研究開発への注力
戦後復興期、技術は自社で開発するものではなく、海外から導入するものであった。外貨は政府が割り当て、技術援助契約にも政府の認可が必要だった。自社で十年かけて開発するより、対価を払って完成済みの技術を導入するほうが早く、政府もその判断で外貨を配分した。したがって研究開発費の大半は、導入技術の対価と、それを国内の原料や設備に適合させる費用で占められていた。東レは米デュポンからナイロン技術を導入し、日立製作所はGE・RCA・WEと相次いで提携して、国産技術主義を撤回している。
転機は1960年代後半、資本自由化と排ガス規制が重なった時期に訪れた。資本自由化が進めば、外国企業は出資を通じて日本企業の経営に関与できる。そのとき導入技術しか持たない会社には、交渉で差し出せる材料がない。一方の排ガス規制は達成期限を先に定め、既存技術では届かない基準値を課した。つまり、導入しようにも、その技術が世界のどこにも存在しなかった。自社技術であれば投資の回収期間を自社で決められるが、導入技術では契約相手が定めた期間と対価に従うしかない。マツダは外資との資本提携を退けてロータリーエンジンを量産し、ホンダは低公害エンジンを独力で開発して、石油危機下で四輪の販売順位を押し上げた。東レが炭素繊維の黒字化まで約40年の赤字を引き受けたのも、この時期に始まる判断である。
もっとも、技術を外へ供与する会社になるまでには、さらに時間を要した。1985年、山之内製薬は自社開発の胃潰瘍治療薬の開発販売権を米メルクへ供与した。山之内製薬は自社の販売網では届かない海外市場をメルクの販路で開拓し、対価はロイヤルティで回収する。三共は高脂血症治療薬を、日亜化学工業は青色LEDを自社で創製した。導入技術は契約が切れれば手元に残らないが、自社で創製した技術は期限のない資産として残る。
2000年代に入り、特許が経営資産として認識されるころには、研究開発費の性格は反転していた。輸入技術の対価として払う費用ではなく、ライセンス供与で収入を生む無形資産への投資である。費目は同じでも、キャッシュの流れは海外への支払いから海外からの受け取りへ逆転した。
財務諸表のどこを見るか
まず販売費及び一般管理費の内訳にある研究開発費と、製造原価に算入された研究開発費を合算し、売上高に対する比率を追う。研究開発活動の記載でセグメント別の配分を確かめ、どの事業へ人員と資金が寄せられたかを読む。自社創製か外部導入かは、無形固定資産の特許権と、営業外収益の受取ロイヤリティに分かれて現れる。導出した技術は契約一時金とマイルストン収入として売上高へ入るため、経営上の重要な契約の注記を併読する。ソフトウェアの資産計上額と償却年数も見る。
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