オンキヨー の歴史

創業

1946年

創業者

五代武

創業地

大阪市都島区

直近売上高(2021/3)

89億円

長期業績と転換点(2002/3〜2021/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1993年に東芝は36年続いた資本関係を解消し、買い手は事業会社でもファンドでもなく個人だったのか
A 音響機器の国内出荷額は1988年の6620億円を頂点に下降へ入り、バブル崩壊で本体の家電が痛んだ東芝にとって、縮む市場の専業子会社を抱え続ける理由は薄れていた。当時のオンキヨーは年商450億円で3期連続の赤字に沈んでいる。M&A仲介の野村企業情報の後藤光男社長は、東芝から売却先の相談を受けて「これは大朏以外にない」と即断した。買い手の大朏直人氏は丸八工業を10カ月、新白砂電機を1年で黒字に戻した実績を持ち、1993年6月に個人で株式を取得して社長に就く。人員整理を好まない経営者の下で、同社は1年半で黒字に戻った。
Q なぜ2015年に、25年で85%が消えた市場でパイオニアのホームAV事業を引き受けたのか
A 音響機器の国内出荷額は1988年の6620億円から2013年には1017億円へ縮んでいた。同社の答えは撤退ではなく統合で、残る需要を1社に集めれば、開発費と固定費を分け合える相手が減る前に規模を確保できるという読みによる。2014年6月の当初案では香港のベアリング・プライベート・エクイティ・アジアが過半を握るはずだったが、当時44歳の大朏宗徳社長が全株取得へ組み替えた。「日本の音響機器メーカーは多すぎる。日本連合を作りたい」という構想は、21年前に父の大朏直人氏が語った大同団結とほぼ同じものだった
Q なぜ2022年に、統合で売上を1.8倍にしたはずの会社が破産に至ったのか
A 統合で増えたのは売上だけではない。生産拠点・販売網・開発部隊という固定費も同時に増えた。売上が644億円に達した2016年3月期も経常損失22億円を計上し、営業黒字は2017年3月期の8億円だけである。決定打は資金繰りの空転で、2019年5月に米Sound Unitedへ約81億7500万円で合意したホームAV事業の譲渡が同年10月に中止となった。2021年5月にシャープと米VOXXの合弁会社へ33億2300万円で本業を譲渡したが債務を完済できず、2022年5月13日に破産した

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

1946年〜 スピーカーの内製から出発し、東芝の資本を受け入れるまでの創業期

  1. 1946年五代武が大阪市都島区に株式会社大阪電気音響社を設立。松下電器産業の出身で、コーン紙まで内製するスピーカーづくりから出発した
  2. 1947年商号を大阪音響株式会社に変更する
  3. 1948年スピーカー第1号機を完成させる
  4. 1952年本社と本社工場を大阪市旭区に移転する
  5. 1957年株式会社東芝と資本提携し、東芝グループの傘下に入る

オンキヨーの業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

松下電器出身の技術者が独立して選んだ、部品からの一貫生産

1946年9月、五代武氏が大阪で大阪電気音響社を興した。五代氏は松下電器産業の出身で、独立にあたって選んだのは完成品の組み立てではなく、スピーカーそのものを作る道だった。翌1947年には商号を大阪音響に改め、1948年にスピーカー第1号機を完成させている。終戦の翌年に始まった小さな工場が、部品を買って組み立てる会社としてではなく、音を出す装置そのものの作り手として立った。この選択が、その後70年余りにわたる同社の性格を決めている。以後の同社は、経営形態や資本の親がどれだけ変わっても、スピーカーとアンプを自ら設計して作る立場を手放さなかった。 [1][2][3]

  • 帝国データバンク「倒産速報 オンキヨーホームエンターテイメント株式会社」2022年5月13日
    • [1]1946年9月に五代武が大阪電気音響社を創業
    • [2]五代武は松下電器産業の出身
  • 東京商工リサーチ「名門『オンキヨー』上場廃止の裏側」ダイヤモンド・オンライン 2021年7月14日
    • [3]1947年3月に大阪音響へ商号変更、1948年にスピーカー第1号機を完成

創業期の同社が作ったのは、コーン紙まで内製した自社製スピーカーを積んだラジオだった。コーン紙は振動して空気を動かす紙製の振動板で、材質と漉き方が音質を大きく左右する。これを外から買わずに自分で漉くという選択は、工程を増やし完成品の値段を押し上げる。実際そのラジオは高価格帯に位置したが、それでもヒット商品となった。音の良さに対価を払う客が確かに存在すると分かったことは、その後の製品づくりの前提となる。同社が量販の価格競争に加わらず、単品のスピーカーやアンプを選んで買う客に向き合い続けた出発点が、この最初の成功にある。 [4]

ラジオの成功を足がかりに、同社は品目をオーディオ機器やテレビ受像機へ広げた。もっとも、テレビは大手が系列販売網を通じて大量に売る商品で、中堅メーカーが値段と物量で競える領域ではない。同社の主力は早い段階からスピーカーとアンプに戻り、以後の70年間そこから動かなかった。「音の文化を世界へ送る」という後年まで掲げられた目的も、振動板の精度を落とせば成り立たない。工程を短くして原価を下げる道と、工程を抱えて音を作り込む道の二つがあるなかで、同社は一貫して後者を選んでいる。技術者が興した会社が、技術で決まる部分を外に出さなかったという一点が、創業期に確立した唯一にして最大の資産である。

独立系の中堅が東芝の資本を受け入れた1957年の選択

1957年6月、東芝が資本参加し、大阪音響は東芝グループの傘下に入った。創業から11年での系列入りである。当時の家電産業は、大手メーカーが自社系列の販売会社と小売店網を通じて完成品を売る構造にあった。部材から完成品まで自前で抱える中堅の独立メーカーが全国の家庭に製品を届けようとすれば、販路と運転資金の両方が足りない。系列に入れば、この二つを一度に埋められる。技術は自前で持ち、売る力と資本は大手から借りるという配分である。創業者の五代氏が築いたスピーカーの設計と生産はそのまま手元に残し、全国の小売店に届ける経路だけを東芝に依存する形になった。以後36年にわたり、同社の製品は東芝の販売網を通じて家庭へ運ばれる。 [5]

  • 東京商工リサーチ「名門『オンキヨー』上場廃止の裏側」ダイヤモンド・オンライン 2021年7月14日
    • [5]1957年6月に東芝が資本参加し東芝グループの傘下に入った

もっとも、系列入りは製品の性格まで大手に合わせることを意味しなかった。同社は以後もスピーカーとアンプを軸に据え、量販の価格競争とは別の場所で高音質を売る立場を保っている。資本は大手に預けながら、製品では独立系の色を残すというこの二重性が、36年続いた東芝時代の骨格となった。1993年に資本関係が解けたとき、事業がそのまま独立して立ち行いたのも、製品づくりを他社に預けてこなかったからである。逆に言えば、系列にいる間も同社は大手の量産品の受け皿にはならず、規模の利益を得る機会を自ら手放していた。この選択の代償は、市場が縮んだ1990年代に現れる。 [6]

  • 東京商工リサーチ「名門『オンキヨー』上場廃止の裏側」ダイヤモンド・オンライン 2021年7月14日
    • [6]東芝との資本関係は1957年から1993年まで36年続いた
  • 東京商工リサーチ「名門『オンキヨー』上場廃止の裏側」ダイヤモンド・オンライン 2021年7月14日
    • [5]1957年6月に東芝が資本参加し東芝グループの傘下に入った
    • [6]東芝との資本関係は1957年から1993年まで36年続いた

