上場企業の経営論点

上場企業の経営論点>技術と設備投資

研究開発への注力

戦後復興期、技術は自社で開発するものではなく、海外から導入するものであった。外貨は政府が割り当て、技術援助契約にも政府の認可が必要だった。自社で十年かけて開発するより、対価を払って完成済みの技術を導入するほうが早く、政府もその判断で外貨を配分した。したがって研究開発費の大半は、導入技術の対価と、それを国内の原料や設備に適合させる費用で占められていた。東レは米デュポンからナイロン技術を導入し、日立製作所はGE・RCA・WEと相次いで提携して、国産技術主義を撤回している。

転機は1960年代後半、資本自由化と排ガス規制が重なった時期に訪れた。資本自由化が進めば、外国企業は出資を通じて日本企業の経営に関与できる。そのとき導入技術しか持たない会社には、交渉で差し出せる材料がない。一方の排ガス規制は達成期限を先に定め、既存技術では届かない基準値を課した。つまり、導入しようにも、その技術が世界のどこにも存在しなかった。自社技術であれば投資の回収期間を自社で決められるが、導入技術では契約相手が定めた期間と対価に従うしかない。マツダは外資との資本提携を退けてロータリーエンジンを量産し、ホンダは低公害エンジンを独力で開発して、石油危機下で四輪の販売順位を押し上げた。東レが炭素繊維の黒字化まで約40年の赤字を引き受けたのも、この時期に始まる判断である。

もっとも、技術を外へ供与する会社になるまでには、さらに時間を要した。1985年、山之内製薬は自社開発の胃潰瘍治療薬の開発販売権を米メルクへ供与した。山之内製薬は自社の販売網では届かない海外市場をメルクの販路で開拓し、対価はロイヤルティで回収する。三共は高脂血症治療薬を、日亜化学工業は青色LEDを自社で創製した。導入技術は契約が切れれば手元に残らないが、自社で創製した技術は期限のない資産として残る。

2000年代に入り、特許が経営資産として認識されるころには、研究開発費の性格は反転していた。輸入技術の対価として払う費用ではなく、ライセンス供与で収入を生む無形資産への投資である。費目は同じでも、キャッシュの流れは海外への支払いから海外からの受け取りへ逆転した。

財務諸表のどこを見るか

まず販売費及び一般管理費の内訳にある研究開発費と、製造原価に算入された研究開発費を合算し、売上高に対する比率を追う。研究開発活動の記載でセグメント別の配分を確かめ、どの事業へ人員と資金が寄せられたかを読む。自社創製か外部導入かは、無形固定資産の特許権と、営業外収益の受取ロイヤリティに分かれて現れる。導出した技術は契約一時金とマイルストン収入として売上高へ入るため、経営上の重要な契約の注記を併読する。ソフトウェアの資産計上額と償却年数も見る。

2020年代

2026年リガクHD米Ontoと資本業務提携カーライル系ファンドが保有する株式27%の提携先への移管と、株主構成の入れ替え2026年村田製作所米Resonant社ののれん減損XBAR技術の取得をねらった買収と、のれん438億円が消えた結末2025年トレンドマイクロMagna AI合弁設立Wistron・NVIDIAとのソブリンAI進出と法人事業のTrendAIブランド化2025年アマダエイチアンドエフとビアメカニクス買収自前開発ではなく687億円の買収による超大型プレスと基板の微細穴明の獲得2025年ホンダ日産との統合協議打切経営の一体化構想へ着手しながら二カ月弱で引き返した判断2025年ニコンDSP-100の受注開始前工程で失った首位の、後工程のデジタル露光での立て直し2025年任天堂Switch2の投入主力ハードの世代交代と、次の商戦を担う後継機への切り替え2025年ソフトバンクG米Ampere買収で半導体強化米国の半導体設計会社を65億ドルで取り込む事業基盤の強化2025年ソフトバンクGOpenAIへの巨額出資AIインフラ「スターゲート」2024年アドバンテスト中期計画「MTP3」始動AI・HBMテスト需要ブームへの先行投資と過去最高益2024年浜松ホトニクスNKTフォトニクス子会社化デンマーク企業の取り込みによるレーザ・ファイバ光学領域への事業拡張2023年中外製薬研究拠点の横浜集約富士御殿場・鎌倉の両研究所の閉鎖と、創薬機能を一カ所に集約する選択2023年ローツェイアスの子会社化連続買収による半導体周辺装置とライフサイエンスへの多角化2023年NIPPON EXPRESSHD新・国際航空貨物基幹システム計画の断念総予定額が1.6倍に増加した投資の中止とソフトウェア154億円の全額減損2022年富士紡HDCMP研磨材で世界首位井上雅偉体制のROIC経営と、生成AI特需を取り込むニッチトップ戦略の確立2022年ADEKA全州第二工場の増強半導体材料への経営資源の集中と、高誘電体ALD材料の生産能力の増強2022年freee全固定資産の一括減損業績不振によらない帳簿の一掃と、開発費を全額その期の費用とする方式への切り替え2022年塩野義製薬ゾコーバの緊急承認取得新型コロナ経口薬をめぐる、承認前からの生産着手という賭け2022年島津製作所日水製薬の買収公開買付けによる取得と、体外診断薬・臨床検査領域への参入2022年東京エレクトロン合志と大和町への開発棟新設統合による規模拡大を捨てた国内の自社開発拠点への投資2021年日本ガイシ半導体セラミックスへ転換製造装置用部材に注力するデジタル社会領域への事業構成の組み替え2020年日本新薬ビルテプソの米国直販開始国産初のアンチセンス核酸医薬の承認取得と、提携に頼らない自社販売2020年東海旅客鉄道のぞみ・N700系の自主開発東海道新幹線への経営資源集中と、高速化・高頻度化の追求

2010年代

2019年リガクHDXwinSysの買収イスラエル企業の取り込みによる、半導体量産ラインのX線計測への参入2019年東急不動産HD広域渋谷圏で段階売却総合デベロッパーから資本効率を軸とする不動産企業への転換2019年住友ファーマ英ロイバントとの提携戦略的提携によるスミトバントの子会社化と、相手方株式11%の取得2019年日本新薬難病・希少疾患の重点化第六次中期経営計画による注力領域の難病・希少疾患、泌尿器・血液内科への集中2019年第一三共アストラゼネカと提携提携相手と組んだエンハーツの世界展開と、がん事業への転換2019年川崎汽船自動車船・LNG船へ集中投資非海運多角化の見送りと、鉄鋼原料輸送を含む海運本業への資源の集中2018年JTプルームで加熱式参入先行を許した市場への後発参入と、そこからの巻き返し2018年ZOZOZOZOSUITへの投資撤退自社ブランドへの進出と1年余りでの撤退・特別損失の計上2018年FUJIファスフォードテクノロジ買収商号の「FUJI」への変更2017年高砂熱学工業インテグレーテッド社を子会社化空調専業としての「熱学」特化とクリーンルーム技術の内製化2017年東ソー塩ビ基盤事業の死守戦略汎用品からの撤退を選ばず、クロールアルカリを含む基盤事業を磨き切る方針2017年楽天G完全仮想化でMNO参入既存3社に挑む第4の携帯事業者としての自前網の構築2017年日本航空電子工業日本電気の子会社化公開買付けによる、その他の関係会社から親会社への関係の転換2017年レーザーテックABICS E120を世界初開発EUVマスク検査装置への集中開発と、他社にない供給体制の確立2017年日東電工杭州錦江集団へ技術供与大型偏光板技術の外部提供と、ボリュームゾーンからの離脱2017年任天堂Nintendo Switchの発売据置と携帯に分かれていた2つの製品ラインを1台へ集約する選択2017年カプコンRE ENGINEの内製化開発基盤の自前化とデジタル・DLC販売への構造転換2016年SBIHD米リップルとの提携提携を足がかりとした暗号資産事業への参入2016年ソフトバンクG英ARM買収で最大M&AIoT・AI時代を見据えた3.3兆円という過去最大規模の投資2015年MTGSIXPADの発売EMS機器を軸に、クリスティアーノ・ロナウド選手を起用した第2ブランドの構築2013年ペプチドリームマザーズ上場創業7年での公開と、製薬大手への技術提供を収益源に据える体制2012年オリンパスソニーとの資本業務提携大手からの資本の受け入れと、医療分野での合弁の立ち上げ2011年帝人フェブリクの創製発売化合物の創製から発売までを自社で手がける開発体制の確立2011年小野薬品工業米BMSと抗PD-1抗体提携北米以外・日韓台を除く開発販売権の委託とロイヤルティ収入2010年富士電機パワー半導体へ投資集中パワーエレクトロニクスを軸とした経営資源の集中2010年川崎重工業「すいそふろんてぃあ」建造液化水素サプライチェーンへの集中と、世界初の液化水素運搬船の建造

