1944年8月18日、岩崎通信機の常務取締役だった岩崎福市氏が、当時の軍部からの要請を受け、東京都渋谷区代々木上原町に資本金200万円で岩崎電波工業を創設した[1]。目的は超短波兵器部品の製造にあり、工場はまず杉並区高井戸に置いた[2]。軍需が急増するにつれ、荻窪工場、西荻窪工場、荏原工場、甲府工場、秋田工場、新潟工場など7工場を相次いで買収し、増設した[3]。創立からの1年で、同社は資本金200万円のまま、東京から甲府、秋田、新潟にまたがる7つの工場を抱える会社になった[4]。終戦までの1年間、この7工場がつくったのは軍の求める兵器部品である[5]。
敗戦は、軍部という唯一の注文元を一度に消した。企業の縮小にあたって生産の集中化を図り、7工場のうち6工場を整理したうえで、1945年9月に社名を岩崎電気へ改めた[6]。手元に残ったのは西荻窪工場一つで、同社は1949年1月にこれを本社工場として再建に乗り出した[7]。同年10月には特別経理会社法により100万円を減資し、改めて50万円を増資したことで、資本金は150万円となった[8]。創立時に積んだ200万円を下回る水準まで、資本金はいったん縮んだ[9]。終戦とともに、同社は製品を特殊電球と真空管に絞り、照明の専門メーカーとして再出発した[10]。
戦争中は軍需品ばかりをつくっていたため、終戦後にそれをどう別の製品へ転換するかで、同社は非常に苦労した[11]。岩崎氏は後年、照明への進出について、当たると見込んで選んだのではなく、苦しまぎれに始めたことだったと振り返っている[12]。決め手になったのは、自社の技術がもともと照明関係に近かったことである[13]。技術者だった常務が、リフレクターの形の照明はこれからの光源として優れていると着眼した[14]。岩崎氏はその見通しを容れ、思い切ってやろうと決めた[15]。照明器具と反射形白熱電球の生産に入るのは、それから間もない1949年3月である[16]。
1949年3月、岩崎電気は反射形白熱電球(リフレクターランプ)と照明器具の生産を開始した[17]。ランプの中に反射鏡をつくり、それ自体をそのまま投光照明に使える仕組みで、日本で初めて手がけたこの反射形電球は爆発的な売れゆきをみせた[18]。従来のランプには一定の限度以上に明るくできないという光源の限界があり、反射形はその限界を越える強烈な明るさを備えていた[19]。1950年以後、同社は製造品目を照明器具とリフレクターランプだけに絞った[20]。家庭用の電球は手がけず、強い光を要する現場の光源に製品を寄せた[21]。この反射形電球はアイランプの名で売られた[22]。
反射形電球を最初に採り入れたのは写真だった[23]。影をつくって写すための照明として使われ、当時の写真機ブームに合った[24]。写真のスタジオ照明に続いて、デパートやショーウインドーの照明にも採用された[25]。次に岩崎電気が狙ったのが投光器である。従来の投光器は器具の中にミラーを置き、そこへランプの光を反射させて遠くへ届かせる方式で、費用も維持の手間もかさみ、取り付けにも相応の設備が要った[26]。同社はこれをリフレクターのランプ一つで置き換えられると見て、日本無線と話し合ってガラスを研究し、投光器用のガラスをつくり出した[27]。
売り出した当初は、従来の投光器を見慣れた目にはあまりに簡単なつくりで、玩具のようだと受け取られてほとんど使われなかった[28]。1年ほど経って最初に使い出したのはガソリンスタンドで、シェルとスタンダードが採用し、それに右へならう形で他の石油会社も使い出した[29]。スタンドの敷地に塔を立て、その先に赤い柄と丸い大きなランプを付ける照明が、全国のスタンドへ広まり[30]、用途はさらに工事現場や広告塔の照明へも及んだ[31]。1954年2月、岩崎電気は資本金を300万円に増資した[32]。1949年10月に150万円まで縮めた資本金は、5年足らずで倍になった[33]。
岩崎電気が高圧水銀ランプの生産を始めたのは1955年5月である[34]。当時この光源を国産化していたのはごく少数のメーカーにすぎず、同社の参入は他社に後れをとる。それでも同社はまたたく間に首位へ立ち、以後その座を他社へ譲らなかった[35]。先に握っていた足場が効いている。1949年に日本ではじめて手がけた反射形電球は、ランプの中に反射鏡を持ち、そのまま投光照明に使える。写真のスタジオ照明とショーウインドー照明にまず採用され、続いてガソリンスタンド、工事現場、広告塔へ広がって、市場占有率90%を占めた[36]。屋外と大空間へ光を投げる売り先を、水銀灯より先に押さえていた。
