三菱鉛筆 の歴史

創業

1887年

創業者

眞崎仁六

創業地

東京・内藤新宿(現・新宿区)

直近売上高(2025/12)

898億円

長期業績と転換点(1996/12〜2025/12)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1887年に、眞崎仁六氏は10年をかけてまで鉛筆の国産化にこだわったのか
A 日本にも鉛筆を普及させたいという願いからである。1878年のパリ万国博覧会で鉛筆を見て国産化を志したが、当時の日本には量産の技術がなく、黒鉛と粘土を練り合わせて焼き固める芯の製法から独力で試すほかなかった。実用に足る製品にたどり着くまでに約10年を費やし、1887年に東京・内藤新宿で眞崎鉛筆製造所を創業した。創業のころ鉛筆は一般には知られておらず、輸入品を使っていたのは一部の官庁だけだった。返品に悩まされる時期を経て、1901年に逓信省の正式採用が決まったことで社業の基礎が固まった
Q なぜ1975年に、鉛筆で世界最大の会社が手芸用品の店を開いたのか
A 鉛筆の市場が成熟し、1968年時点で伸び率が低くなったと自認していたためである。1962年の上場に際しても非鉛筆部門を拡充し、5年後には鉛筆部門60%、非鉛筆部門40%とする総合文具メーカーをめざすと表明していた。将来は筆記具以外へも進出する計画を立てていた。1975年3月に手芸用品のホビーラホビーレを設立し、1979年2月には粘着テープのユニ工業を設立している。ただし手芸品と粘着テープの売上は筆記具に遠く及ばず、2024年12月期のその他の事業は23億2900万円で連結の3%に満たない
Q なぜ2006年に、成熟した国内市場で書き味だけに絞った油性ボールペンを出したのか
A 2001年12月期に627億3300万円あった連結売上高が2005年12月期には539億8100万円まで減り、安価な海外製品の流入で価格低下の圧力が強まっていたためである。前年に投入したのは世界最小0.18mmのボールを持つシグノ ビットで、当時の競争軸は細さにあった。三菱鉛筆は業界で共通して使われていた溶剤の使用をやめ、摩擦係数が通常のボールペンに比べて最大50%小さくなるようインクの粘度とボール、ホルダーを設計した。芯の仕様を固定したまま軸を変える方法で商品を増やし、年間販売本数1億本を超えるシリーズに育った

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

1878年〜 パリ万博で見た鉛筆を10年かけて国産化し、逓信省に納めるまで(1878〜1925)

  1. 1887年 眞崎鉛筆製造所の創業と、輸入品を使う逓信省への納入・三菱マークの商標登録 鉛筆を輸入して売るか、自ら作って官庁に納めるか——眞崎仁六氏はなぜ10年の試作を選んだか
  2. 1903年 逓信省指定の局用鉛筆の商標として「三菱」のマークを登録
  3. 1916年 品川区大井町に工場を新設移転
  4. 1925年 大和鉛筆と合併し眞崎大和鉛筆を設立

パリ万国博覧会で鉛筆を見て、水車で作りはじめた

三菱鉛筆の創業者である眞崎仁六氏[1]は、1878年のパリ万国博覧会で鉛筆を目にし[2]、その国産化を志した。佐賀県の出身で、当時の日本には鉛筆を量産する技術[3]がなかった。黒鉛と粘土を練り合わせて焼き固める芯の製法から独力で試すほかなく、実用に足る製品にたどり着くまでに約10年を費やした[4]。1887年、東京・内藤新宿で眞崎鉛筆製造所を創業[5]し、水車を動力として鉛筆の製造を始めた[6]。創業の時点で国内に鉛筆を量産する事業者はほとんどなく、官庁が使っていたのは輸入品だった[7]。三菱鉛筆はこの創業の年から、「最高の品質こそ 最大のサービス」を社是に掲げている[8]

  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [1]創業者は眞崎仁六。佐賀県の出身
    • [2]明治11年(1878年)のパリ万国博覧会で鉛筆を見て、その国産化を思い立った
    • [3]明治11年のパリ万国博覧会で鉛筆を見た「佐賀県の人」眞崎仁六が国産化を思い立った。創業のころ鉛筆は一般大衆には全く未知のもので、わずかに一部の官庁(主として逓信省)が輸入品を用いていた
    • [4]約10年間苦心の末に鉛筆の製造にこぎつけた
    • [6]明治20年(1887年)に眞崎鉛筆製造所を設立し、水車を動力として鉛筆の製造を開始したのが同社の創業にあたる
    • [7]創業のころ鉛筆は一般大衆には全く未知のもので、わずかに一部の官庁(主として逓信省)が輸入品を用いていた
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [5]有価証券報告書【沿革】は「眞崎鉛筆製造所として東京都四谷区内藤新宿1番地において創業」と記す
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】(第151期)
    • [8]当社グループは1887年(明治20年)の創業以来、「最高の品質こそ 最大のサービス」を社是としている

創業からしばらくは苦しい時期が続いた[9]。眞崎仁六氏は日本にも鉛筆を普及させたいと願い、「はさみ鉛筆」を一本ずつ販売することから事業を始めた[10]。鉛筆は一般には知られておらず、眞崎鉛筆製造所の製品は市場での馴染みが薄いうえ、品質でも輸入品に及ばなかった[11]。納めた先からの返品が相次ぎ[12]、事業は容易に軌道に乗らなかった。転機は1901年に訪れる。この年に逓信省が同社の鉛筆を正式に採用し、官庁需要という安定した販路を得たことで社業の基礎が固まった[14]。国産鉛筆が官の調達品として認められるまでに、創業から14年を要した[15]ことになる。 [13]

  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [9]創業のころ鉛筆は一般大衆には全く未知のものだった
    • [11]同社の製品は馴染みがうすい上、品質の面でもおくれていた
    • [12]返品に悩まされる苦難の時が続いた
    • [13]明治34年(1901年)に逓信省の正式採用が決まった
    • [14]逓信省の正式採用により社業の基礎が固まった
    • [15]創業は1887年、逓信省の正式採用は1901年で、その間は14年
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】(第151期)
    • [10]創業者である眞崎仁六が日本にも鉛筆を普及させたいと願い、「はさみ鉛筆」を一本ずつ販売することから事業が始まった
  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [1]創業者は眞崎仁六。佐賀県の出身
    • [2]明治11年(1878年)のパリ万国博覧会で鉛筆を見て、その国産化を思い立った
    • [3]明治11年のパリ万国博覧会で鉛筆を見た「佐賀県の人」眞崎仁六が国産化を思い立った。創業のころ鉛筆は一般大衆には全く未知のもので、わずかに一部の官庁(主として逓信省)が輸入品を用いていた
    • [4]約10年間苦心の末に鉛筆の製造にこぎつけた
    • [6]明治20年(1887年)に眞崎鉛筆製造所を設立し、水車を動力として鉛筆の製造を開始したのが同社の創業にあたる
    • [7]創業のころ鉛筆は一般大衆には全く未知のもので、わずかに一部の官庁(主として逓信省)が輸入品を用いていた
    • [9]創業のころ鉛筆は一般大衆には全く未知のものだった
    • [11]同社の製品は馴染みがうすい上、品質の面でもおくれていた
    • [12]返品に悩まされる苦難の時が続いた
    • [13]明治34年(1901年)に逓信省の正式採用が決まった
    • [14]逓信省の正式採用により社業の基礎が固まった
    • [15]創業は1887年、逓信省の正式採用は1901年で、その間は14年
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [5]有価証券報告書【沿革】は「眞崎鉛筆製造所として東京都四谷区内藤新宿1番地において創業」と記す
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】(第151期)
    • [8]当社グループは1887年(明治20年)の創業以来、「最高の品質こそ 最大のサービス」を社是としている
    • [10]創業者である眞崎仁六が日本にも鉛筆を普及させたいと願い、「はさみ鉛筆」を一本ずつ販売することから事業が始まった

三つのダイヤは、三菱財閥より10年早く登録された

1903年、眞崎鉛筆製造所は三つのダイヤを組み合わせた図案を商標として登録した[16]。逓信省の指定商品として採用された局用鉛筆1号・2号・3号の3種を表徴する商標[17]であり、三種が採用された喜びを後世に伝える意味[18]と、眞崎家に代々伝わる家紋「三鱗」[19]を象徴する意味を込めていた。この意匠は以後、社章として使われている[20]。三菱財閥が同じ三つの菱形を商標に登録するのは、これより10年後のことだった[21]。社名に三菱を冠しながら三菱グループには属さない企業[22]として知られるのは、この経緯による。1952年に社名を三菱鉛筆へ変えたのも、この商標が商品名として先に定着していたため[23]だった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [16]明治36年(1903年)に三個のダイヤを商標登録した
    • [18]一号、二号、三号の三種の鉛筆が始めて逓信省に採用された喜びを後世に伝えるためだった
    • [19]三種の鉛筆と眞崎家代々の家紋「三鱗」を象徴するものとして三個のダイヤを商標とした
    • [20]商標登録のときから社章として使用している
    • [21]三菱財閥の登録に先立つこと10年であった
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [17]逓信省指定商品として採用された局用鉛筆1号、2号、3号の三種の鉛筆を表徴する商標として「三菱」のマークを登録した
    • [23]1952年6月、商号と商品名の統一を図るため、眞崎大和鉛筆株式会社の社名を三菱鉛筆株式会社と改称した
  • 週刊東洋経済 2020/3/21「【特集 三菱 150年目の名門財閥】Part3 三菱エリートのカネと出世 「三菱トリビア」10選」
    • [22]三菱鉛筆は三菱系ではない。鉛筆に使われている三菱マークはスリーダイヤの約10年前に登録された

1916年、眞崎鉛筆製造所は品川区大井町に工場を新設して移転した。創業の地である内藤新宿から、生産の場を移したことになる。大正に入ると、第一次世界大戦により欧州からの輸入が途絶えて[25]国産品への需要が高まり、社業は飛躍した[26]。1925年4月17日、眞崎鉛筆製造所は色鉛筆の製造を専業として独自の地位を占めていた大和鉛筆と合併[27]し、資本金13万5000円の眞崎大和鉛筆株式会社[28]として発足した。黒芯を得意とする自社と色芯の大和鉛筆が一つになったことで、両方の分野で国内首位の地歩を固めた[29]。現在の三菱鉛筆は、この1925年4月17日を会社の設立日[30]としている。 [24]

