森ビル アークヒルズの用途複合化 サントリーホール・テレビ朝日の誘致と、住宅・ホテルまで含めた用途構成の選択
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何をなぜ決めたか
- 概要
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森泰吉郎社長は、電通を介して持ち込まれたサントリーホールの話を、文化性の高さからアークヒルズに見合うと判断して受け入れた。20年がかりで1街区にまとめた赤坂・六本木の敷地には、オフィスのほか住宅、ホテル、放送スタジオ、クラシック専用のコンサートホールが同居することになった。オフィスだけを積み上げない、という経営判断である。
- 背景
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都市計画決定にこぎ着けた1979年10月の直後、森泰吉郎氏は心臓発作で倒れている。土地をまとめれば開発の9割は終わったと考えていたが、そこからは企画・設計と完成後の運営が重要だと考えを改めていた。折しも金融自由化で外資の東京進出が相次ぎ、その受け皿となる丸の内のオフィスは満杯であった。
- 内容
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長男の森敬氏が唱えた二重床やデジタルPBXなどを取り入れ、建物は情報化ビルをめざした。ホテル棟には全日空エンタプライズ、放送スタジオにはテレビ朝日、コンサートホールにはサントリーが入り、これに事務所棟が加わった。住宅棟は、外国人が住んでも不満の出ない水準の賃貸住宅に仕立てた。
- 含意
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1985年8月にバンク・オブ・アメリカがアーク森ビルへの入居を決め、外資系金融機関の入居が続いた。決め手は複合開発の24時間都市という点であった。森ビルはその後オフィス単体の開発に見切りをつけ、複合施設開発を専門に手がける会社へ移っている。
いつ何が起きたか 8件
筆者の見解
ふさわしいかどうかで決めた床
坪当たりの賃料と入居率を積み上げて収支を組むのが賃貸ビル業の常道で、そこから街区との釣り合いを物差しにする発想は生まれない。だがアークヒルズでは、クラシック音楽だけを演奏するホールは文化の香りが強くこの街区に似合うとして、森泰吉郎氏が賃料や稼働率を脇に置いてサントリーホールを迎え入れた。その性格こそが、1985年にバンク・オブ・アメリカが1160坪を借りた理由になり、同行はホテルを備え、終業後をコンサートホールで過ごせる複合開発である点を挙げた。収益を生まない床が、最も賃料の取れる床を呼び込んだと推察される。
ただ、思い描いた用途がすべて埋まったわけではない。商業施設は主な百貨店に一通り当たったものの、地下鉄の便が悪く乗ってくる相手はいなかったと本人が認めている。時機の助けも大きかった。着工時は情報化がこれからという時期で二重床やデジタルPBXを織り込むことができ、完成はバブルの入り口に当たって資材・建築費も高騰していない。同じ用途構成を数年ずらして置いて同じ結果になったとは言いがたい。情報化を説いた森敬氏は、完成を見届けて1992年春に先立っている。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
業績の推移
同じ問いに直面した会社
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参考文献
- 森泰吉郎「私の履歴書」(日本経済新聞社, 1993/1992年11月 日本経済新聞連載)
- 佐治敬三「私の履歴書」(日本経済新聞社, 1994)
- 日経ビジネス 1990年9月10日号
- 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「住宅・不動産-戦後最悪の不況に苦しむ」
- 森ビル ニュースリリース(2016年2月17日)「森ビルの都市づくりの原点『アークヒルズ』開業30周年」
- アークヒルズ公式サイト「開発経緯」