森ビル立体道路制度による環状第二号線上空への超高層タワー建設と、虎ノ門ヒルズ 森タワーの竣工
用地を買い集めるか、公共事業の内側へ入るか——半世紀動かなかった道路の上に建てるまで
- 概要
- 1946年に都市計画決定されながら半世紀にわたり実現しなかった環状第二号線の新橋・虎ノ門区間で、東京都が施行する第二種市街地再開発事業の特定建築者となり、1989年創設の立体道路制度を使って道路の上下空間に高さ247メートルの超高層タワーを建てた経営判断。2014年5月に虎ノ門ヒルズ 森タワーが竣工した。
- 背景
- 道路計画は地権者との用地取得の折衝が進まず、バブル経済期には2兆円道路と揶揄されていた。森ビルの側も地価下落で土地を買い集める体力を失っており、創業の地である虎ノ門で街区規模の事業に戻るには、土地を買うのとは別の入り方が要った。
- 内容
- 環状第二号線の本線部を地下化し、道路の上下空間を建築可能区域として再開発ビルを建てる。事業主体は東京都で、森ビルは都施行の再開発で初めて導入された事業協力者方式のもと2002年から計画に関与し、2009年に特定建築者となって建設と保留床の取得、その後の運営を引き受けた。
- 含意
- 2014年3月に新橋-虎ノ門間の供用が始まり、5月に森タワーが竣工、6月11日に開業した。その後もビジネスタワー、レジデンシャルタワー、ステーションタワーが続き、1棟が4棟の街区へ広がった。
買わずに建てるという入り方
アークヒルズでは敷地の4分の3を買い、六本木ヒルズでは保有を3分の1に抑えた会社が、虎ノ門では用地の買収そのものを事業の外へ出した。1946年の道路計画が半世紀動かなかった理由も、森ビルが土地を買えなくなった理由も、ともに用地の取得にある。1989年の立体道路制度は、その二つの行き詰まりを道路の上下を分ける一点で解いた。都が用地をまとめ、森ビルは特定建築者として保留床を得る。創業の地へ戻る道は、土地を持たない形でしか開かなかったとみられる。
ただ、この形は自由度と引き換えであった。事業計画を決めるのは東京都であり、森ビルは都が決めた計画に沿って建てる側に回る。柱は道路をまたぐ末広がりになり、基本設計者が禁じ手に近いと述べるほどの無理を設計は抱えた。高さも都内で2番目にとどまり、足元では中小ビルの淘汰が進んでいる。用地を買わずに済ませる代わりに、公共事業の時間割と設計上の制約を引き受けた事業であったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
背景
半世紀動かなかった道路
環状第二号線の道路計画は、1946年に新橋から神田佐久間町までの約9.2キロメートルの区間で都市計画決定された。戦災復興院が復興事業の一つとして立案した計画であった。しかし新橋・虎ノ門の区間は、実現をみないまま長い期間が過ぎた。障害になったのは地権者との用地取得の折衝であった。都心の一等地であるため住民が移り住む代替地は見つからず、買収費用も高くつく。バブル経済期には2兆円道路と揶揄されている[1][2]。
呼び名も定まらなかった。占領軍が軍用道路の整備を計画したという俗説から幻のマッカーサー道路と呼ばれてきたが、根拠のない話だと東洋経済は書いている。現在の計画案に沿って工事へ着手できたのは2011年で、最初の立案から60年以上が経っていた。道路の用地は地上で買い集めるほかないという前提が外れない限り、この区間は動かないままであった[3]。
創業の地と、買えなくなった土地
虎ノ門は森ビルが会社を興した場所である。1959年6月の設立ののち、1966年5月に虎ノ門10森ビル、1970年4月に虎ノ門17森ビル、1981年9月に虎ノ門37森ビルと、番号を振った賃貸ビルをこの一帯へ積み上げ、そのつど本社を移してきた。開発の軸はアークヒルズ、六本木ヒルズと赤坂・六本木へ移っていたが、環状第二号線の再開発が動く場所は創業の地であった[4]。
一方で、土地を買い集める体力は失われていた。地価の下落によって土地の先行取得は割高な原材料の仕入れになり、これまでのように土地に投資はできないと森稔社長も森章社長も認めている。アークヒルズでは最終的に敷地の4分の3を取得したが、六本木では保有を3分の1に抑える方針をとった。創業の地で街区規模の事業に戻るには、土地を買うのとは別の入り方が要った[5][6]。
決断
道路の上下を分ける制度
事態を動かしたのは1989年の立体道路制度の創設であった。それ以前は防災などの観点から道路上の空間はどこまでも道路であり、建築物を建てることはできない。道路法など4法の改正により、道路の上下空間を立体的に区分して建物を建てられるようになった。この制度を使えば、敷地の真ん中に幅の広い道路を通しながら、その上にビルを建てて用地を最大限に活用できる[7][8]。
