]水銀灯は家庭の庭園灯の40・60ワットから大型まで幅があり、岩崎電気は低ワットに弱いかわり高ワットに絶対の強味を発揮して一本当りの単価が高く、占有率を生産金額に換算すれば50%をこえることは確実
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編 企業の歴史(1968年)「岩崎電気」
    • [36]昭和24年にわが国ではじめて手がけた反射形電球はランプの中に反射鏡をつくりそのまま投光照明に使え、写真のスタジオ照明・ショーウインドー照明、続いてガソリンスタンド、工事現場、広告塔の照明に採用され、市場占有率90%で首位
    • [39]明るい街づくり運動が全国的なもり上りをみせ、防犯灯・街路灯が先をきそって建てられ、工場の照明が水銀灯にきりかえられていった
  • 野田経済 1960年8月22日号
    • [37]岩崎福市社長は1960年8月22日号の対談で、東芝はハウスキュー(家庭の電球)をやっており照明で一番大きい問題だがこれは別にしなければならない、蛍光灯も別にして新しい光源の照明では専門メーカーとして自社が一番大きい、と述べた
創業ストーリー(5)

6億7,000万円を投じた埼玉製作所への主力移転

荻窪の工場は水銀灯の伸びで手ぜまになり、岩崎電気は量産の場所を外へ求めた。同社は1959年12月に株式を公開し、その後の4年で資本金を11.8倍の8億8,500万円へ膨らませている[43]。この資金で6億7,000万円を投じた埼玉県行田市の埼玉製作所は1960年に操業へ入り、まず水銀灯の製造から始めたため、1962年までに工場の主力がここへ移った[44]。1963年にはフル稼働の段階へ進み、荻窪工場は以後もっぱら新製品の開発に充てられている[45]。足袋の町として保守的といわれた行田では斜陽をかこつ地元の期待が大きく、1966年7月、工場のすぐ近くを走る国鉄高崎線に行田駅が新設された[46]

  • 経済知識 1963年
    • [43]昭和34年12月の株式公開から4年間で資本金は11.8倍にふくらみ、増資で新資本金8億8,500万円となった
    • [45]埼玉製作所はいよいよフル稼働の段階に入り今期から業績に本格的に寄与、荻窪工場では今後主として新製品の開発に没頭する方針
  • 日本一の企業(1967年)「日本の光をつくる岩崎電気」/経済知識 1963年「日本の四割を照らす岩崎電気の発展力」
    • [44]リフレクターランプに昭和30年からはじめた水銀灯が加わって荻窪工場も手ぜまになったため、埼玉県行田市に用地を買い、翌年まず水銀灯の製造を開始、昭和37年までに工場の主力がここに移った。これが埼玉製作所である/建設に6億7,000万円を投入
  • 日本一の企業(1967年)「日本の光をつくる岩崎電気」
    • [46]行田は足袋の町でふんい気も保守的といわれ、昭和35年に操業をはじめた岩崎電気の埼玉製作所に斜陽をかこつ地元の期待は大きく、昭和41年7月に国鉄高崎線に行田駅が新設された

株式の側も動いている。1961年10月に東京証券取引所市場第二部へ上場し、翌11月には大阪証券取引所市場第二部にも名を連ね[47]、1962年4月には本社を東京都港区へ移した[48]。1963年の時点で、白熱灯と高圧水銀灯、照明器具、安定器などの照明装置は全国生産の37〜38%を占め、業界の首位に立っていた。第二位は松下の25%、第三位は東芝の10%弱である[49]。前9月期は売上14億5,000万円、純益1億3,000万円の予想で、下期がいつも伸びる季節性から、今3月期は売上17億円、純益1億6,000万円を見込んだ[50]

  • 岩崎電気 有価証券報告書【沿革】
    • [47]1961年10月に東京証券取引所市場第二部に上場、1961年11月に大阪証券取引所市場第二部に上場
    • [48]1962年4月、本社を東京都港区に移転
  • 経済知識 1963年
    • [49]白熱灯、高圧水銀灯はじめ照明器具、安定器など照明装置では全国生産の37〜38%を占め業界のトップ、第二位は松下の25%、第三位は東芝の10%弱
    • [50]前9月期の業績は売り上げ14億5,000万円、純益1億3,000万円の予想。下期はいつも伸びるので今3月期は売り上げ17億円、純益1億6,000万円を予想
  • 経済知識 1963年
    • [43]昭和34年12月の株式公開から4年間で資本金は11.8倍にふくらみ、増資で新資本金8億8,500万円となった
    • [45]埼玉製作所はいよいよフル稼働の段階に入り今期から業績に本格的に寄与、荻窪工場では今後主として新製品の開発に没頭する方針
    • [49]白熱灯、高圧水銀灯はじめ照明器具、安定器など照明装置では全国生産の37〜38%を占め業界のトップ、第二位は松下の25%、第三位は東芝の10%弱
    • [50]前9月期の業績は売り上げ14億5,000万円、純益1億3,000万円の予想。下期はいつも伸びるので今3月期は売り上げ17億円、純益1億6,000万円を予想
  • 日本一の企業(1967年)「日本の光をつくる岩崎電気」/経済知識 1963年「日本の四割を照らす岩崎電気の発展力」
    • [44]リフレクターランプに昭和30年からはじめた水銀灯が加わって荻窪工場も手ぜまになったため、埼玉県行田市に用地を買い、翌年まず水銀灯の製造を開始、昭和37年までに工場の主力がここに移った。これが埼玉製作所である/建設に6億7,000万円を投入
  • 日本一の企業(1967年)「日本の光をつくる岩崎電気」
    • [46]行田は足袋の町でふんい気も保守的といわれ、昭和35年に操業をはじめた岩崎電気の埼玉製作所に斜陽をかこつ地元の期待は大きく、昭和41年7月に国鉄高崎線に行田駅が新設された
  • 岩崎電気 有価証券報告書【沿革】
    • [47]1961年10月に東京証券取引所市場第二部に上場、1961年11月に大阪証券取引所市場第二部に上場
    • [48]1962年4月、本社を東京都港区に移転
創業ストーリー(6)

官公需の街路灯と、次の光源マルチメタルランプ

官公需が水銀灯の外側にもう一段の売り先を開いた。従来の水銀灯は通路や飛行場の照明に不向きで、代わって登場したナトリウム照明灯を国鉄と羽田空港が全面的に使うことになり、発電所・変電所や建物照明へも応用が広がった[51]。陸上自衛隊では一台5万円で1万台の需要が見込まれ、海上自衛隊は艦船の信号に利用することとして、同社は研究費の支給を受け研究に当たっていた[52]。街路灯の官公需も並ぶ。首都道路公団が翌年から60キロにわたり全面的に照明施設を設け、東京電力20万灯、九州電力7万灯、北陸電力3万灯の需要が予定され、勧業銀行は1963年3月から街路灯建設資金を無条件で貸し付けることにした[53]。オリンピックを控えた明るい街づくりと道路整備の進歩が、この官公需を活発にしている[54]

  • 経済知識 1963年
    • [51]従来の水銀灯では通路や飛行場の照明には不向きなので、これに代わってナトリウム照明灯が登場し、国鉄はじめ羽田空港でも全面的に使用することになった。発・変電所や建物照明などナトリウム・ランプの応用分野は広い
    • [52]陸上自衛隊でも新兵器として一万台(一台5万円)の需要が予想され、海上自衛隊では艦船の信号として利用することになり、岩崎電気は研究費の支給をうけて目下研究中
    • [53]首都道路公団は来年から60キロにわたり全面的に照明施設をすることになっており、街路灯は東電20万灯、九州電力7万灯、北陸電力3万灯の需要が予定。勧銀では去る3月から街路灯建設資金を無条件で貸付けることとなった
    • [54]オリンピックを控えて明るい街づくりや、道路整備の進歩にともない、街路灯の官公需が活発になってきた

