シントムの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

元請けが退く局面で、国内の競争を避けて売り先を海外へ移した会社である。1957年に東芝の協力工場としてカーラジオを始めたが、クラリオン・松下電器産業・日立製作所の参入で東芝のシェアは落ち、東芝はカーラジオからの撤退を決めた。設備投資を済ませていた新東京無線は、国内で大手と競う負担と手形回収の長さを避け、1965年1月に輸出業務を始める。その結果、売上高は1965年の207百万円から1967年に976百万円へ伸び、同年1月にはカーステレオ単体の製造にも着手した。

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