アスベストを社名から除外(1981年・ニチアスの決断) 更新:2026/07/23 論点 主原料の転換を社名変更で示すか ニチアス:業績の推移 売上高(億円)経常利益率(%)データ出所 主原料を代替素材へ切り替える転換の宣言 何をなぜ決めたか:主原料を代替素材へ切り替える転換の宣言 概要 1981年10月、日本アスベスト株式会社が商号をニチアス株式会社へ変更した。欧米で石綿規制が強まるなか、85年使った社名から素材の名を外し、以後10年あまりをかけて製品の主原料を石綿から代替素材へ置き換えていった判断である。 背景 同社は1896年の創業以来、工業用シール材・耐火断熱炉材・不燃建材の製造販売と、建材工事・保温保冷工事を手がけ、昭和30年代には売上の90%以上をアスベスト関連事業で稼いでいた。1971年に石綿が特定化学物質等障害予防規則の対象となり、作業環境の改善と製品の無石綿化に着手していた。 内容 社名変更に続き、1986年に横須賀港で米空母ミッドウェーの改修工事に伴う石綿廃棄物の路上放置が発覚して国会で取り上げられると、1987年3月から脱アスベストへ本格的に取り組んだ。フッ素樹脂・ファインセラミックス・自動車部品・非石綿建材を強化事業に選び、中期経営計画"リストラクチャー91"で育てた。 含意 石綿入りの製品が売上に占める割合は、1990年度には15〜20%にまで縮んでいた。同年度の売上高1045億円のうち、強化事業は359億円と約34%を占めるまでになっている。建材製品の無石綿化がすべて終わったのは1992年10月で、社名を変えてから11年が経っていた。 いつ何が起きたか 8件 考察:看板を先に下ろした会社の時間感覚 考察 考察:看板を先に下ろした会社の時間感覚 1981年に社名から素材の名を外し、建材の無石綿化が完了したのは1992年10月であった。間に11年が挟まっている。この間隔は、素材メーカーが主原料を替えるという作業の性質をよく示している。代替素材の性能を確かめ、顧客の設計や施工基準を書き替え、工場の設備を入れ替えるまでには、決断だけでは届かない時間が必要となる。社名の変更は、その長い作業に入る前に、外へ向けて先に打った手であったと推察される。 同時に、社名を変更した1981年から1987年3月までの5年半という空白も残る。会社の看板から素材を外しながら、その素材で作った製品を売り続けた期間があり、実際に手を動かす引き金を引いたのは、自社の判断ではなく横須賀港の米空母から出た廃棄物であった。売上の9割を支えた素材と縁を切る決断は、規制でも社名でもなく、製品が売れなくなるという見通しによって前に進んだ。石綿を最後まで残した特殊なシール材の一部が消えるのは、そこからさらに14年先の2006年になる。 Yutaka Sugiura, 2026年7月 参考文献 参考文献 参考日経ビジネス 1991年3月11日号ニチアス 有価証券報告書 第209期(2025年3月期)【沿革】ニチアス 有価証券報告書(1982年3月期・単体)ニチアス「当社アスベスト(石綿)含有製品販売終了について」(2007年4月)ニチアス「過去に販売したアスベスト含有製品」「アスベスト(石綿)関連Q&A」 次に読む決断 ニチアスの意思決定1959年ニチアスニチアス祖岳製作所を合併し竹鼻工場(現羽島工場)を岐阜の生産拠点として受け入れ1959年2006年ニチアスニチアスアスベスト製品を全廃国内外での含有製品の製造・販売の全面終了2006年同じ問い:新技術による祖業の転換1981年FUJIFUJICP-1で実装機へ転換工作機械専業から電子部品実装機への主力転換1981年1983年浜松ホトニクス浜松ホトニクス浜松ホトニクスへ改称テレビの名を捨て、光子工学を軸に据え直した事業領域の再定義1983年1985年三菱瓦斯化学三菱瓦斯化学BT樹脂で機能化学品へ転換汎用化学品から機能化学品・電子材料への主力事業の転換1985年1977年マルハマルハ二百カイリ後の加工食品転換遠洋漁業に依存した主力事業からの撤退と養殖への軸足移動1977年1975年ディスコディスコダイシングソーを自社開発切断装置の自社開発と、砥石・装置・使い方を一社で担う体制への転換1975年 × 出所