三菱鉛筆 の歴史

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創業 1887年
創業者 眞崎仁六
創業地 東京・内藤新宿(現・新宿区)
創業 1887年、眞崎仁六氏が東京・内藤新宿(現・新宿区)で眞崎鉛筆製造所を創業し、水
1887年、眞崎仁六氏が東京・内藤新宿(現・新宿区)で眞崎鉛筆製造所を創業し、水車を動力に鉛筆の製造を開始した。佐賀県の出身で、1878年のパリ万国博覧会で鉛筆を目にして国産化を志したが、当時の日本に量産の技術はなく、黒鉛と粘土を練り合わせて焼き固める芯の製法から独力で試すほかなく、実用に足る製品まで約10年を要している。創業のころ鉛筆は一般に知られておらず、輸入品を使うのは一部の官庁だけで、返品が相次いだ。1901年に逓信省が正式採用したことで社業の基礎が固まる。1903年には三つのダイヤを組み合わせた図案を商標に登録し、三菱財閥が同じ意匠を登録したのはその10年後にあたる。1925年4月17日に色鉛筆の大和鉛筆と合併して眞崎大和鉛筆となり、1952年に三菱鉛筆へ商号を変更した。
決断 品目を拡大した30年が戻せなかった売上を、1本のボールペンが戻した。1962年の
品目を拡大した30年が戻せなかった売上を、1本のボールペンが戻した。1962年の上場に際し、三菱鉛筆は5年後に鉛筆60%・非鉛筆40%の総合文具メーカーをめざすと表明した。1975年3月に手芸用品のホビーラホビーレ、1979年2月に粘着テープのユニ工業を設立し、1990年5月には英国のROYAL SOVEREIGNを買収して海外に製造拠点を持つ鉛筆の外へ品目を拡大する。それでも連結売上高は2001年12月期の627億円から2005年12月期の539億円へ4年で87億円減り、英国のメーカーは2002年5月に売却した。2006年7月末、単色1本150円の油性ボールペンを発売する。芯の仕様を先に固定したことが、軸を替えるだけで商品を増やす方法を作り、2012年12月期の505億円から2014年12月期の603億円へ売上を戻した。
現況 過去最高益の翌期に、利益は4割減った。2024年3月にドイツ・ハイデルベルクの筆
過去最高益の翌期に、利益は4割減った。2024年3月にドイツ・ハイデルベルクの筆記具メーカーC. Josef Lamyの全持分を取得し、2024年12月期の連結売上高は888億円で18.7%増、当期純利益112億円と過去最高を更新した。ところが2025年12月期は売上高898億円と1.1%増にとどまり、営業利益96億円で20.5%減、当期純利益62億円で44.7%減となる。欧州でPOSCAを中心とした流通在庫の調整が長引いたためである。売上の97%は筆記具及び筆記具周辺商品事業が占め、地域別では日本383億円、欧州171億円、アジア159億円、米国126億円で海外が57%を占める。取得した会社の市場が最大の海外市場になったことが、業績を欧州の在庫の動きに委ねた。
競合 数を売るのではなく、単価で差をつけてきた。1962年の上場時、トンボ鉛筆やコーリ
数を売るのではなく、単価で差をつけてきた。1962年の上場時、トンボ鉛筆やコーリン鉛筆を含む同業およそ70社のなかで、三菱鉛筆は販売量の30%、販売金額の45%を占め、金額のシェアが量を15ポイント上回っている。1958年に海外製品にも劣らない品質を掲げた"ユニ"、1966年に"ハイユニ"を出して高価格帯を自ら作ったことが、この差を生んだ。2000年代前半は安価な海外製品の流入で価格低下の圧力が強まったが、値ごろな品を並べる側へは動いていない。同じ選び方は海外でも変わらず、2016年のMITSUBISHI PENCIL France、2024年のLAMYと、量産の工場ではなく老舗ブランドを取得して拠点を増やした。
長期業績の推移 1950〜2025年
三菱鉛筆:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2012年12月期2025年12月期

第1章 1878年〜 パリ万博で見た鉛筆を10年かけて国産化し、逓信省に納めるまで(1878〜1925)

1878年〜パリ万国博覧会で鉛筆を見て、水車で作りはじめた

創業のころ、官庁が使う鉛筆は輸入品で、国内で量産を手がける事業者はほとんどいなかった。三菱鉛筆を興した眞崎仁六氏は佐賀県の生まれで、1878年のパリ万国博覧会で鉛筆を見て、これを国内でつくろうと思い立った。量産の技術は日本になく、黒鉛に粘土を混ぜて焼く芯づくりから一人で試行を重ね、使い物になる品ができるまで約10年かかった。東京・内藤新宿に眞崎鉛筆製造所を開いたのは1887年で、動力には水車を用いた。社是の"最高の品質こそ 最大のサービス"は、この創業の年から掲げられてきた

