決断
作る機能から順に外へ出し、最後は資産だけが残った。1985年10月期に経常赤字へ転じる。同年6月に福島事業所の郡山工場を郡山物流センターへ改め、1986年8月には福島・静岡の両生産事業所と物流を3社へ分離した。1988年10月期に債務超過へ落ち、1989年10月に英ポリーペックへ株式の51パーセントを譲渡した。1992年6月に香港のセミテック・グループの下へ移ると、1993年10月に杉並区和泉の旧本店の土地建物を、1997年10月に米国子会社の全株式を売却する。本店の所在地は10年で5回変わっている。2001年11月にグランデ・グループの資本参加を受け、翌12月に福島工場を閉鎖して自社生産から撤退した。連結売上高は2003年12月期の8億5,400万円を最後の山に、2010年12月期には4,000万円、連結の従業員は5人まで減った。
2001年11月 福島工場閉鎖し生産撤退
福島工場閉鎖し生産撤退資金の出し手が親会社側に限られるなかで、生産設備と海外子会社を手放し、ブランドの管理に事業を集中した縮小の判断同じ経営論点に直面した企業 | 構造改革・リストラ業績の推移2001 2006 売上高(億円) 2 4 経常利益率(%) -505.6 -16.8 1989年10月 英ポリーペックへ株式譲渡