1918年10月、東京・大崎にあった絶縁材料の会社[1](日東商会製作所)を譲り受ける形で、資本金20万円の日東電気工業株式会社が設立された[2]。場所は東京・品川区大崎、従業員14名[3]。生産品目は電気絶縁用のワニスクロスとワニスペーパー[4]、すなわち絶縁布管紙類で、第一次世界大戦で欧州からの絶縁材料輸入が途絶えたことが設立の直接の動機だった。主要顧客は当時の重電機メーカーである日立製作所などであり、設立当初から日立との取引関係が会社の生命線である。大戦景気の最終期に、電気材料の国産化を狙う独立系企業が相次ぎ現れた。そのなかの一社が日東電気工業であり、欧州の輸入に頼れないという危機感が、国内に電気絶縁材料の製造基盤を築こうとする気運を生んだ時代だった。
1920年代から1930年代にかけて、日東電工の経営は苦しい時期が続く。絶縁用ワニスには競合品が多く、1930年頃からは主要顧客だった日立製作所自身がワニスの内製化に動き出した。顧客が供給者に転じる構造変化は受注の急減を意味した。戦前の日東電工にとって、電気絶縁材料という狭い市場に依存する脆弱性が露わになった時期であり、単独での事業継続が困難な状況へ追い込まれる。特定顧客への過度な依存と単品製品の構造的な危うさは、当時の経営陣が身をもって学んだ教訓であり、後の多角化戦略の出発点となる経験として会社の記憶に残った。
主要顧客を失った日東電工に対し、1937年5月、日立製作所は業務資本提携による救済[5]を決定する。日立が日東電工株式の100%を取得して完全子会社化し[6]、経営再建に乗り出した。顧客だった日立が資本を入れることで、ワニスの内製化方針と日東電工の存続が両立となる。設立から20年足らずで独立系メーカーから顧客の子会社へ転身した事例であり、電気絶縁材料という単品依存事業の宿命的な脆さを端的に示している。1941年12月にはワニスペイント会社(水谷ワニスペイント)の茨木工場を買収して西日本に進出し[7]、同社の茨木工場を日東電工の茨木工場として取得した。東京・大崎に限られていた生産拠点を関西へ広げる布石であり、戦時経済下で原材料や労働力が統制されるなか、日立グループの一員として生産体制を維持する構造が固まった時期である。
戦時中、日立傘下の日東電工は電気絶縁材料の重要供給元として生産を続けた。1945年5月の空襲で本社のあった東京・大崎工場を焼失し(焼失した工場は後に売却された)、生産は大阪・茨木工場のみで続行する1拠点体制に集約される[8]。戦後、1946年7月に本社を茨木市に移転し[9]、関西を本拠とする会社となった。財閥解体の影響で日立との資本提携が解消され、日東電工は日立グループから離れて独立系企業として再出発する。戦前に陥った顧客依存の脆弱性を克服するという課題は、この独立とともに経営の背骨として意識される形で残された。戦争と空襲と財閥解体という三重の激動を経て、関西を拠点とする独立系の電気絶縁材料メーカーとして歩み直す構えが整う時期である。
戦後の復興期、独立を回復した日東電工は従来の絶縁布管紙・絶縁塗料に加えて絶縁テープ類にも進出し、絶縁材料の総合メーカーとしての体制[10]を整えた。1950年8月にはマクセル乾電池を手初めに乾電池の製造を開始し、続いて録音機・録音テープ[11]へと展開して、戦後の消費者向け事業へ参入した。1951年4月には国内初のビニルテープ開発に成功し[12]、絶縁テープからビニル粘着テープへと製品領域が広がる。後年の収益基盤となる粘着技術がこの時期に芽吹き、電気絶縁材料の専業メーカーから多様な粘着製品を扱う会社へと転換する流れを生んだ。終戦直後の物資不足と技術基盤の脆弱さのなかで、既存技術を応用した新しい製品ラインを自前で育てようとする姿勢が色濃く現れた時期である。
1957年6月にはブラックテープの製造を開始し[13]、テープ事業への本格進出を果たす。戦前期の絶縁ワニスクロスという単品依存構造から抜け出すための多角化が進み、電気絶縁材料と粘着テープの二本柱を持つ会社へと転換した。戦後の民需拡大期に乾電池・磁気テープ・ビニルテープといった新製品の販路開拓は決して容易ではなかったが、粘着技術を軸に産業向け・消費者向けの両面で事業の幅を広げようとする姿勢は、後の三新活動につながる開発文化の出発点となる。絶縁材料という電気関連の狭い領域から、粘着という汎用性の高い基盤技術を使った多用途展開へと、会社の自己認識そのものが少しずつ変わった時期でもある。
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|---|---|---|---|---|
| 1918〜1949年絶縁ワニス国産化と日立傘下での再建から独立まで | 日東電気工業を東京・大崎で設立 | ★★ | ||
| 日立製作所と資本業務提携 | ★★ | |||
| 水谷ワニスペイントを買収、茨木工場を取得 | ★ | |||
| 空襲で東京・大崎工場(本社)を焼失 | ★ | |||
| 本社を移転 | ★ | |||