1958年〜 東芝の傘下でオーディオ市場の拡大と縮小をともに経験した35年

  1. 1971年商号をオンキヨー株式会社に変更する
  2. 1972年ドイツに販売会社 ONKYO EUROPE ELECTRONICS GMBH を設立し、海外展開に踏み出す
  3. 1973年ソウルの韓国輸出産業公団内に合弁の韓国音響株式会社を設立(日本側50%・韓国側50%、資本金3億ウォン)。国内では採算の合わない中級品スピーカーの生産を移した
  4. 1975年アメリカに販売会社 ONKYO U.S.A. CORP. を設立する
  5. 1979年アメリカに生産会社 ONKYO AMERICA, INC. を設立し、最大市場である米国での現地生産に踏み込む
  6. 1993年株式会社東芝との資本提携を解消。テクノグループ代表の大朏直人が個人で株式を取得し、6月18日の株主総会後の取締役会で社長に就任した
  7. 1993年ハイコンポシステム(商品名 INTEC275)の販売を開始する。単品コンポの音質をセット価格で組める製品群として、以後のオンキヨーの主力商品ラインになった

オンキヨーの業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

オンキヨーへの商号変更と、ステレオが家電の主役だった時代

1971年9月、商号をオンキヨー株式会社に改めた。ONKYOという商標は1960年代の製品ですでに使われており、社名のほうを商標に合わせた形になる。単体のスピーカーやアンプを選んで買う客に向けて、名前を一本化した。同社が主戦場とした単品コンポーネントの市場は、セット製品を買う量販市場とは客層が異なり、ブランドそのものが選択の理由になる領域だった。アンプはA社、スピーカーはB社と組み合わせる買い方をする客にとって、社名と製品名が別々であることは不利に働く。商号統一は意匠の刷新ではなく、売り場での識別を確実にするために行われた。 [7]

  • オンキヨー株式会社 有価証券報告書 第87期(2010年3月期)【沿革】
    • [7]1971年9月(昭和46年9月)に商号をオンキヨー株式会社へ変更。有報【沿革】でも確認

この時期、オーディオは日本の家電を牽引する製品だった。ステレオの国内向け出荷額は1973年に2000億円へ達し、1976年には3090億円へ伸びている。ところが出荷台数は192万台から198万台とほぼ横ばいで、伸びの中身は単価の上昇だった。1970年から71年ごろに7万円前後だった平均単価は、1976年には12万から13万円へ上がっている。5年で単価が1.7倍になる市場では、安く作る力より良い音を作る力のほうが売上に直結する。高音質を売る同社にとって、これ以上ない追い風が10年近く続いた。 [8][9]

  • 日本産業史 第3巻(日本経済新聞社、1994年)「家電-輸出膨張が通商摩擦に」
    • [8]ステレオの国内向け出荷額は1973年に2000億円、1976年に3090億円。出荷台数は192万台から198万台
    • [9]ステレオの平均単価は1970-71年ごろの7万円前後から1976年に12〜13万円へ上昇

産業全体で見ても、1973年から1981年にかけて民生用電子機器のなかで生産構成比が最も大きかったのはオーディオで、カラーテレビを上回っていた。ピークの1977年には52.6%と過半を占めている。1972年まではカラーテレビが首位で、1982年以降はVTRに抜かれるので、オーディオが家電の主役だった期間は10年に満たない。その10年の只中で、スピーカーの内製から始まった中堅メーカーは自らの得意分野をそのまま拡大できた。裏を返せば、同社の事業は日本の家電が最もオーディオに寄っていた時期の産物であり、主役が入れ替わったあとの居場所は自分で作る必要があった。 [10]

  • 日本産業史 第3巻(日本経済新聞社、1994年)「家電-輸出膨張が通商摩擦に」
    • [10]1973-1981年に民生用電子機器で最大の生産構成比はオーディオ。ピークの1977年は52.6%。1972年まではカラーテレビ、1982年以降はVTRが首位
  • オンキヨー株式会社 有価証券報告書 第87期(2010年3月期)【沿革】
    • [7]1971年9月(昭和46年9月)に商号をオンキヨー株式会社へ変更。有報【沿革】でも確認
  • 日本産業史 第3巻(日本経済新聞社、1994年)「家電-輸出膨張が通商摩擦に」
    • [8]ステレオの国内向け出荷額は1973年に2000億円、1976年に3090億円。出荷台数は192万台から198万台
    • [9]ステレオの平均単価は1970-71年ごろの7万円前後から1976年に12〜13万円へ上昇
    • [10]1973-1981年に民生用電子機器で最大の生産構成比はオーディオ。ピークの1977年は52.6%。1972年まではカラーテレビ、1982年以降はVTRが首位

採算の合わない中級品を海外へ ── ソウルに置いた合弁工場

1973年9月、同社はソウルに韓国音響株式会社を設立した。資本金3億ウォン、出資比率は日本側50%・韓国側50%で、韓国側は在日韓国人である郭泰石会長が15%、裵善鉀社長が35%を持つ構成だった。工場はソウルの韓国輸出産業公団内に置かれ、輸出増大を狙う韓国政府の外資優遇策により法人税などを5年間全面的に免除されている。日本側から送り込まれた常勤役員は1人で、経営責任は副社長の大津恒夫氏が担った。合弁相手が日本でも企業活動をする在日韓国人だったため、韓国側から見れば日韓合弁というより外資に近い会社だった。 [11][12][13]

  • 日経ビジネス 1976年8月30日号「海の向こうのニッポン経営 韓国音響(オンキョー=ソウル)」
    • [11]記事のデータ欄で「社名 韓国音響株式会社/本社 ソウル市/設立 1973年9月/資本金 3億ウォン/出資比率 日本側(オンキョー)50%、韓国側50%(裵善鉀社長35%、郭泰石会長15%)/日本人役員 3人(常勤1人)/従業員 420人/輸出高 210万ドル(75年)」と一致
    • [12]記事「韓国政府の輸出増大のための外資企業優遇策によって法人税などの5年間全面免除という特典を受けている」と一致
    • [13]記事「経営の責任が全面的に大津恒夫副社長に任されている」およびデータ欄「日本人役員 3人(常勤1人)」と一致

大津副社長は「高級スピーカーは日本で生産しても採算が合うが、中級品以下はコストやオペレーターの面で問題がある。中級品以下をどうするか。中止したらもったいない。海外で生かせたら……」と語っている。国内に残せば赤字になる中級品を、捨てるのではなく別の場所で生かすという判断である。候補地には香港・台北・シンガポールも挙がったが、隣国であることと労働力が豊富であることの2点から韓国が選ばれた。生産したのは直径4センチから25センチまでの円形・楕円形スピーカー40種類で、平均単価は220ウォン、韓国内の平均価格110ウォンの2倍にあたる。安い労働力で安物を作る進出ではなかった。 [14][15]

  • 日経ビジネス 1976年8月30日号「海の向こうのニッポン経営 韓国音響(オンキョー=ソウル)」
    • [14]記事「香港、台北、シンガポールも候補地だったが、『隣国である』『労働力が豊富である』の2点が韓国音響誕生のキッカケとなった」と一致
    • [15]4センチから25センチまでの円形・楕円形スピーカー40種類を生産。平均単価220ウォン(韓国内の平均価格110ウォン)