2000年代

2009年久光製薬米ノーベンの完全子会社化株式公開買付けを通じて進めた米国の医薬品会社の全株取得2009年ジェイテクトティムケンのニードル軸受取得2期連続赤字のさなかに踏み切った同業からの事業買収2009年GSユアサ本田技研とブルーエナジー設立完成車メーカーとの過半出資合弁による車載用リチウムイオン電池事業への参入2008年日本新薬セレキシパグをアクテリオンへ導出日本を除く全世界の開発販売権を他社へ委ねるという選択2008年TOYOTIREブリヂストンと資本提携業界首位を相手にした業務提携と、対等ではない株式の持ち合い2008年メイコービクターのサーキット事業譲受他社事業の譲り受けによる自前主義から外部成長への転換2007年キオクシアHDBiCS FLASHへの積層転換微細化の延長からメモリセルを縦に積む3次元構造への移行2007年富士フイルム「アスタリフト」発売写真技術の化粧品への転用と、スキンケアブランドによる新市場への進出2007年日本製鋼所室蘭製作所を原子力向けに増強製鋼・鍛錬設備の増強と、原子力発電向け大型鍛鋼への傾斜2007年THKリズム買収で輸送機器参入同業の買収を足がかりとした新たな事業領域への進出2006年東レファーストリテイリングと提携戦略的パートナーシップの締結とヒートテックの共同開発2006年三井海洋開発米SOFEC社を買収借りていた係留技術を自社のものにする全株式取得2006年三菱重工業仏アレバと中型炉合弁設立ウェスチングハウス買収入札での敗退を受けた、中型炉共同開発への転進2006年三菱鉛筆ジェットストリームの発売低い筆記抵抗を打ち出した油性ボールペンの国内発売と、ボール径・機能・色の品目追加によるシリーズ化2005年住友ファーマ住友製薬との合併社名を変更し、化学系グループの一員へと位置づけを変える再編2003年セーレン自社製品への転換下請け染色からの脱却と、自動車内装材・一貫生産への業態転換2003年FUJI高速多機能装着機NXT開発モジュール型を軸とした次世代機への設計転換2003年荏原製作所ACT'95でガス化溶融炉参入ポンプ依存からの脱却とダイオキシン規制下の環境事業への傾斜2003年アンリツモバイル計測に先行投資携帯通信の世代交代を先取りした、需要が立つ前からの資源投入2002年カゴメ商品開発体制の刷新ヒット商品を連続して生み出すことをねらった、社内の進め方の再構築2002年SUMCO住友・三菱で事業統合シリコンウェーハを300mm専業会社に集約する新会社の設立2002年ワークスアプリケーションズ問題解決型インターン導入問題解決能力の発掘を狙った、採用の物差しそのものの刷新2002年第一製薬第一サントリーファーマ設立酒類大手の医薬品事業部門を分社化して受け止める共同出資会社の発足2001年神戸製鋼所マイクロンに株式譲渡テキサス・インスツルメンツとの合弁の全株式売却による半導体撤退2001年古河電工米ルーセントの光ファイバ買収ケーブル部門の取り込みによる世界シェア2位への浮上2001年SCREEN HD枚葉式ウエハ洗浄への転換300mm対応装置の先行量産2001年日亜化学工業青色LED特許の囲い込みライセンス供与の拒否からの転換と豊田合成との特許相互不行使の和解2000年明治乳業乳酸菌LG21ヨーグルト発売味を競う商品から体への働きで選ばれる商品へと訴求を移す転換2000年オービックビジネスコンサルタント新ERP開発へ全面転換インターネット対応製品への新規開発資源の全面振替と、2005年3月期235億円の計画2000年太平洋セメントエコセメントを事業化都市ごみ・産業廃棄物の受け入れによる廃棄物処理事業の確立

1990年代

1999年日本移動通信cdmaOneへの転換DDIセルラーグループとの「au」へのブランド統一と、通信方式の一本化1998年味の素半導体材ABFの育成食品会社が世界シェア95%超を占めるに至ったパッケージ材事業の育成1998年カネカカネカソーラーテック設立専業子会社の設立と、薄膜シリコンへの100億円超の投資1997年セリアリアルタイムPOS導入規模ではなくデータで競う路線への転換と、発注システムの全店整備1997年三共ノスカールの国際展開糖尿病薬の海外展開が新たな収益源に育たず終わった戦略の挫折1997年日本移動通信DDIセルラーグループとの提携次世代携帯電話でのCDMA方式の共同採用と、陣営づくりへの全面的な着手1996年アリアケジャパン液体エキス専用工場建設年商の7割にあたる75億円を投じた専用設備への集中投資1994年クラレポバール・エバール中心の非繊維事業拡大汎用繊維の規模競争の回避と、研究開発の工場への集約1994年イビデンインテル攻略へ資源集中重点を一顧客に限定したプロジェクトへの経営資源の一点集中1994年三菱石油ベトナムで原油探鉱に進出南部沖「15-2」鉱区の取得と、自社オペレーターとしての操業への転換1994年ユニ・チャーム「ムーニーマン」の開発価格競争を退け、パンツ型紙おむつを3段階で開発して市場の構造を変革1993年JSRフォトレジストへ集中投資上位を望めない事業の整理と、半導体材料への研究費・設備の重点配分1993年第一製薬クラビットの発売タリビッドのL体だけを製品にした後継の抗菌剤と、原薬輸出と導出による海外展開1993年村田製作所海外移転によらない円建て輸出輸出取引の円建てへの統一と、生産設備まで自前で開発する国内生産の維持1993年第二電電日本イリジウムの設立米本社への218億円の出資と、2000年に終わった事業からの撤退1992年朝日インテックPCIガイドワイヤーの国産化極細ステンレスワイヤー販売から医療カテーテル製造業への転換1991年TOTOウォシュレットで米国参入国内市場への依存からの脱却——米国市場への本格参入と1兆円企業構想1991年東京製鐵岡山工場で熱延帯鋼へ参入高炉独占品種だった熱延広幅帯鋼への電炉メーカーとしての量産参入1990年セイコーエプソン洗浄工程のフロン全廃規制の削減日程に先立つ前倒しの決定と、外注企業まで含めた切り替え1990年三洋電機二次電池へ経営資源を集中二次電池に資源を配分する傾斜投資という、次の主力事業への賭け