  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1916年に品川区大井町に工場を新設移転
  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [25]大正時代になるや欧州大戦により輸入の杜絶もあって社業は一層の飛躍を遂げた
    • [26]輸入途絶により社業は一層の飛躍を遂げた
    • [27]大正14年4月17日、色鉛筆の製造を専業とし独自の地位を占めていた大和鉛筆を合併して眞崎大和鉛筆株式会社となった
    • [29]合併により黒芯、色芯ともに国内第一人者の地歩を確立した
  • 証券 1962年11月号「新規上場会社紹介(第二部・その他製造業)三菱鉛筆株式会社」
    • [28]合併により発足した眞崎大和鉛筆株式会社の資本金は135千円
    • [30]証券1962年11月号は「設立 大正14年4月17日」と記す。有価証券報告書【沿革】は「1925年4月 大和鉛筆株式会社と合併し、眞崎大和鉛筆株式会社設立」として日までは記載しない
  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [16]明治36年(1903年)に三個のダイヤを商標登録した
    • [18]一号、二号、三号の三種の鉛筆が始めて逓信省に採用された喜びを後世に伝えるためだった
    • [19]三種の鉛筆と眞崎家代々の家紋「三鱗」を象徴するものとして三個のダイヤを商標とした
    • [20]商標登録のときから社章として使用している
    • [21]三菱財閥の登録に先立つこと10年であった
    • [25]大正時代になるや欧州大戦により輸入の杜絶もあって社業は一層の飛躍を遂げた
    • [26]輸入途絶により社業は一層の飛躍を遂げた
    • [27]大正14年4月17日、色鉛筆の製造を専業とし独自の地位を占めていた大和鉛筆を合併して眞崎大和鉛筆株式会社となった
    • [29]合併により黒芯、色芯ともに国内第一人者の地歩を確立した
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [17]逓信省指定商品として採用された局用鉛筆1号、2号、3号の三種の鉛筆を表徴する商標として「三菱」のマークを登録した
    • [23]1952年6月、商号と商品名の統一を図るため、眞崎大和鉛筆株式会社の社名を三菱鉛筆株式会社と改称した
    • [24]1916年に品川区大井町に工場を新設移転
  • 週刊東洋経済 2020/3/21「【特集 三菱 150年目の名門財閥】Part3 三菱エリートのカネと出世 「三菱トリビア」10選」
    • [22]三菱鉛筆は三菱系ではない。鉛筆に使われている三菱マークはスリーダイヤの約10年前に登録された
  • 証券 1962年11月号「新規上場会社紹介(第二部・その他製造業)三菱鉛筆株式会社」
    • [28]合併により発足した眞崎大和鉛筆株式会社の資本金は135千円
    • [30]証券1962年11月号は「設立 大正14年4月17日」と記す。有価証券報告書【沿革】は「1925年4月 大和鉛筆株式会社と合併し、眞崎大和鉛筆株式会社設立」として日までは記載しない

1926年〜 全施設を失った会社が「ユニ」で世界水準に届き、東証二部へ上場した(1926〜1972)

  1. 1940年 子安工場(現・横浜事業所)を新設
  2. 1944年 小松工場(現・山形工場)を新設
  3. 1952年 商品名にそろえ社名を三菱鉛筆へ変更
  4. 1962年 東京証券取引所市場第二部に上場
  5. 1965年 藤岡工場(現・群馬工場)を新設
  6. 1967年 大阪支店を設置
  7. 1972年 東京証券取引所市場第一部へ指定替え

生産再開から5年で戦前に戻り、経営は数原家が担った

戦時中の1940年5月には子安工場を、1944年12月には小松工場を新設していた[31]が、第二次世界大戦により眞崎大和鉛筆は全施設を失った[32]。子安工場は現在の横浜事業所、小松工場は現在の山形工場にあたり、いずれも戦後に再建され[33]、操業は今日まで続いている。それでも1946年には早くも生産を再開し[34]、1951年には戦前のピークにあたる生産水準へ戻した[35]。終戦時に70万円だった資本金は、1948年10月に300万円、1949年6月に800万円、1950年8月に1600万円[36]と短い間隔で積み増された。1953年11月には真和工業を吸収合併して資本金を2500万円とし、翌12月にはこれを5000万円へ倍増[37]させた。終戦から8年で資本金は70倍を超えた[38]

  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1940年5月に子安工場(現・横浜事業所)、1944年12月に小松工場(現・山形工場)を新設
  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [32]第二次大戦により全施設を失った
    • [34]昭和21年(1946年)には早くも生産を開始した
    • [35]昭和26年(1951年)に戦前のピークの生産量を達成した。明治百年は「日産五万五〇〇〇グロス」と記すが、1962年の年間販売量2,742千グロス(月産約22.9万グロス)および1968年の月産能力26万グロスと整合せず、月産の誤記とみられるため本文では数量を書かない
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】【主要な設備の状況】
    • [33]子安工場は現・横浜事業所、小松工場は現・山形工場。いずれも第151期【主要な設備の状況】に現存が記載されている
  • 証券 1962年11月号「新規上場会社紹介(第二部・その他製造業)三菱鉛筆株式会社」
    • [36]資本金は終戦時700千円、昭和23年10月に3,000千円、24年6月に8,000千円、25年8月に16,000千円
    • [37]昭和28年11月に真和工業株式会社(資本金800千円)を吸収合併し資本金を25,000千円へ、昭和28年12月に50,000千円へ増資
    • [38]終戦時700千円から昭和28年12月の50,000千円までは71.4倍

1952年、眞崎大和鉛筆は商号を三菱鉛筆へ変更した[39]。商品名と社名を統一するための変更[40]で、その月は資料により4月・5月・6月と分かれる[41]。資本金の増強はその後も続き、1957年4月に7500万円、1959年4月に1億円、1961年10月には公募40万株を含む増資で1億5000万円[42]となった。この時期の本社は横浜市神奈川区入江町にあり、東京営業所を品川区大井立会町に置いていた[43]。取引銀行は日本興業銀行や住友銀行など7行[44]に及ぶ。1962年6月末の財務は支払手形3億9084万円と短期借入金3億1335万円が積み上がり、流動負債は総資産の55.5%を占めた[45]。自己資本は5億9732万円で、総資産の33%[46]にとどまる。

  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [39]昭和27年に社名を三菱鉛筆に改めた(有価証券報告書は1952年6月、証券誌は昭和27年5月と記す)
    • [40]商号と商品名の統一を図るための商号変更だった
  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)/証券 1962年11月号/三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [41]商号変更の月は資料により異なる。明治百年は「二七年四月」、証券1962は「昭和27.5」、有価証券報告書【沿革】は「1952年6月」と記す
  • 証券 1962年11月号「新規上場会社紹介(第二部・その他製造業)三菱鉛筆株式会社」
    • [42]資本金は昭和32年4月に75,000千円、34年4月に100,000千円、36年10月に150,000千円(公募400千株を含む)
    • [43]本社は横浜市神奈川区入江町2丁目250番地、東京営業所は品川区大井立会町620番地
    • [44]取引銀行は日本興業銀行・住友銀行・三菱銀行・富士銀行・三和銀行・第一信託銀行・群馬銀行の7行
    • [45]昭和37年6月期末の支払手形390,836千円、短期借入金313,349千円、流動負債994,931千円は負債資本合計1,791,885千円の55.5%
    • [46]昭和37年6月期末の資本合計597,316千円は負債資本合計1,791,885千円の33.3%

戦後の経営は創業者の眞崎家ではなく数原家が担った[47]。1962年時点の会長は数原三郎氏、社長は数原洋二氏で、常務に大川義幸氏、取締役に数原祥三氏[48]が名を連ねた。大株主も数原洋二氏の10万4360株を筆頭に、数原三郎氏10万2200株、数原祥三氏7万7220株[49]と続いた。販売網の中核である三菱鉛筆東京販売が7万9600株、横浜銀行と日本興業銀行がそれぞれ8万株[50]を持つ。株主数は393名、平均持株数は7634株[51]で、株式数の49.3%を東京の株主が、24.4%を神奈川の株主が保有していた[52]。上場前の三菱鉛筆は、創業家の名を社名から外したうえで別の一族が経営と持株を握る会社[53]だった。

