三菱鉛筆の歴史
沿革
1887年に眞崎仁六氏が東京・内藤新宿で創業した眞崎鉛筆製造所が起源。
1958年に高品質鉛筆「ユニ」、2006年に油性ボールペン「ジェットストリーム」を出した。1962年には同業約70社の販売金額の45%を占め、現在は売上の57%を海外で上げる筆記具メーカーである。
創業期
1878年〜パリ万博で見た鉛筆の国産化と逓信省への局用鉛筆納入
- 眞崎鉛筆製造所の創業[1]
- 逓信省へ初めての国産鉛筆(局用1号・2号・3号)を納入[2]
- 逓信省指定の局用鉛筆の商標として「三菱」のマークを登録[1]
- 品川区大井町に工場を新設移転[1]
- 横浜市に大和鉛筆が誕生[2]
- 大和鉛筆と合併し眞崎大和鉛筆を設立[3]
売上高
- 売上高
三菱鉛筆売上高—
成長期
1926年〜子安工場・小松工場の新設による生産拠点の拡充
- 世界各国への直輸出を開始[2]
- 子安工場(現・横浜事業所)を新設[3]
- 小松工場(現・山形工場)を新設[3]
- 鉛筆「9800番」を発表[2]
- 鉛筆「9000番」を発表[2]
売上高
- 売上高
三菱鉛筆売上高—
安定成長期
1952年〜三菱鉛筆への改称と東証二部上場から一部指定まで
- 商品名にそろえ社名を三菱鉛筆へ変更[3]
- 三菱シャープナーを発売[2]
- 高級鉛筆「ユニ」を発売[2]
- ボールペンの製造を開始[2]
- 繰り出し式シャープペンシル(0.7mm・0.9mm)を発売[2]
- 東京証券取引所市場第二部に上場[3]
- 高級ボールペン「S-500」を発売[2]
- 0.5mmシャープ芯を開発[2]
- 藤岡工場(現・群馬工場)を新設[3]
- 最高級鉛筆「ハイユニ」を発売[2]
- 電動シャープナー第1号「ES-7ダッシュ」を発売[2]
- 大阪支店を設置[3]
- 純黒ボールペン「BA-30」を発売[2]
- 台湾に華菱鉛筆工業公司を設立[2]
- 東京証券取引所市場第一部へ指定替え[3]
- 「uni セロハンテープ」を発売[2]
売上高当期純利益率
- 売上高
- 当期純利益率
三菱鉛筆1974年12月期売上高151億円売上高当期純利益率3.3%
安定成長期
1975年〜ホビーラホビーレ設立と欧米アジアへの販売網の構築
- ROYALSOVEREIGN買収[3]
- 米国に MITSUBISHI PENCIL CORP., OF AMERICA を設立
- ユニ工業を設立[3]
- 本社社屋が竣工[3]
- 英国に MITSUBISHI PENCIL CO.U.K. を設立
- 創業100年[3]
- 英国 ROYAL SOVEREIGN を買収
- 山形三菱鉛筆精工を設立[3]
- シンガポールに MITSUBISHI PENCIL CO(S.E.A.) を設立
- スペインに MITSUBISHI PENCIL ESPAÑA を設立
- 台湾三菱鉛筆股份有限公司を設立[3]
- 豪州に MITSUBISHI PENCIL(AUSTRALIA) を設立
- ベトナムに MITSUBISHI PENCIL VIETNAM を設立
- 印章・スタンプの永江印祥堂を買収
- 英国 ROYAL SOVEREIGN を売却
- 大阪支店を閉鎖[3]
- 三菱鉛筆関西販売を設立[3]
- 三菱鉛筆東京販売が西関東販売を合併[3]
- 三菱鉛筆商務(香港)を設立[3]
- 三菱鉛筆中国販売を設立[3]
- 上海新華菱文具制造を設立[3]
安定成長期
2006年〜ジェットストリームの発売とC. Josef Lamy買収
- ジェットストリームの発売[4]
- 深圳新華菱文具制造有限公司を設立[3]
- 三菱鉛筆貿易(上海)有限公司を設立[3]
- 三菱鉛筆岡山香川販売を買収[3]
- タイに MITSUBISHI PENCIL(THAILAND) を設立
- MITSUBISHI PENCIL EUROPE SAS を設立
- 健亨万豊文具塑胶(深圳)を設立[3]
- 三菱鉛筆関西販売が岡山香川販売を合併[3]
- フランスの MITSUBISHI PENCIL France を買収
- 三菱鉛筆中部販売が中部産業から事業を譲受[3]
- 新本社社屋が竣工し研究開発などの一部組織を集約[3]
- 北米に uni Mitsubishi Pencil North America を設立
- 北米に uni-ball Corporation を設立
- 横浜ロジスティクスセンターが竣工[3]
- 東京証券取引所プライム市場へ移行[3]
- ドイツの筆記具メーカー C. Josef Lamy を買収
- インドに UNI LINC INDIA を設立
- ニッポン・アクティブ・バリュー・ファンドの株主提案を定時株主総会で否決[5]