クラリオン:カーステレオ首位と日産自動車への筆頭株主交代
1962年〜自動車ラジオが売上の74%を占めた上場時
帝国電波は1962年8月2日、東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した。上場時の資本金は8,000万円、上場株式数は160万株、従業員は517名で、決算期は9月30日である。1961年9月期の製品別売上比率は自動車ラジオ74%、バス・宣伝車用拡声装置15%、工業計器2%、部品その他9%だった。1962年9月期の売上高は15億円。上場に先立つ1960年8月には埼玉県蕨市に蕨工場を新設し、カーラジオの量産を開始した。1962年4月と8月の2度の増資で、資本金は1,900万円から8,000万円へ増えた。
- クラリオン 有価証券報告書【沿革】
- [1]1962年8月2日、東京証券取引所市場第二部に株式上場
- 証券 1962年 14(9)(160) 新規上場会社紹介
- [2]上場時の資本金80,000千円、上場株式数1,600千株、従業員517名(1962年3月31日現在)、決算期9月30日
- [3]1961年9月期実績の製品別比率は自動車ラジオ74%、バス・宣伝車用拡声装置15%、工業計器2%、部品その他9%
- [5]1960年8月に埼玉県蕨市へ蕨工場を設置し量産体制を整備
- [6]資本金は1961年12月に19,000千円、1962年4月に58,000千円、1962年8月に80,000千円へ増加
- 会社年鑑(1967年版)
- [4]1962年9月期の売上高15億円
自動車ラジオでの帝国電波の順位は神戸工業と松下通信工業に次ぐ3位で、占有率は20%程度と推定された。これに対しバス・宣伝車用拡声装置は全国生産の79%を占め、首位に立っていた。販売先の内訳は、日産自動車・プリンス・富士重工・ダイハツ・東洋工業といった自動車メーカーへの直接販売が34.9%、自動車ディーラーが20.2%、官公庁が7.2%、代理店経由が34.8%、輸出が7.9%。完成車メーカーへの純正納入は、1952年に日野自動車工業と結んだルノー4CV車用カーラジオの契約から始まった。
- 証券 1962年 14(9)(160) 新規上場会社紹介
- [7]自動車ラジオでは神戸工業、松下通信に次いで第3位、占有率20%程度と推定
- [8]バス・宣伝車用拡声装置は全国生産の79%を占め業界首位
- [9]販路は自動車メーカー直販34.9%(日産、プリンス、富士重工、ダイハツ、東洋工業)、自動車ディーラー20.2%、官公庁7.2%、代理店経由34.8%、輸出7.9%
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)3編「帝国電波」
- [10]1952年に日野自動車工業とルノー4CV車用カーラジオの純正納入契約を結び製造納入
上場時の筆頭株主は滝澤左内社長で、発行済160万株のうち38.3%にあたる612,780株を持っていた。2位の今村久義氏が111,360株、3位の下田俊雄常務が68,160株、4位の福洋音響が65,040株と続き、上位5名のうち法人は福洋音響1社にとどまった。取締役8名のうち3名が滝澤姓で、監査役は斎藤清次郎氏と渡辺五三九氏の2名である。授権株式数は464万株、未発行株式数は304万株。取引銀行は協和銀行、住友銀行、富士銀行、埼玉銀行の4行。配当率は前期の30%から1961年9月期に50%へ上げた。
- 証券 1962年 14(9)(160) 新規上場会社紹介
- [11]1962年5月22日現在の大株主筆頭は滝沢左内612,780株(上場株式数1,600千株)
- [12]大株主2位今村久義111,360株、3位下田俊雄68,160株、4位福洋音響65,040株、5位渡辺五三九24,840株
- [13]役員は社長滝沢左内、常務下田俊雄、取締役中村栄一郎・武見喜代治・小山田豊・滝沢将一・加藤藤市・滝沢孝の8名、監査役斎藤清次郎・渡辺五三九の2名
- [14]授権株式数4,640千株、未発行株式数3,040千株
- [15]取引銀行は協和銀行、住友銀行、富士銀行、埼玉銀行
- [16]配当率は1961年9月期50%、1960年9月期30%
参考文献[1]-[16]
- クラリオン 有価証券報告書【沿革】
- [1]1962年8月2日、東京証券取引所市場第二部に株式上場
- 証券 1962年 14(9)(160) 新規上場会社紹介
- [2]上場時の資本金80,000千円、上場株式数1,600千株、従業員517名(1962年3月31日現在)、決算期9月30日