1980年代

1989年日本ゼオン英BPケミカルズ特殊ゴム買収米社の同事業取得と併せた日米欧3極生産体制の構築1989年三菱樹脂三菱商事と共同出資会社設立光学式ビデオディスク事業への24億円投資と、新領域への足がかり1989年三共メバロチンの発売青かびの一株から18年をかけて実らせた自社創薬の事業化1989年日亜化学工業青色LEDの開発着手赤色LEDの価格競争からの撤退と、窒化ガリウムへの研究費の集中1989年山之内製薬筑波研究センターの開設バイオテクノロジーを用いた医薬品への投資1988年太陽誘電CD-Rの世界初商品化That''sブランドによる消費財市場への参入と、追記型光記録メディア1988年三洋証券トレーディングセンター建設兜町から4キロ離れた塩浜への、売買部門の一フロア集約1988年日本移動通信NTT大容量方式の採用開業時の無線方式へのTACS方式の不採用1987年大和工業米ニューコアとの合弁現地合弁会社の設立を通じた北米H形鋼事業への進出1987年荏原製作所藤沢工場で真空ポンプ生産半導体製造装置分野への参入と、CMP装置の事業化1987年日東電工米ハイドロノーティクス買収米企業の取り込みを足がかりとした高分子分離膜事業への参入1987年タカタ愛知川製造所でエアバッグ量産シートベルト専業からの参入と、ガス発生装置まで含む自社生産の体制1987年第二電電関西セルラー電話を設立全国8地域への分散設立による移動体通信への参入と、首都圏・中部圏の割り当ての譲歩1986年曙ブレーキ工業GM合弁アムブレーキ設立ベンディックスとの技術提携を解いての米国生産への踏み出し1986年中部電力碧南火力発電所の新設ガス火力の計画から海外炭の石炭火力への転換と、70万kW3基の建設1985年旭化成リチウムイオン電池を確立吉野彰氏による基本構造の確立と、それを囲い込む特許戦略1985年三菱瓦斯化学BT樹脂で機能化学品へ転換汎用化学品から機能化学品・電子材料への主力事業の転換1985年住友大阪セメント非セメント事業に多角化売上構成比50%を目標と定めた10年計画と、「電・光・石・化」4分野への進出1985年川崎製鉄川崎マイクロエレクトロニクス分社LSI事業推進部の発足によるASIC事業への参入と、独立会社への切り出し1985年ミノルタα-7000の発売オートフォーカス一眼レフへの賭けと、通常の4倍にあたる初回投入1985年山之内製薬米メルクへの技術輸出自社創製のH2ブロッカー「ガスター」の発売と、技術を海外へ導出する側への転換1984年トクヤマ東工場で多結晶シリコン製造開始自社の塩素と水素を生かした、半導体ウエーハ原料の国産化への参入1984年東京応化工業フォトレジストへ資源集中塩化ビニールなど大型市場への不参入と、狭い分野への資源の集中1983年ユキグニファクトリー雪国まいたけ設立太もやしの過当競争を経ての量産参入1983年神戸製鋼所米ミドレックス社を買収天然ガスで鉄鉱石を還元する製法の取得と、海外プラント事業の開始1983年浜松ホトニクス浜松ホトニクスへ改称テレビの名を捨て、光子工学を軸に位置づけ直した事業領域の再定義1983年アスキーMSX規格提唱で国産結集メーカー各社を一つのパソコン統一規格へまとめる旗振り役の獲得1982年コムシスHD日本通信建設が光ファイバー参入光ファイバーケーブル工事への早期参入1982年ナカニシ工業用切削機器へ参入歯科用の高速回転技術を医療の外へ展開した新規事業の立ち上げ1982年ヨネックスゴルフ事業への進出商号のヨネックスへの変更と新素材クラブの発売1982年イトーヨーカ堂セブンーイレブン方式導入業務改革(業革)の開始と、単品管理・仮説検証の本体への持ち込み1981年キユーピー卵黄レシチンでファインケミカルへ進出マヨネーズの卵を医薬品や化粧品の原料にも加工する事業の開始1981年久光製薬サロンパス軸へ資源集中赤字決算を受けた経皮吸収型製剤への経営資源集中1981年ニチアスアスベストを社名から除外主原料を代替素材へ切り替える転換の宣言1981年FUJICP-1で実装機へ転換工作機械専業から電子部品実装機への主力転換1981年中部電力川越火力発電所の新設誘致を決議した町の埋立地への、超々臨界圧LNG火力2基の建設1981年中部電力四日市火力4号系列の新設石油関連企業の立地拒否の解除と中部電力初のコンバインドサイクル1981年ソフトバンクGパソコンソフト卸売事業の立ち上げ日本ソフトバンクの創業1980年明治製菓薬品部門への経営資源集中不採算な菓子工場の閉鎖による食品事業の構造改善と主力の入れ替え1980年旭化成石油依存の収益構造から脱却原子力・電子・医薬という三分野に経営資源を集中した第二次多角化1980年オービックビジネスコンサルタント沖電気の資金で会計ソフト設立公認会計士業からの転身と、得た1億円の製品開発への全額投入1980年AGCアミーバ的多角化戦略型研究開発を核とした新規事業の相次ぐ立ち上げ1980年フジクラ光ファイバと融着接続機への投資共同研究のファイバ技術とは別の、接続装置の自社開発1980年パイオニアLDプレーヤーVP-1000発表レーザーディスク事業への集中投資と、映像メディアへの進出1980年メイコー多層プリント配線板へ進出両面板専業からの脱却と、より高度な製品分野への転換1980年三井不動産共同事業「レッツ」の開始用地を自ら取得せずに開発機会だけを取り込む事業方式の確立

1970年代

1979年信越化学工業ダウコーニングとの合弁設立共同出資で設立した半導体事業会社の、優先交渉権行使による全株取得1978年三菱化学ライフサイエンス分野へ再参入生命科学の専門研究所の設立と、そこを起点とする研究体制の構築1978年NECC&C構想の提唱コンピュータと通信の融合という全社ビジョン1977年藤沢薬品工業セファメジンへ集中投資主力薬効を抗生物質と神経系へ集中する事業構成の組み替え1977年マルハ二百カイリ後の加工食品転換遠洋漁業に依存した主力事業からの撤退と養殖への軸足移動1976年住友林業クタイ・ティンバー設立インドネシアでの合板現地生産に踏み切る海外生産拠点の設立1975年ディスコダイシングソーを自社開発切断装置の自社開発と、砥石・装置・使い方を一社で担う体制への転換1975年赤井電機ビデオ参入とVHS後発合流家庭用ビデオへの参入と、規格争いで後発として陣営に付く選択1975年日東電工三新活動の導入新製品比率30%を常設の規律とした三新活動1974年オービック自社開発ソフトへ転換商号変更に合わせた会計機販売から情報処理サービスへの業態転換1974年三和HD三和ドアー工業を合併合併を機としたシャッター専業から建材総合メーカーへの脱皮1974年野村マイクロ・サイエンスアクアメディア社から技術導入米GE製ろ過膜の輸入販売から超純水製造システムへの転換1974年カシオ計算機「カシオトロン」発売デジタル電子腕時計での時計事業への参入と、事業領域の拡大1974年ホンダCVCCエンジンの開発他社に頼らない独力開発と、石油危機下での四輪シェア逆転1973年ニデック精密小型モータで創業資本金200万円からの出発と、米国経由の信用を足がかりにした世界シェアの獲得1973年シャープ液晶電卓EL-805発売電卓の価格競争から降り、半導体と液晶という独自デバイスに経営資源を集中した転進1973年中部電力知多火力5・6号機のLNG導入大気汚染の重い臨海部での増設を通した、中部電力初のLNG専焼火力の採用1972年秩父セメントSF式焼成法を開発小型テスト窯を飛ばして実用窯で挑んだ新焼成法の開発1972年ヒロセ電機創業35年での株式上場外資と組まない純国産コネクタ専業のまま東証二部へ上場1972年キーエンス滝崎武光氏が創業創業——リード電機の自動線材切断機から付加価値価格のセンサー専業1972年ファナック富士通「3C構想」から分社親会社の制御部門を切り出して立てたNC専業メーカーの創業1972年太陽誘電「脱磁器コンデンサ」方針表明主力製品への依存を断つ方針の表明と、新製品領域への多角化1972年東京ガス上尾を起点に熱量変更供給熱量の11,000キロカロリーへの引き上げと、首都圏550万件のガス機器の自社調整1971年東レ「トレカ」の事業化炭素繊維を事業に育てる決断と、黒字化まで約40年に及ぶ赤字の引き受け1971年積水化学工業セキスイハイムで住宅参入鉄骨系ユニット住宅を差別化要因にした新しい主力事業の立ち上げ1971年コニカU-Bixで事務機参入電子複写機の投入に合わせた八王子工場のカメラからの転換1970年宝HD中央研究所設置で遺伝子工学着手発酵を軸にした基礎研究への投資と、次世代技術への種まき1970年日本触媒SAP市場への後発参入アクリル酸の国産化と後発参入を結び付けた原料一貫戦略の確立1970年象印マホービン電子ジャーの発売自社開発の製品を足がかりに、魔法瓶専業から家庭用電気製品部門への進出1970年川崎汽船自動車専用船PCCの実用化フルコンテナ船の投入と、世界初となる専用船型による輸送の刷新1970年四国電力伊方原発の立地決定地元からの誘致を受け入れた原子力発電所の建設地の確定