工場の能力は急速に伸びた。1973年11月の稼働直後は月産10万本、翌1974年12月の第2次設備導入で月産100万本の能力を備え、1976年末に120万本、1977年中には150万本へ達する計画だった。1975年の輸出高は210万ドル、従業員は420人で平均年齢は20歳程度である。稼働直後は本体が育成のために優先的に発注していたが、1976年時点では本体側の必要度が高まって発注するようになったと記事は伝えている。一方で部品の80%を日本からの輸入に頼る構造は残り、韓国政府の国産化政策に沿って3カ年計画を組んだものの、精度と価格の両面で課題を抱えていた。 [16][17]

  • 日経ビジネス 1976年8月30日号「海の向こうのニッポン経営 韓国音響(オンキョー=ソウル)」
    • [16]生産能力は1973年11月稼働直後の月産10万本から1974年12月の第2次設備導入で月産100万本、1976年末120万本、1977年中に150万本の計画。1975年の輸出高210万ドル、従業員420人
    • [17]部品の80%を日本からの輸入に依存し、韓国政府の国産化政策に沿って国産化3カ年計画を策定したが精度と価格に課題
  • 日経ビジネス 1976年8月30日号「海の向こうのニッポン経営 韓国音響(オンキョー=ソウル)」
    • [11]記事のデータ欄で「社名 韓国音響株式会社/本社 ソウル市/設立 1973年9月/資本金 3億ウォン/出資比率 日本側(オンキョー)50%、韓国側50%(裵善鉀社長35%、郭泰石会長15%)/日本人役員 3人(常勤1人)/従業員 420人/輸出高 210万ドル(75年)」と一致
    • [12]記事「韓国政府の輸出増大のための外資企業優遇策によって法人税などの5年間全面免除という特典を受けている」と一致
    • [13]記事「経営の責任が全面的に大津恒夫副社長に任されている」およびデータ欄「日本人役員 3人(常勤1人)」と一致
    • [14]記事「香港、台北、シンガポールも候補地だったが、『隣国である』『労働力が豊富である』の2点が韓国音響誕生のキッカケとなった」と一致
    • [15]4センチから25センチまでの円形・楕円形スピーカー40種類を生産。平均単価220ウォン(韓国内の平均価格110ウォン)
    • [16]生産能力は1973年11月稼働直後の月産10万本から1974年12月の第2次設備導入で月産100万本、1976年末120万本、1977年中に150万本の計画。1975年の輸出高210万ドル、従業員420人
    • [17]部品の80%を日本からの輸入に依存し、韓国政府の国産化政策に沿って国産化3カ年計画を策定したが精度と価格に課題

普及の一巡・円高・バブル崩壊 ── 東芝が株式を手放すまでの16年

1977年を境に、伸びが止まる。普及率が上がったことで成長が鈍り、1982年には世界的なオーディオ不況に見舞われた。同じ1982年に発売されたCDプレーヤーが音質の良さで売れ、市場は一度立ち直っている。しかし1985年のプラザ合意による円高で輸出が急減し、以後の伸びは止まった。輸出の柱だったステレオが為替だけで競争力を失う過程は、生産地を日本に置く限りどのメーカーにも避けられない。1973年に韓国へ中級品の生産を移していた同社にとっても、円高は本体が抱える高級品の輸出をそのまま直撃した。 [18]

  • 日本産業史 第3巻(日本経済新聞社、1994年)「家電-輸出膨張が通商摩擦に」
    • [18]1977年から成長鈍化、1982年に世界的なオーディオ不況、同年発売のCDプレーヤーが不況克服に貢献、1985年のプラザ合意による円高で輸出が急減

三つ目の落ち込みは国内から来た。AV機器の需要はバブル最盛期の1989年から低下しはじめ、1991年以降のバブル崩壊が国内の家電需要を激減させる。市場を引っ張ってきたCDプレーヤーも1990年代に入って伸び悩み、成熟期に入った。1992年3月には松下電器・ソニー・東芝・日立家電の系列販売会社20社が公正取引委員会の立ち入り検査を受け、翌1993年2月に排除勧告を受けている。メーカーが系列販社を通じて店頭価格を握る仕組みが崩れ、価格競争は一段と激しくなった。系列に依存して売ってきた中堅メーカーにとっては、借りていた販路の価値そのものが目減りした。 [19][20]

  • 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「家電-本格的な『冬の時代』に」
    • [19]AV機器の需要は1989年から低下、1991年以降のバブル崩壊で国内家電需要が激減。CDプレーヤーも90年代に伸び悩み成熟期入り
    • [20]1992年3月に大手家電4社の系列販売会社20社が公正取引委員会の立ち入り検査を受け、1993年2月に排除勧告

1993年6月、東芝は保有するオンキヨー株式を大朏直人氏個人に売却し、36年続いた資本関係を解消した。音響機器の国内出荷額は1988年の6620億円を頂点に下降へ入っており、バブル崩壊で本体の家電事業が痛んだ大手にとって、縮小する音響専業の子会社を抱え続ける理由は薄れていた。東芝の判断を後知恵で責めるのは難しい。1980年頃のオンキヨーは愛好家にとって憧れのブランドに育っていたが、その10年後には経営危機に直面している。親会社から見れば、専業メーカーの再建に資源を割くより本体の立て直しに集中するほうが理にかなう。もっとも、手放した先で同社は1年半で黒字に戻る。同じ事業が、親会社の資源配分の外に出た途端に採算へ乗った。赤字の原因が事業そのものにあったのかどうかは、この時点では判じがたい。 [21][22][23]

  • 東京商工リサーチ「名門『オンキヨー』上場廃止の裏側」ダイヤモンド・オンライン 2021年7月14日
    • [21]1993年6月に東芝との資本提携を解消し、大朏直人が個人で株式を取得
    • [23]1980年頃にはオーディオファンにとって憧れのブランドに成長していたが、10年後のバブル崩壊で経営危機に直面
  • 週刊東洋経済 2014年11月21日号「市場縮小が出番を後押し ファンドが群がる音響機器業界」
    • [22]音響機器の国内出荷額は1988年の6620億円がピーク(JEITA調べ)
  • 日本産業史 第3巻(日本経済新聞社、1994年)「家電-輸出膨張が通商摩擦に」
    • [18]1977年から成長鈍化、1982年に世界的なオーディオ不況、同年発売のCDプレーヤーが不況克服に貢献、1985年のプラザ合意による円高で輸出が急減
  • 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「家電-本格的な『冬の時代』に」
    • [19]AV機器の需要は1989年から低下、1991年以降のバブル崩壊で国内家電需要が激減。CDプレーヤーも90年代に伸び悩み成熟期入り
    • [20]1992年3月に大手家電4社の系列販売会社20社が公正取引委員会の立ち入り検査を受け、1993年2月に排除勧告
  • 東京商工リサーチ「名門『オンキヨー』上場廃止の裏側」ダイヤモンド・オンライン 2021年7月14日
    • [21]1993年6月に東芝との資本提携を解消し、大朏直人が個人で株式を取得
    • [23]1980年頃にはオーディオファンにとって憧れのブランドに成長していたが、10年後のバブル崩壊で経営危機に直面
  • 週刊東洋経済 2014年11月21日号「市場縮小が出番を後押し ファンドが群がる音響機器業界」
    • [22]音響機器の国内出荷額は1988年の6620億円がピーク(JEITA調べ)

