上場企業の経営論点>競争戦略・投資
研究開発への注力
日本企業の研究開発は、技術を輸入する営みから輸出する営みへ反転した。戦後復興期の外貨は政府が割り当て、技術援助契約は認可を要した。東レは米デュポンからナイロン技術を導入し、日立製作所はGE・RCA・WEと相次いで提携して国産技術主義を撤回する。自主開発へ振れたのは、資本自由化と排ガス規制が重なった1960年代後半だった。マツダは外資との資本提携を退けてロータリーエンジンを量産し、ホンダはCVCCを独力で開発して石油危機下に四輪の順位を入れ替えた。東レが炭素繊維トレカの黒字化まで約40年の赤字を引き受けたのも同じ時期にあたる。1985年、山之内製薬はガスターの開発販売権を米メルクへ供与し、日本の製薬会社は技術を売る側へ回る。三共はメバロチンを、日亜化学工業は青色LEDを自社で創製した。研究開発費は輸入代替の対価から、他社へ貸し出せる資産へ変わっている。
財務諸表のどこを見るか
まず販売費及び一般管理費の内訳にある研究開発費と、製造原価に算入された研究開発費を合算し、売上高に対する比率を追う。研究開発活動の記載でセグメント別の配分を確かめ、どの事業へ人員と資金が寄せられたかを読む。自社創製か外部導入かは、無形固定資産の特許権と、営業外収益の受取ロイヤリティに分かれて現れる。導出した技術は契約一時金とマイルストン収入として売上高へ入るため、経営上の重要な契約の注記を併読する。ソフトウェアの資産計上額と償却年数も見る。
2020年代
米Ontoと資本業務提携 カーライル系ファンドが保有する株式27%の提携先への移管と、株主構成の入れ替え 米Resonant社ののれん減損 XBAR技術の取得をねらった買収と、のれん438億円が消えた結末 Magna AI合弁設立 台湾Wistron・NVIDIAと組んだソブリンAI事業への進出と法人事業の「TrendAI」ブランド化 エイチアンドエフ買収 超大型プレス機と基板穴あけ加工機の2社を続けて取り込む連続取得 日産との統合協議打切 経営の一体化構想へ踏み込みながら二カ月弱で引き返した判断 米Ampere買収で半導体強化 米国の半導体設計会社を65億ドルで取り込む事業基盤の強化 OpenAIへの巨額出資 AIインフラ「スターゲート」 中期計画「MTP3」始動 AI・HBMテスト需要ブームへの先行投資と過去最高益 NKTフォトニクス子会社化 デンマーク企業の取り込みによるレーザ・ファイバ光学領域への事業拡張 研究拠点の横浜集約 富士御殿場・鎌倉の両研究所の閉鎖と、創薬機能を一カ所に束ねる選択 イアスの子会社化 連続買収による半導体周辺装置とライフサイエンスへの多角化 アクセンチュアを提訴 新・国際航空貨物基幹システムの開発断念と154億円の全額減損 CMP研磨材で世界首位 井上雅偉体制のROIC経営と、生成AI特需を取り込むニッチトップ戦略の確立 全州第二工場の増強 半導体材料への経営資源の集中と、高誘電体ALD材料の生産能力の増強 全固定資産の一括減損 業績不振によらない帳簿の一掃と、開発費を全額その期の費用とする方式への切り替え ゾコーバの緊急承認取得 新型コロナ経口薬をめぐる、承認前からの生産着手という賭け 日水製薬の買収 公開買付けによる取得と、体外診断薬・臨床検査領域への参入 合志と大和町への開発棟新設 他社との統合による規模拡大を捨て、国内の自社開発拠点への投資で伸びる道を選んだ判断 半導体セラミックスへ転換 製造装置用部材を柱に据えたデジタル社会領域への事業構成の組み替え ビルテプソの米国直販開始 国産初のアンチセンス核酸医薬の承認取得と、提携に頼らない自社販売 のぞみ・N700系の自主開発 東海道新幹線への経営資源集中と、高速化・高頻度化の追求
2010年代
