船井電機の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

円高に追われ続け、危機のたびに作り方と売り先を組み替えてきた。1971年のニクソンショックが輸出を直撃すると、1973年の変動相場制移行を機に工場を台湾やシンガポールへ移転した。国内の製造部門は縮小され、労使の対立は20年に及んだ。並行して工程ごとの検査個所を増やしラインを最大速度で回すFPSを築き、津山工場では従業員が約150人のまま1人1日あたりのVTR生産台数が1985年の16.7台から1989年に73.7台へ伸びた。1987年には製パン器とVTRで国内市場へ参入した。安く作る力を輸出でも国内でも同じ差別化要因として使い回したことが、この会社の強さであり限界でもあった。

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