1962年以来の合理化で原価は15%下がり、国際競争力も強まったとして、同社は1963年に総売り上げの10%を輸出へ向け、翌年これを15%へ伸ばす方針を立てた[55]。オリンピック後の反動で業績が一時停滞したのち、会社をあげての合理化が実を結び、1968年3月期は売上高33億1,700万円、利益2億7,400万円を計上している[56]。次の光源の開発も並んで走った。1967年の時点で、演色性のすぐれたマルチメタルランプ、すなわち金属ハロゲン化物添加水銀ランプのほか、臭素電球、高圧ナトリウムランプ、特殊キセノンランプを開発の途上に置いた[57]。1970年8月、東京・大阪両証券取引所の市場第一部に指定された[58]

  • 経済知識 1963年
    • [55]昨年以来の合理化によって15%の原価引下げができ国際競争力も強まったので、今年は総売り上げの10%を輸出に向け、来年はこれを15%に伸ばす方針
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編 企業の歴史(1968年)「岩崎電気」
    • [56]オリンピック後の反動で一時業績が停滞したが、その後、会社をあげての合理化が実を結び、昭和43年3月期は売上高33億1,700万円、利益2億7,400万円を計上
  • 日本一の企業(1967年)「日本の光をつくる岩崎電気」
    • [57]最近開発したものまたは開発途上にあるものとして、演色性のすぐれたマルチメタルランプ(金属ハロゲン化物添加水銀ランプ)、臭素電球、高圧ナトリウムランプ、特殊キセノンランプがある
  • 岩崎電気 有価証券報告書【沿革】
    • [58]1970年8月、東京・大阪両証券取引所市場第一部に指定
  • 経済知識 1963年
    • [51]従来の水銀灯では通路や飛行場の照明には不向きなので、これに代わってナトリウム照明灯が登場し、国鉄はじめ羽田空港でも全面的に使用することになった。発・変電所や建物照明などナトリウム・ランプの応用分野は広い
    • [52]陸上自衛隊でも新兵器として一万台(一台5万円)の需要が予想され、海上自衛隊では艦船の信号として利用することになり、岩崎電気は研究費の支給をうけて目下研究中
    • [53]首都道路公団は来年から60キロにわたり全面的に照明施設をすることになっており、街路灯は東電20万灯、九州電力7万灯、北陸電力3万灯の需要が予定。勧銀では去る3月から街路灯建設資金を無条件で貸付けることとなった
    • [54]オリンピックを控えて明るい街づくりや、道路整備の進歩にともない、街路灯の官公需が活発になってきた
    • [55]昨年以来の合理化によって15%の原価引下げができ国際競争力も強まったので、今年は総売り上げの10%を輸出に向け、来年はこれを15%に伸ばす方針
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編 企業の歴史(1968年)「岩崎電気」
    • [56]オリンピック後の反動で一時業績が停滞したが、その後、会社をあげての合理化が実を結び、昭和43年3月期は売上高33億1,700万円、利益2億7,400万円を計上
  • 日本一の企業(1967年)「日本の光をつくる岩崎電気」
    • [57]最近開発したものまたは開発途上にあるものとして、演色性のすぐれたマルチメタルランプ(金属ハロゲン化物添加水銀ランプ)、臭素電球、高圧ナトリウムランプ、特殊キセノンランプがある
  • 岩崎電気 有価証券報告書【沿革】
    • [58]1970年8月、東京・大阪両証券取引所市場第一部に指定

GEとの合弁と電子線照射装置、700億円台の終わり

創業ストーリー(7)

GEとの合弁と、紫外線・電子線への助走

1973年12月、米国GE社との合弁会社として株式会社アイ・ライティング・システムを設立した[59]。アイ・ライティング・システムは照明器具の製造を担い、本社を東京都中央区に置いた[60]。翌1974年5月、茨城県に茨城製作所を建設し、施設用蛍光灯器具の生産を始めた[61]。岩崎電気は1977年11月にアイグラフィックス株式会社を設立し、印刷製版機器などの一部の販売を同社に任せた[62]。1979年12月には岩崎情報機器株式会社を設け、1982年2月に埼玉県行田市の開発センターを新設した[63]。この開発センターは2018年3月に閉鎖された[64]

    • [59]沿革「1973年12月 米国GE社との合弁会社、㈱アイ・ライティング・システム(現・連結子会社)を設立」
    • [61]沿革「1974年5月 茨城県に茨城製作所を建設」、施設用蛍光灯器具の生産を開始
    • [63]沿革「1979年12月 岩崎情報機器㈱を設立」「1982年2月 埼玉県行田市に開発センターを新設(2018年3月に閉鎖)」
    • [64]沿革「1979年12月 岩崎情報機器㈱を設立」「1982年2月 埼玉県行田市に開発センターを新設(2018年3月に閉鎖)」
    • [60]"Eye Lighting System Corp. / Chuo-ku, Tokyo / Manufacture of lighting fixtures"
    • [62]沿革「1977年11月 アイグラフィックス㈱(現・連結子会社)を設立」。事業の内容にアイグラフィックス㈱は「当社印刷製版機器他の一部を販売」と記載

1985年3月、株式会社秩父イワサキと株式会社関越イワサキを設立した[65]。両社はいまも連結子会社である[66]。関越イワサキは岩崎電気のUV製品の一部を、株式会社アイ・エレクトロンビームは岩崎電気のEB製品の一部を、それぞれ製造販売する会社にあたる[67]。1986年12月には茨城製作所内に第二工場棟を増設した[68]。米国では1987年5月にアイ・ライティング・コーポレーションを設立し、同社は後にアイ・ライティング・インターナショナル・オブ・ノースアメリカ・インクへ名を改めた[69]。アイ・ライティング・インターナショナル・オブ・ノースアメリカ・インクはいまも連結子会社として残る[70]