  • 証券 1962年11月号「新規上場会社紹介(第二部・その他製造業)三菱鉛筆株式会社」
    • [47]1962年時点の会長は数原三郎、社長は数原洋二、取締役に数原祥三。大株主も数原洋二104,360株・数原三郎102,200株・数原祥三77,220株と数原姓が並び、役員にも大株主にも眞崎姓は現れない
    • [48]1962年時点の役員は会長 数原三郎、社長 数原洋二、常務 大川義幸、取締役に大塚啓・田村文雄・桐谷文朗・坂本晃・数原祥三・青山当一
    • [49]大株主(昭和37年6月30日現在)は数原洋二104,360株、数原三郎102,200株、戎直吉102,000株、宮川好子99,670株、太田政吉83,770株、数原祥三77,220株
    • [50]大株主に三菱鉛筆東京販売79,600株、横浜銀行80,000株、日本興業銀行80,000株
    • [51]株式数3,000千株・株主数393名・平均持株数7,634株
    • [52]地域別の株式数比率は東京49.3%(1,480,650株)、神奈川24.4%(730,920株)、大阪6.6%(198,710株)
    • [53]1952年に社名を三菱鉛筆へ変更して創業家の名が社名から消え、1962年時点の経営と大株主は数原家が占める
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1940年5月に子安工場(現・横浜事業所)、1944年12月に小松工場(現・山形工場)を新設
    • [39]昭和27年に社名を三菱鉛筆に改めた(有価証券報告書は1952年6月、証券誌は昭和27年5月と記す)
    • [40]商号と商品名の統一を図るための商号変更だった
  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [32]第二次大戦により全施設を失った
    • [34]昭和21年(1946年)には早くも生産を開始した
    • [35]昭和26年(1951年)に戦前のピークの生産量を達成した。明治百年は「日産五万五〇〇〇グロス」と記すが、1962年の年間販売量2,742千グロス(月産約22.9万グロス)および1968年の月産能力26万グロスと整合せず、月産の誤記とみられるため本文では数量を書かない
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】【主要な設備の状況】
    • [33]子安工場は現・横浜事業所、小松工場は現・山形工場。いずれも第151期【主要な設備の状況】に現存が記載されている
  • 証券 1962年11月号「新規上場会社紹介(第二部・その他製造業)三菱鉛筆株式会社」
    • [36]資本金は終戦時700千円、昭和23年10月に3,000千円、24年6月に8,000千円、25年8月に16,000千円
    • [37]昭和28年11月に真和工業株式会社(資本金800千円)を吸収合併し資本金を25,000千円へ、昭和28年12月に50,000千円へ増資
    • [38]終戦時700千円から昭和28年12月の50,000千円までは71.4倍
    • [42]資本金は昭和32年4月に75,000千円、34年4月に100,000千円、36年10月に150,000千円(公募400千株を含む)
    • [43]本社は横浜市神奈川区入江町2丁目250番地、東京営業所は品川区大井立会町620番地
    • [44]取引銀行は日本興業銀行・住友銀行・三菱銀行・富士銀行・三和銀行・第一信託銀行・群馬銀行の7行
    • [45]昭和37年6月期末の支払手形390,836千円、短期借入金313,349千円、流動負債994,931千円は負債資本合計1,791,885千円の55.5%
    • [46]昭和37年6月期末の資本合計597,316千円は負債資本合計1,791,885千円の33.3%
    • [47]1962年時点の会長は数原三郎、社長は数原洋二、取締役に数原祥三。大株主も数原洋二104,360株・数原三郎102,200株・数原祥三77,220株と数原姓が並び、役員にも大株主にも眞崎姓は現れない
    • [48]1962年時点の役員は会長 数原三郎、社長 数原洋二、常務 大川義幸、取締役に大塚啓・田村文雄・桐谷文朗・坂本晃・数原祥三・青山当一
    • [49]大株主(昭和37年6月30日現在)は数原洋二104,360株、数原三郎102,200株、戎直吉102,000株、宮川好子99,670株、太田政吉83,770株、数原祥三77,220株
    • [50]大株主に三菱鉛筆東京販売79,600株、横浜銀行80,000株、日本興業銀行80,000株
    • [51]株式数3,000千株・株主数393名・平均持株数7,634株
    • [52]地域別の株式数比率は東京49.3%(1,480,650株)、神奈川24.4%(730,920株)、大阪6.6%(198,710株)
    • [53]1952年に社名を三菱鉛筆へ変更して創業家の名が社名から消え、1962年時点の経営と大株主は数原家が占める
  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)/証券 1962年11月号/三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [41]商号変更の月は資料により異なる。明治百年は「二七年四月」、証券1962は「昭和27.5」、有価証券報告書【沿革】は「1952年6月」と記す

「ユニ」を出し、年商25億円の規模で上場した

1958年、三菱鉛筆は海外製品にも負けない鉛筆をつくりたいという考えから、最高品質をうたう高級鉛筆「ユニ」を発売[54]した。世界の水準を抜く品質[56]を掲げた製品だった。「ユニ」は以後の同社を代表する商品名となった[57]。1962年9月28日には東京証券取引所市場第二部に上場[58]した。上場時の資本金は2億5000万円[59]で、授権株式数1200万株のうち発行済みは500万株[60]だった。決算期は6月30日と12月31日の年2回[61]で、直前の1962年6月期の半期売上高は13億1937万円、当期純利益は1億3051万円[62]だった。前の半期の12億585万円と合わせると、1年間では25億2522万円[63]になる。1年前の同じ半期は11億5616万円で、1年で14%伸びた[64]ことになる。 [55]

  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】(第151期)
    • [54]海外製品にも負けない鉛筆をつくりたいと考え、1958年に最高品質の鉛筆「ユニ」が生まれた
  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [55]昭和33年(1958年)に世界水準をぬく「ユニ」を発売した
    • [56]「ユニ」は世界水準をぬく品質の鉛筆として発売された
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【事業の内容】(第151期)
    • [57]「ユニ」の名は現在も社名・ブランド名に受け継がれている。第151期【事業の内容】は国内の主な製造会社として㈱ユニ・ユニポリマー㈱、その他の事業としてユニ工業㈱、海外の主な販売会社として uni-ball Corporation を挙げる
  • 証券 1962年11月号「新規上場会社紹介(第二部・その他製造業)三菱鉛筆株式会社」
    • [58]昭和37年9月28日に東京証券取引所市場第二部へ上場した
    • [59]上場時の資本金は250,000千円
    • [60]授権株式数12,000千株、未発行株式数7,000千株、上場株式数は旧3,000千株・新2,000千株
    • [61]決算期は6月30日と12月31日の年2回。したがって各期の売上高は半期の数字にあたる
    • [62]昭和37年6月期の売上高1,319,371千円、当期純利益130,510千円
    • [63]昭和36年12月期の売上高1,205,851千円。37年6月期と合わせた1年間は2,525,222千円
    • [64]昭和36年6月期の売上高は1,156,164千円

上場時点の販売構成は鉛筆が85.5%を占め、シャープナーが9.7%、各種ボールペンは3.0%[65]にとどまっていた。主力の鉛筆は墨芯と色芯に大別され、品目は100に及んだ[66]。販路は全国7ブロックに置いた販売会社を頂点として、その下に販売所50店、代理店30店、小売店およそ4万軒[67]が連なっていた。トンボ鉛筆やコーリン鉛筆を含む同業約70社のなかで、三菱鉛筆は販売量の30%、販売金額の45%を占めた[68]。金額のシェアは量のシェアを15ポイント上回った[69]。年間の販売量は274万2000グロス、金額では22億5681万円[70]だった。1グロスは144本なので、本数にすればおよそ3億9500万本[71]になる。

  • 証券 1962年11月号「新規上場会社紹介(第二部・その他製造業)三菱鉛筆株式会社」
    • [65]昭和37年6月期の販売内訳比率は鉛筆85.5%、シャープナー9.7%、各種ボールペン3.0%、その他1.8%
    • [66]主要製品である鉛筆は墨芯・色芯鉛筆に大別され、その種類は100品目に及んでいる
    • [67]全国7ブロックにある販売会社、その下部機構の販売所(50店)、代理店(30店)、小売店(約4万軒)等を通じ販売
    • [68]トンボ鉛筆、コーリン鉛筆を始め同業社約70社中、販売量で30%、販売金額では45%の占有率
    • [69]販売金額シェア45%と販売量シェア30%の差は15ポイント
    • [70]鉛筆の年間販売量は2,742千グロス、同金額2,256,810千円
    • [71]1グロスは144本。2,742千グロスは394,848千本にあたる

1962年の時点で、三菱鉛筆は鉛筆以外への拡張をすでに公言していた。上場に際して同社は、非鉛筆部門を拡充して5年後には鉛筆部門60%、非鉛筆部門40%とする総合文具メーカーをめざすと表明した。当時の消費傾向として鉛筆が高級品へ移りつつあり、ボールペンの需要も旺盛だった[73]。ボールペンの増産に対処するため、横浜工場を1963年末までに約3億円かけて拡充する計画[74]を立てていた。年商25億円に対して1割強にあたる投資[75]である。同じ半期の広告宣伝費は8789万円で、一般管理販売費2億7739万円の32%、売上高の6.7%[76]を占めた。 [72]

  • 証券 1962年11月号「新規上場会社紹介(第二部・その他製造業)三菱鉛筆株式会社」
    • [72]今後も非鉛筆部門を拡充し5年後には鉛筆部門60%、非鉛筆部門40%とする総合文具メーカーをめざしている
    • [73]最近の消費傾向として鉛筆は高級品に移る傾向があり、またボールペンの需要も旺盛
    • [74]これら増産に対処すべく横浜工場を昭和38年末までに約3億円をかけ拡充する
    • [75]約3億円の投資は年間売上高2,525,222千円の11.9%にあたる
    • [76]昭和37年6月期の広告宣伝費87,892千円は一般管理販売費277,392千円の31.7%、売上高1,319,371千円の6.7%
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】(第151期)
    • [54]海外製品にも負けない鉛筆をつくりたいと考え、1958年に最高品質の鉛筆「ユニ」が生まれた
  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [55]昭和33年(1958年)に世界水準をぬく「ユニ」を発売した
    • [56]「ユニ」は世界水準をぬく品質の鉛筆として発売された
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【事業の内容】(第151期)
    • [57]「ユニ」の名は現在も社名・ブランド名に受け継がれている。第151期【事業の内容】は国内の主な製造会社として㈱ユニ・ユニポリマー㈱、その他の事業としてユニ工業㈱、海外の主な販売会社として uni-ball Corporation を挙げる
  • 証券 1962年11月号「新規上場会社紹介(第二部・その他製造業)三菱鉛筆株式会社」
    • [58]昭和37年9月28日に東京証券取引所市場第二部へ上場した
    • [59]上場時の資本金は250,000千円
    • [60]授権株式数12,000千株、未発行株式数7,000千株、上場株式数は旧3,000千株・新2,000千株
    • [61]決算期は6月30日と12月31日の年2回。したがって各期の売上高は半期の数字にあたる
    • [62]昭和37年6月期の売上高1,319,371千円、当期純利益130,510千円
    • [63]昭和36年12月期の売上高1,205,851千円。37年6月期と合わせた1年間は2,525,222千円
    • [64]昭和36年6月期の売上高は1,156,164千円
    • [65]昭和37年6月期の販売内訳比率は鉛筆85.5%、シャープナー9.7%、各種ボールペン3.0%、その他1.8%
    • [66]主要製品である鉛筆は墨芯・色芯鉛筆に大別され、その種類は100品目に及んでいる
    • [67]全国7ブロックにある販売会社、その下部機構の販売所(50店)、代理店(30店)、小売店(約4万軒)等を通じ販売
    • [68]トンボ鉛筆、コーリン鉛筆を始め同業社約70社中、販売量で30%、販売金額では45%の占有率
    • [69]販売金額シェア45%と販売量シェア30%の差は15ポイント
    • [70]鉛筆の年間販売量は2,742千グロス、同金額2,256,810千円
    • [71]1グロスは144本。2,742千グロスは394,848千本にあたる
    • [72]今後も非鉛筆部門を拡充し5年後には鉛筆部門60%、非鉛筆部門40%とする総合文具メーカーをめざしている
    • [73]最近の消費傾向として鉛筆は高級品に移る傾向があり、またボールペンの需要も旺盛
    • [74]これら増産に対処すべく横浜工場を昭和38年末までに約3億円をかけ拡充する
    • [75]約3億円の投資は年間売上高2,525,222千円の11.9%にあたる
    • [76]昭和37年6月期の広告宣伝費87,892千円は一般管理販売費277,392千円の31.7%、売上高1,319,371千円の6.7%