XwinSysの買収 イスラエル企業の取り込みによる、半導体量産ラインのX線計測への参入 広域渋谷圏で段階売却 総合デベロッパーから資本効率を軸とする不動産企業への転換 英ロイバントとの提携 戦略的提携によるスミトバントの子会社化と、相手方株式11%の取得 前川重信の難病・希少疾患集中 第六次中期経営計画による注力領域の難病・希少疾患、泌尿器・血液内科への絞り込み アストラゼネカと提携 提携相手と組んだエンハーツの世界展開と、がん事業への転換 自動車船・LNG船へ集中投資 非海運多角化の見送りと、鉄鋼原料輸送を含む海運本業への資源の集中 プルームで加熱式参入 先行を許した市場への後発参入と、そこからの巻き返し ファスフォードテクノロジ買収 商号の「FUJI」への変更 インテグレーテッド社を子会社化 空調専業としての「熱学」特化とクリーンルーム技術の内製化 塩ビ基盤事業の死守戦略 汎用品からの撤退を選ばず、クロールアルカリを含む基盤事業を磨き切る方針 完全仮想化でMNO参入 既存3社に挑む第4の携帯事業者としての自前網の構築 日本電気の子会社化 公開買付けによる、その他の関係会社から親会社への関係の転換 ABICS E120を世界初開発 EUVマスク検査装置への集中開発と、他社にない供給体制の確立 杭州錦江集団へ技術供与 大型偏光板技術の外部提供と、ボリュームゾーンからの離脱 RE ENGINEの内製化 開発基盤の自前化とデジタル・DLC販売への構造転換 米リップルとの提携 提携を足がかりとした暗号資産事業への参入 英ARM買収で最大M&A IoT・AI時代を見据えた3.3兆円という過去最大規模の投資 SIXPADの発売 EMS機器を軸に、クリスティアーノ・ロナウド選手を起用した第2ブランドの構築 マザーズ上場 創業7年での公開と、製薬大手への技術提供を収益源に据える体制 ソニーとの資本業務提携 大手からの資本の受け入れと、医療分野での合弁の立ち上げ フェブリクの創製発売 化合物の創製から発売までを自社で手がける開発体制の確立 米BMSと抗PD-1抗体提携 北米以外・日韓台を除く全世界の開発販売権を委ね、対価をロイヤルティで受け取る道を選んだ パワー半導体へ投資集中 パワーエレクトロニクスを軸に据えた経営資源の集中 「すいそふろんてぃあ」建造 液化水素サプライチェーンへの集中と、世界初の液化水素運搬船の建造
2000年代
米ノーベンの完全子会社化 株式公開買付けを通じて進めた米国の医薬品会社の全株取得 ティムケンのニードル軸受取得 2期連続赤字のさなかに踏み切った同業からの事業買収 本田技研とブルーエナジー設立 完成車メーカーとの過半出資合弁による車載用リチウムイオン電池事業への参入 セレキシパグをアクテリオンへ導出 日本を除く全世界の開発販売権を他社へ委ねるという選択 ブリヂストンと資本提携 業界首位を相手にした業務提携と、対等ではない株式の持ち合い ビクターのサーキット事業譲受 他社事業の譲り受けによる自前主義から外部成長への転換 BiCS FLASHへの積層転換 回路線幅を細める微細化の延長を捨て、メモリセルを縦に積む3次元構造へ主力技術を移した選択 「アスタリフト」創設 写真技術の化粧品への転用と、スキンケアブランドによる新市場への進出 室蘭製作所を原子力向けに増強 製鋼・鍛錬設備の増強と、原子力発電向け大型鍛鋼への傾斜 リズム買収で輸送機器参入 同業の買収を足がかりとした新たな事業領域への進出 ファーストリテイリングと提携 戦略的パートナーシップの締結とヒートテックの共同開発 米SOFEC社を買収 借りていた係留技術を自社のものにする全株式取得 仏アレバと中型炉合弁設立 ウェスチングハウス買収入札での敗退を受けた、中型炉共同開発への転進 ジェットストリームの発売 摩擦を半減させた油性ボールペンの発売と、芯を固定した軸展開によるシリーズ化 住友製薬との合併 社名を改め、化学系グループの一員へと位置づけを変える再編 川田達男の一貫生産転換 下請け染色からの脱却と、自動車内装材・一貫生産への業態転換 高速多機能装着機NXT開発 モジュール型を軸に据えた次世代機への設計転換 ACT'95でガス化溶融炉参入 主力のポンプ事業に依存しない収益源づくりと、ダイオキシン規制下での環境事業への傾斜 