    • [65]沿革「1985年3月 ㈱秩父イワサキ(現・連結子会社)、㈱関越イワサキ(現・連結子会社)を設立」
    • [66]沿革「1985年3月 ㈱秩父イワサキ(現・連結子会社)、㈱関越イワサキ(現・連結子会社)を設立」
    • [68]沿革「1986年12月 茨城製作所内に第二工場棟を増設」
    • [69]沿革「1987年5月 米国にアイ・ライティング・コーポレーション(現・アイ・ライティング・インターナショナル・オブ・ノースアメリカ・インク 連結子会社)を設立」
    • [70]沿革「1987年5月 米国にアイ・ライティング・コーポレーション(現・アイ・ライティング・インターナショナル・オブ・ノースアメリカ・インク 連結子会社)を設立」
    • [67]事業の内容に「㈱関越イワサキ 当社UV製品の一部を製造販売」「㈱アイ・エレクトロンビーム 当社EB製品の一部を製造販売」と記載
    • [59]沿革「1973年12月 米国GE社との合弁会社、㈱アイ・ライティング・システム(現・連結子会社)を設立」
    • [61]沿革「1974年5月 茨城県に茨城製作所を建設」、施設用蛍光灯器具の生産を開始
    • [63]沿革「1979年12月 岩崎情報機器㈱を設立」「1982年2月 埼玉県行田市に開発センターを新設(2018年3月に閉鎖)」
    • [64]沿革「1979年12月 岩崎情報機器㈱を設立」「1982年2月 埼玉県行田市に開発センターを新設(2018年3月に閉鎖)」
    • [65]沿革「1985年3月 ㈱秩父イワサキ(現・連結子会社)、㈱関越イワサキ(現・連結子会社)を設立」
    • [66]沿革「1985年3月 ㈱秩父イワサキ(現・連結子会社)、㈱関越イワサキ(現・連結子会社)を設立」
    • [68]沿革「1986年12月 茨城製作所内に第二工場棟を増設」
    • [69]沿革「1987年5月 米国にアイ・ライティング・コーポレーション(現・アイ・ライティング・インターナショナル・オブ・ノースアメリカ・インク 連結子会社)を設立」
    • [70]沿革「1987年5月 米国にアイ・ライティング・コーポレーション(現・アイ・ライティング・インターナショナル・オブ・ノースアメリカ・インク 連結子会社)を設立」
    • [60]"Eye Lighting System Corp. / Chuo-ku, Tokyo / Manufacture of lighting fixtures"
    • [62]沿革「1977年11月 アイグラフィックス㈱(現・連結子会社)を設立」。事業の内容にアイグラフィックス㈱は「当社印刷製版機器他の一部を販売」と記載
    • [67]事業の内容に「㈱関越イワサキ 当社UV製品の一部を製造販売」「㈱アイ・エレクトロンビーム 当社EB製品の一部を製造販売」と記載
創業ストーリー(8)

エナジー・サイエンス・インク買収と伊東電機の子会社化

1988年8月、米国のエナジー・サイエンス・インクを買収し、同じ月に統括会社イワサキ・エレクトリック・コーポレーション・オブ・アメリカを現地法人として設立した[71]。ESIはマサチューセッツ州ウィルミントンで電子線照射装置を製造し、紫外線処理装置の輸入販売も手がけ、オランダのアメルスフォールトに欧州支店を置いた[72]。買収後のESIは用途別の小型機を開発して販売を伸ばし、グループの利益を押し上げた[73]。2001年3月期の光応用部門は売上高194億55百万円と11.2%伸び、営業利益は24億71百万円と3.8%増えた[74]。統括会社のイワサキ・エレクトリック・コーポレーション・オブ・アメリカは2002年12月に解散している[75]

    • [71]沿革「1988年8月 米国にイワサキ・エレクトリック・コーポレーション・オブ・アメリカを設立」「1988年8月 米国のエナジー・サイエンス・インク(現・連結子会社)を買収」
    • [75]沿革「2002年12月 イワサキ・エレクトリック・コーポレーション・オブ・アメリカを解散」
    • [72]"Energy Sciences Inc. (ESI) / 42 Industrial Way, Wilmington, MA 01887, U.S.A. / Manufacturer of electron-beam processors / Importer and distributor of UV Processing equipment"、欧州支店は Nijverheidsweg Noord 131, NL-3812 PL Amersfoort, The Netherlands
    • [73]"ESI (Energy Sciences Inc.) in the United States, which operates the group's EB (electron beam) business, has developed compact models, targeted at different EB applications, thereby expanding sales and greatly contributing to increasing profits."
    • [74]Light Applied Sector 売上 ¥19,455 million(+11.2%)、営業利益 ¥2,471 million(+3.8%)(2001年3月期)

岩崎電気は1989年10月にイワサキ45周年総合展、1994年9月にイワサキ50周年総合展を開催した[76]。1990年5月、東京都練馬区に研修センターを新設している[77]。1991年5月には北海道岩崎電気株式会社を設立し、2001年7月に解散した[78]。中華人民共和国には1995年12月、大連岩崎電気有限公司を設けた[79]。1997年8月には防爆機器メーカーの伊東電機株式会社を買収し、防爆照明機器の一部の製造販売を同社に担わせた[80]。2006年7月、熊坂隆雄社長は照明分野で好調に推移している商品として工場の防爆照明を挙げた[81]

    • [71]沿革「1988年8月 米国にイワサキ・エレクトリック・コーポレーション・オブ・アメリカを設立」「1988年8月 米国のエナジー・サイエンス・インク(現・連結子会社)を買収」
    • [75]沿革「2002年12月 イワサキ・エレクトリック・コーポレーション・オブ・アメリカを解散」
    • [76]沿革「1989年10月 イワサキ45周年総合展を開催」「1994年9月 イワサキ50周年総合展を開催」
    • [77]沿革「1990年5月 東京都練馬区に研修センターを新設(2020年3月に閉鎖)」
    • [78]沿革「1991年5月 北海道岩崎電気㈱を設立」「2001年7月 北海道岩崎電気㈱を解散」
    • [79]沿革「1995年12月 中華人民共和国に大連岩崎電気有限公司(現・連結子会社)を設立」
    • [72]"Energy Sciences Inc. (ESI) / 42 Industrial Way, Wilmington, MA 01887, U.S.A. / Manufacturer of electron-beam processors / Importer and distributor of UV Processing equipment"、欧州支店は Nijverheidsweg Noord 131, NL-3812 PL Amersfoort, The Netherlands
    • [73]"ESI (Energy Sciences Inc.) in the United States, which operates the group's EB (electron beam) business, has developed compact models, targeted at different EB applications, thereby expanding sales and greatly contributing to increasing profits."
    • [74]Light Applied Sector 売上 ¥19,455 million(+11.2%)、営業利益 ¥2,471 million(+3.8%)(2001年3月期)
    • [80]沿革「1997年8月 伊東電機㈱(現・連結子会社)を買収」。事業の内容に伊東電機㈱は「当社防爆照明機器の一部を製造販売」と記載
    • [81]2006年7月時点掲載のトップメッセージに「照明分野で好調に推移している工場の防爆照明をはじめ」との記述。当時の代表取締役社長は熊坂隆雄。
創業ストーリー(9)

大証上場廃止と、700億円台からの後退

岩崎電気は1997年6月、荒木千寿氏を社長に据えた[82]。荒木千寿社長は1937年1月28日に佐賀県で生まれ、1960年に九州大学経済学部を卒業して入社し、30代後半からアイ・ライティング・システムに12年間出向していた[83]。総務や経理などの管理部門が長く、第一線の営業経験はほとんどなかった[84]。1993年に取締役、1995年に常務へ昇格し、その2年後に末席常務から7人跳びで社長へ引き上げられた[85]。就任の年、1997年9月中間決算は12億円の経常赤字に転落した[86]。照明事業は道路や橋の建設などの公共工事や工場の新増設といった大規模プロジェクトの多寡に左右され、安定株主対策で進めたゼネコンや銀行との株式持ち合いが評価損の要因となった[87]

  • 日経ビジネス 1998年2月23日号
    • [82]略歴に「93年に取締役就任。95年常務、97年6月に社長就任。」
    • [83]略歴に「1937年1月28日、佐賀県生まれ、61歳。60年九州大学経済学部卒業、岩崎電気に入社。米ゼネラル・エレクトリックとの合弁会社、アイ・ライティング・システムへの出向を経て、86年第一事業本部マーケティング部長」。本文に「30代後半には米ゼネラル・エレクトリック(GE)との合弁会社である照明機器メーカー、アイ・ライティング・システムに出向し、12年間、本社での仕事から遠ざかっていた」
    • [84]「総務や経理などの管理部門が長く、第一線の営業経験がほとんどない」
    • [85]「1993年に彼を岩崎電気の取締役に引き上げた。そして、その2年後に常務に昇格、そのまた2年後に末席常務から7人跳びで社長に抜擢された」
    • [86]「昨年9月中間決算は12億円の経常赤字に転落した」(1998年2月23日号のため1997年9月中間決算を指す)
    • [87]「照明事業は、道路や橋の建設などの公共工事や、工場の新増設などの大規模プロジェクトの多寡に大きく左右されるため、急激な回復は見込めない。かつて、安定株主対策としてゼネコンや銀行などとの株式持ち合いを進めたため、銀行株やゼネコン株の評価損も足を引っ張った」