5年で鉛筆の比率は85%から70%へ下がった

1966年、三菱鉛筆はさらに上位の「ハイユニ」を発売した[77]。1967年の売上高は51億円[78]に達し、そのうち鉛筆が約70%、ボールペンが約15%、シャープナーが約8%[79]を占めた。1962年に85.5%だった鉛筆の比率は、5年で15ポイント下がった[80]ことになる。主力の鉛筆は月産26万グロスの生産能力を備え、金額で約50%のシェア[81]を持っていた。1968年時点の資本金は4億円、従業員は1233名で、本社は東京都品川区東大井[82]へ移った。鉛筆はすでに普及して伸び率が低くなったと自認しており、他の分野の伸び余地は大きいとして、将来は筆記具以外へも進出する計画[83]を立てていた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [77]昭和41年(1966年)に「ハイ・ユニ」を売り出した
    • [78]年間売上高は51億円(昭和42年)
    • [79]売上のうち鉛筆は約70%、ボールペン約15%、シャープナー約8%、残りはサインペン他
    • [81]主力の鉛筆は月産26万グロスの能力を有し、金額で約50%のシェアを持つ
    • [82]1968年時点の資本金4億円、従業員1233名、本社は東京都品川区東大井五の二三
    • [83]鉛筆はかなり普及し伸び率は低くなっているが、その他の分野にまだ伸び余地は大きく、将来は筆記具以外の分野にも進出を計画している
  • 証券 1962年11月号「新規上場会社紹介(第二部・その他製造業)三菱鉛筆株式会社」
    • [80]昭和37年6月期の鉛筆比率85.5%と1967年の約70%との差は15ポイント

1965年1月には、現在の群馬工場[84]にあたる藤岡工場を新設した[85]。1967年9月には大阪支店を設け[86]、西日本の販売網を厚くした。1972年5月、三菱鉛筆は東京証券取引所市場第一部への指定替え[87]を果たした。二部上場から10年足らずでの昇格[88]だった。鉛筆の年間販売量は1962年の時点ですでに世界最大とされており[89]、1968年には品質と生産量の両面で世界のトップメーカーと評されていた[90]。1969年6月期の売上原価率は61.7%で、マックスの67.3%や伊藤喜工作所の73.2%を下回る[91]。単価の高さと原価の低さ[92]が同居していた。

  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [84]藤岡工場は現在の群馬工場
    • [85]1965年1月に藤岡工場(現・群馬工場)を新設
    • [86]1967年9月に大阪支店を設置
    • [87]1972年5月に東京証券取引所市場第一部へ指定替え
    • [88]1962年9月の二部上場から1972年5月の一部指定替えまでは9年8か月
  • 証券 1962年11月号「新規上場会社紹介(第二部・その他製造業)三菱鉛筆株式会社」
    • [89]鉛筆の年間販売量は世界最大の生産量である(1962年時点)
  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [90]品質・生産量ともに世界のトップメーカーとしての地位を占めている(1968年時点)
  • 証券 1970年4月号「新規上場会社紹介 マックス株式会社」
    • [91]昭和44年6月期の売上原価率は三菱鉛筆61.7%、マックス67.3%、伊藤喜工作所73.2%
  • 証券 1962年11月号/証券 1970年4月号
    • [92]販売金額シェア45%に対し販売量シェア30%であり、かつ業界内で最も原価率が低い
  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [77]昭和41年(1966年)に「ハイ・ユニ」を売り出した
    • [78]年間売上高は51億円(昭和42年)
    • [79]売上のうち鉛筆は約70%、ボールペン約15%、シャープナー約8%、残りはサインペン他
    • [81]主力の鉛筆は月産26万グロスの能力を有し、金額で約50%のシェアを持つ
    • [82]1968年時点の資本金4億円、従業員1233名、本社は東京都品川区東大井五の二三
    • [83]鉛筆はかなり普及し伸び率は低くなっているが、その他の分野にまだ伸び余地は大きく、将来は筆記具以外の分野にも進出を計画している
    • [90]品質・生産量ともに世界のトップメーカーとしての地位を占めている(1968年時点)
  • 証券 1962年11月号「新規上場会社紹介(第二部・その他製造業)三菱鉛筆株式会社」
    • [80]昭和37年6月期の鉛筆比率85.5%と1967年の約70%との差は15ポイント
    • [89]鉛筆の年間販売量は世界最大の生産量である(1962年時点)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [84]藤岡工場は現在の群馬工場
    • [85]1965年1月に藤岡工場(現・群馬工場)を新設
    • [86]1967年9月に大阪支店を設置
    • [87]1972年5月に東京証券取引所市場第一部へ指定替え
    • [88]1962年9月の二部上場から1972年5月の一部指定替えまでは9年8か月
  • 証券 1970年4月号「新規上場会社紹介 マックス株式会社」
    • [91]昭和44年6月期の売上原価率は三菱鉛筆61.7%、マックス67.3%、伊藤喜工作所73.2%
  • 証券 1962年11月号/証券 1970年4月号
    • [92]販売金額シェア45%に対し販売量シェア30%であり、かつ業界内で最も原価率が低い

1972年〜 鉛筆の外へ広げ、海外に出て、それでも売上が減り続けた(1972〜2005)

  1. 1972年 東京証券取引所市場第一部へ指定替え
  2. 1975年 手芸用品・粘着テープ・化粧品・印章への多角化と、英ROYAL SOVEREIGNの買収・売却 鉛筆の外に新しい事業を育てるか、筆記具に絞るか——30年かけた広げ方と畳み方
  3. 1977年 米国に MITSUBISHI PENCIL CORP., OF AMERICA を設立
  4. 1979年 ユニ工業を設立
  5. 1983年 本社社屋が竣工
  6. 1990年 英国 ROYAL SOVEREIGN を買収
  7. 2002年 英国 ROYAL SOVEREIGN を売却

手芸品と粘着テープ、鉛筆でないものを作りはじめた

上場時に掲げた総合文具メーカーの構想は、1970年代に別の形で動き出した。1974年には木材資源の枯渇を背景に、大日本インキ化学工業がトンボ鉛筆と三菱鉛筆の2社と組んで合成木材鉛筆を開発[93]した。鉛筆の軸を木から樹脂へ置き換える試みで、大日本インキ化学工業のプラスチック成型事業部が担った。翌1975年3月には手芸用品を扱うホビーラホビーレを設立[94]した。手作りの楽しさをパックで売るこの試みは、同年9月には多角化戦略の第一弾として経済誌に取り上げられた[95]。ホビーラホビーレは現在も連結子会社として手工芸品事業を担っている[96]

  • 証券アナリストジャーナル 1974年11月号「大日本インキ化学工業」
    • [93]木材資源の枯渇から合成木材鉛筆を三菱鉛筆、トンボ鉛筆と共同で開発した
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [94]1975年3月に株式会社ホビーラホビーレを設立(現・連結子会社)
  • 日経ビジネス 1975年9月号「三菱鉛筆の「趣味の店」戦略前線 “手作りの楽しさ”パック 潜在需要の開拓めざす」
    • [95]日経ビジネス 1975年9月号が「三菱鉛筆の『趣味の店』戦略前線 “手作りの楽しさ”パック 潜在需要の開拓めざす」として報じた
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【事業の内容】(第150期)
    • [96]その他の事業の主な事業は、ユニ工業㈱による粘着テープ事業及び㈱ホビーラホビーレによる手工芸品事業である

1979年2月には粘着テープを手がけるユニ工業を設立[97]した。手芸品と粘着テープは、いずれも筆記具の売上規模には遠く及ばないまま今日まで続き、有価証券報告書ではその他の事業として一括りにされている[98]。2024年12月期のその他の事業の売上高は23億2900万円で、連結売上高888億2000万円の3%に満たない[99]。1983年11月には本社社屋が竣工した[100]。本体の工場としては1965年の藤岡工場が最後で[101]、この時期の投資は本社機能と販売網に向かった。1986年4月には創業から100年[102]を迎えた。

  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [97]1979年2月にユニ工業株式会社を設立(現・連結子会社)
    • [100]1983年11月に本社社屋が竣工
    • [101]有価証券報告書【沿革】に1965年の藤岡工場以降の国内工場新設の記載はない
    • [102]1986年4月に創業100年を迎える
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【事業の内容】(第150期)
    • [98]その他の事業はユニ工業による粘着テープ事業とホビーラホビーレによる手工芸品事業
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【業績等の概要】(第150期)
    • [99]2024年12月期のその他の事業の外部顧客への売上高は2,329百万円、連結売上高は88,820百万円
  • 証券アナリストジャーナル 1974年11月号「大日本インキ化学工業」
    • [93]木材資源の枯渇から合成木材鉛筆を三菱鉛筆、トンボ鉛筆と共同で開発した
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [94]1975年3月に株式会社ホビーラホビーレを設立(現・連結子会社)
    • [97]1979年2月にユニ工業株式会社を設立(現・連結子会社)
    • [100]1983年11月に本社社屋が竣工
    • [101]有価証券報告書【沿革】に1965年の藤岡工場以降の国内工場新設の記載はない
    • [102]1986年4月に創業100年を迎える
  • 日経ビジネス 1975年9月号「三菱鉛筆の「趣味の店」戦略前線 “手作りの楽しさ”パック 潜在需要の開拓めざす」
    • [95]日経ビジネス 1975年9月号が「三菱鉛筆の『趣味の店』戦略前線 “手作りの楽しさ”パック 潜在需要の開拓めざす」として報じた
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【事業の内容】(第150期)
    • [96]その他の事業の主な事業は、ユニ工業㈱による粘着テープ事業及び㈱ホビーラホビーレによる手工芸品事業である
    • [98]その他の事業はユニ工業による粘着テープ事業とホビーラホビーレによる手工芸品事業
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【業績等の概要】(第150期)
    • [99]2024年12月期のその他の事業の外部顧客への売上高は2,329百万円、連結売上高は88,820百万円