モバイル計測に先行投資 携帯通信の世代交代を先取りした、需要が立つ前からの資源投入 商品開発体制の刷新 ヒット商品を連続して生み出すことをねらった、社内の進め方の作り替え 住友・三菱で事業統合 シリコンウェーハを300mm専業会社に集約する新会社の設立 問題解決型インターン導入 問題解決能力の発掘を狙った、採用の物差しそのものの作り替え 第一サントリーファーマ設立 酒類大手の医薬品事業部門を分社化して受け止める共同出資会社の発足 マイクロンに株式譲渡 テキサス・インスツルメンツ社と組んだ半導体合弁の設立と、その全株式の売却による撤退 米ルーセントの光ファイバ買収 ケーブル部門の取り込みによる世界シェア2位への浮上 枚葉式ウエハ洗浄への転換 300mm対応装置の先行量産 青色LED特許の囲い込み ライセンス供与の拒否、2001年の方針転換と発明対価訴訟の和解 乳酸菌LG21ヨーグルト発売 味を競う商品から体への働きを売る商品へと訴求を移す転換 新ERP開発へ全面転換 インターネット対応製品への新規開発資源の全面振替と、2005年3月期235億円の計画 エコセメントを事業化 都市ごみ・産業廃棄物の受け入れによる廃棄物処理事業の確立
1990年代
cdmaOneへの転換 DDIセルラーグループとの「au」へのブランド統一と、通信方式の一本化 半導体材ABFの育成 食品会社が世界シェア95%超を握るに至ったパッケージ材事業の育成 カネカソーラーテック設立 専業子会社の設立と、薄膜シリコンへの100億円超の投資 リアルタイムPOS導入 規模ではなくデータで競う路線への転換と、発注システムの全店整備 ノスカールの国際展開 糖尿病薬の海外展開が新たな収益源に育たず終わった戦略の挫折 DDIセルラーグループとの提携 次世代携帯電話でのCDMA方式の共同採用と、陣営づくりへの全面的な踏み込み 液体エキス専用工場建設 年商の7割にあたる75億円を投じた専用設備への集中投資 非繊維事業への構造転換 繊維に依存しない収益源を広げ、不況に揺るがない体質をつくる事業構成の組み替え インテル攻略へ資源集中 勝負どころを一顧客に絞り込んだプロジェクトへの経営資源の一点集中 ベトナムで原油探鉱に進出 南部沖「15-2」鉱区の取得と、自社オペレーターとしての操業への転換 「ムーニーマン」の開発 パンツ型紙おむつを短期間で世に出した開発体制の確立 フォトレジストへ集中投資 合成ゴム事業のリストラによる投資原資の捻出と、光・電子材料への集中投資 クラビットの発売 自社開発の合成抗菌剤による、輸出を通じた海外売上の拡大 村田泰隆の円建て統一 輸出取引の円建てへの統一と、生産設備まで自前で開発する国内生産の維持 日本イリジウムの設立 米本社への218億円の出資と、2000年に終わった事業からの撤退 PCIガイドワイヤーの国産化 極細ステンレスワイヤー販売から医療カテーテル製造業への転換 ウォシュレットで米国参入 国内市場への依存からの脱却——米国市場への本格参入と1兆円企業構想 岡山工場で熱延帯鋼へ参入 高炉独占品種だった熱延広幅帯鋼への電炉メーカーとしての量産参入 洗浄工程のフロン全廃 規制の削減日程に先立つ前倒しの決定と、外注企業まで含めた切り替え 二次電池へ経営資源を集中 二次電池に資源を寄せる傾斜投資という、次の主力事業への賭け
1980年代
英BPケミカルズ特殊ゴム買収 米社の同事業取得と併せた日米欧3極生産体制の構築 三菱商事と共同出資会社設立 光学式ビデオディスク事業への24億円投資と、新領域への足がかり メバロチンの発売 青かびの一株から18年をかけて実らせた自社創薬の事業化 青色LEDの開発着手 赤色系LEDの量産競争からの撤退と、窒化ガリウムという材料への賭け 筑波研究センターの開設 バイオテクノロジーを用いた医薬品への投資 CD-Rの世界初商品化 That''sブランドによる消費財市場への参入と、追記型光記録メディア 世界最大の取引フロア建設 