1937年に株式の全部を顧客へ渡した時点で、この会社は取引先の内部に入った。11年後にその縁を解いたのは自社の意思ではなく、財閥解体という戦後の制度である。空襲で大崎を失って茨木の1工場だけになった会社が、独立と同時に手にしていたのは絶縁布管紙と絶縁塗料をつくる技術に限られていた。1951年の国内初のビニルテープは、その技術を石油化学の高分子材料へ載せ替えた最初の成果だと推察される。制度に促された独立が、自前の製品を探す動機として働いた面がある。
ただ、資本の縁が切れても取引と競争の縁は続いた。1961年には自社で育てた乾電池・磁気テープ部門を日立へ売り、旧親会社は消費者向け事業の引き受け手になる。1973年には日立化成と絶縁材料で完全に競合し、かつて資本を受けた相手のグループと同じ市場で向き合う立場にも移っていた。独立とは所有関係が変わったことにすぎず、単品と単一顧客に依らない会社になるまでには、その後の十数年を要したといえる。