1960年代

1969年セイコーG「アストロン」の特許公開世界初のクオーツウオッチの技術を開放したことによるデファクト化1969年東京ガスアラスカ産LNGの導入15年の長期契約・東京電力との共同調達と根岸基地の建設1968年鹿島建設霞が関ビル完成超高層・耐震技術への先行投資と開発事業への進出1968年アリアケジャパン畜産エキスの自社製造アサリエキスの卸売からの離脱と、原料から製造・販売する側への転身1968年帝人未来事業本部を発足繊維一本足からの脱却を掲げた新規事業探索の専門組織づくり1968年上村工業枚方に中央研究所建設めっき用化学品製造部門の移転を伴う研究開発拠点の集約1968年ディスコ極薄砥石ミクロンカットの開発注射針・万年筆向けの砥石屋による半導体用の極薄化への開発1968年アマノ「アレコデータ」の発売コンピューター就業管理システム1967年カネカ高砂のオキシ法塩ビモノマー工場建設塩ビ原料の石油系エチレンへの切り替えとナフサ方式の見送り1967年日本特殊陶業セラミックICパッケージ発売自社技術を電子部品へ展開する非自動車領域への多角化1967年オムロン阪急北千里駅の無人化制御技術を社会インフラへ展開する社会システム事業と世界初の無人駅システム1967年マツダロータリーエンジン量産化外資との資本提携を退けて選んだ独自技術による単独路線1967年ダイハツ工業トヨタとの業務提携業務提携の受け入れと、自前の販売部門の切り出し1967年ニフコ米ITWとの合弁設立日英物産との出資による日本工業ファスナーの立ち上げ1967年中部電力浜岡原子力発電所の建設芦浜の行き詰まりを受けた浜岡への立地の切り替えと、沸騰水型軽水炉1号機の建設1966年セコム「SPアラーム」の開発人海警備から機械警備へ、日本初のオンライン安全システムによる転換1965年堀場製作所排ガス測定装置の事業化自動車から出る気体を測る装置の製品化と、世への送り出し1964年日本ガイシ6対4構想で非碍子へ第1次長期経営計画での「碍子6・非碍子4」構想の策定と周辺分野への多角化1964年セイコーエプソン"EPSON"ブランド制定東京オリンピックの計時用プリンターを起点とした印刷機事業の立ち上げ1963年コーセーHD仏ロレアルと技術提携国内資本にこだわらず、外資との合弁を受け入れる道の選択1963年オークマNC装置「OSP」開発制御装置の内製化による、機械と制御を一体で設計する体制の構築1963年東京エレクトロン東京放送の出資で創業放送局の資本を後ろ盾として踏み出した事業の立ち上げ1962年日清食品HDチキンラーメン製法特許の行使製法の独占ではなく、実施料を取る許諾契約による同業との共存1962年倉敷紡績寝屋川工場を新設化成品・環境エンジニアリング・エレクトロニクスへ本体で多角化1962年デンカ青海工場でゴム国産化国産技術によるクロロプレンゴムの企業化と、丸善石油化学コンビナートへの参加1962年曙ブレーキ工業ベンディックス提携と岩槻製造所岩槻製造所への資本金数倍の投資1961年塩野義製薬独創品への路線転換導入品依存からの転換と、独創品開発に向けた新研究所の建設1961年日本発條トヨタ向けシート事業参入豊田工場の新設と、完成車メーカー専用の生産体制の確立1961年日本航空電子工業米ハネウェルと技術提携海外大手との技術援助契約を足がかりにした航空機搭載機器への進出1960年江崎グリコ総合食品化への転換栄養菓子の一本足からアイス・チョコ・ガム・カレーへ拡充した総合食品化1960年東海カーボン米キャボット社と技術提携カーボンブラック製造技術の導入と、知多工場の新設1960年日本製鋼所アンケル・ベルクと成形機提携技術導入によるプラスチック射出成形機事業の立ち上げと、一般産業機械部門の拡大1960年クボタ純国産トラクタT15形の発売耕うん機から完成機体系への農業機械の組み替え1960年オムロン無接点近接スイッチで転換保護継電器メーカーから制御機器メーカーへ、世界初の製品を軸とした業態の組み替え1960年日本アイ・ビー・エム特許公開で千鳥町工場生産へ特許の公開と引き換えに国内生産の認可を得た三者合意

1950年代

1959年三菱電機北伊丹工場の新設半導体量産専門工場・西条・高知への量産設備の拡大1959年京セラ京都セラミックとして設立設立と、持株第4位の技術者が経営の実権を掌握するま1959年日本国有鉄道東海道新幹線の建設在来線の改良で持ちこたえる案を退け、広軌の別線に投じる選択1958年明治製菓カナマイシンの工業化梅沢浜夫博士の抗生物質の培養から製剤までの一貫生産1958年日本光電工業トランジスタへの転換主要部品を真空管から置き換えることによる小型ME機器への移行1957年東レ英ICIから技術導入ポリエステル繊維技術をめぐる、同業他社と足並みを揃えた共同導入1957年神崎製紙チャンピオン社の技術導入キャスト・コーティングでの自社方式から相手方式への全面切替1957年上村工業めっき用化学品の製造開始本社に薬品部を設置しての、自社での薬品づくりへの踏み出し1957年リンナイ赤外線ガスバーナー参入独シュバンク社との技術提携を足がかりとした新分野への進出1957年ダイフクビューラー社と技術提携ジャービス・ビー・ウェブ社との提携も重ねた搬送機械への転換1957年カシオ計算機計算機「14-A」の商品化世界初の小型純電気式カシオ計算機の設立1957年ペンタックスアサヒペンタックスの開発距離計連動式を採らない一眼レフカメラへの集中と、専業メーカーへの転換1956年三菱重工業マンモスタンカー建造着手超大型船の建造に耐える設備の拡充と、大型化への方針転換1956年島津製作所航空機器部門の新設とギャレット社との提携戦時の部品量産の経験を生かしたジェット機国産化への参加1956年日亜化学工業阿南市で蛍光体原料開発塩化カルシウムを主原料とする蛍光灯用蛍光体原料の開発と、日亜化学工業の設立1954年アドバンテスト豊橋でタケダ理研工業を創業大企業が目を向けない電子計測器に集中し、量産と値引きで競う市場を捨てた出発1953年安藤・間米アトキンソン社と共同企業体米社との共同企業体を通じた機械化施工の導入1953年信越化学工業GEとの提携でシリコーン事業化技術提携を足がかりとした事業化と、肥料中心の売上構成の入れ替え1953年日立製作所GE・RCA・WEと技術提携海外技術の相次ぐ受け入れと、国産技術主義の撤回1953年アズビル米ハネウエルと資本提携50対50の折半出資と、工業計器・空調制御機器・マイクロスイッチの包括的な技術導入1953年SUBARU中島飛行機の戦後再結集占領政策で解体された旧5社の再統合による富士重工業の誕生1953年東京精密空気マイクロメータの工業化日本初の工業化と、切削工具から精密測定機器への主力の移行1953年ヤマハ木材乾燥技術への投資木材乾燥システム開発と量産品質の確立1952年DIC日本ライヒホールド設立米国の化学メーカーと組んだ合弁による合成樹脂事業への参入1952年日本軽金属HDアルミニウム社と資本提携カナダ大手との技術援助契約の締結と、増資新株の引き受けによる資本の受け入れ1952年ゴールドウイン野球用品中心へ全面転換一般メリヤス雑貨の生産をやめてのスポーツウエア専業への集中1951年東レ米デュポンと技術提携ナイロン技術の導入と、自社での生産に踏み出す足がかりの確保1951年ブリヂストングッドイヤーからタイヤ製法を導入自前の技術開発ではなく米最大手の製造方法を一括して持ち込んだ選択1951年オルガノローム・アンド・ハースと提携イオン交換樹脂アンバーライトの日本総代理店化1951年三菱電機ウエスチングハウスと再提携技術・資本両面での関係の復活と、「三菱」商号の存続1950年不二製油伊藤忠出資で不二蚕糸工場買収親会社の全額出資による設立と、大阪の既存設備を引き継いだ操業開始1950年クラレビニロンの企業化国産技術の合成繊維をポバールから一貫して生産する体制の立ち上げ1950年日本ゼオン米グッドリッチとの合弁設立技術を持つ相手と組んで興した新会社による塩化ビニル樹脂の国産化1950年堀場製作所国産初のpHメータ開発ガラス電極式の製品化を足がかりとした計測器専業への転換1950年村田製作所部品専業への特化原料と生産設備の内製化による垂直統合の構築と、完成品分野への不参入1950年パイロットコーポレーションパイロットインキの設立名古屋のインキ工場を本体から切り出し、別会社として独立させる分離

