社名の変更を看板の掛け替えとみるのは、この判断を小さく見積もりすぎる。浜松テレビが1953年に名乗ったテレビは、工業用撮像管という一製品に由来する具体的な言葉であった。それを外して光子工学という耳慣れない語を選んだ以上、社名は製品ではなく研究対象を指す名になる。光電管も光電子増倍管も、光を追う過程の一形態となる。何を作る会社かではなく何を究める会社かを名前で宣言したところに、この改称の芯があったとみられる。
もっとも、光子工学という語そのものが実利を生んだ証拠は乏しい。改称の翌年に株式を店頭登録し、1987年にはトヨタ自動車から38億円を受け入れたが、評価されたのは社名ではなく光電子増倍管と陽電子検出器の技術であった。技術研究費が経常利益を上回る収支も、改称の前後で変わっていない。それでも、総合電機の傘下入りを断った晝馬社長にとって、光の専業を名乗ることは資本の相手を選ぶ基準でもあったと推察される。