1994年〜 個人による買収で独立を取り戻し、音の外側へ手を伸ばした再建期

  1. 1994年LUCASFILM LTD.(現:THX LTD.)との技術提携により、世界初の民生用THXシステム搭載レシーバー(TX-SV919THX)の販売を開始する
  2. 1995年マイクロ・ハイコンポシステム(商品名 INTEC185)の販売を開始し、INTEC の裾野をより小型・低価格の帯域に広げる
  3. 1998年OMFコーンスピーカーの製造販売を開始する
  4. 2005年高品質音楽配信サービス(現サービス名 e-onkyo music)を開始し、ハイレゾ配信に先鞭をつける
  5. 2007年株式会社ソーテックの株式を取得し、パソコン事業へ参入する
  6. 2008年株式会社ソーテックを吸収合併し、パソコン事業を本体に取り込む
  7. 2010年オンキヨー株式会社が単独株式移転により持株会社を設立し、大阪証券取引所JASDAQ市場に新規上場する

オンキヨーの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

個人買収と「当たり前」の再建 ── 1年半での黒字転換

1993年4月25日付の日本経済新聞1面に「東芝、テクノエイト社長にオンキョー株譲渡」の見出しが載った。当時のオンキヨーは大阪府寝屋川市に本社を置く年商450億円のメーカーで、3期連続の赤字に沈んでいる。買い手の大朏直人氏は店頭公開の中堅自動車部品メーカーであるテクノエイトの社長で、11社・年商530億円のテクノグループを率いていた。業界には「オオツキ フー?」の声が駆けめぐったと日経ビジネスは伝えている。仲介したM&A会社、野村企業情報の後藤光男社長は、東芝から売却先の相談を受けた際に「これは大朏以外にない」と即断したという。同年6月18日、大朏氏は株主総会後の取締役会で社長に就いた。 [24][25][26]

  • 日経ビジネス 1993年6月28日号「挑む 大朏直人氏[テクノグループ代表]」
    • [24]1993年4月25日付の日本経済新聞1面に「東芝、テクノエイト社長にオンキョー株譲渡」の見出し。同年6月18日に大朏直人が株主総会後の取締役会で社長就任
    • [25]記事「年間売上高450億円、オーディオメーカーのオンキョー(大阪府寝屋川市)を…テクノグループを率いる大朏が個人で買収した」「3期連続の赤字に陥った同社」「テクノグループはテクノエイト、計測、事務機メーカーのテクノ・セブンなど11社から成る企業集団。年商530億円、従業員2000人強」と一致(従業員は記事では「2000人強」)
    • [26]M&A仲介会社である野村企業情報の後藤光男社長が東芝から売却先の相談を受け「これは大朏以外にない」と判断してテクノグループにつないだ

大朏氏の再建手法は正攻法だった。「当たり前のことを当たり前に実行するだけ。経営の基本を忠実に実行すれば、企業は必ず良くなる」と語り、社員に説いたのは失敗にかかる費用の可視化である。10万円の商品が不良になれば釈明の出張費などで30万円かかるという計算を数字と図で示し、現場のコスト意識を引き上げた。人員整理は好まず、「余った人員に見合った仕事を取ってくるのが社長の仕事」との考えを持っていた。1985年の丸八工業を10カ月で、1991年に株式78%を個人で買った新白砂電機を1年で黒字に戻した実績があり、オンキヨーについても「2年もあれば、黒字になるだろう」と公言している。実際には1年半で黒字に届いた。 [27][28][29]

  • 日経ビジネス 1993年6月28日号「挑む 大朏直人氏[テクノグループ代表]」
    • [27]大朏直人の再建手法「当たり前のことを当たり前に実行するだけ。経営の基本を忠実に実行すれば、企業は必ず良くなる」。Fコスト(失敗のコスト)の可視化、人員整理を好まない方針
    • [28]1985年に丸八工業を10カ月で黒字転換、1991年2月に新白砂電機(現テクノエース)の株式78%を個人買収し1年で黒字化。オンキヨーは「2年もあれば黒字になるだろう」と発言
  • 東京商工リサーチ「名門『オンキヨー』上場廃止の裏側」ダイヤモンド・オンライン 2021年7月14日
    • [29]大朏直人が1993年6月に東芝傘下のオンキヨーを個人で買収し、1年半で黒字経営に転換させた。当時のオンキヨーは非公開会社(株式公開は2003年2月)で有報がなく、黒字転換の時期は二次資料のみの裏付け

この買収は、単体の再建案件として構想されたものではなかった。大朏氏は当時のAV業界について「5社程度が集まり、リストラすれば、昔の花形産業に戻れる」と語っており、日経ビジネスはオンキヨーの買収をその構想の一手に過ぎないと書いている。目指したのはパイオニアに匹敵する売上規模のAV会社で、候補5社をすでにリストアップし、一部とはすでに交渉に入っていたと日経ビジネスは伝える。ただし社名は秘中の秘として明かされないまま、この構想が実現することはなかった。ただし構想そのものは消えず、21年後、息子の大朏宗徳社長がほぼ同じ言葉で語り直す。 [30]

  • 日経ビジネス 1993年6月28日号「挑む 大朏直人氏[テクノグループ代表]」
    • [30]大朏直人の発言「5社程度が集まり、リストラすれば、昔の花形産業に戻れる」「大同団結に成功すれば、パイオニアに匹敵する売り上げ規模(4500億円)と3倍の経常利益(700億円)を上げるAV会社をつくってみせる」。オンキヨー買収は業界再編の布石と位置づけ
  • 日経ビジネス 1993年6月28日号「挑む 大朏直人氏[テクノグループ代表]」
    • [24]1993年4月25日付の日本経済新聞1面に「東芝、テクノエイト社長にオンキョー株譲渡」の見出し。同年6月18日に大朏直人が株主総会後の取締役会で社長就任
    • [25]記事「年間売上高450億円、オーディオメーカーのオンキョー(大阪府寝屋川市)を…テクノグループを率いる大朏が個人で買収した」「3期連続の赤字に陥った同社」「テクノグループはテクノエイト、計測、事務機メーカーのテクノ・セブンなど11社から成る企業集団。年商530億円、従業員2000人強」と一致(従業員は記事では「2000人強」)
    • [26]M&A仲介会社である野村企業情報の後藤光男社長が東芝から売却先の相談を受け「これは大朏以外にない」と判断してテクノグループにつないだ
    • [27]大朏直人の再建手法「当たり前のことを当たり前に実行するだけ。経営の基本を忠実に実行すれば、企業は必ず良くなる」。Fコスト(失敗のコスト)の可視化、人員整理を好まない方針
    • [28]1985年に丸八工業を10カ月で黒字転換、1991年2月に新白砂電機(現テクノエース)の株式78%を個人買収し1年で黒字化。オンキヨーは「2年もあれば黒字になるだろう」と発言
    • [30]大朏直人の発言「5社程度が集まり、リストラすれば、昔の花形産業に戻れる」「大同団結に成功すれば、パイオニアに匹敵する売り上げ規模(4500億円)と3倍の経常利益(700億円)を上げるAV会社をつくってみせる」。オンキヨー買収は業界再編の布石と位置づけ
  • 東京商工リサーチ「名門『オンキヨー』上場廃止の裏側」ダイヤモンド・オンライン 2021年7月14日
    • [29]大朏直人が1993年6月に東芝傘下のオンキヨーを個人で買収し、1年半で黒字経営に転換させた。当時のオンキヨーは非公開会社(株式公開は2003年2月)で有報がなく、黒字転換の時期は二次資料のみの裏付け