米国と英国に出て、買った英国メーカーを12年後に手放した

海外への進出は販売会社から始まり[103]、1977年6月に米国のMITSUBISHI PENCIL CORP., OF AMERICA[104]、1984年10月に英国のMITSUBISHI PENCIL CO.U.K.を設立[105]した。1990年5月には英国のROYAL SOVEREIGNを買収し[106]、製造拠点を海外に持った。同年6月には山形三菱鉛筆精工を設立[107]し、国内の生産体制も補強した。だが買収した英国メーカーは12年後の2002年5月に売却した[108]。ただし海外での自社製造そのものをやめたわけではない。2000年11月に設けたベトナムの現地法人は当初から製造会社で、2007年6月に設立した深圳新華菱文具制造とともに現在の主要な海外製造拠点になっている。

  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [103]沿革に現れる海外関係の記載は1977年6月のMITSUBISHI PENCIL CORP.,OF AMERICA設立が最初で、以後1984年10月のMITSUBISHI PENCIL CO.U.K.LTD.設立まで販売会社が続く。海外の製造拠点は1990年5月のイギリスROYAL SOVEREIGN LTD.買収が最初
    • [104]1977年6月にMITSUBISHI PENCIL CORP.,OF AMERICAを設立(現・連結子会社)
    • [105]1984年10月にMITSUBISHI PENCIL CO.U.K.LTD.を設立(現・連結子会社)
    • [106]1990年5月にイギリスROYAL SOVEREIGN LTD.を買収
    • [107]1990年6月に山形三菱鉛筆精工株式会社を設立(現・連結子会社)
    • [108]2002年5月にイギリスROYAL SOVEREIGN LTD.を売却。買収の1990年5月から12年後にあたる

製造拠点と並行して、販売網も1990年代後半に広がった[109]。1996年12月にシンガポール、1997年11月にスペイン、1998年3月に台湾、同年12月に豪州へ相次いで販売の現地法人[110]を置いた。2004年3月には香港に販売会社を、2005年1月には上海に製造会社を設立[111]し、中国での生産と販売の足がかりを作った。三菱鉛筆商務(香港)の資本金は3000万香港ドルで製品の卸売を担い[112]、上海新華菱文具制造は三菱鉛筆の仕様による製品の製造を担った。2005年12月期のアジアの売上高は47億2000万円で、前年同期比138.5%と伸びた[113]。国内が同93.8%に落ち込む[114]なか、アジアは伸びていた。

  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [109]1990年5月に買収した英ROYAL SOVEREIGN LTD.を2002年5月に売却する一方、1996年12月シンガポール、1997年11月スペイン、1998年3月台湾、1998年12月豪州、2000年11月ベトナムと海外現地法人の設立が続いた
    • [110]1996年12月シンガポール、1997年11月スペイン、1998年3月台湾、1998年12月豪州、2000年11月ベトナムに現地法人を設立
    • [111]2004年3月に三菱鉛筆商務(香港)有限公司、2005年1月に上海新華菱文具制造有限公司を設立
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【関係会社の状況】(第131期)
    • [112]三菱鉛筆商務(香港)有限公司は資本金30,000千香港ドル・主要な事業の内容は「当社製品の卸売販売」、上海新華菱文具制造有限公司は「当社仕様製品の製造」
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【業績等の概要】(第131期)
    • [113]2005年12月期のアジアの売上高は4,720百万円(前年同期比138.5%)
    • [114]2005年12月期の日本の売上高は46,820百万円(前年同期比93.8%)

国内の販売体制もこの時期に組み替えられ[115]、2002年7月に大阪支店を閉鎖し[116]、2003年5月に三菱鉛筆関西販売を設立、同年6月には三菱鉛筆東京販売が西関東販売を合併した[117]。2004年5月には三菱鉛筆中国販売を設けた[118]。支店を通じた直販から、地域ごとの販売会社を並べる形へ移した再編[119]だった。三菱鉛筆東京販売と三菱鉛筆関西販売は、2024年12月期の有価証券報告書でも国内の主要な販売会社として名を連ねている[120]。2001年12月には印章やスタンプを扱う永江印祥堂を買収[121]し、筆記具の周辺へ品目を広げてもいる。

  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [115]2002年7月に大阪支店を閉鎖し、2003年5月に三菱鉛筆関西販売、2004年5月に三菱鉛筆中国販売を設立した
    • [116]2002年7月に大阪支店を閉鎖
    • [117]2003年5月に三菱鉛筆関西販売株式会社を設立、2003年6月に三菱鉛筆東京販売が三菱鉛筆西関東販売を合併
    • [118]2004年5月に三菱鉛筆中国販売株式会社を設立
    • [119]沿革では2002年7月の大阪支店閉鎖に続いて、2003年5月の三菱鉛筆関西販売設立、2003年6月の三菱鉛筆東京販売による西関東販売の合併、2004年5月の三菱鉛筆中国販売設立が並ぶ
    • [121]2001年12月に株式会社永江印祥堂を買収(現・連結子会社)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【事業の内容】(第150期)
    • [120]第150期【事業の内容】は国内の販売会社として「三菱鉛筆東京販売㈱、三菱鉛筆関西販売㈱、三菱鉛筆九州販売㈱をはじめとする国内の販売会社が販売を行っております」と記す
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [103]沿革に現れる海外関係の記載は1977年6月のMITSUBISHI PENCIL CORP.,OF AMERICA設立が最初で、以後1984年10月のMITSUBISHI PENCIL CO.U.K.LTD.設立まで販売会社が続く。海外の製造拠点は1990年5月のイギリスROYAL SOVEREIGN LTD.買収が最初
    • [104]1977年6月にMITSUBISHI PENCIL CORP.,OF AMERICAを設立(現・連結子会社)
    • [105]1984年10月にMITSUBISHI PENCIL CO.U.K.LTD.を設立(現・連結子会社)
    • [106]1990年5月にイギリスROYAL SOVEREIGN LTD.を買収
    • [107]1990年6月に山形三菱鉛筆精工株式会社を設立(現・連結子会社)
    • [108]2002年5月にイギリスROYAL SOVEREIGN LTD.を売却。買収の1990年5月から12年後にあたる
    • [109]1990年5月に買収した英ROYAL SOVEREIGN LTD.を2002年5月に売却する一方、1996年12月シンガポール、1997年11月スペイン、1998年3月台湾、1998年12月豪州、2000年11月ベトナムと海外現地法人の設立が続いた
    • [110]1996年12月シンガポール、1997年11月スペイン、1998年3月台湾、1998年12月豪州、2000年11月ベトナムに現地法人を設立
    • [111]2004年3月に三菱鉛筆商務(香港)有限公司、2005年1月に上海新華菱文具制造有限公司を設立
    • [115]2002年7月に大阪支店を閉鎖し、2003年5月に三菱鉛筆関西販売、2004年5月に三菱鉛筆中国販売を設立した
    • [116]2002年7月に大阪支店を閉鎖
    • [117]2003年5月に三菱鉛筆関西販売株式会社を設立、2003年6月に三菱鉛筆東京販売が三菱鉛筆西関東販売を合併
    • [118]2004年5月に三菱鉛筆中国販売株式会社を設立
    • [119]沿革では2002年7月の大阪支店閉鎖に続いて、2003年5月の三菱鉛筆関西販売設立、2003年6月の三菱鉛筆東京販売による西関東販売の合併、2004年5月の三菱鉛筆中国販売設立が並ぶ
    • [121]2001年12月に株式会社永江印祥堂を買収(現・連結子会社)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【関係会社の状況】(第131期)
    • [112]三菱鉛筆商務(香港)有限公司は資本金30,000千香港ドル・主要な事業の内容は「当社製品の卸売販売」、上海新華菱文具制造有限公司は「当社仕様製品の製造」
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【業績等の概要】(第131期)
    • [113]2005年12月期のアジアの売上高は4,720百万円(前年同期比138.5%)
    • [114]2005年12月期の日本の売上高は46,820百万円(前年同期比93.8%)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【事業の内容】(第150期)
    • [120]第150期【事業の内容】は国内の販売会社として「三菱鉛筆東京販売㈱、三菱鉛筆関西販売㈱、三菱鉛筆九州販売㈱をはじめとする国内の販売会社が販売を行っております」と記す

4年で売上は87億円減り、自己資本利益率は1%まで落ちた

2000年代前半の三菱鉛筆は、数字のうえでは後退していた[122]。2001年12月期の連結売上高は627億3300万円だったが、2005年12月期には539億8100万円まで減った[123]。4年で87億円、率にして14%の落ち込み[124]だった。2001年12月期の当期純利益はわずか3億1300万円で、自己資本利益率は1.0%[125]だった。純利益が小さいため、株価収益率は79.5倍まで上がった[126]。純資産は308億4000万円あり、自己資本比率は49.7%[127]だった。2001年12月期の総資産は620億500万円で、売上が減った4年の間に693億2900万円まで増えた[128]

  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】(第131期)
    • [122]連結売上高は第127期62,733百万円から第131期53,981百万円へ減少した
    • [123]2001年12月期(第127期)の連結売上高62,733百万円、2005年12月期(第131期)は53,981百万円
    • [124]62,733百万円と53,981百万円の差は8,752百万円、減少率は13.9%
    • [125]2001年12月期の当期純利益313百万円、自己資本利益率1.0%
    • [126]2001年12月期の株価収益率は79.5倍
    • [127]2001年12月期の純資産額30,840百万円、自己資本比率49.7%
    • [128]連結の総資産額は第127期62,005百万円、第128期57,239百万円、第129期60,286百万円、第130期63,203百万円、第131期69,329百万円

売上の減少は自社だけの事情によるものではなかった。文具業界では安価な海外製品の流入による価格低下の圧力が強まり、市場占有率の維持と拡大を目指す競争が続いていた[130]。中国製品の台頭で日本の筆記具メーカーが苦戦を強いられた[131]のは、この時期である。三菱鉛筆は付加価値の高い新製品で応じ[132]、世界最小となる0.18mmのボールを備えたゲルインクボールペン「シグノ ビット」や、やわらかいゲルグリップの「アルファゲル」を投入[133]した。それでも2005年12月期の売上は前年の96.6%にとどまった[134]。経常利益は42億700万円で前年から12.4%増えて[135]おり、減収のなかで採算だけは改善していた。 [129]

