歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1945年10月、終戦で操業を止めた日本飛行機の岡村分工場(横浜市磯子区岡村町)を、航空機技術者だった吉原謙二郎が同僚や部下とともに借り受け、貯金や退職金と各自の技術・労働力を持ち寄って岡村製作所を起こした。職を失った技術者が資金と腕を出し合う「協同の工業」を旗印に、当初は鉄やアルミの家庭用厨房品と在日米軍向けのスチール家具を作り、戦後復興期の物資需要に応えた。地名がそのまま社名となり、協同・実力第一主義の理念が後の経営に根づいた。
決断1959年、経営陣が米国を視察し、現地のオフィスがどこもスチール家具を使う品質と成長性を確信して、家具がほぼ木製だった日本でスチール家具への集中を決めた。業界では異端視されたが、これがオフィス家具市場の首位につながった。以後は家具一本に留まらず、1972年に御殿場工場で冷凍冷蔵ショーケースへ進んで商環境事業を、1988年のタイ進出で海外生産を、2005〜2009年のシーダー・富士精工・セック買収で物流とパワートレーンを取り込み、複数事業を組み合わせる収益基盤へ広げた。
決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く
- Q なぜ1945年の工場借受けによる創業が「協同の工業」というDNAになったのか
- A 工場も資本も外から買えない以上、職を失った航空機技術者が手元の貯金や退職金と各自の腕を出し合うほかなかった。所有も技術も最初から分け持つ形で始まったため、創業の理念は協力と実力第一主義を中心に据えた。1945年10月、吉原謙二郎は同僚や部下とともに日本飛行機の岡村分工場を借り受け、鉄やアルミの厨房品と在日米軍向けスチール家具から事業を起こした。社是に「創造・協力・節約・貯蓄・奉仕」を掲げ、年齢や学歴によらず誰でも公正に処遇する原則は、いまも経営理念の根底にある。
- Q なぜ家具が木製ばかりだった1950〜60年代にスチール家具へ集中したのか
- A 航空機の金属加工で培った技術はスチール家具の量産に向き、在日米軍向けに納めたスチール家具で需要も確かめられていたため、木が主流だった国内市場で鋼製に賭ける勝算があった。1951年にスチールデスク・椅子の生産を始め、1960年には三菱商事・富士製鐵と組んで鋼製事務用家具の専門工場を設立、1963年に米国L.A.ダーリン社、1964年に米国オールスチール社と技術提携して品質を引き上げた。木製家具が当然の業界では異端視されたが、この集中がオフィス家具市場の首位につながった。
- Q なぜ2018年に社名から「製作所」を外したのか
- A 売るものが家具にとどまらず、空間づくりやサービスまで含む「トータルソリューション」へ広がったため、「製作所」という名がもう実態を映さなくなっていた。2017年6月、岡村製作所は2015年の創業70周年を機に、広く認知された略称「オカムラ」へ商号を統一すると発表し、2018年4月に株式会社オカムラへ改めた。中村雅行社長はこれを総合サービス企業への変革とグローバル化を象徴する決断と説明し、コロナ後はテレキューブやABW対応で「需要創出型企業」への転換を進めた。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1945年〜1987年 戦後復興期の協同創業から鋼製家具事業の確立
日本飛行機株式会社岡村分工場の借受と「協同の工業」
1945年10月、終戦と同時に操業を停止した日本飛行機株式会社(横浜市磯子区岡村町)の岡村分工場の施設を借り受け[1]、創業者の吉原謙二郎が航空機の技術者であった同僚や部下たちとともに、各人の貯蓄や退職金などの資金と技術・労働力を持ち寄って「協同の工業・岡村製作所」を立ち上げた[2]。横浜市磯子区岡村町の所在地名が、後の社名「岡村製作所」の由来となった[3]。創業時の事業は、鉄やアルミを使った日常生活用品(一般家庭用厨房品)の製造と、在日米軍向けのスチール製家具の製造を中心とし、戦後復興期の旺盛な物資需要に応える形で立ち上がった。