資本金に匹敵する300億円を投じる、自社史上最大の設備投資 NTT大容量方式の採用 開業時の無線方式へのTACS方式の不採用 米ニューコアとの合弁 現地合弁会社の設立を通じた北米H形鋼事業への進出 藤沢工場で真空ポンプ生産 半導体製造装置分野への参入と、CMP装置の事業化 米ハイドロノーティクス買収 米企業の取り込みを足がかりとした高分子分離膜事業への参入 愛知川製造所でエアバッグ量産 運転席用製品の量産開始と、インフレータまで含めた内製化 関西セルラー電話を設立 全国8地域への分散設立による移動体通信への参入と、首都圏・中部圏の割り当ての譲歩 GM合弁アムブレーキ設立 ベンディックスとの技術提携を解いての米国生産への踏み出し リチウムイオン電池を確立 吉野彰氏による基本構造の確立と、それを囲い込む特許戦略 BT樹脂で機能化学品へ転換 汎用化学品から機能化学品・電子材料への主力事業の転換 非セメント事業に多角化 売上構成比50%を目標に据えた10年計画と、「電・光・石・化」4分野への進出 川崎マイクロエレクトロニクス分社 LSI事業推進部の発足によるASIC事業への参入と、独立会社への切り出し α-7000の発売 オートフォーカス一眼レフへの賭けと、通常の4倍にあたる初回投入 米メルクへの技術輸出 自社創製のH2ブロッカー「ガスター」の発売と、技術を海外へ売る側への転換 東工場でシリコン製造開始 多結晶シリコンと乾式シリカの二本立てによる新分野への参入 フォトレジストへ資源集中 塩化ビニールなど大型市場への不参入と、狭い分野への資源の絞り込み 雪国まいたけ設立 太もやしの過当競争を経ての量産参入 米ミドレックス社を買収 天然ガス直接還元製鉄技術の取得と、高炉に依らない製鉄への足がかり 浜松ホトニクスへ改称 テレビの名を捨て、光子工学を軸に据え直した事業領域の再定義 MSX規格提唱で国産結集 メーカー各社を一つのパソコン統一規格へまとめる旗振り役の獲得 日本通信建設が光ファイバー参入 光ファイバーケーブル工事への早期参入 工業用切削機器へ参入 歯科用の高速回転技術を医療の外へ広げた新規事業の立ち上げ ゴルフ事業への進出 商号のヨネックスへの変更と新素材クラブの発売 セブンーイレブン方式導入 業務改革(業革)の開始と、単品管理・仮説検証の本体への持ち込み キユーピータマゴの設立 卵素材品の切り出しと、副産物を機能性素材に変えるファインケミカルへの進出 サロンパス軸へ資源集中 赤字決算を受けた経皮吸収型製剤への経営資源集中 アスベストを社名から除外 主原料を代替素材へ切り替える転換の宣言 CP-1で実装機へ転換 工作機械専業から電子部品実装機への主力転換 パソコンソフト卸売事業の立ち上げ 日本ソフトバンクの創業 薬品部門への経営資源集中 不採算な菓子工場の閉鎖による食品事業の構造改善と主力の入れ替え 石油依存の収益構造から脱却 原子力・電子・医薬という三分野に賭けた第二次多角化 沖電気の資金で会計ソフト設立 公認会計士業からの転身と、得た1億円の製品開発への全額投入 アミーバ的多角化 戦略型研究開発を核に置いた新規事業の相次ぐ立ち上げ 光ファイバ技術に投資 他社技術に頼らない独自方式の選択と、融着接続機の自社開発 LDプレーヤーVP-1000発表 レーザーディスク事業への集中投資と、映像メディアへの進出 多層プリント配線板へ進出 両面板専業からの脱却と、より高度な製品分野への軸足の移し替え 共同事業「レッツ」の開始 用地を自ら買わずに開発機会だけを取り込む事業方式の確立
1970年代