現地での事業継続にこだわってきた地権者の側でも再開発への機運が高まり、2002年に再開発協議会が発足した。計画は環状第二号線の本線部を地下化し、道路の上下空間を建築可能区域として再開発ビルを建てる形をとる。道路の上に架けた人工地盤が敷地の代わりになり、そこへ高さ247メートル・延床面積24万4360平方メートルの超高層複合タワーが載る。土地を買って敷地をつくるのではなく、敷地そのものを制度で作り出す方法であった[9][10]。
施行者は東京都、森ビルは特定建築者
事業主体は東京都であった。森ビルが開発主体だと受け取られがちだが、同社は都が決めた事業計画に沿って特定建築者としてビルの建設と運営を担う立場にある。都施行の再開発では初めて事業協力者方式が導入され、森ビルは2002年から再開発ビルの計画に助言と提案でかかわり、2009年に特定建築者となって建設と保留床の取得、その後の運営を引き受けた。用地の買収は事業の外にある[11][12]。
制度を使った代償は設計と工事に出た。ビルの真下を道路が走るため柱を垂直に立てられず、柱は道路をまたぐ末広がりの構造をとり、用途ごとに階層で構造を切り替えている。基本設計に携わった日本設計の荒金透執行役員は、超高層ビルの設計としては禁じ手に近いと述べた。工事では土木と建設の担当範囲が3次元の結界として図面に引かれ、道路躯体のカルバートは道路側、それを収める基礎はビル側が受け持った[13][14]。
結果
開通と開業
ビルの地下を抜けるトンネルは築地虎ノ門トンネルといい、全長1.84キロメートル、片側2車線の自動車専用道路である。カルバートの下には2.5センチメートルの防振ゴムが敷かれ、ビルを支える237本の杭が内回り線と外回り線の間を貫いた。このうち虎ノ門から新橋までの区間が先行し、東京都は2014年3月29日に新橋-虎ノ門間の供用を開始した。地上部には幅40メートルの新虎通りが通っている[15][16][17]。
虎ノ門ヒルズ 森タワーが竣工したのは2014年5月で、開業は6月11日であった。竣工記者会見で辻慎吾社長は、ほぼ満室に近い状態でスタートを切れた、賃料もかなり高い水準で契約できていると語っている。最上階の52階を含む上層階には、ハイアットが日本へ初めて持ち込んだブランド、アンダーズ東京が入った。その下に住宅、オフィス、カンファレンス、店舗が縦に連なる複合タワーである[18][19][20]。
1棟から街区へ
高さ247メートルは、当時の都内では六本木の東京ミッドタウンに次ぐ2番目で、1メートルだけ低い。制度によって生まれた人工地盤の上には芝生広場を含む約6000平方メートルのオープンスペースが広がり、地上部の道路とつながった。一方で、恩恵は新築の大型ビルに集まる。同じ時期、オフィスビルのグレードによる二極化は一層鮮明になっているとの指摘があり、虎ノ門ヒルズの足元では中小ビルの淘汰が進むとも報じられていた[21][22][23]。
1棟で終わらなかったことが、この事業の後の意味を決めている。森タワーの周辺では2020年1月に虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー、2022年1月に同レジデンシャルタワー、2023年7月に同ステーションタワーが順に竣工し、街区は4棟になった。土地を買い集めて敷地をまとめる方式では半世紀動かなかった場所が、制度と公共事業を軸にした方式では10年ほどで街区へ広がっている[24]。
- 週刊東洋経済 2011年11月29日号「【特集 蠢くゼネコン】第2章 東京駅再開発ラッシュ」
- 週刊東洋経済 2013年5月2日号「【特集 不動産2極化時代】part2 オフィスビル編」
- 週刊東洋経済 2014年2月21日号「成毛眞の技術探検 第8回 虎ノ門ヒルズと環状2号線 巨大ビル地下の道路に建設と土木の結界を見た」
- 週刊東洋経済 2014年3月14日号「【特集 最強のホテル】Part1 進撃のホテル 第3次開業ラッシュの実相」
- 週刊東洋経済 2014年6月20日号「核心リポート05 市況底打ちは本物か 東京オフィスの明と暗」
- 日経ビジネス 1995年8月7日・14日号「森ビル・グループ フロー重視を徹底」
- 森ビル ニュースリリース(2013年3月1日)「『環状二号線III街区プロジェクト』、名称を『虎ノ門ヒルズ』に決定」
- 森ビル「虎ノ門ヒルズ 森タワー」プロジェクトページ
- 日本経済新聞(2014年3月25日)「『マッカーサー道路』の新橋-虎ノ門間が開通」
- 森ビル 有価証券報告書【沿革】