1940年代

1930年代

1920年代

1910年代

1900年代

1890年代

1880年代

1840年代

1800年代

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自社技術による隣接領域への展開74事例

2026年村田製作所米Resonant社ののれん減損XBAR技術の取得をねらった買収と、のれん438億円が消えた結末2025年アマダエイチアンドエフとビアメカニクス買収自前開発ではなく687億円の買収による超大型プレスと基板の微細穴明の獲得2024年浜松ホトニクスNKTフォトニクス子会社化デンマーク企業の取り込みによるレーザ・ファイバ光学領域への事業拡張2023年ローツェイアスの子会社化連続買収による半導体周辺装置とライフサイエンスへの多角化2022年島津製作所日水製薬の買収公開買付けによる取得と、体外診断薬・臨床検査領域への参入2019年リガクHDXwinSysの買収イスラエル企業の取り込みによる、半導体量産ラインのX線計測への参入2018年JTプルームで加熱式参入先行を許した市場への後発参入と、そこからの巻き返し2018年ZOZOZOZOSUITへの投資撤退自社ブランドへの進出と1年余りでの撤退・特別損失の計上2018年FUJIファスフォードテクノロジ買収商号の「FUJI」への変更2017年楽天G完全仮想化でMNO参入既存3社に挑む第4の携帯事業者としての自前網の構築2016年SBIHD米リップルとの提携提携を足がかりとした暗号資産事業への参入2015年MTGSIXPADの発売EMS機器を軸に、クリスティアーノ・ロナウド選手を起用した第2ブランドの構築2009年GSユアサ本田技研とブルーエナジー設立完成車メーカーとの過半出資合弁による車載用リチウムイオン電池事業への参入2007年富士フイルム「アスタリフト」発売写真技術の化粧品への転用と、スキンケアブランドによる新市場への進出2007年THKリズム買収で輸送機器参入同業の買収を足がかりとした新たな事業領域への進出2003年荏原製作所ACT'95でガス化溶融炉参入ポンプ依存からの脱却とダイオキシン規制下の環境事業への傾斜2000年太平洋セメントエコセメントを事業化都市ごみ・産業廃棄物の受け入れによる廃棄物処理事業の確立1994年ユニ・チャーム「ムーニーマン」の開発価格競争を退け、パンツ型紙おむつを3段階で開発して市場の構造を変革1993年第二電電日本イリジウムの設立米本社への218億円の出資と、2000年に終わった事業からの撤退1991年東京製鐵岡山工場で熱延帯鋼へ参入高炉独占品種だった熱延広幅帯鋼への電炉メーカーとしての量産参入1989年三菱樹脂三菱商事と共同出資会社設立光学式ビデオディスク事業への24億円投資と、新領域への足がかり1989年日亜化学工業青色LEDの開発着手赤色LEDの価格競争からの撤退と、窒化ガリウムへの研究費の集中1988年太陽誘電CD-Rの世界初商品化That''sブランドによる消費財市場への参入と、追記型光記録メディア1987年荏原製作所藤沢工場で真空ポンプ生産半導体製造装置分野への参入と、CMP装置の事業化1987年日東電工米ハイドロノーティクス買収米企業の取り込みを足がかりとした高分子分離膜事業への参入1987年タカタ愛知川製造所でエアバッグ量産シートベルト専業からの参入と、ガス発生装置まで含む自社生産の体制1987年第二電電関西セルラー電話を設立全国8地域への分散設立による移動体通信への参入と、首都圏・中部圏の割り当ての譲歩1985年旭化成リチウムイオン電池を確立吉野彰氏による基本構造の確立と、それを囲い込む特許戦略1984年トクヤマ東工場で多結晶シリコン製造開始自社の塩素と水素を生かした、半導体ウエーハ原料の国産化への参入1982年コムシスHD日本通信建設が光ファイバー参入光ファイバーケーブル工事への早期参入1982年ナカニシ工業用切削機器へ参入歯科用の高速回転技術を医療の外へ展開した新規事業の立ち上げ1982年ヨネックスゴルフ事業への進出商号のヨネックスへの変更と新素材クラブの発売1981年キユーピー卵黄レシチンでファインケミカルへ進出マヨネーズの卵を医薬品や化粧品の原料にも加工する事業の開始1981年FUJICP-1で実装機へ転換工作機械専業から電子部品実装機への主力転換1980年AGCアミーバ的多角化戦略型研究開発を核とした新規事業の相次ぐ立ち上げ1980年フジクラ光ファイバと融着接続機への投資共同研究のファイバ技術とは別の、接続装置の自社開発1980年パイオニアLDプレーヤーVP-1000発表レーザーディスク事業への集中投資と、映像メディアへの進出1978年三菱化学ライフサイエンス分野へ再参入生命科学の専門研究所の設立と、そこを起点とする研究体制の構築1977年マルハ二百カイリ後の加工食品転換遠洋漁業に依存した主力事業からの撤退と養殖への軸足移動1975年赤井電機ビデオ参入とVHS後発合流家庭用ビデオへの参入と、規格争いで後発として陣営に付く選択1974年三和HD三和ドアー工業を合併合併を機としたシャッター専業から建材総合メーカーへの脱皮1974年カシオ計算機「カシオトロン」発売デジタル電子腕時計での時計事業への参入と、事業領域の拡大1972年太陽誘電「脱磁器コンデンサ」方針表明主力製品への依存を断つ方針の表明と、新製品領域への多角化1971年東レ「トレカ」の事業化炭素繊維を事業に育てる決断と、黒字化まで約40年に及ぶ赤字の引き受け1971年積水化学工業セキスイハイムで住宅参入鉄骨系ユニット住宅を差別化要因にした新しい主力事業の立ち上げ1970年日本触媒SAP市場への後発参入アクリル酸の国産化と後発参入を結び付けた原料一貫戦略の確立1970年象印マホービン電子ジャーの発売自社開発の製品を足がかりに、魔法瓶専業から家庭用電気製品部門への進出1970年川崎汽船自動車専用船PCCの実用化フルコンテナ船の投入と、世界初となる専用船型による輸送の刷新1968年鹿島建設霞が関ビル完成超高層・耐震技術への先行投資と開発事業への進出1968年帝人未来事業本部を発足繊維一本足からの脱却を掲げた新規事業探索の専門組織づくり1968年ディスコ極薄砥石ミクロンカットの開発注射針・万年筆向けの砥石屋による半導体用の極薄化への開発1967年日本特殊陶業セラミックICパッケージ発売自社技術を電子部品へ展開する非自動車領域への多角化1967年オムロン阪急北千里駅の無人化制御技術を社会インフラへ展開する社会システム事業と世界初の無人駅システム1965年堀場製作所排ガス測定装置の事業化自動車から出る気体を測る装置の製品化と、世への送り出し1964年日本ガイシ6対4構想で非碍子へ第1次長期経営計画での「碍子6・非碍子4」構想の策定と周辺分野への多角化1964年セイコーエプソン"EPSON"ブランド制定東京オリンピックの計時用プリンターを起点とした印刷機事業の立ち上げ1962年デンカ青海工場でゴム国産化国産技術によるクロロプレンゴムの企業化と、丸善石油化学コンビナートへの参加1961年日本発條トヨタ向けシート事業参入豊田工場の新設と、完成車メーカー専用の生産体制の確立1961年日本航空電子工業米ハネウェルと技術提携海外大手との技術援助契約を足がかりにした航空機搭載機器への進出1960年江崎グリコ総合食品化への転換栄養菓子の一本足からアイス・チョコ・ガム・カレーへ拡充した総合食品化1960年東海カーボン米キャボット社と技術提携カーボンブラック製造技術の導入と、知多工場の新設1960年日本製鋼所アンケル・ベルクと成形機提携技術導入によるプラスチック射出成形機事業の立ち上げと、一般産業機械部門の拡大1957年上村工業めっき用化学品の製造開始本社に薬品部を設置しての、自社での薬品づくりへの踏み出し1956年島津製作所航空機器部門の新設とギャレット社との提携戦時の部品量産の経験を生かしたジェット機国産化への参加1956年日亜化学工業阿南市で蛍光体原料開発塩化カルシウムを主原料とする蛍光灯用蛍光体原料の開発と、日亜化学工業の設立1953年信越化学工業GEとの提携でシリコーン事業化技術提携を足がかりとした事業化と、肥料中心の売上構成の入れ替え1953年アズビル米ハネウエルと資本提携50対50の折半出資と、工業計器・空調制御機器・マイクロスイッチの包括的な技術導入1953年東京精密空気マイクロメータの工業化日本初の工業化と、切削工具から精密測定機器への主力の移行1952年DIC日本ライヒホールド設立米国の化学メーカーと組んだ合弁による合成樹脂事業への参入1946年明治製菓ペニシリン製造の開始抗生物質の原末まで自前で生産する体制の構築と、戦災を受けた川崎工場の再起1926年倉敷紡績倉敷絹織を別会社設立人絹工業への進出を本体から切り離して担わせた新会社(現クラレ)1926年東レ三井物産の出資で設立人絹事業への進出と、親会社の名を冠さない社名での設立1923年古河電工独シーメンスと富士電機設立資本・技術提携にもとづく合弁会社の設立と、重電分野への足がかり1917年ADEKA古河系電気化学として創立電解の副生水素を使う硬化油事業を併せ持つ会社としての出発

