浜松ホトニクスの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

量産品を避け、数の出ない製品だけを選んできた。1953年の設立にあたり、浜松テレビは受像機向けの量産部材ではなく、微弱な光を電気信号へ増幅する光電子増倍管に事業を絞った。1962年ごろ商品化した製品を携えて渡米し、不良品でも売り切る米RCAの隙を突いて顧客の指摘に逐一応え、そのシェアを侵食する。1979年には東京大学の小柴昌俊氏から口径20インチという前例のない光電子増倍管の開発を託され、神岡のカミオカンデへ納入した。1983年4月には社名から"テレビ"を外して浜松ホトニクスへ改め、受像機向け部材の会社から光技術全般を扱う会社へ自己定義を移している。数十台単位でしか注文の来ない製品を選んだことが、量産で原価を下げる大手の入ってこない領域を70年にわたって残した。

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