三菱鉛筆摩擦を半減させた油性ボールペンの発売と、芯を固定した軸展開によるシリーズ化

ペン先の細さか、書き味か——成熟しきった国内文具市場で、三菱鉛筆は何を競ったのか

時期 2006年7月
意思決定者(推定) 数原英一郎・市川秀寿・切田和久 社長・横浜研究開発センター 油性ボールペン開発担当・取締役
論点 成熟市場での商品開発と展開
概要
2006年、三菱鉛筆が油性インクの溶剤を入れ替えて筆記摩擦を最大50%下げた「ジェットストリーム」を1本150円で発売し、以後は芯の仕様を固定したまま軸だけを替えて、年間1億本・国内120種類以上のシリーズへ広げた商品判断。
背景
連結売上高は2001年12月期の627億円から2005年12月期の540億円まで減り、国内の文具市場は成熟していた。各社が競っていたのはペン先の細さで、ボール径0.18mmの世界最小まで来た段階では、社内にも極限追求への疑問が出ていた。
内容
開発担当の市川秀寿氏は、各社共通のベンジルアルコール系溶剤を捨て、サインペン用の延長線上にある新溶剤へ切り替えた。従来の色剤・樹脂・添加剤が使えなくなる代わりに、ボール径1mmで従来の約半分の力で書け、インクの転写率は4割から約9割へ上がった。
含意
発売から3期は減収が続き、2012年12月期になってようやく業績が反転した。2014年12月期には売上高603億円・当期純利益71億円といずれも当時の過去最高を記録し、成熟市場で販売本数と単価を同時に取り直した。
筆者の見解

絞った一点と、絞らなかった理由

ジェットストリームは、成熟した市場で競争の物差しを取り替えた製品である。各社がペン先の細さを詰めていた時期に、三菱鉛筆は書くときの摩擦という別の尺度を持ち込んだ。市川秀寿氏の切り替えは溶剤という原料の層まで下りており、従来の色剤も樹脂も添加剤も使えなくなると分かったうえで踏み切っている。細さの追求には社内からも疑問が出ていた。同じ物差しの上で先へ進む手立てが尽きかけたところから、この開発は出ている。

物差しを替えたことだけで売れたわけではない。発売から3期は連結売上高が減り続け、6年後の2012年12月期になってようやく数字が反転した。その間に効いた条件はいくつもある。1本150円という普及価格帯に置いたこと、芯を固定して軸だけを替える方法で毎年新商品を出したこと、競合が同じ着想を自社の会議でいったん退けていたこと。どれか一つが欠けていれば、120種類のシリーズにはならなかったとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

背景

縮む売上と、細さを競う市場

三菱鉛筆の連結売上高は、2001年12月期の627億3300万円から2005年12月期の539億8100万円まで、4年で87億円あまり減った。2001年12月期の自己資本利益率は1.0%にとどまる。国内の文具市場はすでに成熟し、官公庁などの法人需要も細っていた。各社とも新製品の投入と販売促進策でシェアを維持・拡大するほかなく、市場そのものが伸びる前提は失われていた[1][2]

そのなかで各社は、ペン先の細さを競っていた。三菱鉛筆は2005年1月、ボール径0.18mmという世界最小の「シグノ ビット」を発売する。細かい文字を教科書やノートの行間に書き込む女子中高生に支持され、発売から1カ月で年間目標の半分を売り、同社として数年ぶりの大型ヒットとなった[3]

極限追求への社内の疑い

もっとも、細さの追求には社内からも疑問が出ていた。そんなに細い製品を開発する必要が本当にあるのかという声がちらほら上がり、開発責任者の平野功一氏でさえ同じ疑いを抱えたまま、極限の追求も技術力を高める手立ての一つだと自分を納得させていた。0.18mmの世界では、ボールを支える部分が摩耗してインクの通り道がすぐに塞がる。通常なら1000メートル書けるペンが、100メートルにも届かなかった[4]

解決の糸口はインクから見つかった。筆記テストのたびに摩耗量を細かく測り、配合を重ねる日々を経て、試作は1000回を優に超え、筆記距離は製品化を前にした時点で500メートルまで伸びた。極細の競争はなお続く見通しで、社内には次期プロジェクトも浮かんでいたが、開発チームからはもう勘弁してほしいという悲鳴も上がっていた。細さの一本道は、技術力を示しはしても、どこまで続けられるかが見えない道でもあった[5]

決断

各社共通の溶剤を捨てる

ジェットストリームの開発は、油性ボールペンを好まない技術者がその開発部署へ移ったところから始まっている。市川秀寿氏は1990年に入社し、印章の開発部門を経て2000年に油性ボールペンの開発担当となった。書き味が重く、力を入れないと濃く書けない。筆跡が薄く、気づくと手がインクで汚れている。市川氏自身は軽いタッチで書ける水性やゲルのインクを使っており、異動先で立てた目標は、ゲルと油性の中間にあたる書き味を油性で実現することであった[6]