「協同の工業」という創業の精神は、従業員について「共に企業を繁栄させる協力者であり、各々がチームの一員である」「チームワークが偉大な成果をもたらすことを常に念頭に置き、互いに協力する」「徹底した実力第一主義、適材適所主義をとり、登用には年齢、学歴、勤続に関係なく誰でも公正に処遇する」と明文化された3つの原則として、現在も同社の経営理念の根底に据えている。1946年7月に有限会社岡村製作所を設立[4]し、1948年8月に株式会社へ改組(資本金100万円)した[5]。創業期には戦後初の国産飛行機を目指した「N-52」や国内初のオートマチック車「ミカサ」も手掛け、開発力や現場力を磨き上げた。
スチール家具事業への集中と東証上場
1950年9月、横浜市西区北幸町に横浜工場を新設し、鋼製家具の生産を開始した[6]。同じ1950年には新製品のトルクコンバーターとあわせて事務用家具の生産も開始しており[7]、創業期の航空機技術を動力伝達装置に転用する一方で、後の主力となる鋼製事務用家具の製造に着手した。1952年5月には本社を横浜市西区北幸町に移転[8]、1958年6月に岡村工場を横須賀市浦郷町5丁目に移転した[9]。1950年代後半に在日米軍が撤退すると、事業環境の変化に対応し、オフィスや店舗、工場、倉庫、家庭など「人が集まるところ」で使うものを作る方向に方針を変えた。
1959年、創業者を中心とした当時の経営陣が米国視察を実施し、現地のオフィスすべてでスチール家具が使用されているのを目の当たりにし、その品質の高さとスチール家具の成長性を確信した。戦後間もない日本において家具はほぼ木製だったため、スチール家具事業への集中は業界では異端視されたが、これが後のオフィス家具市場におけるオカムラのリーディングポジション獲得につながった。米国視察では同時にスーパーマーケットでの質の高いスチール製システム什器も視察し、店舗用什器の海外メーカーとの技術提携を結んだ。
1960年9月、三菱商事・富士製鐵・大同鋼板との共同出資により、鋼製事務用家具専門工場として大阪府東大阪市に株式会社関西岡村製作所(現関西オカムラ)を設立した[10]。スチール家具の需要増に対処したこの合弁を機に、三菱商事との緊密な提携をはかって販売体制を強化したことが、その後の発展の基礎となった[11]。1961年4月に株式を公開し、同年10月の再増資により資本金は4億7500万円となった[12]。10月には東京証券取引所市場第2部に上場し[13]、1970年6月に東証一部指定、1971年8月に大阪証券取引所市場第1部にも上場した[14]。
御殿場工場と冷凍冷蔵ショーケース事業参入
株式公開後の1960年代、オカムラは技術提携を重ねて製品の幅を広げた。1961年から1964年にかけて西ドイツや米国などのメーカーと、ガス湯沸器・可動式壁材・空調機器・鋼製事務用机・椅子等の製造販売に関する提携を進め[15]、1968年にはスチール家具のトップメーカーとして年商120億円を突破、利益5億5000万円、配当1割5分を継続するまでに成長した[16]。さらに創業期の航空技術を生かし、清掃機器・荷役機械・建設機械に採用されるトルクコンバーターや、各種産業機械の動力伝達系統に使う流体継手といった産業機械の分野にも進出した[17]。
1970年1月、静岡県御殿場市に富士工場を新設し鋼製家具の生産を開始[18]、1972年3月には静岡県御殿場市に御殿場工場を新設し、冷凍冷蔵ショーケースの生産を開始した[19]。この御殿場工場での冷凍冷蔵ショーケース事業参入は、後に「商環境事業」へと発展する多角化であり、オフィス家具に続く第二の事業の柱を得る転換点となった。