  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【業績等の概要】(第131期)
    • [129]第131期【業績等の概要】が売上減の背景に挙げるのは「安価な海外製品の流入等による価格低下の圧力」という社外の要因である
    • [130]文具業界におきましては引き続き安価な海外製品の流入等による価格低下の圧力が強まる中、マーケットシェアの維持・拡大を目指す競争が続いている
    • [132]このような状況のもと当社グループにおきましては付加価値の高い新製品を投入し、グループ一丸となって国内・海外市場での販売増強に努めた
    • [133]世界最小0.18mmボールのゲルインクボールペン「シグノ ビット」、やわらかゲルグリップの「アルファゲル」シリーズを投入
    • [134]2005年12月期の連結売上高は53,981百万円(前年同期比96.6%)
  • 週刊東洋経済 2015/4/25「【第1特集 買っていい株 ダメな株】PART2 投資の基本を知る お宝銘柄はこう探せ!」
    • [131]日本の筆記具メーカーは中国製品の台頭で苦戦を強いられた
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】(第131期)
    • [135]2005年12月期の経常利益は4,207百万円(前年同期比112.4%)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】(第131期)
    • [122]連結売上高は第127期62,733百万円から第131期53,981百万円へ減少した
    • [123]2001年12月期(第127期)の連結売上高62,733百万円、2005年12月期(第131期)は53,981百万円
    • [124]62,733百万円と53,981百万円の差は8,752百万円、減少率は13.9%
    • [125]2001年12月期の当期純利益313百万円、自己資本利益率1.0%
    • [126]2001年12月期の株価収益率は79.5倍
    • [127]2001年12月期の純資産額30,840百万円、自己資本比率49.7%
    • [128]連結の総資産額は第127期62,005百万円、第128期57,239百万円、第129期60,286百万円、第130期63,203百万円、第131期69,329百万円
    • [135]2005年12月期の経常利益は4,207百万円(前年同期比112.4%)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【業績等の概要】(第131期)
    • [129]第131期【業績等の概要】が売上減の背景に挙げるのは「安価な海外製品の流入等による価格低下の圧力」という社外の要因である
    • [130]文具業界におきましては引き続き安価な海外製品の流入等による価格低下の圧力が強まる中、マーケットシェアの維持・拡大を目指す競争が続いている
    • [132]このような状況のもと当社グループにおきましては付加価値の高い新製品を投入し、グループ一丸となって国内・海外市場での販売増強に努めた
    • [133]世界最小0.18mmボールのゲルインクボールペン「シグノ ビット」、やわらかゲルグリップの「アルファゲル」シリーズを投入
    • [134]2005年12月期の連結売上高は53,981百万円(前年同期比96.6%)
  • 週刊東洋経済 2015/4/25「【第1特集 買っていい株 ダメな株】PART2 投資の基本を知る お宝銘柄はこう探せ!」
    • [131]日本の筆記具メーカーは中国製品の台頭で苦戦を強いられた

2006年〜 摩擦を半分にしたボールペンが売上を反転させ、ドイツの老舗を買った(2006〜2025)

三菱鉛筆の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2006年 摩擦を半減させた油性ボールペンの発売と、芯を固定した軸展開によるシリーズ化 ペン先の細さか、書き味か——成熟しきった国内文具市場で、三菱鉛筆は何を競ったのか
  2. 2007年 深圳新華菱文具制造有限公司を設立
  3. 2010年 三菱鉛筆貿易(上海)有限公司を設立
  4. 2011年 三菱鉛筆岡山香川販売を買収
  5. 2012年 タイに MITSUBISHI PENCIL(THAILAND) を設立
  6. 2012年 MITSUBISHI PENCIL EUROPE SAS を設立
  7. 2024年 ドイツの筆記具メーカー C. Josef Lamy を買収

摩擦を半分にした油性ボールペンを2006年に出した

2006年、三菱鉛筆は油性ボールペン「ジェットストリーム」を発売した[136]。書いたときの紙とペンの引っ掛かり具合、すなわち摩擦係数が通常のボールペンに比べて最大50%小さくなるよう、インクの粘度とボール、ホルダーを設計した[137]製品である。まず単色ペンを市場に出すと、軽い筆圧で書けるので疲れにくいと評判になった[138]。2008年に3色ボールペンやシャープペンシルを加えた多機能ペンを出したことで、販売はさらに広がった[139]。滑らかな書き味という一点に絞った設計が、成熟した国内市場で新しい需要をつくった[140]

  • 週刊東洋経済 2015/3/28「【特集 絶好調企業の秘密】顧客をがっちりつかむ 三菱鉛筆 シリーズ年間販売本数1億本超 成熟の文具で稼ぐ 商品展開の“極意”」
    • [136]ジェットストリームの発売開始は2006年で、まず単色ペンを市場投入した
    • [137]書いたときの紙とペンの引っ掛かり具合(摩擦係数)が通常のボールペンに比べ最大50%小さくなるようインクの粘度やボール、ホルダーが設計されている
    • [138]単色ペンを市場投入するとすぐに「軽い筆圧で書けるので疲れにくい」と評判になった
    • [139]2008年発売の3色ボールペンやシャープペンシルを加えた多機能ペンなど、利便性に優れた複合タイプの投入によりその人気は不動のものとなった
    • [140]国内の文房具市場は典型的な成熟市場でありながら、過去5年間、三菱鉛筆の国内売上高は伸び続けた

2008年3月には、書くたびに芯が回る機構のシャープペンシル「クルトガ」を出した。発売半年で100万本を超えるヒットとなり、シャープペンシルとしては異例の売れ方をした。ただし業績がすぐに反転したわけではなく、連結売上高は[142]2006年12月期の576億700万円から2007年12月期565億円、2008年12月期539億円、2009年12月期482億7800万円へと3年続けて減った[143]。世界的な金融危機が重なった2009年12月期は、2001年12月期に比べて売上が145億円小さい[144][141]

  • 週刊東洋経済 2008/11/1「Column Hot&Cool 発売半年で100万本超えを記録 書くたびに芯が回るシャープペン」
    • [141]2008年3月に発売された「クルトガ」がシャープペンシルとして異例のヒットとなり、発売半年で100万本超えを記録した
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】(第136期)
    • [142]クルトガ発売後も連結売上高は第132期57,607百万円、第133期56,470百万円、第134期53,949百万円、第135期48,278百万円と減少が続いた
    • [143]連結売上高は第132期57,607百万円、第133期56,470百万円、第134期53,949百万円、第135期48,278百万円
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [144]2001年12月期の売上62,733百万円と2009年12月期の48,278百万円の差は14,455百万円

ジェットストリームの中身は、各社が共通して使っていた溶剤を替えたところにある。開発を担当した横浜研究開発センターの市川秀寿氏は、業界で共通して使われていたベンジルアルコールや2-フェノキシエタノールという溶剤の使用をやめ、サインペン溶剤の延長にある物質を新たな溶剤に据えた[146]。通常は油性に使わない顔料と新開発の染料を配合[147]し、ボール径1mmで従来の約半分の力で書けるようにした[148]。紙へのインクの転写率は従来の4割から約9割へ上がっている[149]。発売は2006年7月末で、価格は1本150円[150]だった。 [145]

  • 週刊東洋経済 2006/9/16「ニッポンの技術再発見 第121回 ジェットストリーム(三菱鉛筆)」
    • [145]開発担当は横浜研究開発センターの市川秀寿氏(1990年入社、印章開発を経て2000年から油性ボールペン担当)
    • [146]業界共通だった溶剤(ベンジルアルコール、2-フェノキシエタノール)を捨て、サインペン溶剤の延長線にある物質を新溶剤に採用した
    • [147]通常は油性に使わない顔料と新開発染料を配合した
    • [148]ボール径1mmで従来の約半分の力で書ける
    • [149]インク転写率は従来の4割に対し約9割
    • [150]2006年7月末発売、1本150円
  • 週刊東洋経済 2015/3/28「【特集 絶好調企業の秘密】顧客をがっちりつかむ 三菱鉛筆 シリーズ年間販売本数1億本超 成熟の文具で稼ぐ 商品展開の“極意”」
    • [136]ジェットストリームの発売開始は2006年で、まず単色ペンを市場投入した
    • [137]書いたときの紙とペンの引っ掛かり具合(摩擦係数)が通常のボールペンに比べ最大50%小さくなるようインクの粘度やボール、ホルダーが設計されている
    • [138]単色ペンを市場投入するとすぐに「軽い筆圧で書けるので疲れにくい」と評判になった
    • [139]2008年発売の3色ボールペンやシャープペンシルを加えた多機能ペンなど、利便性に優れた複合タイプの投入によりその人気は不動のものとなった
    • [140]国内の文房具市場は典型的な成熟市場でありながら、過去5年間、三菱鉛筆の国内売上高は伸び続けた
  • 週刊東洋経済 2008/11/1「Column Hot&Cool 発売半年で100万本超えを記録 書くたびに芯が回るシャープペン」
    • [141]2008年3月に発売された「クルトガ」がシャープペンシルとして異例のヒットとなり、発売半年で100万本超えを記録した
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】(第136期)
    • [142]クルトガ発売後も連結売上高は第132期57,607百万円、第133期56,470百万円、第134期53,949百万円、第135期48,278百万円と減少が続いた
    • [143]連結売上高は第132期57,607百万円、第133期56,470百万円、第134期53,949百万円、第135期48,278百万円
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [144]2001年12月期の売上62,733百万円と2009年12月期の48,278百万円の差は14,455百万円
  • 週刊東洋経済 2006/9/16「ニッポンの技術再発見 第121回 ジェットストリーム(三菱鉛筆)」
    • [145]開発担当は横浜研究開発センターの市川秀寿氏(1990年入社、印章開発を経て2000年から油性ボールペン担当)
    • [146]業界共通だった溶剤(ベンジルアルコール、2-フェノキシエタノール)を捨て、サインペン溶剤の延長線にある物質を新溶剤に採用した
    • [147]通常は油性に使わない顔料と新開発染料を配合した
    • [148]ボール径1mmで従来の約半分の力で書ける
    • [149]インク転写率は従来の4割に対し約9割
    • [150]2006年7月末発売、1本150円

