決断
副生物を次の製品の原料に充当し、事業を連鎖的に広げた会社である。電解で余る水素を1926年から硬化油へ、塩素を1928年から液体塩素へ振り向け、1932年には国内初のエチレングリコール工場を完成させた。1934年には高岡工場でアルミニウムへ進み、1936年に社長に就任した中野友禮氏は鉱山・炭鉱・製鋼所を傘下に置いて関係会社54社を抱える日曹コンツェルンを築いた。しかし増資に依存する膨張は1940年に行き詰まり、1941年に社長に就任した大和田悌二氏は日曹鉱業と九州曹達の2社だけを本体に合併して傍系を切り離した。