1946年〜 スピーカーの内製から出発し、東芝の資本を受け入れるまでの創業期
- 1946年五代武が大阪市都島区に株式会社大阪電気音響社を設立。松下電器産業の出身で、コーン紙まで内製するスピーカーづくりから出発した
- 1947年商号を大阪音響株式会社に変更する
- 1948年スピーカー第1号機を完成させる
- 1952年本社と本社工場を大阪市旭区に移転する
- 1957年株式会社東芝と資本提携し、東芝グループの傘下に入る
オンキヨーの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
松下電器出身の技術者が独立して選んだ、部品からの一貫生産
1946年9月、五代武氏が大阪で大阪電気音響社を興した。五代氏は松下電器産業の出身で、独立にあたって選んだのは完成品の組み立てではなく、スピーカーそのものを作る道だった。翌1947年には商号を大阪音響に改め、1948年にスピーカー第1号機を完成させている。終戦の翌年に始まった小さな工場が、部品を買って組み立てる会社としてではなく、音を出す装置そのものの作り手として立った。この選択が、その後70年余りにわたる同社の性格を決めている。以後の同社は、経営形態や資本の親がどれだけ変わっても、スピーカーとアンプを自ら設計して作る立場を手放さなかった。 [1][2][3]
- 帝国データバンク「倒産速報 オンキヨーホームエンターテイメント株式会社」2022年5月13日
- [1]1946年9月に五代武が大阪電気音響社を創業
- [2]五代武は松下電器産業の出身
- 東京商工リサーチ「名門『オンキヨー』上場廃止の裏側」ダイヤモンド・オンライン 2021年7月14日
- [3]1947年3月に大阪音響へ商号変更、1948年にスピーカー第1号機を完成
創業期の同社が作ったのは、コーン紙まで内製した自社製スピーカーを積んだラジオだった。コーン紙は振動して空気を動かす紙製の振動板で、材質と漉き方が音質を大きく左右する。これを外から買わずに自分で漉くという選択は、工程を増やし完成品の値段を押し上げる。実際そのラジオは高価格帯に位置したが、それでもヒット商品となった。音の良さに対価を払う客が確かに存在すると分かったことは、その後の製品づくりの前提となる。同社が量販の価格競争に加わらず、単品のスピーカーやアンプを選んで買う客に向き合い続けた出発点が、この最初の成功にある。 [4]
- [4]コーン紙まで内製した自社製スピーカーを搭載したラジオを発売し、高価格ながらヒットした
ラジオの成功を足がかりに、同社は品目をオーディオ機器やテレビ受像機へ広げた。もっとも、テレビは大手が系列販売網を通じて大量に売る商品で、中堅メーカーが値段と物量で競える領域ではない。同社の主力は早い段階からスピーカーとアンプに戻り、以後の70年間そこから動かなかった。「音の文化を世界へ送る」という後年まで掲げられた目的も、振動板の精度を落とせば成り立たない。工程を短くして原価を下げる道と、工程を抱えて音を作り込む道の二つがあるなかで、同社は一貫して後者を選んでいる。技術者が興した会社が、技術で決まる部分を外に出さなかったという一点が、創業期に確立した唯一にして最大の資産である。
- 帝国データバンク「倒産速報 オンキヨーホームエンターテイメント株式会社」2022年5月13日
- [1]1946年9月に五代武が大阪電気音響社を創業
- [2]五代武は松下電器産業の出身
- 東京商工リサーチ「名門『オンキヨー』上場廃止の裏側」ダイヤモンド・オンライン 2021年7月14日
- [3]1947年3月に大阪音響へ商号変更、1948年にスピーカー第1号機を完成
- [4]コーン紙まで内製した自社製スピーカーを搭載したラジオを発売し、高価格ながらヒットした
独立系の中堅が東芝の資本を受け入れた1957年の選択
1957年6月、東芝が資本参加し、大阪音響は東芝グループの傘下に入った。創業から11年での系列入りである。当時の家電産業は、大手メーカーが自社系列の販売会社と小売店網を通じて完成品を売る構造にあった。部材から完成品まで自前で抱える中堅の独立メーカーが全国の家庭に製品を届けようとすれば、販路と運転資金の両方が足りない。系列に入れば、この二つを一度に埋められる。技術は自前で持ち、売る力と資本は大手から借りるという配分である。創業者の五代氏が築いたスピーカーの設計と生産はそのまま手元に残し、全国の小売店に届ける経路だけを東芝に依存する形になった。以後36年にわたり、同社の製品は東芝の販売網を通じて家庭へ運ばれる。 [5]
- 東京商工リサーチ「名門『オンキヨー』上場廃止の裏側」ダイヤモンド・オンライン 2021年7月14日
- [5]1957年6月に東芝が資本参加し東芝グループの傘下に入った
もっとも、系列入りは製品の性格まで大手に合わせることを意味しなかった。同社は以後もスピーカーとアンプを軸に据え、量販の価格競争とは別の場所で高音質を売る立場を保っている。資本は大手に預けながら、製品では独立系の色を残すというこの二重性が、36年続いた東芝時代の骨格となった。1993年に資本関係が解けたとき、事業がそのまま独立して立ち行いたのも、製品づくりを他社に預けてこなかったからである。逆に言えば、系列にいる間も同社は大手の量産品の受け皿にはならず、規模の利益を得る機会を自ら手放していた。この選択の代償は、市場が縮んだ1990年代に現れる。 [6]
- 東京商工リサーチ「名門『オンキヨー』上場廃止の裏側」ダイヤモンド・オンライン 2021年7月14日
- [6]東芝との資本関係は1957年から1993年まで36年続いた
- 東京商工リサーチ「名門『オンキヨー』上場廃止の裏側」ダイヤモンド・オンライン 2021年7月14日
- [5]1957年6月に東芝が資本参加し東芝グループの傘下に入った
- [6]東芝との資本関係は1957年から1993年まで36年続いた