2002年6月、田﨑昭夫氏が社長に就いた[88]。田﨑昭夫社長は1940年5月25日に生まれ、1963年4月に岩崎電気へ入社した[89]。2002年3月期の連結売上高は706億20百万円、経常利益は9億20百万円、当期純損益は18億90百万円の赤字だった[90]。前期には構造改革計画に沿って早期退職を実施し、特別退職金32億49百万円を支払った[91]。生産ラインのスクラップ・アンド・ビルドを含む工場配置の見直しで不要となった土地を売り、47億42百万円を回収した[92]。会社は成長の止まった照明部門を合理化し、そこで浮いた資金と人を拡大が見込まれる光応用部門へ振り向ける方針を二本の柱に据えた[93]。2004年8月に創立60周年を迎え、田﨑昭夫社長は2007年3月期の目標に連結売上高900億円と連結営業利益率10%を置いた[94]

    • [88]Annual Report 2003(2003年7月署名)は "Chitoshi Araki, Chairman of the Board and CEO"、"Akio Tazaki, President & COO"。2001年8月時点では荒木が President & COO、田﨑が Senior Vice President。
    • [89]田﨑昭夫は1940年5月25日生まれ、1963年4月入社(有価証券報告書 役員の状況)。
  • 岩崎電気 有価証券報告書【連結損益計算書】
    • [90]2002年3月期 連結 売上高70,620百万円、経常利益920百万円、当期純損益△1,890百万円。
    • [91]"the payment of ¥3,249 million in the previous consolidated fiscal year for the special retirement allowance in the early retirement plan implemented according to the structural reform plan"
    • [92]"the income of ¥4,742 million in the previous consolidated fiscal year generated by selling the land regarded as unnecessary in the process of the change in factory layout including scrap-and-build of production lines as the structural reform plan proceeded"
    • [93]"The two central pillars of this strategy are the rationalization of the lighting sector, where overall growth continues to stagnate, and investment of management resources generated by the rationalization to the light applied sector where future expansion is expected."
    • [94]「岩崎電気は、おかげさまで今年8月に創立60周年を迎えました」「2007年3月期には連結売上高900億円、連結営業利益率10%を目標数値として達成を目指します」(取締役社長 田﨑昭夫)

2004年9月27日、取締役会は大阪証券取引所への上場廃止申請を決議し、11月に同市場第一部の上場を廃止した[95]。岩崎電気は1961年11月に大証二部へ上場し、1970年8月に東京・大阪両取引所の第一部へ指定されていた[96]。同じ時期、持ち合い解消として保有する上場45銘柄のうち17銘柄を売り、18億1千万円を回収して9億4千万円の売却益を計上している[97]。2006年6月、熊坂隆雄氏が代表取締役社長に就いた[98]。熊坂隆雄社長は2007年度からの3か年計画『Run-up 2011/フェーズ1』[引用元]をまとめ、事業の再編と技術系人材の投入を含む研究投資を進めた[99]。2009年3月期の連結売上高は642億3百万円、経常損益は6億50百万円の赤字、当期純損益は23億97百万円の赤字となり、2010年3月期は売上高524億32百万円、当期純損益は80億31百万円の赤字まで落ちた[100]

    • [95]「1. 上場廃止を行う理由 当社普通株式は、東京証券取引所及び大阪証券取引所で取引されてまいりましたが、大阪証券取引所については取引高が少なく、上場廃止による株主、投資家の皆様への影響は小さいと考えられる為、今般同証券取引所に対し上場廃止の申請を行うものであります。」「3. 上場廃止申請日 平成16年9月27日(月)」。有報 沿革は「2004年11月 大阪証券取引所市場第一部の上場を廃止」。
    • [96]有報 沿革「1961年10月 株式を東京証券取引所市場第二部に上場」「1961年11月 株式を大阪証券取引所市場第二部に上場」「1970年8月 東京、大阪両証券取引所市場第一部に指定」
    • [97]売却理由「株式相互持合いの解消に伴う持合株式の売却」、売却時期「平成16年9月1日〜平成16年9月24日」、売却額「18億1千万円(売却益は9億4千万円)」、「保有する上場金融機関及び一般事業会社の株式全45銘柄中17銘柄を売却」
    • [98]2006年12月25日開示の開示者名は「代表者名 取締役社長 熊坂隆雄」。熊坂隆雄は1946年2月3日生まれ、1970年4月入社。2006年6月29日に代表取締役社長へ就任。
    • [99]「この度2011年度を目処とした長期ビジョンを策定、その前段にあたる3ヵ年の経営計画『Run-up 2011/フェーズ1』(2007年度~2009年度)をまとめました。これから3年の間に事業再編と高収益化、また技術系の人材投入を含めた研究投資などを行い、しっかりと足固めをしていきたいと考えております。」
  • 岩崎電気 有価証券報告書【連結損益計算書】
    • [100]2009年3月期 連結 売上高64,203百万円、経常損益△650百万円、当期純損益△2,397百万円。2010年3月期 連結 売上高52,432百万円、経常損益△649百万円、当期純損益△8,031百万円。
  • 日経ビジネス 1998年2月23日号
    • [82]略歴に「93年に取締役就任。95年常務、97年6月に社長就任。」
    • [83]略歴に「1937年1月28日、佐賀県生まれ、61歳。60年九州大学経済学部卒業、岩崎電気に入社。米ゼネラル・エレクトリックとの合弁会社、アイ・ライティング・システムへの出向を経て、86年第一事業本部マーケティング部長」。本文に「30代後半には米ゼネラル・エレクトリック(GE)との合弁会社である照明機器メーカー、アイ・ライティング・システムに出向し、12年間、本社での仕事から遠ざかっていた」
    • [84]「総務や経理などの管理部門が長く、第一線の営業経験がほとんどない」
    • [85]「1993年に彼を岩崎電気の取締役に引き上げた。そして、その2年後に常務に昇格、そのまた2年後に末席常務から7人跳びで社長に抜擢された」
    • [86]「昨年9月中間決算は12億円の経常赤字に転落した」(1998年2月23日号のため1997年9月中間決算を指す)
    • [87]「照明事業は、道路や橋の建設などの公共工事や、工場の新増設などの大規模プロジェクトの多寡に大きく左右されるため、急激な回復は見込めない。かつて、安定株主対策としてゼネコンや銀行などとの株式持ち合いを進めたため、銀行株やゼネコン株の評価損も足を引っ張った」
    • [88]Annual Report 2003(2003年7月署名)は "Chitoshi Araki, Chairman of the Board and CEO"、"Akio Tazaki, President & COO"。2001年8月時点では荒木が President & COO、田﨑が Senior Vice President。
    • [89]田﨑昭夫は1940年5月25日生まれ、1963年4月入社(有価証券報告書 役員の状況)。
  • 岩崎電気 有価証券報告書【連結損益計算書】
    • [90]2002年3月期 連結 売上高70,620百万円、経常利益920百万円、当期純損益△1,890百万円。
    • [100]2009年3月期 連結 売上高64,203百万円、経常損益△650百万円、当期純損益△2,397百万円。2010年3月期 連結 売上高52,432百万円、経常損益△649百万円、当期純損益△8,031百万円。
    • [91]"the payment of ¥3,249 million in the previous consolidated fiscal year for the special retirement allowance in the early retirement plan implemented according to the structural reform plan"
    • [92]"the income of ¥4,742 million in the previous consolidated fiscal year generated by selling the land regarded as unnecessary in the process of the change in factory layout including scrap-and-build of production lines as the structural reform plan proceeded"
    • [93]"The two central pillars of this strategy are the rationalization of the lighting sector, where overall growth continues to stagnate, and investment of management resources generated by the rationalization to the light applied sector where future expansion is expected."
    • [94]「岩崎電気は、おかげさまで今年8月に創立60周年を迎えました」「2007年3月期には連結売上高900億円、連結営業利益率10%を目標数値として達成を目指します」(取締役社長 田﨑昭夫)
    • [95]「1. 上場廃止を行う理由 当社普通株式は、東京証券取引所及び大阪証券取引所で取引されてまいりましたが、大阪証券取引所については取引高が少なく、上場廃止による株主、投資家の皆様への影響は小さいと考えられる為、今般同証券取引所に対し上場廃止の申請を行うものであります。」「3. 上場廃止申請日 平成16年9月27日(月)」。有報 沿革は「2004年11月 大阪証券取引所市場第一部の上場を廃止」。
    • [96]有報 沿革「1961年10月 株式を東京証券取引所市場第二部に上場」「1961年11月 株式を大阪証券取引所市場第二部に上場」「1970年8月 東京、大阪両証券取引所市場第一部に指定」
    • [97]売却理由「株式相互持合いの解消に伴う持合株式の売却」、売却時期「平成16年9月1日〜平成16年9月24日」、売却額「18億1千万円(売却益は9億4千万円)」、「保有する上場金融機関及び一般事業会社の株式全45銘柄中17銘柄を売却」
    • [98]2006年12月25日開示の開示者名は「代表者名 取締役社長 熊坂隆雄」。熊坂隆雄は1946年2月3日生まれ、1970年4月入社。2006年6月29日に代表取締役社長へ就任。
    • [99]「この度2011年度を目処とした長期ビジョンを策定、その前段にあたる3ヵ年の経営計画『Run-up 2011/フェーズ1』(2007年度~2009年度)をまとめました。これから3年の間に事業再編と高収益化、また技術系の人材投入を含めた研究投資などを行い、しっかりと足固めをしていきたいと考えております。」