- [3]1961年9月期実績の製品別比率は自動車ラジオ74%、バス・宣伝車用拡声装置15%、工業計器2%、部品その他9%
- [5]1960年8月に埼玉県蕨市へ蕨工場を設置し量産体制を整備
- [6]資本金は1961年12月に19,000千円、1962年4月に58,000千円、1962年8月に80,000千円へ増加
- [7]自動車ラジオでは神戸工業、松下通信に次いで第3位、占有率20%程度と推定
- [8]バス・宣伝車用拡声装置は全国生産の79%を占め業界首位
- [9]販路は自動車メーカー直販34.9%(日産、プリンス、富士重工、ダイハツ、東洋工業)、自動車ディーラー20.2%、官公庁7.2%、代理店経由34.8%、輸出7.9%
- [11]1962年5月22日現在の大株主筆頭は滝沢左内612,780株(上場株式数1,600千株)
- [12]大株主2位今村久義111,360株、3位下田俊雄68,160株、4位福洋音響65,040株、5位渡辺五三九24,840株
- [13]役員は社長滝沢左内、常務下田俊雄、取締役中村栄一郎・武見喜代治・小山田豊・滝沢将一・加藤藤市・滝沢孝の8名、監査役斎藤清次郎・渡辺五三九の2名
- [14]授権株式数4,640千株、未発行株式数3,040千株
- [15]取引銀行は協和銀行、住友銀行、富士銀行、埼玉銀行
- [16]配当率は1961年9月期50%、1960年9月期30%
- 会社年鑑(1967年版)
- [4]1962年9月期の売上高15億円
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)3編「帝国電波」
- [10]1952年に日野自動車工業とルノー4CV車用カーラジオの純正納入契約を結び製造納入
1963年〜音楽テープの調達がカーステレオを決めた
帝国電波は1963年10月、国内で最初のカーステレオを開発した。1964年に発売したものの、当初の販売先は輸出に限られた。国内のレコード会社がレコードの売行き減を理由に音楽テープの供給へ応じず、中身となるテープが手に入らなかったためである。滝澤左内社長はロサンゼルスのマンツ社と提携して同社から音楽テープの供給を受け、まず米国市場へ売り込んだ。1964年1月には米国にClarion Corporation of Americaを設立している。カーステレオの売上は1964年9月期で1億6,000万円弱にとどまった。
- クラリオン 有価証券報告書【沿革】
- [17]1963年10月、わが国最初のカーステレオを開発
- [21]1964年1月、Clarion Corporation of Americaを設立
- 証券アナリストジャーナル 1967年(滝澤左内 社長・講演)
- [18]1964年に発売したカーステレオは当初輸出のみで、国内販売は行わなかった
- [19]国内では音楽テープの供給がなく、レコード会社はレコードが売れなくなるとして音楽テープの供給に二の足を踏んだ
- [20]ロサンゼルスのマンツ社と提携し、同社から音楽テープの供給を受けてアメリカ市場に売り込むことから始めた
- 週刊日本経済 1970年4月16日号 23(16)(945)
- [22]カーステレオの1964年9月期売上は1億6,000万円たらず
米国での売行きから国内でも売れると判断した滝澤左内社長は、日本コロムビアに音楽テープの供給を繰り返し求め、納入の承諾を得た。納入量は当初の月5,000巻から1967年には月2万5,000巻へ増え、日本クラウンから月2万巻、日本放送からも供給を受けた。帝国電波はカーステレオ1台にテープ1巻を無料で添えており、1台あたり2巻の追加購入を見込むと、月産3万5,000台の水準では毎月10万巻の音楽テープが要った。テープはプレスで量産できるレコードと違って録音に時間がかかり、30分物を12分以内で録音することはできなかった。
- 証券アナリストジャーナル 1967年(滝澤左内 社長・講演)
- [23]アメリカ市場での売れ行きから日本でも売れると確信し、日本コロムビアに音楽テープの供給を再三再四懇請して供給を受けられるようになった
- [24]日本コロムビアからの納入は当初月5,000巻、1967年時点で月2万5,000巻。ほかに日本クラウンから2万巻、日本放送からも納入
- [25]カーステレオ1台につきテープ1巻を無料添付。1台につき2巻出るとすれば月産3万5,000台で計10万巻の音楽テープが毎月必要
- [26]レコードはプレスで生産できるがテープは録音のため時間がかかり、30分物のテープを12分以内で録音することは不可能