新技術による祖業の転換52事例

2021年日本ガイシ半導体セラミックスへ転換製造装置用部材に注力するデジタル社会領域への事業構成の組み替え2019年第一三共アストラゼネカと提携提携相手と組んだエンハーツの世界展開と、がん事業への転換2011年帝人フェブリクの創製発売化合物の創製から発売までを自社で手がける開発体制の確立2003年セーレン自社製品への転換下請け染色からの脱却と、自動車内装材・一貫生産への業態転換2003年アンリツモバイル計測に先行投資携帯通信の世代交代を先取りした、需要が立つ前からの資源投入2001年古河電工米ルーセントの光ファイバ買収ケーブル部門の取り込みによる世界シェア2位への浮上1997年三共ノスカールの国際展開糖尿病薬の海外展開が新たな収益源に育たず終わった戦略の挫折1994年クラレポバール・エバール中心の非繊維事業拡大汎用繊維の規模競争の回避と、研究開発の工場への集約1993年JSRフォトレジストへ集中投資上位を望めない事業の整理と、半導体材料への研究費・設備の重点配分1992年朝日インテックPCIガイドワイヤーの国産化極細ステンレスワイヤー販売から医療カテーテル製造業への転換1989年三共メバロチンの発売青かびの一株から18年をかけて実らせた自社創薬の事業化1989年山之内製薬筑波研究センターの開設バイオテクノロジーを用いた医薬品への投資1987年荏原製作所藤沢工場で真空ポンプ生産半導体製造装置分野への参入と、CMP装置の事業化1985年三菱瓦斯化学BT樹脂で機能化学品へ転換汎用化学品から機能化学品・電子材料への主力事業の転換1985年山之内製薬米メルクへの技術輸出自社創製のH2ブロッカー「ガスター」の発売と、技術を海外へ導出する側への転換1983年浜松ホトニクス浜松ホトニクスへ改称テレビの名を捨て、光子工学を軸に位置づけ直した事業領域の再定義1981年ニチアスアスベストを社名から除外主原料を代替素材へ切り替える転換の宣言1981年FUJICP-1で実装機へ転換工作機械専業から電子部品実装機への主力転換1980年明治製菓薬品部門への経営資源集中不採算な菓子工場の閉鎖による食品事業の構造改善と主力の入れ替え1977年マルハ二百カイリ後の加工食品転換遠洋漁業に依存した主力事業からの撤退と養殖への軸足移動1975年ディスコダイシングソーを自社開発切断装置の自社開発と、砥石・装置・使い方を一社で担う体制への転換1974年オービック自社開発ソフトへ転換商号変更に合わせた会計機販売から情報処理サービスへの業態転換1974年三和HD三和ドアー工業を合併合併を機としたシャッター専業から建材総合メーカーへの脱皮1974年野村マイクロ・サイエンスアクアメディア社から技術導入米GE製ろ過膜の輸入販売から超純水製造システムへの転換1973年シャープ液晶電卓EL-805発売電卓の価格競争から降り、半導体と液晶という独自デバイスに経営資源を集中した転進1972年太陽誘電「脱磁器コンデンサ」方針表明主力製品への依存を断つ方針の表明と、新製品領域への多角化1971年コニカU-Bixで事務機参入電子複写機の投入に合わせた八王子工場のカメラからの転換1970年象印マホービン電子ジャーの発売自社開発の製品を足がかりに、魔法瓶専業から家庭用電気製品部門への進出1969年セイコーG「アストロン」の特許公開世界初のクオーツウオッチの技術を開放したことによるデファクト化1969年東京ガスアラスカ産LNGの導入15年の長期契約・東京電力との共同調達と根岸基地の建設1968年アリアケジャパン畜産エキスの自社製造アサリエキスの卸売からの離脱と、原料から製造・販売する側への転身1968年アマノ「アレコデータ」の発売コンピューター就業管理システム1960年日本製鋼所アンケル・ベルクと成形機提携技術導入によるプラスチック射出成形機事業の立ち上げと、一般産業機械部門の拡大1960年クボタ純国産トラクタT15形の発売耕うん機から完成機体系への農業機械の組み替え1960年オムロン無接点近接スイッチで転換保護継電器メーカーから制御機器メーカーへ、世界初の製品を軸とした業態の組み替え1958年日本光電工業トランジスタへの転換主要部品を真空管から置き換えることによる小型ME機器への移行1957年東レ英ICIから技術導入ポリエステル繊維技術をめぐる、同業他社と足並みを揃えた共同導入1957年上村工業めっき用化学品の製造開始本社に薬品部を設置しての、自社での薬品づくりへの踏み出し1957年ダイフクビューラー社と技術提携ジャービス・ビー・ウェブ社との提携も重ねた搬送機械への転換1957年ペンタックスアサヒペンタックスの開発距離計連動式を採らない一眼レフカメラへの集中と、専業メーカーへの転換1956年日亜化学工業阿南市で蛍光体原料開発塩化カルシウムを主原料とする蛍光灯用蛍光体原料の開発と、日亜化学工業の設立1953年信越化学工業GEとの提携でシリコーン事業化技術提携を足がかりとした事業化と、肥料中心の売上構成の入れ替え1953年東京精密空気マイクロメータの工業化日本初の工業化と、切削工具から精密測定機器への主力の移行1952年ゴールドウイン野球用品中心へ全面転換一般メリヤス雑貨の生産をやめてのスポーツウエア専業への集中1951年東レ米デュポンと技術提携ナイロン技術の導入と、自社での生産に踏み出す足がかりの確保1950年堀場製作所国産初のpHメータ開発ガラス電極式の製品化を足がかりとした計測器専業への転換1936年日本冶金工業ステンレスへ業態転換消火器から火工品へ、さらに特殊鋼へと続いた二度の業態転換1933年アズビル大森で計器メーカーへ転換輸入商から自社製造へ踏み出した製作所の開設と、商いから工業への軸足移動1930年ダイハツ工業ダイハツ1号車HA型の完成エンジンの供給から三輪自動車の完成車製造への進出1924年シャープ大阪でラジオへ転身機械とシャープペンシルの特許を譲渡しての債務清算と、無一物からの再出発1923年サントリーHD本格ウイスキーの国産化資本が数年寝るのを承知で始めた1840年鹿島建設江戸京橋で創業大工棟梁「大岩」から「鉄道の鹿島」への転身