家庭の電球に手を出さないという線は、岩崎福市社長が1960年8月の対談で引いている。東芝は家庭用の電球を持ち、そこが照明で最も大きい市場になるが、岩崎電気はそれを別扱いにし、蛍光灯も脇へ置いて、新しい光源の照明に絞る。その範囲でなら専門メーカーとして自社が一番大きい、という区切り方だった[37]。需要は区切った側で膨らんでいる。商店街の照明革新、都市美化、高速道路の整備が次々に進み、水銀灯は開拓される新しい需要に追いたてられて伸びた[38]。明るい街づくり運動が全国的なもり上りをみせて防犯灯と街路灯が先を競って建てられ、工場の照明も水銀灯へ切り替わった[39]。
生産の積み上がりは本数に表れた。1966年3月末までに、反射形電球は製造開始いらい2,000万本、水銀ランプは200万本に達している[40]。水銀灯の全国生産に対する比率は、1964年が89万3,000本のうち32万6,000本で36.5%、1965年は80万5,000本のうち26万6,000本で33.1%へ下がり、1966年は86万本のうち35万1,000本で40.8%へ急伸した[41]。この占有率は本数の比率である。水銀灯には家庭の庭園灯でおなじみの40ワット、60ワットから大型まで幅があり、同社は低ワットに弱いかわり高ワットに絶対の強味を発揮するため、一本当りの単価が高い。生産金額に換算すれば50%を超えた[42]。
荻窪の工場は水銀灯の伸びで手ぜまになり、岩崎電気は量産の場所を外へ求めた。同社は1959年12月に株式を公開し、その後の4年で資本金を11.8倍の8億8,500万円へ膨らませている[43]。この資金で6億7,000万円を投じた埼玉県行田市の埼玉製作所は1960年に操業へ入り、まず水銀灯の製造から始めたため、1962年までに工場の主力がここへ移った[44]。1963年にはフル稼働の段階へ進み、荻窪工場は以後もっぱら新製品の開発に充てられている[45]。足袋の町として保守的といわれた行田では斜陽をかこつ地元の期待が大きく、1966年7月、工場のすぐ近くを走る国鉄高崎線に行田駅が新設された[46]。
株式の側も動いている。1961年10月に東京証券取引所市場第二部へ上場し、翌11月には大阪証券取引所市場第二部にも名を連ね[47]、1962年4月には本社を東京都港区へ移した[48]。1963年の時点で、白熱灯と高圧水銀灯、照明器具、安定器などの照明装置は全国生産の37〜38%を占め、業界の首位に立っていた。第二位は松下の25%、第三位は東芝の10%弱である[49]。前9月期は売上14億5,000万円、純益1億3,000万円の予想で、下期がいつも伸びる季節性から、今3月期は売上17億円、純益1億6,000万円を見込んだ[50]。
官公需が水銀灯の外側にもう一段の売り先を開いた。従来の水銀灯は通路や飛行場の照明に不向きで、代わって登場したナトリウム照明灯を国鉄と羽田空港が全面的に使うことになり、発電所・変電所や建物照明へも応用が広がった[51]。陸上自衛隊では一台5万円で1万台の需要が見込まれ、海上自衛隊は艦船の信号に利用することとして、同社は研究費の支給を受け研究に当たっていた[52]。街路灯の官公需も並ぶ。首都道路公団が翌年から60キロにわたり全面的に照明施設を設け、東京電力20万灯、九州電力7万灯、北陸電力3万灯の需要が予定され、勧業銀行は1963年3月から街路灯建設資金を無条件で貸し付けることにした[53]。オリンピックを控えた明るい街づくりと道路整備の進歩が、この官公需を活発にしている[54]。
1962年以来の合理化で原価は15%下がり、国際競争力も強まったとして、同社は1963年に総売り上げの10%を輸出へ向け、翌年これを15%へ伸ばす方針を立てた[55]。オリンピック後の反動で業績が一時停滞したのち、会社をあげての合理化が実を結び、1968年3月期は売上高33億1,700万円、利益2億7,400万円を計上している[56]。次の光源の開発も並んで走った。1967年の時点で、演色性のすぐれたマルチメタルランプ、すなわち金属ハロゲン化物添加水銀ランプのほか、臭素電球、高圧ナトリウムランプ、特殊キセノンランプを開発の途上に置いた[57]。1970年8月、東京・大阪両証券取引所の市場第一部に指定された[58]。
1973年12月、米国GE社との合弁会社として株式会社アイ・ライティング・システムを設立した[59]。アイ・ライティング・システムは照明器具の製造を担い、本社を東京都中央区に置いた[60]。翌1974年5月、茨城県に茨城製作所を建設し、施設用蛍光灯器具の生産を始めた[61]。岩崎電気は1977年11月にアイグラフィックス株式会社を設立し、印刷製版機器などの一部の販売を同社に任せた[62]。1979年12月には岩崎情報機器株式会社を設け、1982年2月に埼玉県行田市の開発センターを新設した[63]。この開発センターは2018年3月に閉鎖された[64]。