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [1]創業のころ鉛筆は一般大衆には全く未知のもので、わずかに一部の官庁(主として逓信省)が輸入品を用いていた
    • [2]創業者は眞崎仁六。佐賀県の出身
    • [3]明治11年(1878年)のパリ万国博覧会で鉛筆を見て、その国産化を思い立った
    • [4]明治11年のパリ万国博覧会で鉛筆を見た「佐賀県の人」眞崎仁六が国産化を思い立った。創業のころ鉛筆は一般大衆には全く未知のもので、わずかに一部の官庁(主として逓信省)が輸入品を用いていた
    • [5]約10年間苦心の末に鉛筆の製造にこぎつけた
    • [7]明治20年(1887年)に眞崎鉛筆製造所を設立し、水車を動力として鉛筆の製造を開始したのが同社の創業にあたる
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [6]有価証券報告書【沿革】は「眞崎鉛筆製造所として東京都四谷区内藤新宿1番地において創業」と記す
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】(第151期)
    • [8]当社グループは1887年(明治20年)の創業以来、「最高の品質こそ 最大のサービス」を社是としている

創業からしばらくは苦しい時期が続いた。眞崎仁六氏は日本にも鉛筆を普及させたいと願い、"はさみ鉛筆"を一本ずつ販売することから事業を始めた。鉛筆は一般には知られておらず、眞崎鉛筆製造所の製品は市場での馴染みが薄いうえ、品質でも輸入品に及ばなかった。納めた先からの返品が相次ぎ、事業は容易に軌道に乗らなかった。転機は1901年に訪れる。この年に逓信省が同社の鉛筆を正式に採用し、官庁需要という安定した販路を得たことで社業の基礎が固まった。国産鉛筆が官の調達品として認められるまでに、創業から14年を要したことになる。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [9]創業のころ鉛筆は一般大衆には全く未知のものだった
    • [11]同社の製品は馴染みがうすい上、品質の面でもおくれていた
    • [12]返品に悩まされる苦難の時が続いた
    • [13]明治34年(1901年)に逓信省の正式採用が決まった
    • [14]逓信省の正式採用により社業の基礎が固まった
    • [15]創業は1887年、逓信省の正式採用は1901年で、その間は14年
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】(第151期)
    • [10]創業者である眞崎仁六が日本にも鉛筆を普及させたいと願い、「はさみ鉛筆」を一本ずつ販売することから事業が始まった
参考文献[1]-[15]
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)「三菱鉛筆」
    • [1]創業のころ鉛筆は一般大衆には全く未知のもので、わずかに一部の官庁(主として逓信省)が輸入品を用いていた
    • [2]創業者は眞崎仁六。佐賀県の出身
    • [3]明治11年(1878年)のパリ万国博覧会で鉛筆を見て、その国産化を思い立った
    • [4]明治11年のパリ万国博覧会で鉛筆を見た「佐賀県の人」眞崎仁六が国産化を思い立った。創業のころ鉛筆は一般大衆には全く未知のもので、わずかに一部の官庁(主として逓信省)が輸入品を用いていた
    • [5]約10年間苦心の末に鉛筆の製造にこぎつけた
    • [7]明治20年(1887年)に眞崎鉛筆製造所を設立し、水車を動力として鉛筆の製造を開始したのが同社の創業にあたる
    • [9]創業のころ鉛筆は一般大衆には全く未知のものだった
    • [11]同社の製品は馴染みがうすい上、品質の面でもおくれていた
    • [12]返品に悩まされる苦難の時が続いた
    • [13]明治34年(1901年)に逓信省の正式採用が決まった
    • [14]逓信省の正式採用により社業の基礎が固まった
    • [15]創業は1887年、逓信省の正式採用は1901年で、その間は14年
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
    • [6]有価証券報告書【沿革】は「眞崎鉛筆製造所として東京都四谷区内藤新宿1番地において創業」と記す
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】(第151期)
    • [8]当社グループは1887年(明治20年)の創業以来、「最高の品質こそ 最大のサービス」を社是としている
    • [10]創業者である眞崎仁六が日本にも鉛筆を普及させたいと願い、「はさみ鉛筆」を一本ずつ販売することから事業が始まった

第2章 1926-1951 (気が向いたら執筆します!) 昭和恐慌と戦時下の工場新設、戦後復興を経て社名を三菱鉛筆にそろえるまで

第3章 1952-1974 (気が向いたら執筆します!) 三菱鉛筆への改称と東証上場、高度成長期の工場・販売拠点の拡充

第4章 1975-2005 (気が向いたら執筆します!) 手芸用品など周辺事業の設立と欧米・アジアへの販売会社展開

第5章 2006-2026 (気が向いたら執筆します!) ジェットストリームの発売と中国生産、海外販売網の再編からLamy買収まで

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歴史年表 1887〜2025年

三菱鉛筆の沿革1887〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1878〜1925年パリ万博で見た鉛筆を10年かけて国産化し、逓信省に納めるまで(1878〜1925)輸入品を使う逓信省への納入・三菱マークの商標登録