新技術量産への設備投資51事例

2025年ホンダ日産との統合協議打切経営の一体化構想へ着手しながら二カ月弱で引き返した判断2024年アドバンテスト中期計画「MTP3」始動AI・HBMテスト需要ブームへの先行投資と過去最高益2023年中外製薬研究拠点の横浜集約富士御殿場・鎌倉の両研究所の閉鎖と、創薬機能を一カ所に集約する選択2022年ADEKA全州第二工場の増強半導体材料への経営資源の集中と、高誘電体ALD材料の生産能力の増強2022年東京エレクトロン合志と大和町への開発棟新設統合による規模拡大を捨てた国内の自社開発拠点への投資2021年日本ガイシ半導体セラミックスへ転換製造装置用部材に注力するデジタル社会領域への事業構成の組み替え2019年川崎汽船自動車船・LNG船へ集中投資非海運多角化の見送りと、鉄鋼原料輸送を含む海運本業への資源の集中2017年楽天G完全仮想化でMNO参入既存3社に挑む第4の携帯事業者としての自前網の構築2010年富士電機パワー半導体へ投資集中パワーエレクトロニクスを軸とした経営資源の集中2010年川崎重工業「すいそふろんてぃあ」建造液化水素サプライチェーンへの集中と、世界初の液化水素運搬船の建造2009年GSユアサ本田技研とブルーエナジー設立完成車メーカーとの過半出資合弁による車載用リチウムイオン電池事業への参入2007年キオクシアHDBiCS FLASHへの積層転換微細化の延長からメモリセルを縦に積む3次元構造への移行2007年日本製鋼所室蘭製作所を原子力向けに増強製鋼・鍛錬設備の増強と、原子力発電向け大型鍛鋼への傾斜2002年SUMCO住友・三菱で事業統合シリコンウェーハを300mm専業会社に集約する新会社の設立1998年カネカカネカソーラーテック設立専業子会社の設立と、薄膜シリコンへの100億円超の投資1996年アリアケジャパン液体エキス専用工場建設年商の7割にあたる75億円を投じた専用設備への集中投資1991年東京製鐵岡山工場で熱延帯鋼へ参入高炉独占品種だった熱延広幅帯鋼への電炉メーカーとしての量産参入1990年三洋電機二次電池へ経営資源を集中二次電池に資源を配分する傾斜投資という、次の主力事業への賭け1989年三菱樹脂三菱商事と共同出資会社設立光学式ビデオディスク事業への24億円投資と、新領域への足がかり1989年山之内製薬筑波研究センターの開設バイオテクノロジーを用いた医薬品への投資1988年三洋証券トレーディングセンター建設兜町から4キロ離れた塩浜への、売買部門の一フロア集約1988年日本移動通信NTT大容量方式の採用開業時の無線方式へのTACS方式の不採用1986年中部電力碧南火力発電所の新設ガス火力の計画から海外炭の石炭火力への転換と、70万kW3基の建設1981年中部電力川越火力発電所の新設誘致を決議した町の埋立地への、超々臨界圧LNG火力2基の建設1981年中部電力四日市火力4号系列の新設石油関連企業の立地拒否の解除と中部電力初のコンバインドサイクル1980年メイコー多層プリント配線板へ進出両面板専業からの脱却と、より高度な製品分野への転換1979年信越化学工業ダウコーニングとの合弁設立共同出資で設立した半導体事業会社の、優先交渉権行使による全株取得1973年中部電力知多火力5・6号機のLNG導入大気汚染の重い臨海部での増設を通した、中部電力初のLNG専焼火力の採用1970年川崎汽船自動車専用船PCCの実用化フルコンテナ船の投入と、世界初となる専用船型による輸送の刷新1970年四国電力伊方原発の立地決定地元からの誘致を受け入れた原子力発電所の建設地の確定1969年東京ガスアラスカ産LNGの導入15年の長期契約・東京電力との共同調達と根岸基地の建設1968年上村工業枚方に中央研究所建設めっき用化学品製造部門の移転を伴う研究開発拠点の集約1967年カネカ高砂のオキシ法塩ビモノマー工場建設塩ビ原料の石油系エチレンへの切り替えとナフサ方式の見送り1967年中部電力浜岡原子力発電所の建設芦浜の行き詰まりを受けた浜岡への立地の切り替えと、沸騰水型軽水炉1号機の建設1962年倉敷紡績寝屋川工場を新設化成品・環境エンジニアリング・エレクトロニクスへ本体で多角化1962年曙ブレーキ工業ベンディックス提携と岩槻製造所岩槻製造所への資本金数倍の投資1960年東海カーボン米キャボット社と技術提携カーボンブラック製造技術の導入と、知多工場の新設1959年三菱電機北伊丹工場の新設半導体量産専門工場・西条・高知への量産設備の拡大1959年日本国有鉄道東海道新幹線の建設在来線の改良で持ちこたえる案を退け、広軌の別線に投じる選択1958年明治製菓カナマイシンの工業化梅沢浜夫博士の抗生物質の培養から製剤までの一貫生産1956年三菱重工業マンモスタンカー建造着手超大型船の建造に耐える設備の拡充と、大型化への方針転換1953年安藤・間米アトキンソン社と共同企業体米社との共同企業体を通じた機械化施工の導入1953年ヤマハ木材乾燥技術への投資木材乾燥システム開発と量産品質の確立1951年ブリヂストングッドイヤーからタイヤ製法を導入自前の技術開発ではなく米最大手の製造方法を一括して持ち込んだ選択1950年クラレビニロンの企業化国産技術の合成繊維をポバールから一貫して生産する体制の立ち上げ1950年日本ゼオン米グッドリッチとの合弁設立技術を持つ相手と組んで興した新会社による塩化ビニル樹脂の国産化1949年YKKチェーンマシーン4台の輸入資本金の60倍を投じた設備投資1946年明治製菓ペニシリン製造の開始抗生物質の原末まで自前で生産する体制の構築と、戦災を受けた川崎工場の再起1936年日本冶金工業ステンレスへ業態転換消火器から火工品へ、さらに特殊鋼へと続いた二度の業態転換1926年東レ三井物産の出資で設立人絹事業への進出と、親会社の名を冠さない社名での設立1923年サントリーHD本格ウイスキーの国産化資本が数年寝るのを承知で始めた

技術の内製化と外部調達26事例

2025年ソフトバンクG米Ampere買収で半導体強化米国の半導体設計会社を65億ドルで取り込む事業基盤の強化2017年高砂熱学工業インテグレーテッド社を子会社化空調専業としての「熱学」特化とクリーンルーム技術の内製化2006年三井海洋開発米SOFEC社を買収借りていた係留技術を自社のものにする全株式取得2003年セーレン自社製品への転換下請け染色からの脱却と、自動車内装材・一貫生産への業態転換1994年三菱石油ベトナムで原油探鉱に進出南部沖「15-2」鉱区の取得と、自社オペレーターとしての操業への転換1994年ユニ・チャーム「ムーニーマン」の開発価格競争を退け、パンツ型紙おむつを3段階で開発して市場の構造を変革1993年村田製作所海外移転によらない円建て輸出輸出取引の円建てへの統一と、生産設備まで自前で開発する国内生産の維持1987年タカタ愛知川製造所でエアバッグ量産シートベルト専業からの参入と、ガス発生装置まで含む自社生産の体制1981年キユーピー卵黄レシチンでファインケミカルへ進出マヨネーズの卵を医薬品や化粧品の原料にも加工する事業の開始1980年フジクラ光ファイバと融着接続機への投資共同研究のファイバ技術とは別の、接続装置の自社開発1975年ディスコダイシングソーを自社開発切断装置の自社開発と、砥石・装置・使い方を一社で担う体制への転換1974年オービック自社開発ソフトへ転換商号変更に合わせた会計機販売から情報処理サービスへの業態転換1974年野村マイクロ・サイエンスアクアメディア社から技術導入米GE製ろ過膜の輸入販売から超純水製造システムへの転換1970年日本触媒SAP市場への後発参入アクリル酸の国産化と後発参入を結び付けた原料一貫戦略の確立1968年アリアケジャパン畜産エキスの自社製造アサリエキスの卸売からの離脱と、原料から製造・販売する側への転身1963年オークマNC装置「OSP」開発制御装置の内製化による、機械と制御を一体で設計する体制の構築1962年曙ブレーキ工業ベンディックス提携と岩槻製造所岩槻製造所への資本金数倍の投資1959年三菱電機北伊丹工場の新設半導体量産専門工場・西条・高知への量産設備の拡大1958年明治製菓カナマイシンの工業化梅沢浜夫博士の抗生物質の培養から製剤までの一貫生産1957年リンナイ赤外線ガスバーナー参入独シュバンク社との技術提携を足がかりとした新分野への進出1952年日本軽金属HDアルミニウム社と資本提携カナダ大手との技術援助契約の締結と、増資新株の引き受けによる資本の受け入れ1951年オルガノローム・アンド・ハースと提携イオン交換樹脂アンバーライトの日本総代理店化1950年村田製作所部品専業への特化原料と生産設備の内製化による垂直統合の構築と、完成品分野への不参入1943年日本冶金工業大江山ニッケル工業合併合併によって進めたニッケル原料の内製化と上流工程の取り込み1933年アズビル大森で計器メーカーへ転換輸入商から自社製造へ踏み出した製作所の開設と、商いから工業への軸足移動1931年三菱石油米アソシエイテッド石油と合弁設立外資との折半出資による三菱石油の設立と、川崎製油所の建設