1985年3月、株式会社秩父イワサキと株式会社関越イワサキを設立した[65]。両社はいまも連結子会社である[66]。関越イワサキは岩崎電気のUV製品の一部を、株式会社アイ・エレクトロンビームは岩崎電気のEB製品の一部を、それぞれ製造販売する会社にあたる[67]。1986年12月には茨城製作所内に第二工場棟を増設した[68]。米国では1987年5月にアイ・ライティング・コーポレーションを設立し、同社は後にアイ・ライティング・インターナショナル・オブ・ノースアメリカ・インクへ名を改めた[69]。アイ・ライティング・インターナショナル・オブ・ノースアメリカ・インクはいまも連結子会社として残る[70]。
1988年8月、米国のエナジー・サイエンス・インクを買収し、同じ月に統括会社イワサキ・エレクトリック・コーポレーション・オブ・アメリカを現地法人として設立した[71]。ESIはマサチューセッツ州ウィルミントンで電子線照射装置を製造し、紫外線処理装置の輸入販売も手がけ、オランダのアメルスフォールトに欧州支店を置いた[72]。買収後のESIは用途別の小型機を開発して販売を伸ばし、グループの利益を押し上げた[73]。2001年3月期の光応用部門は売上高194億55百万円と11.2%伸び、営業利益は24億71百万円と3.8%増えた[74]。統括会社のイワサキ・エレクトリック・コーポレーション・オブ・アメリカは2002年12月に解散している[75]。
岩崎電気は1989年10月にイワサキ45周年総合展、1994年9月にイワサキ50周年総合展を開催した[76]。1990年5月、東京都練馬区に研修センターを新設している[77]。1991年5月には北海道岩崎電気株式会社を設立し、2001年7月に解散した[78]。中華人民共和国には1995年12月、大連岩崎電気有限公司を設けた[79]。1997年8月には防爆機器メーカーの伊東電機株式会社を買収し、防爆照明機器の一部の製造販売を同社に担わせた[80]。2006年7月、熊坂隆雄社長は照明分野で好調に推移している商品として工場の防爆照明を挙げた[81]。
岩崎電気は1997年6月、荒木千寿氏を社長に据えた[82]。荒木千寿社長は1937年1月28日に佐賀県で生まれ、1960年に九州大学経済学部を卒業して入社し、30代後半からアイ・ライティング・システムに12年間出向していた[83]。総務や経理などの管理部門が長く、第一線の営業経験はほとんどなかった[84]。1993年に取締役、1995年に常務へ昇格し、その2年後に末席常務から7人跳びで社長へ引き上げられた[85]。就任の年、1997年9月中間決算は12億円の経常赤字に転落した[86]。照明事業は道路や橋の建設などの公共工事や工場の新増設といった大規模プロジェクトの多寡に左右され、安定株主対策で進めたゼネコンや銀行との株式持ち合いが評価損の要因となった[87]。
2002年6月、田﨑昭夫氏が社長に就いた[88]。田﨑昭夫社長は1940年5月25日に生まれ、1963年4月に岩崎電気へ入社した[89]。2002年3月期の連結売上高は706億20百万円、経常利益は9億20百万円、当期純損益は18億90百万円の赤字だった[90]。前期には構造改革計画に沿って早期退職を実施し、特別退職金32億49百万円を支払った[91]。生産ラインのスクラップ・アンド・ビルドを含む工場配置の見直しで不要となった土地を売り、47億42百万円を回収した[92]。会社は成長の止まった照明部門を合理化し、そこで浮いた資金と人を拡大が見込まれる光応用部門へ振り向ける方針を二本の柱に据えた[93]。2004年8月に創立60周年を迎え、田﨑昭夫社長は2007年3月期の目標に連結売上高900億円と連結営業利益率10%を置いた[94]。
2004年9月27日、取締役会は大阪証券取引所への上場廃止申請を決議し、11月に同市場第一部の上場を廃止した[95]。岩崎電気は1961年11月に大証二部へ上場し、1970年8月に東京・大阪両取引所の第一部へ指定されていた[96]。同じ時期、持ち合い解消として保有する上場45銘柄のうち17銘柄を売り、18億1千万円を回収して9億4千万円の売却益を計上している[97]。2006年6月、熊坂隆雄氏が代表取締役社長に就いた[98]。熊坂隆雄社長は2007年度からの3か年計画『Run-up 2011/フェーズ1』[引用元]をまとめ、事業の再編と技術系人材の投入を含む研究投資を進めた[99]。2009年3月期の連結売上高は642億3百万円、経常損益は6億50百万円の赤字、当期純損益は23億97百万円の赤字となり、2010年3月期は売上高524億32百万円、当期純損益は80億31百万円の赤字まで落ちた[100]。