ダウコーニングとの合弁設立 共同出資で設立した半導体事業会社の、優先交渉権行使による全株取得 ライフサイエンス分野へ再参入 生命科学の専門研究所の設立と、そこを起点とする研究体制の構築 C&C構想の提唱 コンピュータと通信の融合という全社ビジョン セファメジンへ集中投資 主力薬効を抗生物質と神経系へ絞り込む事業構成の組み替え 二百カイリ後の加工食品転換 遠洋漁業に依存した主力事業からの撤退と養殖への軸足移動 クタイ・ティンバー設立 インドネシアでの合板現地生産に踏み切る海外生産拠点の設立 ダイシングソーを自社開発 切断装置の自社開発と、砥石・装置・使い方を一社で担う体制への転換 ビデオ参入とVHS後発合流 家庭用ビデオへの参入と、規格争いで後発として陣営に付く選択 三新活動の導入 新製品比率30%を常設の規律とした三新活動 自社開発ソフトへ転換 商号変更に合わせた会計機販売から情報処理サービスへの業態転換 三和ドアー工業を合併 合併を機としたシャッター専業から建材総合メーカーへの脱皮 アクアメディア社から技術導入 米GE製ろ過膜の輸入販売から超純水製造システムへの転換 「カシオトロン」発売 デジタル電子腕時計での時計事業への参入と、事業領域の拡大 CVCCエンジンの開発 他社に頼らない独力開発と、石油危機下での四輪シェア逆転 精密小型モータで創業 資本金200万円からの出発と、米国経由の信用を足がかりにした世界シェアの獲得 液晶電卓EL-805発売 電卓の価格競争から降り、半導体と液晶という独自デバイスに賭けた転進 SF式焼成法を開発 小型テスト窯を飛ばして実用窯で挑んだ新焼成法の開発 酒井秀樹が東証二部上場 外資と組まない純国産コネクタ専業のまま東証二部へ上場 滝崎武光が創業 創業——リード電機の自動線材切断機から付加価値価格のセンサー専業 富士通「3C構想」から分社 親会社の制御部門を切り出して立てたNC専業メーカーの創業 「脱磁器コンデンサ」方針表明 主力製品への依存を断つ方針の表明と、新製品領域への多角化 上尾を起点に熱量変更 供給熱量の11,000キロカロリーへの引き上げと、首都圏550万件のガス機器の自社調整 「トレカ」の事業化 炭素繊維を事業に育てる決断と、黒字化まで約40年に及ぶ赤字の引き受け セキスイハイムで住宅参入 鉄骨系ユニット住宅を武器にした新しい事業の柱の立ち上げ U-Bixで事務機参入 電子複写機の投入に合わせた八王子工場のカメラからの転換 中央研究所設置で遺伝子工学着手 発酵を軸にした基礎研究への投資と、次世代技術への種まき SAP市場への後発参入 アクリル酸の国産化と後発参入を結び付けた原料一貫戦略の確立 電子ジャーの発売 自社開発の製品を足がかりに、魔法瓶専業から家庭用電気製品部門への進出 自動車専用船PCCの実用化 フルコンテナ船の投入と、世界初となる専用船型による輸送の刷新 伊方原発の立地決定 地元からの誘致を受け入れた原子力発電所の建設地の確定
1960年代
「アストロン」の特許公開 世界初のクオーツウオッチの技術を開放したことによるデファクト化 アラスカ産LNGの導入 15年の長期契約・東京電力との共同調達と根岸基地の建設 霞が関ビル完成 超高層・耐震技術への先行投資と開発事業への進出 畜産エキスの自社製造 アサリエキスの卸売からの離脱と、原料から作って売る側への転身 未来事業本部を発足 繊維一本足からの脱却を掲げた新規事業探索の専門組織づくり 枚方に中央研究所建設 めっき用化学品製造部門の移転を伴う研究開発拠点の集約 極薄砥石ミクロンカットの開発 注射針と万年筆で稼ぐ砥石屋が、まだ市場のない半導体用の薄さへ開発を向けた選択 「アレコデータ」の発売 コンピューター就業管理システム 高砂に新製法設備建設 塩ビモノマー原料のカーバイド法からオキシクロリネーション法への切り替え セラミックICパッケージ発売 自社技術を電子部品へ広げる非自動車領域への多角化 阪急北千里駅の無人化 制御技術を社会インフラへ広げる社会システム事業と世界初の無人駅システム ロータリーエンジン量産化 外資との資本提携を退けて選んだ独自技術による単独路線 トヨタとの業務提携 業務提携の受け入れと、自前の販売部門の切り出し 米ITWとの合弁設立 日英物産との出資による日本工業ファスナーの立ち上げ 「SPアラーム」の開発 人海警備から機械警備へ、日本初のオンライン安全システムによる転換 排ガス測定装置の事業化 