オンキヨー東芝との36年の資本提携の解消と、大朏直人氏個人によるオンキヨー株式の取得
事業会社でもファンドでもなく、テクノグループ代表の大朏直人氏が個人で引き受けた1993年の株式譲渡
- 概要
- 1993年4月25日付の日本経済新聞1面が「東芝、テクノエイト社長にオンキョー株譲渡」と報じ、同年6月、オンキヨーは1957年から36年続いた東芝との資本提携を解消した。株式を引き受けたのは事業会社でもファンドでもなく、テクノグループ代表の大朏直人氏個人であった。6月18日、大朏氏は株主総会後の取締役会で社長に就いた。
- 背景
- 音響機器の国内出荷額は1988年の6620億円を頂点に下降へ転じ、AV機器の需要は1989年から低下していた。バブル崩壊で本体の家電事業が痛んだ東芝にとって、3期連続赤字の音響専業子会社へ再建の資源を割く理由は薄れていた。1993年2月には系列販社への公正取引委員会の排除勧告が出て、借りていた販路の価値そのものも目減りしていた。
- 内容
- 買収時のオンキヨーは大阪府寝屋川市に本社を置く年商450億円のメーカーで、買い手のテクノグループは11社・年商530億円・従業員2000人であった。仲介した野村企業情報の後藤光男社長は東芝から相談を受けて「これは大朏以外にない」と即断し、大朏氏の側も「10分で決めた」と語っている。再建は人員整理によらず、失敗の費用を数字で示す手法で進められた。
- 含意
- 大朏氏は買収を業界再編に向けた一手と位置づけ、「大同団結に成功すれば、パイオニアに匹敵する売り上げ規模(4500億円)と3倍の経常利益(700億円)を上げるAV会社をつくってみせる」と語った。再建は1年半で黒字に届いたが、大同団結は実現していない。同じ構想は21年後、息子の大朏宗徳社長がほぼ同じ言葉で語り直すことになる。
個人が買うということ
後藤光男社長が「これは大朏以外にない」と即断したとき、東芝の株式は事業会社ではなく一人の人間へ渡った。年商450億円・3期連続赤字の名門を引き受けたのは、年商530億円の中堅グループを率いる51歳の個人である。10万円の商品の不良が30万円の費用を生むと数字で示し、人員整理は選ばずに仕事のほうを取ってくる——大朏氏が持ち込んだのは、当たり前を実行させる技能だった。縮む市場で名門の買い手が個人でありえたのは、資金力ではなく、この再建の技能に値がついたからである。
ただ、大同団結は形にならなかった。候補5社のリストは公にされないまま消え、パイオニアに匹敵する4500億円のAV会社も生まれていない。1年半での黒字転換という再建の成功は、大朏氏が本来の目的に据えた業界再編の達成を意味しなかった。それでも構想そのものは家に残り、21年後、息子の大朏宗徳社長がほぼ同じ言葉で語り直す。父が「匹敵する」と名指した相手の事業を、息子が引き受ける。業界再編という構想は、二代にわたって同じ言葉で語られた。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
36年続いた東芝との資本関係
オンキヨーが東芝の資本を受け入れたのは1957年6月にさかのぼる。1946年に大阪電気音響社として発足した同社は、1961年に寝屋川市へ香里工場を新設して生産を広げ、1971年9月に商号をオンキヨー株式会社へ改めた。その後も資本の面では東芝の系列に属し、1972年にドイツ、1975年にアメリカへ販売会社を置いて輸出を伸ばしている。1993年に解かれる関係は、この提携から数えて36年に及ぶ[1]。
資本関係が解かれる直前、音響機器の市場そのものが頂点を過ぎていた。電子情報技術産業協会の統計では、国内出荷額は1988年の6620億円をピークに縮小へ向かう。オーディオセットやミニコンポを一台ずつ買い揃える売り方が家庭に行き渡り、買い替えの需要が細りはじめていた。専業メーカーを傘下に置く親会社にとって、この事業の将来価値は1980年代の終わりを境に読み直しを迫られていた[2]。
本体の家電が痛み、系列の販路も揺らいだ
AV機器の需要はバブル最盛期の1989年から低下しはじめ、1991年以降のバブル崩壊が国内の家電需要を激減させた。市場を引っ張ってきたCDプレーヤーも1990年代に入ると伸び悩み、成熟期へ入っている。東芝を含む大手にとっては、本体の家電事業そのものが痛んだ数年にあたる。縮小する音響専業の子会社へ再建の資源を割く理由は、この間に薄れていた[3]。
販路の側でも変化が起きていた。1992年3月、松下電器・ソニー・東芝・日立家電の系列販売会社20社が公正取引委員会の立ち入り検査を受け、翌1993年2月に排除勧告を受ける。メーカーが系列販社を通じて店頭価格を握る仕組みが崩れ、価格競争は一段と激しくなった。系列に属して売ってきた中堅メーカーからみれば、借りていた販路そのものの価値が目減りした。東芝がオンキヨー株の譲渡先を探したのは、勧告と同じ年である[4]。
