決断
装置を売るために、その装置で流す中身の側へ資本を入れてきた。1948年1月、飛行機の生産が止まった中島飛行機へ滝澤左内氏が共同研究を持ちかけ、わが国最初のカーラジオを作った。1963年10月に開発したカーステレオは、国内のレコード会社が音楽テープの供給に応じず、ロサンゼルスのマンツ社と提携してテープを確保し、まず米国へ売り出した。日本コロムビアの承諾も得て、売上は1969年9月期にカーラジオを上回った。1978年からは送受信機を売るために米国のペイテレビ会社へ自ら出資したが、利用者は採算を確保できる4万5,000世帯に達せず、1984年9月期に11億7,000万円の特別損失を計上して撤退した。中身を先に手当てする手順は、テープでは市場を開拓し、放送では損失で終わった。