自動車から出る気体を測る装置の製品化と、世への送り出し 6対4構想で非碍子へ 第1次長期経営計画での「碍子6・非碍子4」構想の策定と周辺分野への多角化 "EPSON"ブランド制定 東京オリンピックの計時用プリンターを起点とした印刷機事業の立ち上げ 仏ロレアルと技術提携 国内資本にこだわらず、外資との合弁を受け入れる道の選択 NC装置「OSP」開発 制御装置の内製化による、機械と制御を一体で設計する体制の構築 東京放送の出資で創業 放送局の資本を後ろ盾として踏み出した事業の立ち上げ チキンラーメンの発明 製法特許を武器とした、即席麺市場の主導権の掌握 寝屋川工場を新設 化成品・環境エンジニアリング・エレクトロニクスへ本体で多角化 青海工場でゴム国産化 国産技術によるクロロプレンゴムの企業化と、丸善石油化学コンビナートへの参加 ベンディックス提携と岩槻製造所 岩槻製造所への資本金数倍の投資 塩野孝太郎の独創品転換 導入品依存からの転換と、独創品開発に向けた新研究所の建設 トヨタ向けシート事業参入 豊田工場の新設と、完成車メーカー専用の生産体制の確立 米ハネウェルと技術提携 海外大手との技術援助契約を足がかりにした航空機搭載機器への進出 総合食品化への転換 栄養菓子の一本足からアイス・チョコ・ガム・カレーへ広げた総合食品化 米キャボット社と技術提携 カーボンブラック製造技術の導入と、知多工場の新設 アンケル・ベルクと成形機提携 技術導入によるプラスチック射出成形機事業の立ち上げと、一般産業機械部門の拡大 純国産トラクタT15形の発売 耕うん機から完成機体系への農業機械の組み替え 無接点近接スイッチで転換 保護継電器メーカーから制御機器メーカーへ、世界初の製品を軸に据えた業態の組み替え 特許公開で千鳥町工場生産へ 特許の公開と引き換えに国内生産の認可を得た三者合意
1950年代
北伊丹工場の新設 半導体量産専門工場・西条・高知への量産設備の拡大 京都セラミックとして設立 設立と、持株第4位の技術者が経営の実権を握るま 東海道新幹線の建設 在来線の改良でしのぐ案を退け、広軌の別線に投じる選択 カナマイシンの工業化 梅沢浜夫博士が発見した抗生物質を、菌の培養から原末・製剤まで一貫して作る体制へ トランジスタへの転換 主要部品を真空管から置き換えることによる小型ME機器への移行 英ICIから技術導入 ポリエステル繊維技術をめぐる、同業他社と足並みを揃えた共同導入 チャンピオン社の技術導入 キャスト・コーティングでの自社方式から相手方式への全面切替 めっき用化学品の製造開始 本社に薬品部を置いての、自社での薬品づくりへの踏み出し 赤外線ガスバーナー参入 独シュバンク社との技術提携を足がかりとした新分野への進出 ビューラー社と技術提携 ジャービス・ビー・ウェブ社との提携も重ねた搬送機械への転換 計算機「14-A」の商品化 世界初の小型純電気式カシオ計算機の設立 アサヒペンタックスの開発 距離計連動式を採らない一眼レフカメラへの集中と、専業メーカーへの転換 マンモスタンカー建造着手 超大型船の建造に耐える設備の拡充と、大型化への舵切り 航空機器分野への参入 専門部門の新設による防衛装備品市場への足がかりづくりと、事業の柱の追加 阿南市で蛍光体原料開発 塩化カルシウムを主原料とする蛍光灯用蛍光体原料の開発と、日亜化学工業の設立 豊橋でタケダ理研工業を創業 大企業が目を向けない電子計測器に絞り、量産と値引きで競う市場を捨てた出発 米アトキンソン社と共同企業体 米社との共同企業体を通じた機械化施工の導入 GEとの提携でシリコーン事業化 技術提携を足がかりとした事業化と、肥料中心の売上構成の入れ替え GE・RCA・WEと技術提携 海外技術の相次ぐ受け入れと、国産技術主義の撤回 米ハネウエルと資本提携 50対50の折半出資と、工業計器・空調制御機器・マイクロスイッチの包括的な技術導入 中島飛行機の戦後再結集 占領政策で解体された旧5社の再統合による富士重工業の誕生 空気マイクロメータの工業化 