小山田豊

クラリオン・元取締役社長

Oyamada Yutaka(敬称略)

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社長就任 1979年12月
生年月日 —
学歴 中華航空養成所
出自 —
社長就任までの出自
出自

1928年に長野県で生まれ、1945年3月に中華航空養成所を卒業したが敗戦で中国大陸から引き揚げ、1949年4月に帝国電波(現クラリオン)へ入社した。在庫を抱えた家庭用ラジオをトラックで売り歩き、東北地方の行商で販売網の基盤を作って1956年に営業課長となった。1955年から4年かけて日産自動車からカーラジオの純正部品指定を取り、1959年に営業部長へ進んだ。1974年9月末の大株主上位10名では日産自動車が筆頭で、本人は個人として10位に並んでいる。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1962年に34歳で取締役となり、1967年常務、1971年専務、1979年1月に副社長へ進んで、同年12月に社長へ就任した。前任の下田俊雄氏は70歳を超えており、20歳の若返りとなった。専務・副社長として下田時代の8年間、経営全般を担当していた。売上高は就任前の3期で1977年9月期の497億円から1978年9月期548億円、1979年9月期672億円へ増え、経常利益も29億円・35億円・52億円と続けて伸びていた。業績の悪化を受けた交代ではなかったとみられる。

在任中の主な施策
施策

就任の翌年、1983年9月期までに売上高1000億円・経常利益100億円、輸出比率30%、無借金経営を目標とする三カ年中期計画を掲げた。石油危機の後に導入した事業部制を廃して本部制へ改め、半導体研究所を新設して郡山にIC工場を建設する計画も打ち出した。売上高は目標より1年早い1982年9月期に1008億円へ届き、1984年9月期は1090億円になった。経常利益は1982年9月期の75億円を頂点に1983年9月期60億円、1984年9月期23億円と落ち、100億円には届かなかった。

在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1949〜1993年
在任中の業績
就任前(FY78)672億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

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