年間1億本のシリーズを120種類に広げ、5000円の帯まで伸ばした

ジェットストリームの拡大は、芯の仕様を固定したまま軸を変える方法で進んだ[151]。インクやボールの調整には時間がかかるが、書き味という柱の仕様が最初から決まっていたため、握る部分のデザイン変更で商品を増やしやすかった[152]。2008年秋には軸を細くした女性向けの「Fシリーズ」など4品目を出し、翌2009年にはインクの色数を広げた「カラーインク」、2010年にはウイスキー樽を軸に使った「ピュアモルト」を投入[153]した。三菱鉛筆の切田和久取締役は、どんな形であれ毎年いくつかの新商品を出していく方針だと述べた[154]

  • 週刊東洋経済 2015/3/28「【特集 絶好調企業の秘密】顧客をがっちりつかむ 三菱鉛筆 シリーズ年間販売本数1億本超 成熟の文具で稼ぐ 商品展開の“極意”」
    • [151]通常インクやボールの調整など芯の開発には時間を要するが、ジェットは滑らかな書き味という柱となる芯の仕様が最初から決まっているため、握る部分(軸)のデザイン変更などで商品を広げやすい
    • [152]滑らかな書き味という柱となる芯の仕様が最初から決まっているため、握る部分(軸)のデザイン変更などで商品を広げやすい
    • [153]2008年秋にカラフルな外見に加え軸を細くした女性向け「Fシリーズ」など4品目を発売、翌年にインクの色数を拡充した「カラーインク」、2010年にウイスキー樽を軸に使った「ピュアモルト」を発売
    • [154]切田和久取締役は「毎年いくつかの新商品を、どんな形であれ出していく」と述べた

2013年に出した「プライム」シリーズは、定価3000円と5000円という、同社にとって販売経験のない価格帯[155]だった。営業や契約の際に気後れせずに使えるとしてビジネスパーソンに受け入れられ、一時は製造が間に合わないほど売れて単価の上昇[156]を牽引した。ジェットストリームは年間販売本数が1億本を超え、国内では120種類以上と同社最大の商品群[157]に育った。2014年12月期の連結売上高は603億4900万円、当期純利益は71億5700万円だった。純利益は当時の過去最高で、3期連続の最高益更新が見込まれる状態にあった[159]。ただし売上高は2001年12月期の627億3300万円にまだ届いていない[160][158]

  • 週刊東洋経済 2015/3/28「【特集 絶好調企業の秘密】顧客をがっちりつかむ 三菱鉛筆 シリーズ年間販売本数1億本超 成熟の文具で稼ぐ 商品展開の“極意”」
    • [155]一昨年(2013年)発売の「プライム」シリーズは定価3000円と5000円で、同社にとっても販売経験のない高価格だった
    • [156]「営業や契約の際、気後れせずに使える」とビジネスマンに受け入れられ、一時は製造が間に合わないほどヒットし単価上昇の立役者となった
    • [157]ジェットストリームは年間販売本数が1億本を超え、国内ではシリーズ120種類以上と最大の商品群
    • [159]前2014年12月期決算は売上高603億円・純利益71億円といずれも過去最高で、今期は3期連続の最高益更新が見込まれている(記事は2015年3月時点)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書(第140期)/週刊東洋経済 2015/3/28
    • [158]2014年12月期の連結売上高60,349百万円、親会社株主に帰属する当期純利益7,157百万円。いずれも過去最高
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】(第131期・第140期)
    • [160]2001年12月期(第127期)の連結売上高62,733百万円は2014年12月期の60,349百万円を上回る。有報【業績等の概要】は2014年12月期を過去最高とは記していない
  • 週刊東洋経済 2015/3/28「【特集 絶好調企業の秘密】顧客をがっちりつかむ 三菱鉛筆 シリーズ年間販売本数1億本超 成熟の文具で稼ぐ 商品展開の“極意”」
    • [151]通常インクやボールの調整など芯の開発には時間を要するが、ジェットは滑らかな書き味という柱となる芯の仕様が最初から決まっているため、握る部分(軸)のデザイン変更などで商品を広げやすい
    • [152]滑らかな書き味という柱となる芯の仕様が最初から決まっているため、握る部分(軸)のデザイン変更などで商品を広げやすい
    • [153]2008年秋にカラフルな外見に加え軸を細くした女性向け「Fシリーズ」など4品目を発売、翌年にインクの色数を拡充した「カラーインク」、2010年にウイスキー樽を軸に使った「ピュアモルト」を発売
    • [154]切田和久取締役は「毎年いくつかの新商品を、どんな形であれ出していく」と述べた
    • [155]一昨年(2013年)発売の「プライム」シリーズは定価3000円と5000円で、同社にとっても販売経験のない高価格だった
    • [156]「営業や契約の際、気後れせずに使える」とビジネスマンに受け入れられ、一時は製造が間に合わないほどヒットし単価上昇の立役者となった
    • [157]ジェットストリームは年間販売本数が1億本を超え、国内ではシリーズ120種類以上と最大の商品群
    • [159]前2014年12月期決算は売上高603億円・純利益71億円といずれも過去最高で、今期は3期連続の最高益更新が見込まれている(記事は2015年3月時点)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書(第140期)/週刊東洋経済 2015/3/28
    • [158]2014年12月期の連結売上高60,349百万円、親会社株主に帰属する当期純利益7,157百万円。いずれも過去最高
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】(第131期・第140期)
    • [160]2001年12月期(第127期)の連結売上高62,733百万円は2014年12月期の60,349百万円を上回る。有報【業績等の概要】は2014年12月期を過去最高とは記していない

ドイツの老舗を買い、海外が売上の6割になった

2018年8月には新本社社屋が竣工し、横浜事業所にあった研究開発と生産管理の一部組織を移して集約[161]した。2021年3月には横浜ロジスティクスセンターが竣工した[162]。2020年3月には数原滋彦氏が社長に就任した[163]。2020年12月期は新型コロナウイルスの影響で連結売上高が551億8000万円まで落ち、営業利益は54億9300万円と前期の7割台に沈んだ[164]。2022年4月には東京証券取引所の市場区分見直しにより、第一部からプライム市場へ移った[165]。この間、営業利益は2015年12月期の118億5200万円から2019年12月期には72億200万円へ4割近く減っており[166]、コロナ禍はその末に重なった。

  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [161]2018年8月に新本社社屋を竣工し、横浜事業所の研究開発、生産管理などの一部組織を新本社に集約
    • [162]2021年3月に横浜ロジスティクスセンターが竣工
    • [165]2022年4月に東京証券取引所の市場区分の見直しにより、市場第一部からプライム市場に移行
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【役員の状況】
    • [163]数原滋彦は2019年3月に代表取締役副社長、2020年3月に代表取締役社長に就任
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書(第146期)
    • [164]2020年12月期の連結売上高55,180百万円、営業利益5,493百万円(前期は7,202百万円)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【連結損益計算書】(第141期・第145期)
    • [166]連結営業利益は第141期(2015年12月期)11,852百万円、第145期(2019年12月期)7,202百万円で、減少率は39.2%

海外での稼ぎ方は、この時期に競合と大きく分かれた。2022年の報道時点で比べると、海外売上比率は、筆記具で国内首位のパイロットコーポレーションが69%、三菱鉛筆が47%だったのに対し、筆記具を主力にしない総合文具メーカーは10%以下[168]の会社が多かった。特色のある技術かブランド力がなければ海外では売れない。三菱鉛筆はジェットストリームの書き味という技術で海外に売った。国内の文具・事務用品市場は2021年度に4118億円と4年前より11.2%縮んで[170]おり、伸びていたのは筆記具だけ[171]で、三菱鉛筆はその筆記具で国内2位である[172]。海外の拠点もこの間に増やした。2016年4月にフランスのMITSUBISHI PENCIL Franceを買収し、2019年1月には北米にuni Mitsubishi Pencil North Americaとuni-ball Corporationを設立している。 [167][169][173]

  • 週刊東洋経済 2022/11/26「【産業リポート コクヨは王座を守れるか】ぺんてる争奪戦に白旗 コクヨは王座を守れるか」
    • [167]海外で売り上げを伸ばすには特色のある技術かブランド力が必要だが、総合文具メーカーはそのどちらにも欠ける。その結果、海外売上比率に大きな差が生じた
    • [168]海外売上比率はパイロットが69%、三菱鉛筆が47%、筆記具を主力にしていない文具メーカーはコクヨをはじめとして10%以下のところが多い
    • [169]海外で売り上げを伸ばすには特色のある技術かブランド力が必要で、三菱鉛筆のジェットストリームは海外でも好評
    • [170]2021年度の国内での文具・事務用品の市場規模は4118億円で、4年前と比べ11.2%減少(矢野経済研究所)
    • [171]文具業界で伸びているのは筆記具だけという状況にあった
    • [172]筆記具で国内首位はパイロットコーポレーション、同2位が三菱鉛筆
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [173]2016年4月にMITSUBISHI PENCIL France SAを買収、2019年1月にuni Mitsubishi Pencil North America, Inc. と uni-ball Corporation を設立

2024年3月15日、三菱鉛筆はドイツ・ハイデルベルクの筆記具メーカーC. Josef Lamyの全持分を取得した[174]。1930年創業のLAMYブランドを持つ会社で、資本金は310万ユーロ[175]である。買収の効果は数字にすぐ表れ、2024年12月期の連結売上高は[176]888億2000万円と前期比18.7%増え、当期純利益は112億7200万円[177]で過去最高を更新した。中期経営計画2022-2024の最終年にあたるこの期に、海外売上高の構成比は約60%へ達した[178]。子会社は50社となり、2025年1月にはインドにUNI LINC INDIA[179]を設立した。ただし2025年12月期は売上高898億1400万円と前期から1.1%増えたにとどまり、営業利益は96億9200万円で20.5%減、当期純利益は62億3500万円で44.7%減[180]となった。欧州でPOSCAを中心とした流通在庫の調整が長引いた[181]ことによる。