1974年8月には山形県東置賜郡高畠町に高畠工場を新設し木製家具の生産を開始[20]、スチール家具と木製家具を併存させる事業ポートフォリオ構造を整備した。スチール家具を主軸に置きつつ、店舗用什器メーカーとして「人が集まるところ」で使うものに事業領域を広げる路線が、御殿場・高畠の両工場で形を取った。創業期に在日米軍向けスチール家具で立ち上げた事業は、1970年代に国内のオフィス・店舗・家庭向け什器メーカーへの転換を完了させた。
1988年〜2017年 海外進出と買収による事業多角化期
タイ・中国・東南アジア進出と国内買収による事業拡張
1988年5月、タイに三菱商事・現地企業との共同出資によりSiam Okamura Steel Co., Ltd.を設立、海外生産拠点を初めて獲得した[21]。1988年9月には日本たばこ産業・関西岡村との共同出資により株式会社JTオカムラ(現山陽オカムラ)を設立[22]、1989年6月に全額出資子会社の株式会社オカムラ物流を設立[23]、1991年1月に茨城県つくば市につくば工場を新設し事務用家具の生産を開始[24]、1991年10月に新日本製鐵・関西岡村との共同出資により株式会社エヌエスオカムラを設立[25]と、1988〜1991年の4年で国内外の合弁・新規拠点設立が立て続けに進んだ。
2000年代に入ると国内買収による事業拡張が本格化した。2004年6月に中華人民共和国上海市に全額出資子会社の上海岡村家具物流設備有限公司(現奥卡姆拉(中国))を設立[26]、2005年5月にシーダー株式会社を子会社化[27]、2008年3月に株式会社富士精工本社を子会社化[28]、2009年3月にセック株式会社を子会社化[29]と、5年で3件の国内買収を実施した[30]。これらの買収によって、オフィス家具の中核事業に加え、物流システム機器(旧シーダー系)・パワートレーン(旧富士精工系)といった事業領域が組み入れられ、現在の4事業構造(オフィス環境・商環境・物流システム・パワートレーン)の原型が形作られた。
連結業績はFY01(2002年3月期)売上高1,582億円・経常利益35億円から、FY07(2008年3月期)売上高2,148億円・経常利益105億円まで、緩やかながら継続的に拡大した。リーマンショック後のFY08(2009年3月期)売上高1,901億円・経常利益56億円、FY09(2010年3月期)売上高1,612億円・経常利益19億円・親会社株主に帰属する当期純利益5億円という落ち込みを経験したものの、機能子会社の段階的統合と事業領域拡張効果でFY13(2014年3月期)売上高2,114億円・経常利益101億円まで回復した。
13年7月の杭州合弁とインドネシア合弁、シンガポール買収
2013年7月、中華人民共和国浙江省臨安市に現地企業との共同出資により子会社・杭州岡村伝動有限公司を設立(パワートレーン事業の中国展開)[31]。2015年7月にはインドネシア共和国ジャカルタ市に現地企業との共同出資により子会社・PT.Okamura Chitose Indonesiaを設立した[32]。中国・東南アジアの自動車・産業機器市場の成長に呼応する形で、パワートレーン事業の海外生産拠点を取得した。
連結業績はFY14(2015年3月期)売上高2,201億円・営業利益87億円・経常利益103億円・親会社株主に帰属する当期純利益64億円から、FY17(2018年3月期)売上高2,417億円・営業利益131億円・経常利益140億円・親会社株主に帰属する当期純利益108億円へ拡大した。営業利益率は4.0%(FY14)→5.4%(FY17)と1.4ポイント改善し、複数事業の組み合わせによる収益拡大が実現する局面に入った。
2018年〜2025年 「株式会社オカムラ」への商号変更と需要創出型企業への変革
「製作所」の脱却と中期経営計画2025の始動