水銀ランプの生産を終え、カーライルからスタンレー電気へ

創業ストーリー(10)

セルフバラスト水銀ランプを代替したLEDアイランプ

2010年3月期の連結売上高は52,432百万円、経常損益は649百万円の赤字、当期純損益は8,031百万円の赤字だった[101]。同じ年、岩崎電気は帝人と組み、放熱ハウジングに高熱伝導性樹脂を採り、口金部を除いてオール樹脂とした屋外照明用LEDランプを共同開発した[102]。重さは約300g、消費電力は従来の約10分の1にあたる18W、寿命は約40,000時間、光束は1600ℓmで、置き換えの相手に名指ししたのは、看板や作業現場で使われてきたセルフバラスト水銀ランプである[103]。岩崎電気はこれをLEDioc LEDアイランプの名で2010年12月20日に発売した[104]

  • 岩崎電気 有価証券報告書【連結経営指標等】
    • [101]2010年3月期(連結)の売上高52,432百万円、経常損益△649百万円、当期純損益△8,031百万円
    • [102]2010年9月2日、岩崎電気と帝人が高熱伝導性樹脂を放熱ハウジングに採用し口金部を除きオール樹脂製とした屋外照明用LEDランプを共同開発。約300g、消費電力18W(従来比約1/10)、寿命約40,000時間、光束1600ℓm。主としてセルフバラスト水銀ランプが用いられていた用途の置き換えを狙う
    • [103]2010年9月2日、岩崎電気と帝人が高熱伝導性樹脂を放熱ハウジングに採用し口金部を除きオール樹脂製とした屋外照明用LEDランプを共同開発。約300g、消費電力18W(従来比約1/10)、寿命約40,000時間、光束1600ℓm。主としてセルフバラスト水銀ランプが用いられていた用途の置き換えを狙う
    • [104]LEDioc LEDアイランプは2010年12月20日より発売開始

発売から2か月後、岩崎電気は白色仕上げの追加を公表し、数千個単位の大口注文と万単位の引き合いが入っていることを明らかにした[105]。採用先は全国チェーン店舗のサイン照明、サービスステーション、工場、学校へ広がった[106]。品揃えはその後も増え、2017年2月には発光効率150ℓm/Wの40W形が加わる[107]。看板・仮設市場でLED化が加速し、高出力タイプの需要が増したためである[108]。2009年発売のLED道路灯レディオック ロード、2011年発売のLEDトンネル照明器具レディオック トンネルと、屋外の他分野へもLED光源を広げた[109]。業績は2013年3月期の経常利益548百万円を底に、2015年3月期は売上高59,476百万円、経常利益2,756百万円、当期純利益2,371百万円まで戻した[110]

    • [105]2011年2月9日時点で、LEDioc LEDアイランプは数千個単位の大口注文や万単位の引き合いがあり、全国チェーン店舗のサイン照明、サービスステーション、工場、学校などに採用され用途が拡大している
    • [106]2011年2月9日時点で、LEDioc LEDアイランプは数千個単位の大口注文や万単位の引き合いがあり、全国チェーン店舗のサイン照明、サービスステーション、工場、学校などに採用され用途が拡大している
    • [107]2010年にセルフバラスト反射形水銀ランプのLED代替商品としてLEDアイランプ18Wを発売し、その後看板・仮設市場のLED化加速で高出力タイプの需要が増したため40W形を開発。2017年2月に高効率150ℓm/WのLEDioc LEDアイランプ40Wを発売
    • [108]2010年にセルフバラスト反射形水銀ランプのLED代替商品としてLEDアイランプ18Wを発売し、その後看板・仮設市場のLED化加速で高出力タイプの需要が増したため40W形を開発。2017年2月に高効率150ℓm/WのLEDioc LEDアイランプ40Wを発売
  • 岩崎電気 有価証券報告書【沿革】
    • [109]2009年にLED道路灯「レディオック ロード」、2011年にLEDトンネル照明器具「レディオック トンネル」を発売
  • 岩崎電気 有価証券報告書【連結経営指標等】
    • [110]連結の経常利益は2013年3月期548百万円。2015年3月期は売上高59,476百万円、経常利益2,756百万円、当期純利益2,371百万円

置き換えは看板や作業灯にとどまらなかった。2015年、横浜スタジアムはグラウンド照明の1500Wメタルハライドランプ708台を岩崎電気の760W高演色形LED投光器660台とLED80W投光器24台へ更新し、消費電力を約56%減らした[111]。プロ野球の屋外ナイター照明設備が全面的にHIDからLEDへ替わったのは、これが日本で最初である[112]。2016年4月1日、光応用事業本部長の伊藤義剛氏が渡邊文矢社長の後任として社長に就く[113]。就任後の2018年3月期は経常利益が228百万円まで落ち込み、2019年10月には本社を東京都中央区東日本橋へ移した[114]

