フロー収益型融資への転換(1975年・森ビルの決断)
取引銀行へ差し入れた担保の解除と、グループ収益力を裏づけとする借入への転換森ビルが1975年ごろに下した財務上の判断は、借入の拠りどころを個々の資産からグループ全体の収益力へ移すものだった。取引銀行には、土地・建物に設定していた担保を外すよう求め、それが認められた。あわせて株式公開は見送られ、非上場のまま長い先行投資を要する再開発に取り組む方針が固まった。
何をなぜ決めたか:取引銀行へ差し入れた担保の解除と、グループ収益力を裏づけとする借入への転換
- 概要
森ビルが1975年ごろに下した財務上の判断は、借入の拠りどころを個々の資産からグループ全体の収益力へ移すものだった。取引銀行には、土地・建物に設定していた担保を外すよう求め、それが認められた。あわせて株式公開は見送られ、非上場のまま長い先行投資を要する再開発に取り組む方針が固まった。
- 背景
帳簿上の投資効率が低く映ったのは、上場企業と違って資金を銀行借入でしか調達できず、利払いがかさんだためである。不動産賃貸業は、先に用地を取得し、建物はそのあとに建てる。この順序ゆえに投資が先行し、規模を拡大するほど必要な資金も増加した。
- 内容
銀行には、グループの全ビルを1つの案件とみなして資金を出すよう求め、既存ビルの収入と支出の実績を材料に話し合いを繰り返した。銀行が応じるまでにはおよそ2年かかった。借入金は1995年の段階でも、日本開発銀行からの分を別にすればすべて担保を付けずに借りていた。さらに、借入金総額から手元の現預金を控除した純額について、収益の5倍を上限とする自前の基準も置いた。
いつ何が起きたか5件
筆者考察
考察:「いいとこ取り」という批判
1975年ごろに森ビルが外したのは、取引銀行へ差し入れていた土地・建物の担保であった。資産を一つひとつ担保に入れる代わりに、グループ全体を1つのプロジェクトと考えて融資してほしいと銀行を説得し、条件をのませるまでに2年ほどかかっている。不動産賃貸業の営業収益は営業原価が小さく粗利に近い。その収益で借入を返す設計に替えたことが、20年後に土地の含み益がピークの1兆5000億円から1000億円台まで減少したとき、財務を持ちこたえさせた要因の一つになっただろう。
この財務運営も盤石ではなく、1994年12月期には有利子負債が7700億円と営業収益の7倍を上回り、自社で定めた5倍以内という上限をすでに超えていた。森ビルが避けてきたのは、目先の利益を求める株主そのものより、開示と説明にかかる負担のほうだった可能性がある。広く投資家からお金を集めれば、経営の内容を上場会社と同じ程度まで明らかにし、株主の声を聞く立場になるためである。
参考文献
参考文献
参考
- 日経ビジネス 1995年8月7日・14日号
- 森ビル 有価証券報告書【沿革】
- 日経ビジネス 1992年3月30日号
- 日経ビジネス 1990年9月10日号