テスラとの車載電池協業とギガファクトリー——家電から「走る電池」へ
電池で成長できるか——単一の巨大工場に製造機能を預け、BtoBへ主力を移す
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- 概要
- 危機の底から会社を立て直した津賀一宏社長は、家電依存からの脱却を最重要テーマに据え、車載電池を成長の柱に選んだ。パナソニックは2009年にテスラへ円筒形リチウムイオン電池の供給を始め、2014年には米ネバダ州の大規模電池工場ギガファクトリーへ製造機能を預けて参画した。三洋買収で得た電池技術を「走る電池」で生かす、BtoB転換の象徴となった経営判断。
- 背景
- 2012年に社長へ就いた津賀一宏は、テレビ不振で苦しむ会社という世間の見方を退け、「事業の中心はBtoB事業だ」という理解を求めた。プラズマ撤退や不採算整理で守りを固める一方、次に稼ぐ柱をどこに置くかが問われていた。その一つが車載電池で、パナソニックは2009年にテスラと円筒形電池の供給契約を結び、2010年には出資して優先サプライヤーの地位を得ていた。基盤は三洋買収で受け継いだ技術であった。
- 内容
- 2014年7月31日、パナソニックはテスラとギガファクトリー建設での協力に合意した。テスラが土地・建物・ユーティリティを用意し管理する一方、パナソニックは円筒形リチウムイオン電池セルを製造・供給し、そのための設備に投資して工場の生産スペースの約半分を占める。2020年までに年間35GWhのセル生産を計画する巨大工場に、パナソニックは製造機能ごと踏み込んだ。単発の供給契約を超えた、深い協業であった。
- 含意
- 家電で稼ぐ会社から、車載電池と住宅というBtoB領域へ主力を移す構造転換の要に、この協業は位置した。三洋から継いだ電池技術は、民生用では減損を生みながら、車載用では成長を牽引する資産へ転じた。1952年に技術を導入する側だった松下は、ここでは技術を提供する側に回っている。もっとも単一の巨大顧客への集中というリスクも抱え、のちにトヨタとの合弁で電池の系統を分散させた。
「対等を買う」の、車載版
テスラとの協業は、1952年のフィリップス提携の車載版とも読める。あのとき松下は、販売力と経営力を対価に、技術という自前の足場を対等に「買った」。テスラでは、パナソニックが電池技術を、テスラが車という出口を差し出し、たがいの強みを持ち寄って一つの工場に組んだ。相手の強みに自分の別の強みをぶつけて釣り合いを取る——幸之助がフィリップスとの一戦で示した交渉の呼吸と、静かに響き合っているとみることができる。
ただし、決定的な違いもある。フィリップスの相手役では、松下は技術を教わる側であった。テスラの相手役では、電池技術を提供する側に回っている。60年余りをかけて、この会社は技術を導入する側から供給する側へと立場を移した。それを可能にしたのは、三洋から継ぎ、自ら磨いた電池であった。家電の会社が、車を走らせる電池の会社へ——テスラとの協業は、その長い移動のなかの、確かな一歩であったとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
危機の底で選んだ、電池という柱
2012年に社長へ就いた津賀一宏は、テレビメーカーが不振で苦しみ続ける会社、という世間の見方を退けようとした。コンシューマー事業はパナソニックの一面にすぎず、むしろ事業の中心はBtoBにある——そう理解してほしいと繰り返し語った。プラズマ撤退や不採算整理で守りを固める一方、次に稼ぐ柱をどこへ置くかが、津賀体制の最大のテーマとなっていた。守りだけでは、会社は縮むだけであった[1]。
その柱の有力候補が、車載電池であった。パナソニックは2009年、テスラモーターズと自動車用リチウムイオン電池の供給契約を結び、供給した円筒形電池は高級EVセダン「モデルS」に載った。ニッケル系正極を用いた独自技術で高いエネルギー密度を実現した電池である。翌2010年には3000万ドルを出資して関係を深め、優先サプライヤーの地位を得た。この電池技術の足場は、三洋買収で受け継いだものであった[2][3]。
決断
ギガファクトリーへ製造機能ごと踏み込む
2014年7月31日、パナソニックとテスラは、米国での大規模電池工場ギガファクトリーの建設で協力することに合意した。役割は明快に分けられた。テスラが土地・建物・ユーティリティを準備し、工場全体を管理する。パナソニックは円筒形リチウムイオン電池セルを製造・供給し、そのための設備や機械に投資する。パナソニックは工場の生産スペースの約半分を占め、2020年までに年間35GWhのセルを生む計画に、製造機能ごと組み込まれた[4]。
これは、部品を納める供給契約の域を超えていた。一社の巨大工場の内部に自社の製造ラインと投資を差し入れ、生産スペースの半分を担うという踏み込みである。合意にあたりパナソニックの山田喜彦副社長は、リチウムイオン電池セルをここで生産すれば「電気自動車市場の拡大を加速させることができる」と述べた。三洋から継いだ電池技術が、車載という大きな出口を得て、量産の舞台へと進み出た場面であった[5]。
BtoBへの構造転換の要として
テスラとの協業は、成長領域への投資という津賀体制の方針を体現していた。守りで刈り込んだ事業の裏で、車載電池には攻めの資源を配る。この選択は一社との関係にとどまらず、2020年4月にはトヨタ自動車と車載用角形電池の合弁プライムプラネットエナジー&ソリューションズを設立し、テスラ向けの円筒形とトヨタ向けの角形という2系統で車載電池を展開する体制へと広がった。家電の会社は、電池と住宅のBtoBへ主力を移していった[6]。
この構造転換のおおもとをたどると、2009年の三洋電機買収で得たリチウムイオン電池の技術基盤と、トヨタ・テスラとの長期の協業関係に行き着く。同じ三洋由来の電池が、民生用では価格競争に削られて減損を生み、車載用では成長を牽引する柱へと育った。買収の痛みと成長の芽が、同じ技術の裏表であった点に、パナソニックのこの十数年の歩みが凝縮していたとみることができる[7]。
結果
成長の柱と、単一顧客への集中
ネバダ州のギガファクトリーは稼働にこぎ着け、テスラの販売拡大とともにセルの供給も伸びた。車載用リチウムイオン電池は、家電に代わってパナソニックの成長を牽引する中核領域へと育っていった。危機の底で津賀が選んだ「走る電池」という賭けは、少なくとも成長分野を一つ確保するという意味では、会社に新しい背骨を通した。三洋買収の痛みを引きずっていた会社にとって、これは数少ない攻めの成果であった[8]。
もっとも、単一の巨大顧客と単一拠点へ製造機能を集めた協業は、テスラの生産計画の振れをそのまま受ける構造でもあった。1社の需要に自社の量産が連動する以上、相手の増減がパナソニックの稼働を左右する。2020年にトヨタと角形電池の合弁を設けて系統を2つに分けたのは、テスラ一辺倒だった車載電池を、複数の出口へ分散させる備えでもあったとみられる。攻めの協業には、集中ゆえのもろさも同居していた[9]。