2010年3月期の連結売上高は52,432百万円、経常損益は649百万円の赤字、当期純損益は8,031百万円の赤字だった[101]。同じ年、岩崎電気は帝人と組み、放熱ハウジングに高熱伝導性樹脂を採り、口金部を除いてオール樹脂とした屋外照明用LEDランプを共同開発した[102]。重さは約300g、消費電力は従来の約10分の1にあたる18W、寿命は約40,000時間、光束は1600ℓmで、置き換えの相手に名指ししたのは、看板や作業現場で使われてきたセルフバラスト水銀ランプである[103]。岩崎電気はこれをLEDioc LEDアイランプの名で2010年12月20日に発売した[104]。
発売から2か月後、岩崎電気は白色仕上げの追加を公表し、数千個単位の大口注文と万単位の引き合いが入っていることを明らかにした[105]。採用先は全国チェーン店舗のサイン照明、サービスステーション、工場、学校へ広がった[106]。品揃えはその後も増え、2017年2月には発光効率150ℓm/Wの40W形が加わる[107]。看板・仮設市場でLED化が加速し、高出力タイプの需要が増したためである[108]。2009年発売のLED道路灯レディオック ロード、2011年発売のLEDトンネル照明器具レディオック トンネルと、屋外の他分野へもLED光源を広げた[109]。業績は2013年3月期の経常利益548百万円を底に、2015年3月期は売上高59,476百万円、経常利益2,756百万円、当期純利益2,371百万円まで戻した[110]。
置き換えは看板や作業灯にとどまらなかった。2015年、横浜スタジアムはグラウンド照明の1500Wメタルハライドランプ708台を岩崎電気の760W高演色形LED投光器660台とLED80W投光器24台へ更新し、消費電力を約56%減らした[111]。プロ野球の屋外ナイター照明設備が全面的にHIDからLEDへ替わったのは、これが日本で最初である[112]。2016年4月1日、光応用事業本部長の伊藤義剛氏が渡邊文矢社長の後任として社長に就く[113]。就任後の2018年3月期は経常利益が228百万円まで落ち込み、2019年10月には本社を東京都中央区東日本橋へ移した[114]。
2013年10月10日、熊本県で開かれた国連環境計画の外交会議で、水銀汚染防止に向けた国際的な水銀規制に関する水俣条約が採択された[115]。条約は電池や化粧品、血圧計など水銀を含む9種類の商品の製造・輸出・輸入を2021年以降禁じ、照明では一般照明用の高圧水銀ランプが規制対象となった[116]。岩崎電気ではアイ水銀ランプ、セルフバラスト水銀ランプ、ツインマーキュリー、アイツインアークの4系統が該当する[117]。規制の外に残ったセラミックメタルハライドランプとメタルハライドランプについては、2018年に製造販売の継続を告知した[118]。
条約が発効したのは2017年8月16日である[119]。岩崎電気は2019年に水銀ランプの注文を2020年6月で締め切ると予告し、2020年2月3日には受注受付および生産終了の案内を出した[120]。受注受付の終了は2020年6月末日で、対象はアイ水銀ランプ26形式、アイ セルフバラスト水銀ランプ35形式、ツインマーキュリー3形式、アイ ツインアーク3形式に及ぶ[121]。生産は2020年12月に終わった[122]。前年の2019年には、LED化に伴うランプ交換需要の減少と長寿命化によって、国内のLED市場そのものが減少へ転じている[123]。
生産終了を挟んだ3期の連結業績は、売上を落としながら利益を残した。2020年3月期は売上高59,274百万円、経常利益3,885百万円、当期純利益2,681百万円で、営業利益率は6.2%に達する[124]。2021年3月期は売上高53,587百万円、経常利益3,191百万円、上場最後の期となった2022年3月期は売上高53,185百万円、経常利益3,462百万円、当期純利益2,330百万円だった[125]。岩崎電気は2021年11月1日に中期経営計画を公表し、2022年3月期を第二創業の1年目と位置づけ、2026年3月期に売上高65,000百万円、営業利益5,200百万円を掲げた[126]。2022年4月、東京証券取引所の市場区分見直しでプライム市場へ移る[127]。