技術優位を軸とした選択と集中24事例

2025年ニコンDSP-100の受注開始前工程で失った首位の、後工程のデジタル露光での立て直し2022年ADEKA全州第二工場の増強半導体材料への経営資源の集中と、高誘電体ALD材料の生産能力の増強2020年東海旅客鉄道のぞみ・N700系の自主開発東海道新幹線への経営資源集中と、高速化・高頻度化の追求2019年日本新薬難病・希少疾患の重点化第六次中期経営計画による注力領域の難病・希少疾患、泌尿器・血液内科への集中2019年川崎汽船自動車船・LNG船へ集中投資非海運多角化の見送りと、鉄鋼原料輸送を含む海運本業への資源の集中2017年高砂熱学工業インテグレーテッド社を子会社化空調専業としての「熱学」特化とクリーンルーム技術の内製化2017年東ソー塩ビ基盤事業の死守戦略汎用品からの撤退を選ばず、クロールアルカリを含む基盤事業を磨き切る方針2017年任天堂Nintendo Switchの発売据置と携帯に分かれていた2つの製品ラインを1台へ集約する選択2010年富士電機パワー半導体へ投資集中パワーエレクトロニクスを軸とした経営資源の集中2010年川崎重工業「すいそふろんてぃあ」建造液化水素サプライチェーンへの集中と、世界初の液化水素運搬船の建造2009年ジェイテクトティムケンのニードル軸受取得2期連続赤字のさなかに踏み切った同業からの事業買収2001年神戸製鋼所マイクロンに株式譲渡テキサス・インスツルメンツとの合弁の全株式売却による半導体撤退2000年オービックビジネスコンサルタント新ERP開発へ全面転換インターネット対応製品への新規開発資源の全面振替と、2005年3月期235億円の計画1994年イビデンインテル攻略へ資源集中重点を一顧客に限定したプロジェクトへの経営資源の一点集中1993年第一製薬クラビットの発売タリビッドのL体だけを製品にした後継の抗菌剤と、原薬輸出と導出による海外展開1989年日本ゼオン英BPケミカルズ特殊ゴム買収米社の同事業取得と併せた日米欧3極生産体制の構築1984年東京応化工業フォトレジストへ資源集中塩化ビニールなど大型市場への不参入と、狭い分野への資源の集中1981年久光製薬サロンパス軸へ資源集中赤字決算を受けた経皮吸収型製剤への経営資源集中1977年藤沢薬品工業セファメジンへ集中投資主力薬効を抗生物質と神経系へ集中する事業構成の組み替え1967年ダイハツ工業トヨタとの業務提携業務提携の受け入れと、自前の販売部門の切り出し1957年ペンタックスアサヒペンタックスの開発距離計連動式を採らない一眼レフカメラへの集中と、専業メーカーへの転換1952年ゴールドウイン野球用品中心へ全面転換一般メリヤス雑貨の生産をやめてのスポーツウエア専業への集中1912年日本鋼管横浜で継目無鋼管専業創業白石元治郎氏による日本鋼管の設立と、継目無鋼管専業での発足1911年住友電工住友電線製造所設置住友伸銅場からの電線部門の切り出しと、独立した経営基盤の確立

研究開発に裏づけたブランド15事例

2018年FUJIファスフォードテクノロジ買収商号の「FUJI」への変更2015年MTGSIXPADの発売EMS機器を軸に、クリスティアーノ・ロナウド選手を起用した第2ブランドの構築2006年東レファーストリテイリングと提携戦略的パートナーシップの締結とヒートテックの共同開発2006年三菱鉛筆ジェットストリームの発売低い筆記抵抗を打ち出した油性ボールペンの国内発売と、ボール径・機能・色の品目追加によるシリーズ化2002年カゴメ商品開発体制の刷新ヒット商品を連続して生み出すことをねらった、社内の進め方の再構築2000年明治乳業乳酸菌LG21ヨーグルト発売味を競う商品から体への働きで選ばれる商品へと訴求を移す転換1999年日本移動通信cdmaOneへの転換DDIセルラーグループとの「au」へのブランド統一と、通信方式の一本化1988年太陽誘電CD-Rの世界初商品化That''sブランドによる消費財市場への参入と、追記型光記録メディア1985年ミノルタα-7000の発売オートフォーカス一眼レフへの賭けと、通常の4倍にあたる初回投入1982年ヨネックスゴルフ事業への進出商号のヨネックスへの変更と新素材クラブの発売1964年セイコーエプソン"EPSON"ブランド制定東京オリンピックの計時用プリンターを起点とした印刷機事業の立ち上げ1963年コーセーHD仏ロレアルと技術提携国内資本にこだわらず、外資との合弁を受け入れる道の選択1960年江崎グリコ総合食品化への転換栄養菓子の一本足からアイス・チョコ・ガム・カレーへ拡充した総合食品化1957年東レ英ICIから技術導入ポリエステル繊維技術をめぐる、同業他社と足並みを揃えた共同導入1887年三菱鉛筆眞崎鉛筆製造所の創業輸入品を使う逓信省への納入・三菱マークの商標登録

研究開発のための資本提携15事例

2026年リガクHD米Ontoと資本業務提携カーライル系ファンドが保有する株式27%の提携先への移管と、株主構成の入れ替え2019年住友ファーマ英ロイバントとの提携戦略的提携によるスミトバントの子会社化と、相手方株式11%の取得2017年日本航空電子工業日本電気の子会社化公開買付けによる、その他の関係会社から親会社への関係の転換2008年TOYOTIREブリヂストンと資本提携業界首位を相手にした業務提携と、対等ではない株式の持ち合い2005年住友ファーマ住友製薬との合併社名を変更し、化学系グループの一員へと位置づけを変える再編1986年曙ブレーキ工業GM合弁アムブレーキ設立ベンディックスとの技術提携を解いての米国生産への踏み出し1979年信越化学工業ダウコーニングとの合弁設立共同出資で設立した半導体事業会社の、優先交渉権行使による全株取得1976年住友林業クタイ・ティンバー設立インドネシアでの合板現地生産に踏み切る海外生産拠点の設立1967年ニフコ米ITWとの合弁設立日英物産との出資による日本工業ファスナーの立ち上げ1963年コーセーHD仏ロレアルと技術提携国内資本にこだわらず、外資との合弁を受け入れる道の選択1953年アズビル米ハネウエルと資本提携50対50の折半出資と、工業計器・空調制御機器・マイクロスイッチの包括的な技術導入1951年三菱電機ウエスチングハウスと再提携技術・資本両面での関係の復活と、「三菱」商号の存続1950年日本ゼオン米グッドリッチとの合弁設立技術を持つ相手と組んで興した新会社による塩化ビニル樹脂の国産化1931年三菱石油米アソシエイテッド石油と合弁設立外資との折半出資による三菱石油の設立と、川崎製油所の建設1923年古河電工独シーメンスと富士電機設立資本・技術提携にもとづく合弁会社の設立と、重電分野への足がかり

技術と設備投資のほかの論点

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