決断
「オオツキ フー?」── 買い手は事業会社でもファンドでもなかった
1993年4月25日付の日本経済新聞1面に「東芝、テクノエイト社長にオンキョー株譲渡」の見出しが載った。当時のオンキヨーは大阪府寝屋川市に本社を置く年商450億円のメーカーで、3期連続の赤字に沈んでいる。買い手は、店頭公開の中堅自動車部品メーカー、テクノエイトの社長を務める大朏直人氏である。会社ではなく個人が名門の株式を引き受けたことに、業界では「オオツキ フー?」の声が駆けめぐったと日経ビジネスは伝えている[5]。
大朏氏が率いるテクノグループは計測機器や事務機のメーカーなど11社からなり、年商530億円、従業員2000人を数えた。買い手のほうが売上でわずかに上回るとはいえ、産業界での知名度は低い。仲介したM&A会社、野村企業情報の後藤光男社長は、東芝から売却先の相談を受けて「これは大朏以外にない」と即座に判断し、テクノグループへ話をつないだ。後藤社長は大朏氏を、財務諸表を読めてモノづくりに精通した数少ない経営者と評している[6]。
「10分で決めた」── 個人が引き受けたことの意味
大朏氏はオンキヨーの買収を「10分で決めた」と冗談交じりに語り、企業規模の大小ではなく「自分にとって、面白いか、学ぶところがあるか」で合併・買収を判断すると述べている。1941年に東京で生まれ、1965年に駒沢大学文学部を出てラジオ部品メーカーへ入社した後、電子機器製造の日本電通を興している。買収を決めた時点で51歳、赤字会社の再建を8年間くり返してきた経歴を持つ[7]。
1985年、大朏氏は愛知県の自動車部品メーカー、丸八工業へ単身乗り込み、10カ月で黒字に転換させている。1988年には計測機メーカーの宝工業、翌1989年には事務機メーカーのニッポーを引き受けた。1991年2月には70億円の累損を抱えたAVメーカー、新白砂電機の株式78%を個人で買い、1年で期間黒字に戻した。個人でAVメーカーを立て直した経験を、この時点で既に持っていた。同年6月18日、大朏氏は株主総会後の取締役会でオンキヨー社長に就いた[8]。
結果
人を切らずに1年半で黒字へ
再建の手法は正攻法だった。大朏氏は「当たり前のことを当たり前に実行するだけ。経営の基本を忠実に実行すれば、企業は必ず良くなる」と語り、社員に説いたのは失敗にかかる費用の可視化である。10万円の商品が不良になれば、顧客への釈明の旅費などで30万円の費用がかかる。これを数字と図で示すと社員のコスト意識が目に見えて上がり、あとは社員が勝手に再建へ向けて動き出すと考えていた[9]。
縮む市場での再建にもかかわらず、人員整理という荒療治は選ばれなかった。大朏氏は「余った人員に見合った仕事を取ってくるのが社長の仕事」と信じ、従業員と労働組合の不安を先に取り除いている。就任時には「2年もあれば、黒字になるだろう」と語っていたが、実際には1年半で黒字へ届いた。翌1994年5月にはLUCASFILM LTD. との技術提携で世界初の民生用THXシステム搭載レシーバーを発売し、値段の高い機種で早くも攻めに出た[10][11][12]。
実現しなかった大同団結と、21年後の同じ言葉
大朏氏にとって、オンキヨーの買収は単体の再建案件ではなかった。当時のAV業界は需要停滞と販売競争の激化で各社が軒並み赤字に沈んでおり、大朏氏は「5社程度が集まり、リストラすれば、昔の花形産業に戻れる」と業界再編を訴えており、日経ビジネスはこの買収をその構想の一手に過ぎないと書いている。「大同団結に成功すれば、パイオニアに匹敵する売り上げ規模(4500億円)と3倍の経常利益(700億円)を上げるAV会社をつくってみせる」とも語った[13]。
呼びかけ役を買って出る意思も示していた。「オーナー経営者がいなくなったAV業界には再編成を呼びかける人がいない。もし私でよければ、その労をとりたい」。候補5社は既にリストアップされ、一部は交渉に入っていたと日経ビジネスは伝えるが、この構想が形になることはなかった。ただし言葉は残る。21年後の2014年、息子の大朏宗徳社長が「日本の音響機器メーカーは多すぎる。日本連合を作りたい」と公言し、父が比較対象に挙げたパイオニアのAV事業そのものを引き受ける[14][15]。
- 日経ビジネス 1993年6月28日号「挑む 大朏直人氏[テクノグループ代表]」
- オンキヨー株式会社 有価証券報告書【沿革】
- 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「家電-本格的な『冬の時代』に」
- 週刊東洋経済 2014年11月21日号「市場縮小が出番を後押し ファンドが群がる音響機器業界」
- 東京商工リサーチ「名門『オンキヨー』上場廃止の裏側」ダイヤモンド・オンライン 2021年7月14日