岩崎電気は非公開化の理由を、自社ができていないことの列挙から書き起こした。殺菌分野では、国内外メーカーの進出に対して十分な商品開発ができていなかった[128]。米国でHIDランプの発光管・外球を製造販売してきた連結子会社Eye Lighting International of North America(ELINA)は事業継続が困難となり、2022年10月14日に清算を決めた[129]。そのうえで会社は、新規ビジネスの創出と海外事業の拡充を果断に実施する前提として、現状維持志向の傾向がある従業員のマインドセットを変える必要があると書いた[130]。カーライルは、創業以来の中核である照明用HIDランプ・器具事業に抜本的な事業構造の改革が要るとみていた[131]。
新たな協業相手の検討は2022年7月上旬に始まった[132]。岩崎電気は8月下旬から10月上旬にかけてファンド7社から非公開化による協業の初期提案を受け、10月上旬に2社へ絞り、11月下旬にカーライルを最終候補に定めた[133]。買付価格は3回の提示で動く。2023年1月20日の3,884円を株式価値を公正に反映していないとして退け、1月27日の4,135円にも再考を求め、2月1日の4,460円を翌2日に受け入れた[134]。4,460円は前営業日である2月3日の終値2,432円に83.39%、過去3か月間の終値単純平均2,394円に86.30%のプレミアムを加えた価格である[135]。取引はMBOに該当し、伊藤義剛社長は所有37,022株のうち14,100株を応募したうえ、最大165,118,120円を公開買付者へ出資した[136]。
公開買付けは2023年3月22日に6,482,759株の応募を集めて成立し、コスモホールディングスの議決権所有割合は88.18%となった[137]。株式は6月8日を最終売買日として6月9日に上場廃止、6月13日に株式併合の効力が生じる[138]。傘下に入った岩崎電気は2024年6月12日、HIDランプとHID安定器を2025年1月31日で生産終了すると告知した[139]。売上高に占める割合は5%以下まで下がり、部材の調達も難しくなっていた[140]。2024年10月31日の新・中期経営計画で、会社はHIDランプの終息を半世紀に一回の大転換点と呼ぶ[141]。2026年1月29日、スタンレー電気は取得価額70,292百万円でカーライルの持つ全株式を取得し、2026年4月1日付で岩崎電気を連結子会社とすると公表した[142]。
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|---|---|---|---|---|
| 1944〜1954年超短波兵器部品から反射形白熱電球へ転じた岩崎電気 | 超短波兵器部品の製造を目的に渋谷区で岩崎電波工業を創立 | ★ | ||
| 終戦による企業縮小に伴い岩崎電気に商号変更 | ★ | |||
| 西荻窪工場を本社工場として再建 | ★ | |||
| 反射形白熱電球と照明器具の生産を開始 | ★★★ | |||
| 1955〜1972年高圧水銀ランプで工場と街路を照らし、全国生産の4割を取る | 高圧水銀ランプの生産を開始 | ★★★ | ||
| 埼玉県行田市に埼玉製作所を建設 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |||
| 大阪証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |||
| 本社を東京都港区に移転 | ★ | |||
| 東京五輪の国立競技場に照明を納入 | ★★ | |||
| メタルハライドランプを商品化 | ★★ | |||
| 東京・大阪両証券取引所市場第一部に指定 | ★ | |||
| 1973〜2009年GEとの合弁と電子線照射装置、700億円台の終わり | 米国GE社との合弁でアイ・ライティング・システムを設立 | ★★ | ||
| 茨城県に茨城製作所を建設 | ★ | |||
| 米国のエナジー・サイエンス・インクを買収 | ★★ | |||
| 東京タワーのライトアップに光源を供給 | ★★ | |||
| 中国に大連岩崎電気を設立 | ★ | |||
| 伊東電機を買収 | ★★ | |||
| 大阪証券取引所市場第一部で上場廃止 | ★ | |||
| 2010〜2026年水銀ランプの生産を終え、カーライルからスタンレー電気へ | LEDアイランプを発売 | ★★★ | ||
| 本社を東京都中央区東日本橋に移転 | ★ | |||
| 一般照明用水銀ランプの生産を終了 | ★★ | |||
| 東京証券取引所プライム市場に移行 | ★ | |||
| カーライル・グループによる株式公開買付けが成立 | ★★★ | |||
| 東京証券取引所プライム市場で上場廃止 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(岩崎電気)