1878年のパリ万国博覧会で鉛筆を見た眞崎仁六氏が、約10年の試作を経て1887年に眞崎鉛筆製造所を創業し、輸入品を使っていた逓信省を最初の顧客に据えた経営判断。返品に苦しんだのち1901年に正式採用が決まり、1903年には三種の局用鉛筆を表す三菱マークを商標登録した。

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★★★
逓信省指定の局用鉛筆の商標として「三菱」のマークを登録★★
品川区大井町に工場を新設移転
大和鉛筆と合併し眞崎大和鉛筆を設立★★★
1926〜1951年昭和恐慌と戦時下の工場新設、戦後復興を経て社名を三菱鉛筆にそろえるまで子安工場(現・横浜事業所)を新設
小松工場(現・山形工場)を新設
1952〜1974年三菱鉛筆への改称と東証上場、高度成長期の工場・販売拠点の拡充商品名にそろえ社名を三菱鉛筆へ変更★★
東京証券取引所市場第二部に上場
藤岡工場(現・群馬工場)を新設
大阪支店を設置
東京証券取引所市場第一部へ指定替え
1975〜2005年手芸用品など周辺事業の設立と欧米・アジアへの販売会社展開手芸用品・粘着テープ・化粧品・印章への多角化と、英企業の買収・売却

1973年の粘着テープ参入から2001年の印章事業の買収まで、三菱鉛筆が鉛筆の外へ事業を多角化し、1990年に買った英ROYAL SOVEREIGNを2002年に売却して筆記具への集中へ戻した一連の判断。

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★★★
米国に MITSUBISHI PENCIL CORP., OF AMERICA を設立
ユニ工業を設立
本社社屋が竣工
英国に MITSUBISHI PENCIL CO.U.K. を設立
創業100年
数原英一郎英国 ROYAL SOVEREIGN を買収★★
数原英一郎山形三菱鉛筆精工を設立
数原英一郎シンガポールに MITSUBISHI PENCIL CO(S.E.A.) を設立
数原英一郎スペインに MITSUBISHI PENCIL ESPAÑA を設立
数原英一郎台湾三菱鉛筆股份有限公司を設立
数原英一郎豪州に MITSUBISHI PENCIL(AUSTRALIA) を設立
数原英一郎ベトナムに MITSUBISHI PENCIL VIETNAM を設立
数原英一郎印章・スタンプの永江印祥堂を買収
数原英一郎英国 ROYAL SOVEREIGN を売却★★
数原英一郎大阪支店を閉鎖
数原英一郎三菱鉛筆関西販売を設立
数原英一郎三菱鉛筆東京販売が西関東販売を合併
数原英一郎三菱鉛筆商務(香港)を設立
数原英一郎三菱鉛筆中国販売を設立
数原英一郎上海新華菱文具制造を設立
2006〜2026年ジェットストリームの発売と中国生産、海外販売網の再編からLamy買収まで数原英一郎摩擦を半減させた油性ボールペンの発売と、芯を固定した軸展開によるシリーズ化

2006年、三菱鉛筆が油性インクの溶剤を入れ替えて筆記摩擦を最大50%下げた"ジェットストリーム"を1本150円で発売し、以後は芯の仕様を固定したまま軸だけを替えて、年間1億本・国内120種類以上のシリーズへ広げた商品判断。

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★★★
数原英一郎深圳新華菱文具制造有限公司を設立
数原英一郎三菱鉛筆貿易(上海)有限公司を設立
数原英一郎三菱鉛筆岡山香川販売を買収
数原英一郎タイに MITSUBISHI PENCIL(THAILAND) を設立
数原英一郎MITSUBISHI PENCIL EUROPE SAS を設立
数原英一郎健亨万豊文具塑胶(深圳)を設立
数原英一郎三菱鉛筆関西販売が岡山香川販売を合併
数原英一郎フランスの MITSUBISHI PENCIL France を買収
数原英一郎三菱鉛筆中部販売が中部産業から事業を譲受
数原英一郎新本社社屋が竣工し研究開発などの一部組織を集約
数原英一郎北米に uni Mitsubishi Pencil North America を設立
数原英一郎北米に uni-ball Corporation を設立
数原滋彦横浜ロジスティクスセンターが竣工
数原滋彦東京証券取引所プライム市場へ移行
数原滋彦ドイツの筆記具メーカー C. Josef Lamy を買収★★★
数原滋彦インドに UNI LINC INDIA を設立
出典・参考 3件
出典・参考
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【沿革】
  • 三菱鉛筆 有価証券報告書【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】(第151期)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)「三菱鉛筆」

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