  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【事業の内容】(第150期)
    • [174]2024年3月15日付で C. Josef Lamy GmbH、Lamy Vermietungs GmbH 及び C. Josef Lamy GmbH の子会社3社の全持分を取得した
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【関係会社の状況】(第150期)
    • [175]C. Josef Lamy GmbH の資本金は3,100千ユーロ、所在地はドイツ・ハイデルベルク、議決権所有割合100.0%
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【業績等の概要】(第150期)
    • [176]2024年3月15日付でC. Josef Lamy GmbH等の全持分を取得して連結の範囲に含めた第150期は、売上高88,820百万円(対前年同期比18.7%増)、親会社株主に帰属する当期純利益11,272百万円(同10.9%増)となった
    • [177]2024年12月期の売上高88,820百万円(対前年同期比18.7%増)、親会社株主に帰属する当期純利益11,272百万円(同10.9%増)
    • [178]「中期経営計画2022-2024」の最終年にあたる当期は、海外売上高の構成比が約60%に到達した
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【事業の内容】【沿革】
    • [179]当社グループは当社及び子会社50社で構成される。2025年1月にUNI LINC INDIA PRIVATE LIMITEDを設立
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【業績等の概要】(第151期)
    • [180]2025年12月期(第151期)の売上高89,814百万円(+1.1%)、営業利益9,692百万円(△20.5%)、親会社株主に帰属する当期純利益6,235百万円(△44.7%)
    • [181]欧州地域は「POSCA」を中心とした流通在庫の調整が長引いている
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [161]2018年8月に新本社社屋を竣工し、横浜事業所の研究開発、生産管理などの一部組織を新本社に集約
    • [162]2021年3月に横浜ロジスティクスセンターが竣工
    • [165]2022年4月に東京証券取引所の市場区分の見直しにより、市場第一部からプライム市場に移行
    • [173]2016年4月にMITSUBISHI PENCIL France SAを買収、2019年1月にuni Mitsubishi Pencil North America, Inc. と uni-ball Corporation を設立
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【役員の状況】
    • [163]数原滋彦は2019年3月に代表取締役副社長、2020年3月に代表取締役社長に就任
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書(第146期)
    • [164]2020年12月期の連結売上高55,180百万円、営業利益5,493百万円(前期は7,202百万円)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【連結損益計算書】(第141期・第145期)
    • [166]連結営業利益は第141期(2015年12月期)11,852百万円、第145期(2019年12月期)7,202百万円で、減少率は39.2%
  • 週刊東洋経済 2022/11/26「【産業リポート コクヨは王座を守れるか】ぺんてる争奪戦に白旗 コクヨは王座を守れるか」
    • [167]海外で売り上げを伸ばすには特色のある技術かブランド力が必要だが、総合文具メーカーはそのどちらにも欠ける。その結果、海外売上比率に大きな差が生じた
    • [168]海外売上比率はパイロットが69%、三菱鉛筆が47%、筆記具を主力にしていない文具メーカーはコクヨをはじめとして10%以下のところが多い
    • [169]海外で売り上げを伸ばすには特色のある技術かブランド力が必要で、三菱鉛筆のジェットストリームは海外でも好評
    • [170]2021年度の国内での文具・事務用品の市場規模は4118億円で、4年前と比べ11.2%減少(矢野経済研究所)
    • [171]文具業界で伸びているのは筆記具だけという状況にあった
    • [172]筆記具で国内首位はパイロットコーポレーション、同2位が三菱鉛筆
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【事業の内容】(第150期)
    • [174]2024年3月15日付で C. Josef Lamy GmbH、Lamy Vermietungs GmbH 及び C. Josef Lamy GmbH の子会社3社の全持分を取得した
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【関係会社の状況】(第150期)
    • [175]C. Josef Lamy GmbH の資本金は3,100千ユーロ、所在地はドイツ・ハイデルベルク、議決権所有割合100.0%
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【業績等の概要】(第150期)
    • [176]2024年3月15日付でC. Josef Lamy GmbH等の全持分を取得して連結の範囲に含めた第150期は、売上高88,820百万円(対前年同期比18.7%増)、親会社株主に帰属する当期純利益11,272百万円(同10.9%増)となった
    • [177]2024年12月期の売上高88,820百万円(対前年同期比18.7%増)、親会社株主に帰属する当期純利益11,272百万円(同10.9%増)
    • [178]「中期経営計画2022-2024」の最終年にあたる当期は、海外売上高の構成比が約60%に到達した
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【事業の内容】【沿革】
    • [179]当社グループは当社及び子会社50社で構成される。2025年1月にUNI LINC INDIA PRIVATE LIMITEDを設立
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【業績等の概要】(第151期)
    • [180]2025年12月期(第151期)の売上高89,814百万円(+1.1%)、営業利益9,692百万円(△20.5%)、親会社株主に帰属する当期純利益6,235百万円(△44.7%)
    • [181]欧州地域は「POSCA」を中心とした流通在庫の調整が長引いている

三菱鉛筆の沿革1887〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
眞崎鉛筆製造所の創業と、輸入品を使う逓信省への納入・三菱マークの商標登録鉛筆を輸入して売るか、自ら作って官庁に納めるか——眞崎仁六氏はなぜ10年の試作を選んだか 詳細を読む★★★
逓信省指定の局用鉛筆の商標として「三菱」のマークを登録★★
品川区大井町に工場を新設移転
大和鉛筆と合併し眞崎大和鉛筆を設立★★★
子安工場(現・横浜事業所)を新設
小松工場(現・山形工場)を新設
商品名にそろえ社名を三菱鉛筆へ変更★★
東京証券取引所市場第二部に上場
藤岡工場(現・群馬工場)を新設
大阪支店を設置
東京証券取引所市場第一部へ指定替え
手芸用品・粘着テープ・化粧品・印章への多角化と、英ROYAL SOVEREIGNの買収・売却鉛筆の外に新しい事業を育てるか、筆記具に絞るか——30年かけた広げ方と畳み方 詳細を読む★★★
米国に MITSUBISHI PENCIL CORP., OF AMERICA を設立
ユニ工業を設立
本社社屋が竣工
英国に MITSUBISHI PENCIL CO.U.K. を設立
創業100年
英国 ROYAL SOVEREIGN を買収★★
山形三菱鉛筆精工を設立
シンガポールに MITSUBISHI PENCIL CO(S.E.A.) を設立
スペインに MITSUBISHI PENCIL ESPAÑA を設立
台湾三菱鉛筆股份有限公司を設立
豪州に MITSUBISHI PENCIL(AUSTRALIA) を設立
ベトナムに MITSUBISHI PENCIL VIETNAM を設立
印章・スタンプの永江印祥堂を買収
英国 ROYAL SOVEREIGN を売却★★
大阪支店を閉鎖
三菱鉛筆関西販売を設立
三菱鉛筆東京販売が西関東販売を合併
三菱鉛筆商務(香港)を設立
三菱鉛筆中国販売を設立
数原英一郎上海新華菱文具制造を設立
数原英一郎摩擦を半減させた油性ボールペンの発売と、芯を固定した軸展開によるシリーズ化ペン先の細さか、書き味か——成熟しきった国内文具市場で、三菱鉛筆は何を競ったのか 詳細を読む★★★
数原英一郎深圳新華菱文具制造有限公司を設立
数原英一郎三菱鉛筆貿易(上海)有限公司を設立
数原英一郎三菱鉛筆岡山香川販売を買収
数原英一郎タイに MITSUBISHI PENCIL(THAILAND) を設立
数原英一郎MITSUBISHI PENCIL EUROPE SAS を設立
数原英一郎健亨万豊文具塑胶(深圳)を設立
数原英一郎三菱鉛筆関西販売が岡山香川販売を合併
数原英一郎フランスの MITSUBISHI PENCIL France を買収
数原英一郎三菱鉛筆中部販売が中部産業から事業を譲受
数原英一郎新本社社屋が竣工し研究開発などの一部組織を集約
数原滋彦北米に uni Mitsubishi Pencil North America を設立
数原滋彦北米に uni-ball Corporation を設立
数原滋彦横浜ロジスティクスセンターが竣工
数原滋彦東京証券取引所プライム市場へ移行
数原滋彦ドイツの筆記具メーカー C. Josef Lamy を買収★★★
数原滋彦インドに UNI LINC INDIA を設立
出典・参考
  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)「三菱鉛筆」
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】(第151期)
  • 週刊東洋経済 2020/3/21「【特集 三菱 150年目の名門財閥】Part3 三菱エリートのカネと出世 「三菱トリビア」10選」
  • 証券 1962年11月号「新規上場会社紹介(第二部・その他製造業)三菱鉛筆株式会社」
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】【主要な設備の状況】
  • 企業の歴史 : 明治百年(東洋経済新報社、1968年)/証券 1962年11月号/三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【事業の内容】(第151期)
  • 証券 1970年4月号「新規上場会社紹介 マックス株式会社」
  • 証券 1962年11月号/証券 1970年4月号
  • 証券アナリストジャーナル 1974年11月号「大日本インキ化学工業」
  • 日経ビジネス 1975年9月号「三菱鉛筆の「趣味の店」戦略前線 “手作りの楽しさ”パック 潜在需要の開拓めざす」
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【事業の内容】(第150期)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【業績等の概要】(第150期)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【関係会社の状況】(第131期)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【業績等の概要】(第131期)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】(第131期)
  • 週刊東洋経済 2015/4/25「【第1特集 買っていい株 ダメな株】PART2 投資の基本を知る お宝銘柄はこう探せ!」
  • 週刊東洋経済 2015/3/28「【特集 絶好調企業の秘密】顧客をがっちりつかむ 三菱鉛筆 シリーズ年間販売本数1億本超 成熟の文具で稼ぐ 商品展開の“極意”」
  • 週刊東洋経済 2008/11/1「Column Hot&Cool 発売半年で100万本超えを記録 書くたびに芯が回るシャープペン」
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】(第136期)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
  • 週刊東洋経済 2006/9/16「ニッポンの技術再発見 第121回 ジェットストリーム(三菱鉛筆)」
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書(第140期)/週刊東洋経済 2015/3/28
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】(第131期・第140期)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【役員の状況】
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書(第146期)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【連結損益計算書】(第141期・第145期)
  • 週刊東洋経済 2022/11/26「【産業リポート コクヨは王座を守れるか】ぺんてる争奪戦に白旗 コクヨは王座を守れるか」
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【関係会社の状況】(第150期)
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【事業の内容】【沿革】
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【業績等の概要】(第151期)

免責事項およびポリシー