    • [111]横浜スタジアムのグラウンド照明を既設1500Wメタルハライドランプ708台(高演色形402台、高効率形306台)から760W高演色形LED投光器660台およびLED80W投光器24台へ更新し、消費電力を約56%削減。プロ野球の屋外ナイター照明設備の全面LED化は日本初
    • [112]横浜スタジアムのグラウンド照明を既設1500Wメタルハライドランプ708台(高演色形402台、高効率形306台)から760W高演色形LED投光器660台およびLED80W投光器24台へ更新し、消費電力を約56%削減。プロ野球の屋外ナイター照明設備の全面LED化は日本初
  • 岩崎電気 有価証券報告書【役員の状況】
    • [113]2016年4月1日付で伊藤義剛が社長に就任し、前社長の渡邊文矢は会長に就任。伊藤義剛は1958年5月11日生、1983年4月入社、光応用事業本部長を経て社長
  • 岩崎電気 有価証券報告書【連結経営指標等】【沿革】
    • [114]2018年3月期(連結)の経常利益228百万円。2019年10月に本社を東京都中央区東日本橋へ移転
  • 岩崎電気 有価証券報告書【連結経営指標等】
    • [101]2010年3月期(連結)の売上高52,432百万円、経常損益△649百万円、当期純損益△8,031百万円
    • [110]連結の経常利益は2013年3月期548百万円。2015年3月期は売上高59,476百万円、経常利益2,756百万円、当期純利益2,371百万円
    • [102]2010年9月2日、岩崎電気と帝人が高熱伝導性樹脂を放熱ハウジングに採用し口金部を除きオール樹脂製とした屋外照明用LEDランプを共同開発。約300g、消費電力18W(従来比約1/10)、寿命約40,000時間、光束1600ℓm。主としてセルフバラスト水銀ランプが用いられていた用途の置き換えを狙う
    • [103]2010年9月2日、岩崎電気と帝人が高熱伝導性樹脂を放熱ハウジングに採用し口金部を除きオール樹脂製とした屋外照明用LEDランプを共同開発。約300g、消費電力18W(従来比約1/10)、寿命約40,000時間、光束1600ℓm。主としてセルフバラスト水銀ランプが用いられていた用途の置き換えを狙う
    • [104]LEDioc LEDアイランプは2010年12月20日より発売開始
    • [105]2011年2月9日時点で、LEDioc LEDアイランプは数千個単位の大口注文や万単位の引き合いがあり、全国チェーン店舗のサイン照明、サービスステーション、工場、学校などに採用され用途が拡大している
    • [106]2011年2月9日時点で、LEDioc LEDアイランプは数千個単位の大口注文や万単位の引き合いがあり、全国チェーン店舗のサイン照明、サービスステーション、工場、学校などに採用され用途が拡大している
    • [107]2010年にセルフバラスト反射形水銀ランプのLED代替商品としてLEDアイランプ18Wを発売し、その後看板・仮設市場のLED化加速で高出力タイプの需要が増したため40W形を開発。2017年2月に高効率150ℓm/WのLEDioc LEDアイランプ40Wを発売
    • [108]2010年にセルフバラスト反射形水銀ランプのLED代替商品としてLEDアイランプ18Wを発売し、その後看板・仮設市場のLED化加速で高出力タイプの需要が増したため40W形を開発。2017年2月に高効率150ℓm/WのLEDioc LEDアイランプ40Wを発売
  • 岩崎電気 有価証券報告書【沿革】
    • [109]2009年にLED道路灯「レディオック ロード」、2011年にLEDトンネル照明器具「レディオック トンネル」を発売
    • [111]横浜スタジアムのグラウンド照明を既設1500Wメタルハライドランプ708台(高演色形402台、高効率形306台)から760W高演色形LED投光器660台およびLED80W投光器24台へ更新し、消費電力を約56%削減。プロ野球の屋外ナイター照明設備の全面LED化は日本初
    • [112]横浜スタジアムのグラウンド照明を既設1500Wメタルハライドランプ708台(高演色形402台、高効率形306台)から760W高演色形LED投光器660台およびLED80W投光器24台へ更新し、消費電力を約56%削減。プロ野球の屋外ナイター照明設備の全面LED化は日本初
  • 岩崎電気 有価証券報告書【役員の状況】
    • [113]2016年4月1日付で伊藤義剛が社長に就任し、前社長の渡邊文矢は会長に就任。伊藤義剛は1958年5月11日生、1983年4月入社、光応用事業本部長を経て社長
  • 岩崎電気 有価証券報告書【連結経営指標等】【沿革】
    • [114]2018年3月期(連結)の経常利益228百万円。2019年10月に本社を東京都中央区東日本橋へ移転
創業ストーリー(11)

水俣条約で幕を引いた一般照明用水銀ランプの生産

2013年10月10日、熊本県で開かれた国連環境計画の外交会議で、水銀汚染防止に向けた国際的な水銀規制に関する水俣条約が採択された[115]。条約は電池や化粧品、血圧計など水銀を含む9種類の商品の製造・輸出・輸入を2021年以降禁じ、照明では一般照明用の高圧水銀ランプが規制対象となった[116]。岩崎電気ではアイ水銀ランプ、セルフバラスト水銀ランプ、ツインマーキュリー、アイツインアークの4系統が該当する[117]。規制の外に残ったセラミックメタルハライドランプとメタルハライドランプについては、2018年に製造販売の継続を告知した[118]

    • [115]2013年10月10日、熊本県での国連環境計画の外交会議で「水銀汚染防止に向けた国際的な水銀規制に関する水俣条約」が採択。電池・化粧品・血圧計など水銀を含む9種類の商品の製造・輸出・輸入を2021年以降禁止し、照明分野では一般照明用の高圧水銀ランプ(HPMV)が2021年以降禁止
    • [116]2013年10月10日、熊本県での国連環境計画の外交会議で「水銀汚染防止に向けた国際的な水銀規制に関する水俣条約」が採択。電池・化粧品・血圧計など水銀を含む9種類の商品の製造・輸出・輸入を2021年以降禁止し、照明分野では一般照明用の高圧水銀ランプ(HPMV)が2021年以降禁止
    • [117]規制対象となる岩崎電気の製品はアイ水銀ランプ、セルフバラスト水銀ランプ、ツインマーキュリー、アイツインアーク。セラミックメタルハライドランプとメタルハライドランプは規制対象外
    • [118]2018年に「メタルハライドランプ・高圧ナトリウムランプの製造販売継続について」を告知

条約が発効したのは2017年8月16日である[119]。岩崎電気は2019年に水銀ランプの注文を2020年6月で締め切ると予告し、2020年2月3日には受注受付および生産終了の案内を出した[120]。受注受付の終了は2020年6月末日で、対象はアイ水銀ランプ26形式、アイ セルフバラスト水銀ランプ35形式、ツインマーキュリー3形式、アイ ツインアーク3形式に及ぶ[121]。生産は2020年12月に終わった[122]。前年の2019年には、LED化に伴うランプ交換需要の減少と長寿命化によって、国内のLED市場そのものが減少へ転じている[123]

生産終了を挟んだ3期の連結業績は、売上を落としながら利益を残した。2020年3月期は売上高59,274百万円、経常利益3,885百万円、当期純利益2,681百万円で、営業利益率は6.2%に達する[124]。2021年3月期は売上高53,587百万円、経常利益3,191百万円、上場最後の期となった2022年3月期は売上高53,185百万円、経常利益3,462百万円、当期純利益2,330百万円だった[125]。岩崎電気は2021年11月1日に中期経営計画を公表し、2022年3月期を第二創業の1年目と位置づけ、2026年3月期に売上高65,000百万円、営業利益5,200百万円を掲げた[126]。2022年4月、東京証券取引所の市場区分見直しでプライム市場へ移る[127]