カーステレオの売上は1966年9月期の8億5,000万円から1967年9月期に21億2,000万円、1968年9月期に46億2,000万円、1969年9月期には71億5,000万円へ伸び、同期にカーラジオの51億1,000万円を初めて上回った。会社全体の売上高も1965年9月期の31億円から1969年9月期には156億円と5年で5倍になり、経常利益は2億円から12億円へ増えた。増産に応じるため1967年9月、9億5,000万円を投じて埼玉県戸田市に埼玉事業所を新設し、カーラジオの生産能力を月産15万台へ引き上げた。1968年3月には国内で最初のカセットカーステレオを発売した。
- 週刊日本経済 1970年4月16日号 23(16)(945)
- [27]カーステレオ売上は1966年9月期8億5,000万円、1967年9月期21億2,000万円、1968年9月期46億2,000万円、1969年9月期71億5,000万円。1969年9月期に初めてカーラジオの51億1,000万円を抜き首位
- 会社年鑑(1976年版)
- [28]売上高は1965年9月期31億円、1969年9月期156億円。経常利益は1965年9月期2億円、1969年9月期12億円
- 証券アナリストジャーナル 1967年(滝澤左内 社長・講演)
- [29]9億5,000万円を投じ埼玉県戸田市に新工場を建設、1967年8月末完成で月産15万台の能力。1967年9月に埼玉事業所を新設
- クラリオン 有価証券報告書【沿革】
- [30]1968年3月、わが国最初のカセットカーステレオを発売
参考文献[17]-[30]
- クラリオン 有価証券報告書【沿革】
- [17]1963年10月、わが国最初のカーステレオを開発
- [21]1964年1月、Clarion Corporation of Americaを設立
- [30]1968年3月、わが国最初のカセットカーステレオを発売
- 証券アナリストジャーナル 1967年(滝澤左内 社長・講演)
- [18]1964年に発売したカーステレオは当初輸出のみで、国内販売は行わなかった
- [19]国内では音楽テープの供給がなく、レコード会社はレコードが売れなくなるとして音楽テープの供給に二の足を踏んだ
- [20]ロサンゼルスのマンツ社と提携し、同社から音楽テープの供給を受けてアメリカ市場に売り込むことから始めた
- [23]アメリカ市場での売れ行きから日本でも売れると確信し、日本コロムビアに音楽テープの供給を再三再四懇請して供給を受けられるようになった
- [24]日本コロムビアからの納入は当初月5,000巻、1967年時点で月2万5,000巻。ほかに日本クラウンから2万巻、日本放送からも納入
- [25]カーステレオ1台につきテープ1巻を無料添付。1台につき2巻出るとすれば月産3万5,000台で計10万巻の音楽テープが毎月必要
- [26]レコードはプレスで生産できるがテープは録音のため時間がかかり、30分物のテープを12分以内で録音することは不可能
- [29]9億5,000万円を投じ埼玉県戸田市に新工場を建設、1967年8月末完成で月産15万台の能力。1967年9月に埼玉事業所を新設
- 週刊日本経済 1970年4月16日号 23(16)(945)
- [22]カーステレオの1964年9月期売上は1億6,000万円たらず
- [27]カーステレオ売上は1966年9月期8億5,000万円、1967年9月期21億2,000万円、1968年9月期46億2,000万円、1969年9月期71億5,000万円。1969年9月期に初めてカーラジオの51億1,000万円を抜き首位
- 会社年鑑(1976年版)
- [28]売上高は1965年9月期31億円、1969年9月期156億円。経常利益は1965年9月期2億円、1969年9月期12億円
1970年〜クラリオンへの商号変更と株主構成の入れ替わり
帝国電波は1970年2月、東京証券取引所市場第二部から第一部へ指定替えとなった。同年4月払込で310万株の公募増資を行い、埼玉工場の増設と営業網の整備に充てて、カーステレオの生産能力増強には10億円を投じた。この時点の帝国電波は借入に依存する会社ではなく、1969年9月末の自己資本比率は26.5%と製造業平均を上回り、借入金依存度は26.9%、長短借入金17億2,000万円に対して現預金を22億2,000万円抱えていた。カーラジオでは松下通信工業と富士通を抑えて台数ベースのシェア約30%で首位に立ち、カーステレオも国内では同じ2社を抑えて首位だった。資金繰りに迫られての増資ではなく、伸び続ける需要に生産能力を先回りさせるための調達だった。
