後藤光男社長が『これは大朏以外にない』と即断したとき、東芝の株式は事業会社ではなく一人の人間へ渡った。年商450億円・3期連続赤字の名門を引き受けたのは、年商530億円の中堅グループを率いる51歳の個人である。10万円の商品の不良が30万円の費用を生むと数字で示し、人員整理は選ばずに仕事のほうを取ってくる——大朏氏が持ち込んだのは、当たり前を実行させる技能だった。縮む市場で名門の買い手が個人でありえたのは、資金力ではなく、この再建の技能に値がついたからである。
ただ、大同団結は形にならなかった。候補5社のリストは公にされないまま消え、パイオニアに匹敵する4500億円のAV会社も生まれていない。1年半での黒字転換という再建の成功は、大朏氏が本来の目的に据えた業界再編の達成を意味しなかった。それでも構想そのものは家に残り、21年後、息子の大朏宗徳社長がほぼ同じ言葉で語り直す。父が"匹敵する"と名指した相手の事業を、息子が引き受ける。業界再編という構想は、二代にわたって同じ言葉で語られた。