油性インクは粘度を下げれば軽くなるが、ペン先のボールが紙に直に当たる感触が残り、インクが玉状に出る「ボテ」や裏移りが起きる。溶剤は各社ともほぼ同じで、ベンジルアルコールや2-フェノキシエタノールを原料とする。従来の溶剤を使う限り従来以上の製品は作れないと判断した市川氏は、サインペン用の延長線上にある新しい溶剤へ切り替えた。従来の色剤・樹脂・添加剤がまるごと使えなくなる代償を伴う選択だった[7]

摩擦を半分にして、150円で出す

新しい溶剤はさらりとした性質で、紙にすっとしみ込む。ボールが回転するときの筆記摩擦抵抗は極めて小さく、ボール径1mmで比べると従来の油性ボールペンの約半分の力で書けた。筆跡も濃くなった。日本人の平均にあたる100グラム荷重で書いたとき、従来の油性はインクの4割しか紙に転写されないのに対し、ジェットストリームは約9割が乗る。溶けにくい染料は、油性に使わない顔料と新開発の染料を混ぜて解いた[8]

摩擦係数は、通常のボールペンに比べ最大50%小さくなるよう、インクの粘度とボール、ホルダーをあわせて設計されている。2006年7月末に発売した最初の一本は、単色で1本150円という普及価格帯に置かれた。新しい機能を高い値段で売る道は選ばれていない。三菱鉛筆はこの製品が日本経済新聞優秀製品賞の受賞をはじめ多方面で注目を集めたと説明し、鉛筆や海外向けゲルインクボールペンと並べて同年の売上増加の要因に挙げた[9][10]

結果

芯を固定し、軸だけを替える

通常、インクやボールを調整する芯の開発には時間がかかる。ジェットストリームは滑らかな書き味という芯の仕様が最初から決まっていたため、握る部分である軸のデザインを変えるだけで商品を広げられた。切田和久取締役は、毎年いくつかの新商品をどんな形であれ出すと述べている。2008年秋には軸を細くした女性向けの「Fシリーズ」など4品目、翌年にはインクの色数を増やしたカラーインク、2010年にはウイスキー樽を軸に用いた「ピュアモルト」を発売した[11]

2013年に出した「ジェットストリーム プライム」は、定価3000円と5000円で、同社に販売経験のない価格帯だった。三菱鉛筆はこの製品を、ビジネスの場で使える高級感のある筆記具への潜在的な需要に着目し、滑らかな書き味はそのままに操作性と高級感を両立させたものと説明している。営業や契約の際に気後れせずに使えるとしてビジネスパーソンに受け入れられ、一時は製造が間に合わないほど売れて、平均単価を押し上げた[12][13]

追走する競合と、遅れて届いた数字

滑らかさを掲げた対抗商品は相次いだ。パイロットコーポレーションが2008年に「アクロボール」、ぺんてるが2010年2月に「ビクーニャ」、ゼブラが同年5月に油性とゲルを混ぜたエマルジョンインクの「スラリ」を1本100円で発売する。ゼブラは2005年に乳化の技術を完成させながら、書き味だけで売れるのかという理由で当時の社内会議に退けられ、翌年のジェットストリームのヒットを見て開発を再開していた。三菱鉛筆の側には常に迎え撃つ新商品があり、店頭で商品が埋もれることはなかった[14][15]

数字が追いつくまでには時間がかかった。連結売上高は2006年12月期の576億700万円から2009年12月期の482億7800万円まで3期続けて減り、発売の直後に業績が反転したわけではない。反転が数字に表れたのは2012年12月期の505億8400万円からで、2014年12月期には売上高603億4900万円、当期純利益71億5700万円といずれも当時の過去最高を記録した。この時点でジェットストリームの年間販売本数は1億本を超え、国内のシリーズは120種類以上に及んでいる[16][17][18]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2005年6月4日号「[ニッポンの技術再発見]第58回 三菱鉛筆:世界の「最先端」を行く超極細ボールペン」
  • 週刊東洋経済 2006年9月16日号「[ニッポンの技術再発見]第121回 ジェットストリーム(三菱鉛筆):滑るように濃く書けるボールペン」
  • 週刊東洋経済 2008年11月1日号「Column Hot&Cool 発売半年で100万本超えを記録 書くたびに芯が回るシャープペン」
  • 週刊東洋経済 2010年6月26日号「Column Hot&Cool 三菱の牙城にライバルが続々参入 進化するボールペン「書き味」競争」
  • 週刊東洋経済 2015年3月20日号「【特集 絶好調企業の秘密】顧客をがっちりつかむ 三菱鉛筆 シリーズ年間販売本数1億本超 成熟の文具で稼ぐ 商品展開の“極意”」
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書(2005年12月期・連結)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書(2006年12月期・連結)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書(2010年12月期・連結)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書(2013年12月期・連結)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書(2015年12月期・連結)

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