| 日立製作所による全額出資の受け入れと、1948年の資本提携解消 電気絶縁材料の主要顧客を失った日東電気工業が、1937年5月に日立製作所へ株式100%を渡して再建を託し、11年後の1948年7月に財閥解体に伴う日立の株式売却で資本提携を解消して独立系企業へ戻った経緯。空襲による本社工場の焼失と本拠の関西移転を挟む11年であった。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 1950〜2006年BtoB特化とマクセル分離・三新活動の自己規律化の時代 | 乾電池の製造を開始、マクセルブランドで展開 | ★★ | ||
| ビニルテープの開発に成功 | ★ | |||
| ブラックテープの製造を開始 | ★ | |||
| テープ事業に参入 | ★ | |||
| 乾電池・磁気テープ部門のマクセルとしての分離独立と、日立製作所への売却 1961年2月、日東電気工業は乾電池・磁気テープなどの消費者向け部門をマクセル電気工業として分離独立させ、かつて自社を傘下に置いた日立製作所へ売却した判断。絶縁材料と粘着テープの専門メーカーへ戻る選択で、翌1962年の豊橋工場の建設と株式上場が続いた。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 豊橋事業所操業 | ★ | |||
| 東京・大阪両証券取引所に株式上場 | ★ | |||
| 半導体封止材料に参入 | ★★ | |||
| Nitto Denko America, Inc.を設立 | ★ | |||
| フレキシブル回路基板の製造開始 | ★ | |||
| 新製品比率30%を常設の規律とした三新活動 1975年前後、日東電気工業の土方三郎社長が、過去3年以内に発売した新製品が売上の30%以上を占めることを目標に掲げ、研究開発費を売上高対比で約5%に保つ三新活動を経営の常設の規律に据えた判断。1977年には製・販・研を横断するSPG(セールス・プロモーション・グループ)を設け、新製品を生み続ける仕組みを組織に組み込んだ。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 液晶表示用偏光フィルムの製造開始 | ★★ | |||
| 高分子分離膜の製造開始 | ★ | |||
| 新規事業として電子・医療・防食・膜の4領域に注力方針 | ★★ | |||
| Nitto Denko (Singapore) Pte. Ltd.を設立 | ★ | |||
| 経皮吸収型テープ製剤の製造開始 | ★★ | |||
| 滋賀事業所を操業、高分子分離膜の専門工場 | ★ | |||
| 高分子分離膜への参入と、米ハイドロノーティクスの買収 1987年11月、日東電気工業は米ハイドロノーティクスを買収し、1976年4月に製造を始めた高分子分離膜を海外の販路ごと引き受ける形で水処理の事業に据えた。粘着と絶縁で培った高分子技術を、電気と関わりのない水の分野へ持ち出した投資であった。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 商号を日東電気工業より日東電工へ変更 | ★ | |||
| Nitto Denko (Shanghai Songjiang)を設立 | ★ | |||
| 尾道事業所を操業、液晶表示関連材料の専門工場 | ★ | |||
| Korea Nitto Optical Co., Ltd.を設立 | ★ | |||
| 竹本正道 | Taiwan Nitto Opticalを設立 | ★ | ||
| 竹本正道 | Shanghai Nitto Opticalを設立 | ★ | ||
| 竹本正道 | 本社機能を移転 | ★ | ||
| 2007〜2024年液晶偏光板依存からの離脱とポートフォリオ転換 | 柳楽幸雄 | 柳楽幸雄氏が取締役社長に就任 | ★ | |
| 柳楽幸雄 | リーマンショックで営業利益が138億円へ急落 | ★ | ||
| 柳楽幸雄 | Avecia Biotechnologyを買収 | ★ | ||
| 髙﨑秀雄 | 髙﨑秀雄氏が取締役社長に就任 | ★ | ||
| 髙﨑秀雄 | ブリストル・マイヤーズスクイブと臓器線維症治療薬のグローバル独占ライセンス契約 | ★ | ||
| 髙﨑秀雄 | 大型偏光板技術の杭州錦江集団への供与と、ボリュームゾーンからの離脱 2017年11月、日東電工は杭州錦江集団および関連各社と大型偏光板の技術提携契約を結び、世界シェア首位級の主力製品の製造技術を中国の大手へ供与した。価格競争の側へ落ちた大型パネル向けから順次退き、高付加価値の領域へ資源を移す判断であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 髙﨑秀雄 | 売上収益8,574億円・営業利益1,257億円で過去最高 | ★ | ||
| 髙﨑秀雄 | 東京証券取引所プライム市場に移行 | ★ | ||
| 髙﨑秀雄 | Bend Labs, Inc.を買収 | ★ | ||
| 髙﨑秀雄 | Mondi plcのパーソナルケア事業を買収 | ★ | ||
| 赤木達哉 | 連結売上収益が初の1兆円超え | ★ |
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事実根拠:出所(日東電工)