    • [124]2020年3月期(連結)の売上高59,274百万円、経常利益3,885百万円、当期純利益2,681百万円、営業利益3,661百万円、営業利益率6.2%
    • [126]2021年11月1日公表の中期経営計画は「第二創業に向けた成長戦略・構造改革」を基本方針とし、2022年3月期を第二創業の1年目と位置付け、2026年3月期の目標に売上高65,000百万円、営業利益5,200百万円、営業利益率8.0%、ROE8.0%を掲げた
  • 岩崎電気 有価証券報告書【連結経営指標等】
    • [125]2021年3月期(連結)の売上高53,587百万円、経常利益3,191百万円。2022年3月期の売上高53,185百万円、経常利益3,462百万円、当期純利益2,330百万円
  • 岩崎電気 有価証券報告書【沿革】
    • [127]2022年4月、東京証券取引所プライム市場へ移行
    • [115]2013年10月10日、熊本県での国連環境計画の外交会議で「水銀汚染防止に向けた国際的な水銀規制に関する水俣条約」が採択。電池・化粧品・血圧計など水銀を含む9種類の商品の製造・輸出・輸入を2021年以降禁止し、照明分野では一般照明用の高圧水銀ランプ(HPMV)が2021年以降禁止
    • [116]2013年10月10日、熊本県での国連環境計画の外交会議で「水銀汚染防止に向けた国際的な水銀規制に関する水俣条約」が採択。電池・化粧品・血圧計など水銀を含む9種類の商品の製造・輸出・輸入を2021年以降禁止し、照明分野では一般照明用の高圧水銀ランプ(HPMV)が2021年以降禁止
    • [117]規制対象となる岩崎電気の製品はアイ水銀ランプ、セルフバラスト水銀ランプ、ツインマーキュリー、アイツインアーク。セラミックメタルハライドランプとメタルハライドランプは規制対象外
    • [118]2018年に「メタルハライドランプ・高圧ナトリウムランプの製造販売継続について」を告知
    • [119]2020年2月3日「水銀ランプ受注受付及び生産終了のご案内」。2017年8月16日に発効した水俣条約により2021年以降は水銀ランプの生産・輸出・輸入が禁止されるため受注受付を終了。対象はアイ ツインアーク3形式、アイ 水銀ランプ26形式、ツインマーキュリー3形式、アイ セルフバラスト水銀ランプ35形式
    • [121]2020年2月3日「水銀ランプ受注受付及び生産終了のご案内」。2017年8月16日に発効した水俣条約により2021年以降は水銀ランプの生産・輸出・輸入が禁止されるため受注受付を終了。対象はアイ ツインアーク3形式、アイ 水銀ランプ26形式、ツインマーキュリー3形式、アイ セルフバラスト水銀ランプ35形式
    • [120]2019年に「『2020年6月』水銀ランプ注文締め切り」を告知し、2020年2月3日に受注受付及び生産終了の案内を出した。受注受付終了は2020年6月末日
    • [122]水銀ランプの生産は2020年12月に終了
    • [124]2020年3月期(連結)の売上高59,274百万円、経常利益3,885百万円、当期純利益2,681百万円、営業利益3,661百万円、営業利益率6.2%
    • [126]2021年11月1日公表の中期経営計画は「第二創業に向けた成長戦略・構造改革」を基本方針とし、2022年3月期を第二創業の1年目と位置付け、2026年3月期の目標に売上高65,000百万円、営業利益5,200百万円、営業利益率8.0%、ROE8.0%を掲げた
    • [123]LED化によりランプ交換需要の減少や長寿命化等に伴い、2019年には国内LED市場は減少に転じた
  • 岩崎電気 有価証券報告書【連結経営指標等】
    • [125]2021年3月期(連結)の売上高53,587百万円、経常利益3,191百万円。2022年3月期の売上高53,185百万円、経常利益3,462百万円、当期純利益2,330百万円
  • 岩崎電気 有価証券報告書【沿革】
    • [127]2022年4月、東京証券取引所プライム市場へ移行
創業ストーリー(12)

カーライルによる非公開化とスタンレー電気への譲渡

岩崎電気は非公開化の理由を、自社ができていないことの列挙から書き起こした。殺菌分野では、国内外メーカーの進出に対して十分な商品開発ができていなかった[128]。米国でHIDランプの発光管・外球を製造販売してきた連結子会社Eye Lighting International of North America(ELINA)は事業継続が困難となり、2022年10月14日に清算を決めた[129]。そのうえで会社は、新規ビジネスの創出と海外事業の拡充を果断に実施する前提として、現状維持志向の傾向がある従業員のマインドセットを変える必要があると書いた[130]。カーライルは、創業以来の中核である照明用HIDランプ・器具事業に抜本的な事業構造の改革が要るとみていた[131]

    • [128]殺菌分野で国内外メーカーが積極的に進出する中で十分な商品開発ができているとはいいがたく、米国でHIDランプの発光管・外球の製造販売を中心に事業を行ってきた連結子会社Eye Lighting International of North America, Inc.(ELINA)は事業継続が困難となり、2022年10月14日付で清算を決定
    • [129]殺菌分野で国内外メーカーが積極的に進出する中で十分な商品開発ができているとはいいがたく、米国でHIDランプの発光管・外球の製造販売を中心に事業を行ってきた連結子会社Eye Lighting International of North America, Inc.(ELINA)は事業継続が困難となり、2022年10月14日付で清算を決定
    • [130]新規ビジネスの創出及び海外事業の拡充を果断に実施することが必要であり、その前提としてこれまでの現状維持志向の傾向がある従業員の業務へのマインドセットからの変革が必要と会社が記載
    • [131]カーライルは、屋台骨を創業以来支えてきた中核事業である照明用HIDランプ・器具事業について、環境への負荷が相応に大きい点や部材の調達が困難な点等を踏まえ抜本的な事業構造の改革が必要と考えている旨が、岩崎電気の開示に伝聞形で記載された

新たな協業相手の検討は2022年7月上旬に始まった[132]。岩崎電気は8月下旬から10月上旬にかけてファンド7社から非公開化による協業の初期提案を受け、10月上旬に2社へ絞り、11月下旬にカーライルを最終候補に定めた[133]。買付価格は3回の提示で動く。2023年1月20日の3,884円を株式価値を公正に反映していないとして退け、1月27日の4,135円にも再考を求め、2月1日の4,460円を翌2日に受け入れた[134]。4,460円は前営業日である2月3日の終値2,432円に83.39%、過去3か月間の終値単純平均2,394円に86.30%のプレミアムを加えた価格である[135]。取引はMBOに該当し、伊藤義剛社長は所有37,022株のうち14,100株を応募したうえ、最大165,118,120円を公開買付者へ出資した[136]