2018年4月、オカムラの商号を株式会社オカムラに変更した[33]。「製作所」の語を社名から外したこの商号変更は、中村雅行社長(FY11〜現任)が「ものづくりの枠を超えたトータルソリューション企業への変革」を打ち出すための象徴的決断だった。創業時の「協同の工業」を起点とする「製作所」表記は73年間続いた歴史的アイデンティティだったが、オフィス家具メーカーから「人が活きる空間」を提供する総合サービス企業への進化を発信する目的で、社名から外す決断が下された。
2020年7月、連結子会社の株式会社オカムラ物流およびシーダー株式会社を吸収合併し、物流機能とその関連事業を本社へ集約する組織再編を実施した[34]。2021年10月にはシンガポール拠点の確保を目的にDB&B Holdings Pte. Ltdの株式取得・子会社化[35]、2022年4月に東京証券取引所のプライム市場へ移行[36]、2024年7月にDB&B Holdings Pte. Ltdの株式追加取得・完全子会社化[37]と、商号変更後の事業ポートフォリオ再編が継続した。
コロナ禍と「人が集う場」の再定義による需要創出
2020年度以降、コロナ禍に見舞われたオフィス環境・商環境・物流システムの事業を取り巻く状況は、かつてない変容の渦中にあった。中村雅行社長は、オンライン会議や集中作業のための個室型ワークブース「テレキューブ by オカムラ」をオフィスや駅、公共施設へ普及させ[38]、社会環境の変化に即応した「需要創出」を達成した。コロナ後の出社回帰に伴い、仕事の内容に合わせて時間や場所を選んで働くABW(Activity Based Working)が働き方の新たな主流となるなか、オカムラはオフィス・店舗を「人が集う場」と捉え、ハイブリッドワーク時代の価値創造の場として再定義する戦略を公表した。
中期経営計画2025(FY23〜FY25)の初年度FY23(2024年3月期)に予想を上回る成果を上げ「需要創出型企業」への変革が進展した。連結売上高はFY21(2022年3月期)2,611億円・FY22(2023年3月期)2,770億円から、FY23(2024年3月期)2,982億円・FY24(2025年3月期)3,145億円へ4期連続最高売上更新を達成した。連結営業利益も同期間にFY21 159億円→FY22 173億円→FY23 240億円→FY24 239億円と1.5倍規模へ拡大、ROEはFY24で12.3%を達成、配当性向40.4%・4期連続増配・15期連続減配なしという株主還元実績を積み上げた[39]。
80周年と次代の「需要創出型企業」への進化
2025年10月、オカムラは創立80周年を迎える節目を控える[40]。中村社長は経営者として「時代に合わせて変えるべきものを変えなければ会社は立ち行かない」と「従業員の働く喜びを引き出し報いる」の二つを大事にしていると明示している。中期経営計画2025の最終年度であるFY25(2026年3月期)は「需要創出型企業」への変革をさらに加速する局面で、人手不足や環境負荷といった社会課題を起点にした省力化什器・省エネ製品の開発、デジタルとリアルを融合した新しい空間づくりに挑戦する方針を掲げる。
オカムラの80年の歴史は、戦後復興期の航空機技術者による「協同の工業」創業(1945年)→鋼製家具事業確立と東証上場(1950〜1971年)→海外進出と国内買収による事業多角化(1988〜2017年)→「株式会社オカムラ」への商号変更による総合サービス企業化(2018年〜)[41]→コロナ禍以降の「需要創出型企業」変革と4期連続最高売上更新(2020〜2025年)という5段階の構造変化で構成されている。中村雅行社長(FY11〜現任)の長期在任体制が、2018年商号変更と2020年以降のコロナ禍対応の両方の構造転換期を主導した点は、同社のガバナンスの特性である[42]。次代の経営課題は、人口減少・デジタル化・グローバル化という環境変化の渦中で、3事業ポートフォリオ(オフィス環境53.2%・商環境37.6%・物流システム7.2%)の収益基盤をどこまで多角化・高収益化できるか、そして長期在任経営者の後継者選定をどう進めるかという2点に集約される。