パソコンへの参入 ── 音以外の領域で数量を取る試み

2007年8月、同社は公開買付と第三者割当増資によってパソコンメーカーのソーテックを子会社にした。ソーテックは低価格パソコンで名を知られた会社で、音響機器とは客層も価格帯も販路も異なる。翌2008年9月、同社はソーテックを吸収合併し、パソコン事業を本体に取り込んでいる。ソーテックは2000年前後に低価格パソコンで急成長したのち、価格競争と品質面の問題で業績を落とし、買収の時点では再建の途上にあった。創業以来スピーカーとアンプを主力に据えてきた会社が、初めて音を出す装置以外の完成品を柱の一つに置いた。 [31]

この参入には筋の通った説明が付く。音楽を聴く装置がコンポからパソコンへ移りつつあった時期であり、音の良いパソコンを作れば、縮む単品コンポの外側に客を見つけられる。同社は自社の音響技術を載せた製品を国内で組み立てる方針を取り、2009年にはONKYOブランドのパソコンを投入した。2010年にはSOTECブランドを廃止し、以後はONKYO名に一本化している。1971年の商号統一と同じく、ブランドを一つに束ねることで売り場での識別を確実にする狙いである。音響機器で積み上げた名前を、隣接する商品へ持ち出す試みでもあった。 [32][33]

  • オンキヨー株式会社 有価証券報告書 第87期(2010年3月期)【沿革】
    • [32]有報【沿革】に「平成21年10月 PC製品に「ONKYO」ブランドを本格展開」とあり、2009年10月のONKYOブランドPC投入と一致
    • [33]2009年9月15日にSOTECブランドを廃止しONKYOへ一本化する方針を発表、SOTECブランド製品の販売終了は2010年

ただし、この参入は同社を価格競争の側へ引き寄せた。パソコンは台数で原価が決まる商売で、年に数百万台を作る会社と数万台の会社では調達条件が違う。高音質という差別化は、部材コストの差を客が値段の上乗せとして受け入れて初めて成立する。ラジオの時代から音響機器では成り立っていたこの前提が、パソコンでは働かなかった。世界の大手が台数で原価を下げ、同時に薄型ノートで台数そのものを伸ばしていた時期に、国内組立の高音質パソコンが取れる市場は限られている。音の技術を別の商品に載せ替える発想そのものは後年まで残るが、載せる先の選び方はここで一度失敗している。

公開市場への復帰と、持株会社体制への移行

2003年2月、同社は日本証券業協会に株式を店頭登録した。証券コードは6729である。2004年12月には、店頭市場の取引所化に伴いジャスダック証券取引所への上場に移っている。個人が買い取った非公開の音響メーカーが、10年をかけて公開市場に戻った。上場は設備投資と買収のための資金調達路を開くと同時に、四半期ごとに縮小市場での成績を問われる立場に同社を置いた。市場が縮んでいる産業で上場を維持するには、市場の縮小より速く自社を伸ばすか、縮小の外側に新しい売上を見つけるしかない。2000年代後半に同社が音響以外の領域へ手を伸ばした背景には、上場企業として毎期の成長を示し続けなければならないこの構造がある。 [34]

2010年10月、オンキヨー株式会社は単独株式移転により持株会社を設立し、大阪証券取引所JASDAQ市場に新規上場した。続く同年12月、事業会社を分割してAV事業・OEM事業・パソコン事業・国内販売事業をそれぞれ別会社へ承継させ、純粋持株会社制へ移行している。事業ごとに損益と資本を切り分ける構えを、この時点で整えた。3年後の2013年7月には、東京証券取引所と大阪証券取引所の統合に伴い東証JASDAQへ上場市場が移っている。持株会社の下に事業会社を並べる形は、事業ごとの採算を外から見えやすくし、必要なら一部だけを切り出すこともできる。 [35]

  • 有価証券報告書
    • [35]2010年10月に単独株式移転で持株会社を設立し大阪証券取引所JASDAQ市場へ新規上場、同年12月に純粋持株会社制へ移行、2013年7月に東証JASDAQへ

事業を別会社に分けて持つ構えは、後に事業単位での売却を容易にした。2018年10月に欧州のAV販売事業をドイツの販売会社へ譲り、2019年3月にOEM子会社群を手放し、2021年5月にホームAV事業そのものを売る ── いずれもこの組織の上で実行されている。持株会社化の目的は本来、事業ごとの採算を明らかにして経営資源の配分を精緻にすることにあった。結果として最も使われたのは、切り離して売る機能のほうである。持株会社の形は、10年後に事業を切り離して売るときの手順をそのまま用意していた。 [36]

  • 有価証券報告書
    • [36]2018年10月に欧州AV販売事業をAqipa GmbHへ譲渡、2019年3月にOEM子会社群をオンキヨーデジタルソリューションズへ譲渡、2021年5月にホームAV事業を譲渡
    • [34]2003年2月に日本証券業協会へ店頭登録(証券コード6729)、2004年12月にジャスダック証券取引所へ上場
  • 有価証券報告書
    • [35]2010年10月に単独株式移転で持株会社を設立し大阪証券取引所JASDAQ市場へ新規上場、同年12月に純粋持株会社制へ移行、2013年7月に東証JASDAQへ
    • [36]2018年10月に欧州AV販売事業をAqipa GmbHへ譲渡、2019年3月にOEM子会社群をオンキヨーデジタルソリューションズへ譲渡、2021年5月にホームAV事業を譲渡

2011年〜 パイオニアのAV事業を引き受け、規模の拡大が市場の縮小に届かなかった最終期

  1. 2012年米Gibson Guitarと資本・業務提携を締結し、ONKYO U.S.A. CORPORATIONの株式の一部を譲渡。ティアックとも資本・業務提携を結ぶ
  2. 2014年パイオニアと資本・業務提携契約を締結する。当初のファンド主導のスキームを組み替え、全株取得へ方針を変更した
  3. 2015年パイオニアホームエレクトロニクスの全株式を取得し、パイオニアのホームAV事業・電話機事業・ヘッドホン関連事業を統合。オンキヨー&パイオニアが発足する
  4. 2020年ホームAV事業を担うオンキヨー&パイオニアを吸収合併して商号をオンキヨーホームエンターテイメントに変更し、OEM事業をオンキヨーサウンド、AI・ハイレゾ配信などをオンキヨー株式会社へ新設分割する
  5. 2021年主力のホームAV事業を、シャープと米VOXX Internationalが折半出資する新会社へ33億2,300万円で譲渡することを決議する
  6. 2021年東証JASDAQ市場での上場を廃止する
  7. 2022年大阪地方裁判所へ破産手続開始を申し立て、同日開始決定を受ける。負債総額は約31億5,160万円、債権者は約500名

オンキヨーの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

縮む市場で規模を取る ── ファンドを退けた全株取得

2013年の音響機器の国内出荷額は1017億円で、1988年の6620億円から約6分の1に縮んでいた。スマートフォンとイヤホンがあれば音楽が聴ける時代に入り、コンポを置く部屋そのものが減っている。25年で市場の85%が消えた産業で、同社は撤退ではなく統合を選んだ。残る需要を1社に集めれば、開発費と固定費を分け合える相手が減る前に規模を確保できる。この時期の音響機器業界には投資ファンドが相次いで参入しており、デノンとマランツを抱えるディーアンドエムホールディングス、JVCケンウッド、資本業務提携先のティアックがいずれもファンドの下で再建を経験していた。 [37][38]