日本初の工業化と、切削工具から精密測定機器への主力の移し替え 川上源一の木材乾燥投資 木材乾燥システム開発と量産品質の確立 日本ライヒホールド設立 米国の化学メーカーと組んだ合弁による合成樹脂事業への参入 アルミニウム社と資本提携 カナダ大手との技術援助契約の締結と、増資新株の引き受けによる資本の受け入れ 野球用品中心へ全面転換 一般メリヤス雑貨の生産をやめてのスポーツウエア専業への絞り込み 米デュポンと技術提携 ナイロン技術の導入と、自社での生産に踏み出す足がかりの確保 グッドイヤーからタイヤ製法を導入 自前の技術開発ではなく米最大手の製造方法を丸ごと持ち込んだ選択 ローム・アンド・ハースと提携 イオン交換樹脂アンバーライトの日本総代理店化 ウエスチングハウスと再提携 技術・資本両面での関係の復活と、「三菱」商号の存続 伊藤忠出資で不二蚕糸工場買収 親会社の全額出資による設立と、大阪の既存設備を引き継いだ操業開始 ビニロンの企業化 国産技術の合成繊維をポバールから一貫して作る体制の立ち上げ 米グッドリッチとの合弁設立 技術を持つ相手と組んで興した新会社による塩化ビニル樹脂の国産化 国産初のpHメータ開発 ガラス電極式の製品化を足がかりとした計測器専業への転換 村田昭の部品専業化 原料と生産設備の内製化による垂直統合の構築と、完成品分野への不参入 パイロットインキの設立 名古屋のインキ工場を本体から切り出し、別会社として独立させる分離
1940年代
鬼塚商会の創業 焼野原の神戸でスポーツシューズ専業に賭けた チェーンマシーン4台の輸入 資本金の60倍を投じた設備投資 本田宗一郎の創業 創業——旧軍払下げの補助エンジンから始めた戦後二輪国産化 ペニシリン製造の開始 抗生物質の原末まで自前で作る体制の構築と、戦災を受けた川崎工場の再起 井深・盛田両氏が創業 資本金19万円で掲げられた「理想工場」という設立の理念 三鷹の町工場で創業 下請けからの脱却と、世界初の小型純電気式計算機14-Aの実現 本田技術研究所の創業 旧軍払下げエンジンから起こした完成車への転身 京都の無線研究所で創業 創業した研究所の株式会社への改組と、製作所としての再出発 八谷泰造氏が事業継続 爆発事故を越えて無水フタル酸の生産を守り抜いた残存者利益の確立 大江山ニッケル工業合併 合併によって進めたニッケル原料の内製化と上流工程の取り込み
1930年代
日本碍子から分離独立 点火プラグ・濾過器・耐酸モルタル三部門を引き継いだ独立会社の発足 ステンレスへ業態転換 消火器から火工品へ、さらに特殊鋼へと続いた二度の作り替え 世界初のフェライトで創業 資本金2万円と私財10万円による、大学発の新材料の工業化 大森で計器メーカーへ転換 輸入商から自社製造へ踏み出した製作所の開設と、商いから工業への軸足移動 精機光学研究所の発足 創業——医・証券・技術の三者結合が興した国産高級カメラ 米アソシエイテッド石油と合弁設立 外資との折半出資による三菱石油の設立と、川崎製油所の建設 久留米の足袋商から創業 家業の商いを土台に踏み出した国産自動車タイヤメーカーへの転身 ダイハツ三輪一号車の完成 国産エンジンを積んだ三輪自動車の完成車製作への進出
1920年代
田嶋一雄氏の創業 日独写真機商店としての旗揚げと、カメラの国産化への挑戦 倉敷絹織を別会社設立 人絹工業への進出を本体から切り離して担わせた新会社(現クラレ) 三井物産の出資で設立 人絹事業への進出と、親会社の名を冠さない社名での船出 G型自動織機を量産化 創業——専業メーカーとしての分社から、トヨタ自動車の独立へ至る起点 大阪でラジオへ転身 機械とシャープペンシルの特許を手放しての債務清算と、無一物からの再出発 独シーメンスと富士電機設立 資本・技術提携にもとづく合弁会社の設立と、重電分野への足がかり 本格ウイスキーの国産化 資本が数年寝るのを承知で始めた 赤線検温器として設立 創業——独製体温計の輸入途絶に医学者と実業家が組んだ検温器国産化の受け皿会社