- クラリオン 有価証券報告書【沿革】
- [31]1970年2月、東京証券取引所市場第二部より第一部に上場指定替
- 週刊日本経済 1970年4月16日号 23(16)(945)
- [32]1970年4月払込で310万株の公募増資。増資資金は埼玉工場の建設・営業網の強化など設備資金に充当し、埼玉工場増設はカーステレオ生産能力増強が中心で投下資金10億円
- [33]1969年9月末の自己資本比率は26.5%で製造業平均を上回り、借入金依存度は26.9%。長短借入金17億2,000万円を上回る現預金22億2,000万円を保有
- [34]カーラジオでは松下通信工業、富士通を抑えて業界トップで台数ベースのシェアは約30%。カーステレオも国内では松下通信、富士通を抑えて業界トップ
カーラジオは7割近くが完成車メーカーへの純正納入で、市販は3割にとどまっていた。カーステレオは市販の比重が約5割と高く、1969年後半にはガソリンスタンドなど1万2,000余店を新たに特約店に設定し、市販網を広げた。純正で納めた製品には完成車メーカーの名が付くが、市販の店頭では自社の名で売ることになる。1970年12月、帝国電波は商号をクラリオンへ改めた。クラリオンは1946年に考案した製品ブランドで、CLARIONの頭文字Cに電波のシンボルマークを配した図案を社章に用い、澄みきった良い音、またはその音を出す楽器を意味する。同じ1970年にはClarion (Malaysia) Sdn., Bhd.へ資本参加している。24年前に付けた製品の名を会社の名へ引き上げたのは、買い手へ直接届く商標を手にしたからだった。
- 週刊日本経済 1970年4月16日号 23(16)(945)
- [35]カーラジオはその7割近くが純正指定として自動車メーカーに販売され、一般市販は約3割
- [36]カーステレオの一般市販のウエイトは約5割と高い
- [37]1969年後半、従来の販売ルート以外にガソリンスタンドなど1万2,000余店の特約販売を新たに設定し、カーステレオの販売網を拡充強化した
- クラリオン 有価証券報告書【沿革】
- [38]1970年12月、商号をクラリオン株式会社に改称
- [40]1970年、Clarion (Malaysia) Sdn., Bhd.に資本参加
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)3編「帝国電波」
- [39]ブランド「クラリオン」は1946年に考案。CLARIONの頭文字Cと中央に電波のシンボルマークを配し、澄みきった良い音、または澄みきった音をだす楽器の一種等の意
1970年5月時点では滝澤左内社長が発行済2,620万株のうち1,969,000株を保有し、筆頭株主の座にあった。2位は協和銀行の1,504,000株、3位は安田生命の916,000株で、カーステレオ用の音楽テープを供給した日本コロムビアが627,000株の4位に入り、日産自動車は288,000株で7位に入った。1974年9月にはこの並びが入れ替わり、日産自動車が5,203,000株で筆頭株主となった。協和銀行の3,250,000株が2位、滝澤将一氏の1,705,000株が3位で、上位10名に残る創業家は滝澤将一氏と滝澤孝氏の2名にとどまった。
- 会社年鑑(1971年版)
- [41]1970年5月時点の大株主筆頭は滝沢左内1,969,000株(発行済26,200,000株)
- [42]1970年5月時点の大株主2位協和銀行1,504,000株、3位安田生命916,000株、4位日本コロムビア627,000株、7位日産自動車288,000株
- 会社年鑑(1976年版)
- [43]1974年9月時点の筆頭株主は日産自動車5,203,000株
- [44]1974年9月時点の2位協和銀行3,250,000株、3位滝沢将一1,705,000株、9位滝沢孝502,000株
クラリオンは1976年8月に業務用カラオケを発売した。生産では福島県への進出を進め、1976年7月に郡山市で東北クラリオン電子が仮創業し、同年10月に正式な操業を開始した。従業員200人の同社は延べ3,000坪の工場でカーラジオ、カーステレオ、バス車内放送用アンプなどを組み立て、製品を埼玉県戸田の工場へ送った。進出の理由は東北自動車道の開通で埼玉県との距離が縮まったことと労働力の確保にあり、工場敷地内には幼児を60人ほど収容する保育所を置いた。県内には二本松クラリオン、郡山クラリオン、いわきクラリオン、船引クラリオン精機も並んだ。1978年10月には郡山市へ東北事業所を新設した。売上高は1974年9月期の293億円から1978年9月期に548億円へ伸びた。