  • 週刊東洋経済 2014年11月21日号「市場縮小が出番を後押し ファンドが群がる音響機器業界」
    • [37]音響機器の国内出荷額は1988年の6620億円をピークに2013年には1017億円まで縮小(JEITA)
    • [38]D&MホールディングスはリップルウッドとフィリップスLB、JVCケンウッドはスパークス・グループ、ティアックはフェニックス・キャピタルの下で再建を経験

2014年11月、同社はパイオニアと資本・業務提携契約を結んだ。売り手側の事情も切迫している。パイオニアはプラズマテレビに累計1000億円超をつぎ込んだ末に2009年に完全撤退しており、車載事業へ集中するためホームAV事業を手放す必要があった。祖業のスピーカーを含む音響機器事業を中堅のオンキヨーへ、世界シェア6割・営業利益率20%超という好採算のDJ機器事業を米投資ファンドへ590億円で振り分ける整理である。オンキヨーは、売り手が最も手放したかった側の事業を引き受けた。移籍を含めて約2200人を削減する見通しも、同時に示されている。 [39][40]

  • 有価証券報告書
    • [39]2014年11月にパイオニアと資本・業務提携契約を締結
  • 週刊東洋経済 2014年10月17日号「核心リポート02 残るは車載事業のみ パイオニア最後の賭け」
    • [40]パイオニアはプラズマ事業に累計1000億円超を投じ2009年に完全撤退。DJ機器事業は世界シェア6割・営業利益率20%超で590億円で売却、ホームAVはオンキヨーへ

買収のスキームは途中で組み替えられている。2014年6月に発表された当初案では、香港のベアリング・プライベート・エクイティ・アジアがパイオニア子会社株式の過半を握り、オンキヨーの出資は少額にとどまるはずだった。これを全株取得へ変えたのが、当時44歳の大朏宗徳社長である。同社長はファンドとパイオニア双方の幹部に自ら掛け合ったと伝えられる。ファンドを噛ませれば資金負担は軽くなるが、関係者が増えれば事業の舵取りに制約がかかる。「日本の音響機器メーカーは多すぎる。日本連合を作りたい」と公言していた同社長は、短期的な経済合理性より中期の戦略を実現する機動性を優先した。この判断が、後に資金繰りの逃げ道を狭める。 [41][42]

  • 週刊東洋経済 2014年11月21日号「市場縮小が出番を後押し ファンドが群がる音響機器業界」
    • [41]当初案(2014年6月)はベアリングPEアジアが過半を握りオンキヨーは少額出資。大朏宗徳社長(当時44歳)がスキーム見直しを主導し全株取得に変更
    • [42]大朏宗徳社長の発言「日本の音響機器メーカーは多すぎる。日本連合を作りたい」
  • 週刊東洋経済 2014年11月21日号「市場縮小が出番を後押し ファンドが群がる音響機器業界」
    • [37]音響機器の国内出荷額は1988年の6620億円をピークに2013年には1017億円まで縮小(JEITA)
    • [38]D&MホールディングスはリップルウッドとフィリップスLB、JVCケンウッドはスパークス・グループ、ティアックはフェニックス・キャピタルの下で再建を経験
    • [41]当初案(2014年6月)はベアリングPEアジアが過半を握りオンキヨーは少額出資。大朏宗徳社長(当時44歳)がスキーム見直しを主導し全株取得に変更
    • [42]大朏宗徳社長の発言「日本の音響機器メーカーは多すぎる。日本連合を作りたい」
  • 有価証券報告書
    • [39]2014年11月にパイオニアと資本・業務提携契約を締結
  • 週刊東洋経済 2014年10月17日号「核心リポート02 残るは車載事業のみ パイオニア最後の賭け」
    • [40]パイオニアはプラズマ事業に累計1000億円超を投じ2009年に完全撤退。DJ機器事業は世界シェア6割・営業利益率20%超で590億円で売却、ホームAVはオンキヨーへ

規模は取れたが、固定費が残った統合後の6年

2015年3月、同社はパイオニアホームエレクトロニクスの全株式を取得し、ホームAV事業・電話機事業・ヘッドホン関連事業を統合した。連結売上高は2015年3月期の356億円から2016年3月期には644億円へ、1年で1.8倍に増えている。統合の狙いどおり規模は取れた。国内の音響専業では突出した売上を持つ会社となり、ONKYOとPioneerという2つのブランドを同時に扱う体制も整った。国内で戦う相手はディーアンドエムホールディングス、JVCケンウッド、ティアックに絞られ、この時点までは縮小市場で残存者になるという構想が成立しているように見えた。 [43]

  • 有価証券報告書
    • [43]2015年3月にパイオニアホームエレクトロニクスの全株式を取得し、ホームAV・電話機・ヘッドホン関連事業を統合

しかし利益は戻らなかった。売上が644億円に達した2016年3月期も経常損失22億円・純損失11億円を計上している。特別利益で最終損益を34百万円の黒字に乗せた2019年3月期を除けば、2021年3月期まで赤字が続いた。営業利益が黒字だったのは2017年3月期の8億円のみである。統合で増えたのは売上だけでなく、生産拠点・販売網・開発部隊という固定費でもあった。縮小市場で規模を取る策は、増えた固定費を上回る速さで市場が縮めば逆に働く。2019年12月の時点で、同社は「オーディオ市場が縮小する中、競合だったパイオニアの同事業を買収して打開を図った。が、固定費の増加が裏目に出て営業損失に苦しんでいる」と評され、継続企業の前提に疑義注記が付く会社の一覧に名前が載っていた。 [44][45]

  • オンキヨー株式会社 有価証券報告書 第7期(2017年3月期)【連結損益計算書】
    • [44]2017年3月期の営業利益は770百万円(約8億円)。前期2016年3月期は2,029百万円の営業損失、2018年3月期以降2021年3月期まではすべて営業損失で、2016年3月期以降の期間で営業黒字は2017年3月期のみという記述と一致
  • 週刊東洋経済 2019年12月14日号「危うい会社6 疑義注記&重要事象 監査法人がイエローカード」
    • [45]記事本文「音響機器の老舗、オンキヨーはオーディオ市場が縮小する中、競合だったパイオニアの同事業を買収して打開を図った。が、固定費の増加が裏目に出て営業損失に苦しんでいる」と逐語一致。同記事の該当箇所は「疑義注記がある会社のリスト」の解説部分。2019年3月期有報にも「継続企業の前提に関する事項」の注記があり「継続企業の前提に関する重要な不確実性が認められます」と記載されているため、疑義注記が付いていたことは一次資料でも裏付けられる

統合そのものが誤りだったと言い切るのは早い。単独で残っていれば、356億円の売上と縮み続ける市場を前に、次世代規格へ対応する開発費を負担できる規模を保てなかった可能性が高い。誤算は統合の是非だけにあったのではない。2018年5月には資本提携先の米Gibson Brandsが連邦破産法第11章の適用を申請した。保有株は前年11月以降に減損済みで2018年3月末の帳簿価格は0円だったため業績への直接の影響はないが、提携から引き出せる支援は破綻を待たずに尽きていた。さらに2019年5月に米Sound Unitedへ約81億7,500万円で合意したホームAV事業の譲渡は、条件達成が難航して同年10月に中止となる。売却代金を前提に組んだ資金繰りが振り出しに戻り、手元資金の薄い会社にとってこの空転は重い打撃となった。 [46]