    • [132]2022年7月上旬から新たな協業パートナーの検討を開始。2022年8月下旬から10月上旬にかけてファンド5社および直接接触のあったファンド2社の計7社から非公開化の方法による協業の初期的提案を受け、2022年10月上旬にカーライルを含むファンド2社を優先的な候補者とし、2022年11月下旬にカーライルを最終的な候補者とした
    • [133]2022年7月上旬から新たな協業パートナーの検討を開始。2022年8月下旬から10月上旬にかけてファンド5社および直接接触のあったファンド2社の計7社から非公開化の方法による協業の初期的提案を受け、2022年10月上旬にカーライルを含むファンド2社を優先的な候補者とし、2022年11月下旬にカーライルを最終的な候補者とした
    • [134]2023年1月20日の初回提案3,884円を「当社の株式価値を公正に反映しているとはいい難い」として再考を依頼、1月27日の第二回4,135円にも1月30日に再考を依頼、2月1日の第三回4,460円を2月2日に応諾
    • [135]公開買付価格4,460円は、公表日の前営業日である2023年2月3日の東証プライム市場の終値2,432円に対して83.39%、同日までの過去3ヶ月間の終値の単純平均値2,394円に対して86.30%のプレミアムを加えた価格
    • [136]本取引はマネジメント・バイアウト(MBO)に該当し、代表取締役社長の伊藤義剛(所有株式数37,022株、所有割合0.50%)は直接所有する14,100株を公開買付けに応募し、取引成立後に公開買付者へ最大165,118,120円を出資、出資後の議決権所有割合は2%未満となる予定

公開買付けは2023年3月22日に6,482,759株の応募を集めて成立し、コスモホールディングスの議決権所有割合は88.18%となった[137]。株式は6月8日を最終売買日として6月9日に上場廃止、6月13日に株式併合の効力が生じる[138]。傘下に入った岩崎電気は2024年6月12日、HIDランプとHID安定器を2025年1月31日で生産終了すると告知した[139]。売上高に占める割合は5%以下まで下がり、部材の調達も難しくなっていた[140]。2024年10月31日の新・中期経営計画で、会社はHIDランプの終息を半世紀に一回の大転換点と呼ぶ[141]。2026年1月29日、スタンレー電気は取得価額70,292百万円でカーライルの持つ全株式を取得し、2026年4月1日付で岩崎電気を連結子会社とすると公表した[142]

    • [128]殺菌分野で国内外メーカーが積極的に進出する中で十分な商品開発ができているとはいいがたく、米国でHIDランプの発光管・外球の製造販売を中心に事業を行ってきた連結子会社Eye Lighting International of North America, Inc.(ELINA)は事業継続が困難となり、2022年10月14日付で清算を決定
    • [129]殺菌分野で国内外メーカーが積極的に進出する中で十分な商品開発ができているとはいいがたく、米国でHIDランプの発光管・外球の製造販売を中心に事業を行ってきた連結子会社Eye Lighting International of North America, Inc.(ELINA)は事業継続が困難となり、2022年10月14日付で清算を決定
    • [130]新規ビジネスの創出及び海外事業の拡充を果断に実施することが必要であり、その前提としてこれまでの現状維持志向の傾向がある従業員の業務へのマインドセットからの変革が必要と会社が記載
    • [131]カーライルは、屋台骨を創業以来支えてきた中核事業である照明用HIDランプ・器具事業について、環境への負荷が相応に大きい点や部材の調達が困難な点等を踏まえ抜本的な事業構造の改革が必要と考えている旨が、岩崎電気の開示に伝聞形で記載された
    • [132]2022年7月上旬から新たな協業パートナーの検討を開始。2022年8月下旬から10月上旬にかけてファンド5社および直接接触のあったファンド2社の計7社から非公開化の方法による協業の初期的提案を受け、2022年10月上旬にカーライルを含むファンド2社を優先的な候補者とし、2022年11月下旬にカーライルを最終的な候補者とした
    • [133]2022年7月上旬から新たな協業パートナーの検討を開始。2022年8月下旬から10月上旬にかけてファンド5社および直接接触のあったファンド2社の計7社から非公開化の方法による協業の初期的提案を受け、2022年10月上旬にカーライルを含むファンド2社を優先的な候補者とし、2022年11月下旬にカーライルを最終的な候補者とした
    • [134]2023年1月20日の初回提案3,884円を「当社の株式価値を公正に反映しているとはいい難い」として再考を依頼、1月27日の第二回4,135円にも1月30日に再考を依頼、2月1日の第三回4,460円を2月2日に応諾
    • [135]公開買付価格4,460円は、公表日の前営業日である2023年2月3日の東証プライム市場の終値2,432円に対して83.39%、同日までの過去3ヶ月間の終値の単純平均値2,394円に対して86.30%のプレミアムを加えた価格
    • [136]本取引はマネジメント・バイアウト(MBO)に該当し、代表取締役社長の伊藤義剛(所有株式数37,022株、所有割合0.50%)は直接所有する14,100株を公開買付けに応募し、取引成立後に公開買付者へ最大165,118,120円を出資、出資後の議決権所有割合は2%未満となる予定
    • [137]2023年3月23日公表。公開買付けに6,482,759株の応募があり、買付予定数の下限4,900,900株に達して成立。異動後の公開買付者コスモホールディングスの議決権所有割合は88.18%(64,827個)で大株主順位第1位
    • [138]最終売買日2023年6月8日、上場廃止日2023年6月9日、株式併合の効力発生日2023年6月13日
    • [139]2024年6月12日、2025年1月31日をもってHIDランプ・HID安定器を生産終了すると告知。理由としてLED照明への市場の急速な切り替え、水俣条約の遵守方針、生産数の減少(売上高に占める割合が5%以下)、部材調達の困難化を挙げた
    • [140]2024年6月12日、2025年1月31日をもってHIDランプ・HID安定器を生産終了すると告知。理由としてLED照明への市場の急速な切り替え、水俣条約の遵守方針、生産数の減少(売上高に占める割合が5%以下)、部材調達の困難化を挙げた
    • [141]2024年10月31日公表の新・中期経営計画で「HIDランプの終息という岩崎電気の半世紀に一回の大転換点を、変革のチャンスと捉えます」と記載
    • [142]2026年1月29日、スタンレー電気は取締役会で岩崎電気の全株式取得を決議。取得価額70,292百万円、株式取得実行日2026年4月1日(予定)で連結子会社化

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沿革年表 1944〜2023年

岩崎電気の沿革1944〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1944〜1954年超短波兵器部品から反射形白熱電球へ転じた岩崎電気超短波兵器部品の製造を目的に渋谷区で岩崎電波工業を創立
終戦による企業縮小に伴い岩崎電気に商号変更
西荻窪工場を本社工場として再建
反射形白熱電球と照明器具の生産を開始★★★
1955〜1972年高圧水銀ランプで工場と街路を照らし、全国生産の4割を取る高圧水銀ランプの生産を開始★★★
埼玉県行田市に埼玉製作所を建設
東京証券取引所市場第二部に上場
大阪証券取引所市場第二部に上場
本社を東京都港区に移転
東京五輪の国立競技場に照明を納入★★
メタルハライドランプを商品化★★
東京・大阪両証券取引所市場第一部に指定
1973〜2009年GEとの合弁と電子線照射装置、700億円台の終わり米国GE社との合弁でアイ・ライティング・システムを設立★★
茨城県に茨城製作所を建設
米国のエナジー・サイエンス・インクを買収★★
東京タワーのライトアップに光源を供給★★
中国に大連岩崎電気を設立
伊東電機を買収★★
大阪証券取引所市場第一部で上場廃止
2010〜2026年水銀ランプの生産を終え、カーライルからスタンレー電気へLEDアイランプを発売★★★
本社を東京都中央区東日本橋に移転
一般照明用水銀ランプの生産を終了★★
東京証券取引所プライム市場に移行
カーライル・グループによる株式公開買付けが成立★★★
東京証券取引所プライム市場で上場廃止
出典・参考 41件
出典・参考

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