オンキヨー東芝との資本提携解消:36年に及ぶ親会社の傘からの離脱と、大朏直人氏個人による株式取得での独立
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- 概要
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株式を引き受けたのは事業会社でもファンドでもなく、テクノグループ代表の大朏直人氏個人であった。6月18日、大朏氏は株主総会後の取締役会で社長に就いた。
- 背景
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音響機器の国内出荷額は1988年の6620億円を頂点に下降へ転じ、AV機器の需要は1989年から低下していた。バブル崩壊で本体の家電事業が痛んだ東芝にとって、3期連続赤字の音響専業子会社へ再建の資源を割く理由は薄れていた。1993年2月には系列販社への公正取引委員会の排除勧告が出て、借りていた販路の価値そのものも目減りしていた。
- 内容
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買収時のオンキヨーは大阪府寝屋川市に本社を置く年商450億円のメーカーで、買い手のテクノグループは11社・年商530億円・従業員2000人であった。再建は人員整理によらず、失敗の費用を数字で示す手法で進められた。
- 含意
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大朏氏は買収を業界再編に向けた一手と位置づけた。再建は1年半で黒字に届いたが、大同団結は実現していない。同じ構想は21年後、息子の大朏宗徳社長がほぼ同じ言葉で語り直すことになる。
個人が買うということ
後藤光男社長が『これは大朏以外にない』と即断したとき、東芝の株式は事業会社ではなく一人の人間へ渡った。年商450億円・3期連続赤字の名門を引き受けたのは、年商530億円の中堅グループを率いる51歳の個人である。10万円の商品の不良が30万円の費用を生むと数字で示し、人員整理は選ばずに仕事のほうを取ってくる——大朏氏が持ち込んだのは、当たり前を実行させる技能だった。縮む市場で名門の買い手が個人でありえたのは、資金力ではなく、この再建の技能に値がついたからである。
ただ、大同団結は形にならなかった。候補5社のリストは公にされないまま消え、パイオニアに匹敵する4500億円のAV会社も生まれていない。1年半での黒字転換という再建の成功は、大朏氏が本来の目的に据えた業界再編の達成を意味しなかった。それでも構想そのものは家に残り、21年後、息子の大朏宗徳社長がほぼ同じ言葉で語り直す。父が"匹敵する"と名指した相手の事業を、息子が引き受ける。業界再編という構想は、二代にわたって同じ言葉で語られた。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
同じ問いに直面した会社
- 日経ビジネス 1993年6月28日号
- オンキヨー株式会社 有価証券報告書【沿革】
- 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「家電-本格的な『冬の時代』に」