  • 帝国データバンク「倒産速報 オンキヨーホームエンターテイメント株式会社」2022年5月13日
    • [46]2018年5月に資本提携先の米Gibson Brandsが連邦破産法第11章の適用を申請、2019年10月にホームAV事業の譲渡が中止
  • 有価証券報告書
    • [43]2015年3月にパイオニアホームエレクトロニクスの全株式を取得し、ホームAV・電話機・ヘッドホン関連事業を統合
  • オンキヨー株式会社 有価証券報告書 第7期(2017年3月期)【連結損益計算書】
    • [44]2017年3月期の営業利益は770百万円(約8億円)。前期2016年3月期は2,029百万円の営業損失、2018年3月期以降2021年3月期まではすべて営業損失で、2016年3月期以降の期間で営業黒字は2017年3月期のみという記述と一致
  • 週刊東洋経済 2019年12月14日号「危うい会社6 疑義注記&重要事象 監査法人がイエローカード」
    • [45]記事本文「音響機器の老舗、オンキヨーはオーディオ市場が縮小する中、競合だったパイオニアの同事業を買収して打開を図った。が、固定費の増加が裏目に出て営業損失に苦しんでいる」と逐語一致。同記事の該当箇所は「疑義注記がある会社のリスト」の解説部分。2019年3月期有報にも「継続企業の前提に関する事項」の注記があり「継続企業の前提に関する重要な不確実性が認められます」と記載されているため、疑義注記が付いていたことは一次資料でも裏付けられる
  • 帝国データバンク「倒産速報 オンキヨーホームエンターテイメント株式会社」2022年5月13日
    • [46]2018年5月に資本提携先の米Gibson Brandsが連邦破産法第11章の適用を申請、2019年10月にホームAV事業の譲渡が中止

主力事業の売却、上場廃止、そして創業76年目の破産

2020年3月期の売上は、前期の438億円から218億円へ半減した。主な要因は2018年10月の欧州子会社の事業譲渡と2019年3月の国内子会社2社の譲渡で、構造改革として自ら手放した売上である。同年10月、同社はホームAV事業を担うオンキヨー&パイオニアを吸収合併して商号をオンキヨーホームエンターテイメントに改め、OEM事業をオンキヨーサウンドへ、AI・ハイレゾ配信などをオンキヨー株式会社へ新設分割している。2010年に整えた持株会社の構えを使い、売れる単位に事業を切り分ける作業だった。続く2021年3月期は、新型コロナウイルスによる工場の一時操業停止と海外販売代理店の販売活動制限が重なり、売上が89億円まで落ちる。統合前の356億円の4分の1しか残っていない。 [47]

  • 有価証券報告書
    • [47]2020年10月にオンキヨー&パイオニアを吸収合併し商号をオンキヨーホームエンターテイメントへ変更、OEM事業とその他事業を新設分割

2021年5月26日、同社は主力のホームAV事業を、シャープと米VOXX Internationalが折半出資する新会社へ33億2300万円で譲渡することを決めた。1948年のスピーカー第1号機から数えて73年続いた本業を手放した。譲渡額は、6年前にパイオニアのホームAV事業を取り込んだときに増えた売上288億円の1割強にすぎない。同年6月30日、東京証券取引所は2期連続の債務超過を理由に上場廃止を決定し、8月1日に上場が廃止された。2003年の株式公開から18年、持株会社としての再上場から11年だった。 [48][49]

上場廃止後も、オンキヨーホームエンターテイメントは事業と資産を売って債務の圧縮を続けたが、完済には届かなかった。国内販売とOEMを担う子会社2社が2022年2月に事業を停止し、3月に破産手続開始決定を受けている。同年5月13日、オンキヨーホームエンターテイメントは大阪地方裁判所へ破産手続開始を申し立て、同日決定を受けた。負債総額は約31億5160万円、債権者は約500名だった。1946年に大阪の小さな工場でコーン紙を漉くところから始まった会社が、76年で法人としての歴史を終えている。ONKYOの商標は新設分割で生まれたオンキヨー株式会社と譲渡先の合弁会社に引き継がれ、製品としては今も市場に残る。 [50][51]

    • [50]2022年5月13日に大阪地方裁判所へ破産手続開始を申し立て同日決定。帝国データバンク原文は「負債は債権者約500名に対し(クラウドファンディングで支援したもののリターン製品の未受領者も含む)、約31億5160万11円」。子会社2社は2022年2月に事業停止、3月に破産決定
  • オンキヨー株式会社 有価証券報告書 第87期(2010年3月期)【沿革】
    • [51]創業は1946年9月、破産手続開始決定は2022年5月13日で経過は75年8か月=76年目。本文の「76年で法人としての歴史を終えている」と整合する一方、この節の sub_title「主力事業の売却、上場廃止、そして75年目の破産」は1年ずれている
  • 有価証券報告書
    • [47]2020年10月にオンキヨー&パイオニアを吸収合併し商号をオンキヨーホームエンターテイメントへ変更、OEM事業とその他事業を新設分割
  • NEXT MOBILITY「オンキヨー、シャープらにホームAV事業を譲渡」2021年5月26日
    • [48]2021年5月26日にホームAV事業をシャープと米VOXX Internationalの合弁新会社へ33億2300万円で譲渡することを決議
    • [49]2021年6月30日に東京証券取引所が2期連続の債務超過により上場廃止を決定し、8月1日に上場廃止。債務超過は有報でも裏付けられ、2020年3月期末の純資産は△3,355百万円、2021年3月期末も自己資本△2,452百万円で2期連続
    • [50]2022年5月13日に大阪地方裁判所へ破産手続開始を申し立て同日決定。帝国データバンク原文は「負債は債権者約500名に対し(クラウドファンディングで支援したもののリターン製品の未受領者も含む)、約31億5160万11円」。子会社2社は2022年2月に事業停止、3月に破産決定
  • オンキヨー株式会社 有価証券報告書 第87期(2010年3月期)【沿革】
    • [51]創業は1946年9月、破産手続開始決定は2022年5月13日で経過は75年8か月=76年目。本文の「76年で法人としての歴史を終えている」と整合する一方、この節の sub_title「主力事業の売却、上場廃止、そして75年目の破産」は1年ずれている