- クラリオン 有価証券報告書【沿革】
- [45]1976年8月、業務用カラオケを発売
- [50]1978年10月、福島県郡山市に東北事業所を設置
- 財界ふくしま 1977年新年号「動く音の先駆者 クラリオン傘下の新工場東北クラリオン電子(株)」
- [46]東北クラリオン電子は1976年7月に仮創業、同年10月に正式オープンして生産に入った
- [47]東北クラリオン電子の従業員は200人。延べ3,000坪の工場でトランシーバー、市販カーラジオ、輸出カーラジオ、カーステレオ、バス車内放送用アンプを組み立て、埼玉県戸田のクラリオン工場へ送る
- [48]福島県進出の理由は東北自動車道の開通で親会社のある埼玉県と立地的に近いことと労働力の確保。工場敷地内の保育所は3歳以上就学期までの幼児を60人ほど収容
- [49]同系に二本松クラリオン、郡山クラリオン、いわきクラリオン、船引クラリオン精機がある
- 会社年鑑(1986年版)
- [51]売上高は1974年9月期293億円、1978年9月期548億円
参考文献[31]-[51]
- クラリオン 有価証券報告書【沿革】
- [31]1970年2月、東京証券取引所市場第二部より第一部に上場指定替
- [38]1970年12月、商号をクラリオン株式会社に改称
- [40]1970年、Clarion (Malaysia) Sdn., Bhd.に資本参加
- [45]1976年8月、業務用カラオケを発売
- [50]1978年10月、福島県郡山市に東北事業所を設置
- 週刊日本経済 1970年4月16日号 23(16)(945)
- [32]1970年4月払込で310万株の公募増資。増資資金は埼玉工場の建設・営業網の強化など設備資金に充当し、埼玉工場増設はカーステレオ生産能力増強が中心で投下資金10億円
- [33]1969年9月末の自己資本比率は26.5%で製造業平均を上回り、借入金依存度は26.9%。長短借入金17億2,000万円を上回る現預金22億2,000万円を保有
- [34]カーラジオでは松下通信工業、富士通を抑えて業界トップで台数ベースのシェアは約30%。カーステレオも国内では松下通信、富士通を抑えて業界トップ
- [35]カーラジオはその7割近くが純正指定として自動車メーカーに販売され、一般市販は約3割
- [36]カーステレオの一般市販のウエイトは約5割と高い
- [37]1969年後半、従来の販売ルート以外にガソリンスタンドなど1万2,000余店の特約販売を新たに設定し、カーステレオの販売網を拡充強化した
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)3編「帝国電波」
- [39]ブランド「クラリオン」は1946年に考案。CLARIONの頭文字Cと中央に電波のシンボルマークを配し、澄みきった良い音、または澄みきった音をだす楽器の一種等の意
- 会社年鑑(1971年版)
- [41]1970年5月時点の大株主筆頭は滝沢左内1,969,000株(発行済26,200,000株)
- [42]1970年5月時点の大株主2位協和銀行1,504,000株、3位安田生命916,000株、4位日本コロムビア627,000株、7位日産自動車288,000株
- 会社年鑑(1976年版)
- [43]1974年9月時点の筆頭株主は日産自動車5,203,000株
- [44]1974年9月時点の2位協和銀行3,250,000株、3位滝沢将一1,705,000株、9位滝沢孝502,000株
- 財界ふくしま 1977年新年号「動く音の先駆者 クラリオン傘下の新工場東北クラリオン電子(株)」
- [46]東北クラリオン電子は1976年7月に仮創業、同年10月に正式オープンして生産に入った
- [47]東北クラリオン電子の従業員は200人。延べ3,000坪の工場でトランシーバー、市販カーラジオ、輸出カーラジオ、カーステレオ、バス車内放送用アンプを組み立て、埼玉県戸田のクラリオン工場へ送る
- [48]福島県進出の理由は東北自動車道の開通で親会社のある埼玉県と立地的に近いことと労働力の確保。工場敷地内の保育所は3歳以上就学期までの幼児を60人ほど収容
- [49]同系に二本松クラリオン、郡山クラリオン、いわきクラリオン、船引クラリオン精機がある
- 会社年鑑(1986年版)
- [51]売上高は1974年9月期293億円、1978年9月期548億円
筆者考察