オンキヨーの沿革1946〜2022年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
五代武が大阪市都島区に株式会社大阪電気音響社を設立。松下電器産業の出身で、コーン紙まで内製するスピーカーづくりから出発した★★★
商号を大阪音響株式会社に変更する★★
スピーカー第1号機を完成させる★★
本社と本社工場を大阪市旭区に移転する
株式会社東芝と資本提携し、東芝グループの傘下に入る★★★
大阪府寝屋川市に香里工場を新設する
大阪府寝屋川市に日新工場を新設する
商号をオンキヨー株式会社に変更する★★
ドイツに販売会社 ONKYO EUROPE ELECTRONICS GMBH を設立し、海外展開に踏み出す★★★
本社を大阪府寝屋川市に移転し、音響技術研究所(現:開発センター)を設置する
ソウルの韓国輸出産業公団内に合弁の韓国音響株式会社を設立(日本側50%・韓国側50%、資本金3億ウォン)。国内では採算の合わない中級品スピーカーの生産を移した★★
アメリカに販売会社 ONKYO U.S.A. CORP. を設立する★★
アメリカに生産会社 ONKYO AMERICA, INC. を設立し、最大市場である米国での現地生産に踏み込む★★
三重県津市に生産会社オンキョーエレクトロニクス株式会社を設立する
鳥取県倉吉市に生産会社の鳥取オンキヨー株式会社を設立する
マレーシアに生産会社 ONKYO (MALAYSIA) SDN. BHD. を設立し、東南アジアでの生産を始める★★
マレーシアに生産会社 ONKYO ELECTRIC (MALAYSIA) SDN. BHD. を設立する★★
株式会社東芝との資本提携を解消。テクノグループ代表の大朏直人が個人で株式を取得し、6月18日の株主総会後の取締役会で社長に就任した★★★
ハイコンポシステム(商品名 INTEC275)の販売を開始する。単品コンポの音質をセット価格で組める製品群として、以後のオンキヨーの主力商品ラインになった★★★
オンキョーリブ株式会社を設立する
LUCASFILM LTD.(現:THX LTD.)との技術提携により、世界初の民生用THXシステム搭載レシーバー(TX-SV919THX)の販売を開始する★★★
マイクロ・ハイコンポシステム(商品名 INTEC185)の販売を開始し、INTEC の裾野をより小型・低価格の帯域に広げる★★
ビジネスネットワークテレコム株式会社を設立し、通信事業に参入する
香港の販売会社 ONKYO CHINA LTD. の3分の1の株式を取得する
OMFコーンスピーカーの製造販売を開始する★★
日新・香里両工場跡地の有効利用を目的として不動産賃貸事業を開始する
パソコン用オーディオボードの販売を開始する。後年のPC事業の起点となった★★
東京都中央区に自社ビル(オンキヨー八重洲ビル)を取得する
アメリカの生産会社 ONKYO AMERICA, INC. の株式を譲渡し、米国での自社生産から手を引く★★
マレーシアの生産会社 ONKYO SHAH ALAM (MALAYSIA) SDN. BHD.(現:ONKYO ASIA ELECTRONICS SDN. BHD.)の株式を取得する
業界初のドルビープロロジックII対応ホームシアターシステム(商品名 GXW-5.1)の販売を開始する★★
上海に生産会社の上海恩橋電子有限公司(現:上海安橋電子有限公司)を設立する
ビジネスネットワークテレコム株式会社の株式を譲渡し、通信事業から撤退する
マイクロ・ホームシアターシステム(商品名 BASE-V10)の販売を開始する
日本証券業協会に株式を店頭登録する(証券コード6729)。公募価格1,050円で50万株を一般募集した
プラス産業株式会社および中山福朗声紙盆有限公司の株式を取得し、スピーカーのコーン紙を含む部材の内製基盤を固める
上海に販売会社の上海安橋国際貿易有限公司を設立し、中国国内の販売網を整える
日本証券業協会への店頭登録を取り消し、ジャスダック証券取引所に株式を上場する
高品質音楽配信サービス(現サービス名 e-onkyo music)を開始し、ハイレゾ配信に先鞭をつける★★★
株式会社Jストリームとの合弁で株式会社CO3を設立し、音楽配信の周辺事業を広げる
オンキョーリブ株式会社が商号をオンキヨーマーケティング株式会社に変更する
株式会社ソーテックの株式を取得し、パソコン事業へ参入する★★★
大朏直人が率いていたテクノエイト株式会社の株式を取得し連結子会社とする★★
株式会社ソーテックの株式を追加取得し完全子会社とする
株式会社ソーテックを吸収合併し、パソコン事業を本体に取り込む★★★
テクノエイト株式会社の全株式を譲渡する
パソコン製品に「ONKYO」ブランドを本格展開し、カンパニー制を導入する★★
大朏宗徳ジャスダック証券取引所と大阪証券取引所の合併に伴い、大阪証券取引所JASDAQ市場に上場する
大朏宗徳オンキヨー株式会社が単独株式移転により持株会社を設立し、大阪証券取引所JASDAQ市場に新規上場する★★★
大朏宗徳事業会社を分割し、AV事業・OEM事業・PC事業・国内販売事業を各社へ承継させて純粋持株会社制へ移行する★★
大朏宗徳米Gibson Guitarと資本・業務提携を締結し、ONKYO U.S.A. CORPORATIONの株式の一部を譲渡。ティアックとも資本・業務提携を結ぶ★★
大朏宗徳本社機能を大阪市中央区へ移転し、寝屋川の技術センターとの二拠点体制とする
大朏宗徳韓国Moneualとの合弁でMoneual Onkyo Lifestyle Inc.を設立する
大朏宗徳オンキヨーサウンド&ビジョンの設計・技術部門をデジタル・アコースティックへ承継し、残る事業を持株会社オンキヨーへ吸収合併する
大朏宗徳デジタル・アコースティック株式の一部をティアックへ譲渡し、欧州法人がTEACからコンシューマーオーディオ製品の販売事業を譲り受ける
大朏宗徳東京証券取引所と大阪証券取引所の統合に伴い、東証JASDAQ(スタンダード)へ上場市場が移る
大朏宗徳英Imagination Technologies Groupと資本提携契約を締結する
大朏宗徳パイオニアと資本・業務提携契約を締結する。当初のファンド主導のスキームを組み替え、全株取得へ方針を変更した★★
大朏宗徳Pioneer & Onkyo U.S.A. Corporationを米国デラウェア州に設立する
大朏宗徳パイオニアホームエレクトロニクスの全株式を取得し、パイオニアのホームAV事業・電話機事業・ヘッドホン関連事業を統合。オンキヨー&パイオニアが発足する★★★
大朏宗徳河合楽器製作所と資本業務提携契約を締結する
大朏宗徳インドMinda Industriesとの合弁でMinda Onkyo India Private Limitedを設立する
大朏宗徳オンキヨー&パイオニアテクノロジーのホームAV技術設計部門を持株会社オンキヨーへ移管し、オンキヨーマーケティングの全株式をオンキヨーデジタルソリューションズへ譲渡する
大朏宗徳オンキヨースポーツ株式会社を設立する
大朏宗徳資本提携先の米Gibson Brandsが連邦破産法第11章の適用を申請する★★
大朏宗徳欧州法人のAV機器販売事業をドイツの販売会社Aqipa GmbHへ譲渡する★★
大朏宗徳オンキヨーディベロップメント&マニュファクチャリングと傘下2社をオンキヨーデジタルソリューションズへ譲渡する
大朏宗徳ホームAV事業を米Sound Unitedと持株会社Viper Holdingsへ約81億7,500万円で譲渡することに合意する★★
大朏宗徳譲渡実行に必要な条件の達成が難航し、Sound UnitedへのホームAV事業譲渡が中止となる★★
大朏宗徳5株を1株に併合する株式併合を実施する★★
大朏宗徳ホームAV事業を担うオンキヨー&パイオニアを吸収合併して商号をオンキヨーホームエンターテイメントに変更し、OEM事業をオンキヨーサウンド、AI・ハイレゾ配信などをオンキヨー株式会社へ新設分割する★★★
主力のホームAV事業を、シャープと米VOXX Internationalが折半出資する新会社へ33億2,300万円で譲渡することを決議する★★★
2期連続の債務超過により、東京証券取引所が上場廃止を決定する★★
東証JASDAQ市場での上場を廃止する★★★
国内販売とOEMを担う子会社2社が事業を停止し、破産手続開始決定を受ける★★
大阪地方裁判所へ破産手続開始を申し立て、同日開始決定を受ける。負債総額は約31億5,160万円、債権者は約500名★★★
出典・参考

免責事項およびポリシー