カーステレオを売れる商品にしたのは、機械の性能ではなく、そこに入れる中身の手配だった。1963年に国内で最初のカーステレオを開発しながら、発売した1964年の売り先は輸出だけにとどまる。レコード会社がレコードの売行きの低下を嫌って音楽テープを出さず、聴くものが国内に無かったためである。滝澤左内氏はロサンゼルスのマンツ社と提携してテープごと米国市場へ持ち込み、そこでの売行きを根拠に日本コロムビアへ供給を繰り返し求めた。月産3万5,000台の水準では毎月10万巻のテープが要る。機械を作る会社が機械に入れる中身の調達まで背負ったところに、この時期の伸びの理由がある。
首位に立った時期と、会社の持ち主が入れ替わった時期は重なっている。1969年9月期にカーステレオの売上がカーラジオを上回り、翌年には市場第一部へ移って310万株を公募した。資本を広く集めることは、創業家の持分が薄まることでもある。1962年の上場時に発行済160万株の38.3%を握っていた滝澤左内氏は、1974年9月には筆頭株主の座を日産自動車へ明け渡し、上位10名に残る創業家は2名となった。純正納入で伸びた会社の株を、その納入先の一社が最も多く持つ。販路の安定と引き換えに、値を決める相手をもう一度手放したことになる。生糸の相場から立てた基準に照らせば、これは創業の出発点から遠ざかる動きだった。
- 棒はすべて単体。出所は1962年9月期から1964年9月期が会社年鑑 1967年版、1965年9月期から1974年9月期が会社年鑑 1976年版、1975年9月期以降が会社年鑑 1986年版。
1962年〜1978年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1962年09月期 | 単体 | 15 | n/a | n/a | 1 | 6.7% | n/a |
| 1963年09月期 | 単体 | 18 | +20.0% | n/a | 1 | 5.6% | n/a |
| 1964年09月期 | 単体 | 27 | +50.0% | n/a | 1 | 3.7% | n/a |
| 1965年09月期 | 単体 | 31 | +14.8% | 2 | 1 | 3.2% | n/a |
| 1966年09月期 | 単体 | 43 | +38.7% | 4 | 2 | 4.7% | n/a |
| 1967年09月期 | 単体 | 74 | +72.1% | 8 | 4 | 5.4% | n/a |
| 1968年09月期 | 単体 | 121 | +63.5% | 12 | 6 | 5.0% | n/a |
| 1969年09月期 | 単体 | 156 | +28.9% | 12 | 7 | 4.5% | n/a |
| 1970年09月期 | 単体 | 181 | +16.0% | 11 | 6 | 3.3% | n/a |
| 1971年09月期 | 単体 | 182 | +0.6% | 10 | 5 | 2.7% | n/a |
| 1972年09月期 | 単体 | 195 | +7.1% | 10 | 5 | 2.6% | n/a |
| 1973年09月期 | 単体 | 262 | +34.4% | 16 | 8 | 3.1% | n/a |
| 1974年09月期 | 単体 | 293 | +11.8% | 6 | 5 | 1.7% | n/a |
| 1975年09月期 | 単体 | 292 | ▲0.3% | 3 | 1 | 0.3% | n/a |
| 1976年09月期 | 単体 | 400 | +37.0% | 25 | 10 | 2.5% | n/a |
| 1977年09月期 | 単体 | 497 | +24.3% | 29 | 15 | 3.0% | n/a |
| 1978年09月期 | 単体 | 548 | +10.3% | 35 | 17 | 3.1% | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
10件
- クラリオン 有価証券報告書【沿革】
- 会社年鑑(1967年版)
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)3編「帝国電波」
- 会社年鑑(1971年版)
- 会社年鑑(1976年版)
- 会社年鑑(1986年版)
- 証券アナリストジャーナル 1967年(滝澤左内 社長・講演)
- 週刊日本経済 1970年4月16日号 23(16)(945)
- 証券 1962年 14(9)(160) 新規上場会社紹介
- 財界ふくしま 1977年新年号「動く音の先駆者 クラリオン傘下の新工場東北クラリオン電子(株)」