沿革年表 1918〜2026年における重要度別の出来事(合計71件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項会社設立
松下幸之助が松下電気器具製作所を設立創業
大阪市福島区大開町にて配線器具の製造を開始
歴史的意義yutaka sugiura
注目すべきは創業の動機が「貧困からの脱出」ではなく「安定への退屈」だった点にある。検査員昇格は異例の出世だったが、実働2〜3時間の余暇が松下を起業に駆り立てた。資金200円・自宅土間の零細創業ながら、ソケット不振から碍盤受注への素早い転換に商才が表れている。なお義弟の井植歳男は後に三洋電機を創業しており、この土間工場が日本家電産業の二大源流を生んだことになる。
1918
1-12月
砲弾型電池式ランプを考案発売
歴史的意義yutaka sugiura
寿命2〜3時間の製品を30〜50時間に改良した技術力もさることながら、注目すべきは無名メーカーが問屋の壁を突破した販売手法にある。小売店にランプを無償で配り、実際に点灯させて性能を証明する手法は、自転車店での丁稚奉公で「現場の信用」を体感した松下ならではの発想だった。この成功体験が後の系列販売店網の構築思想につながり、松下流マーケティングの原型となった。
1923
1-12月
「ナショナル」の商標を制定
歴史的意義yutaka sugiura
当時の家電業界では製品ごとに異なるブランド名を付けるのが一般的だったが、松下は「ナショナル」に統一する道を選んだ。後発参入のたびに「マネシタ電器」と批判されたが、統一ブランドは新製品投入のたびに既存製品の信頼を転用できる仕組みとして機能した。ストーブ・アイロン・ラジオ・乾電池と展開できた背景には、製品ではなくブランドに信頼を蓄積するという、当時としては異例の戦略がある。
1927
1-12月
重要事項組織再編
門真に本店を移転、事業部制を採用
創業15年で第12工場まで分散した拠点を門真に集約する判断自体は合理的だが、注目すべきは住友銀行が50万円のうち30万円を無担保で融資した点にある。町工場上がりの企業への無担保融資は松下の信用力を示す。一方、同時に導入された事業部制は米デュポンの採用(1920年)から13年後であり、日本企業としては極めて早い。製品別の独立採算は後の巨大化でも各事業部が自走する仕組みを可能にし、松下の多角化経営の骨格となった。
経営判断をよむ →
1933
1-12月
松下電器貿易を設立
1935
1-12月
組織再編
松下電器産業株式会社に改組
資本金1,000万円で設立
個人商店から株式会社への転換で組織的経営体制を確立
株式上場
東証・大証に株式上場
戦後復興期の上場により公開企業として成長資金を調達する体制を整えた
FY50
1950/3
株式上場
名古屋証券取引所に株式上場
歴史的意義yutaka sugiura
三種の神器への同時参入で注目すべきは、技術面と販売面の両方を同時に整備した点にある。テレビではフィリップスと合弁で松下電子工業を設立してブラウン管技術を導入し、冷蔵庫では中川機械を資本提携で取り込んだ。一方、販売面では戦前からの連盟店制度をナショナル店会に再編し、零細な町の電器店を系列化した。大規模小売が規制されていた時代に、全国の小売店との結合こそが最大の参入障壁となり、後発メーカーとの差を決定づけた。
FY52
1952/3
業務提携
中川機械と資本提携
その後松下冷機に社名変更
冷蔵庫・洗濯機など白物家電への進出の足がかり
重要事項
フィリップス社との技術提携で松下電子工業を設立
管球製造所の4工場を分離
オランダの電機大手との提携により真空管・半導体の技術基盤を獲得した
経営判断をよむ →
FY53
1953/3
設備投資
中央研究所を設立
自前の研究開発体制を構築し、技術蓄積を組織化する契機
FY54
1954/3
業務提携
日本ビクターと資本提携
後のVHS規格戦争でビクターを傘下に置いていたことが松下陣営の勝因の一つとなった
FY55
1955/3
売上高
189億円
九州松下電器を設立
その後パナソニックコミュニケーションズに社名変更
FY56
1956/3
売上高
251億円
大阪電気精器を設立
その後松下精工に社名変更
FY57
1957/3
売上高
373億円
松下通信工業を設立し通信機器部門を分離
その後パナソニックモバイルコミュニケーションズに社名変更
FY58
1958/3
売上高
483億円
FY59
1959/3
売上高
653億円
アメリカ松下電器を設立し海外展開を開始
以後海外各地に製造販売の拠点を設ける
米国進出を皮切りに多国籍企業への成長が始まった
FY60
1960/3
売上高
1,054億円
社長交代
松下正治が取締役社長に就任
創業者から2代目への承継。松下幸之助は会長として経営に関与を続けた
FY61
1961/3
売上高
1,355億円
FY62
1962/3
売上高
1,877億円
経常利益
196億円
業務提携
東方電機と資本提携
その後松下電送システムに社名変更
FY63
1963/3
売上高
2,201億円
経常利益
129億円
FY64
1964/3
売上高
2,071億円
経常利益
129億円
重要事項組織再編
熱海会談を開き、新販売制度で系列販売網を刷新
経営判断をよむ →
FY65
1965/3
売上高
2,173億円
経常利益
134億円
FY66
1966/3
売上高
2,963億円
経常利益
186億円
FY67
1967/3
売上高
4,035億円
経常利益
256億円
FY68
1968/3
売上高
5,317億円
経常利益
357億円
FY69
1969/3
売上高
6,885億円
経常利益
471億円
松下寿電子工業を設立
その後パナソニックヘルスケアに社名変更
FY70
1970/3
売上高
7,388億円
当期純利益
461億円
FY71
1971/3
売上高
7,489億円
当期純利益
408億円
株式上場
ニューヨーク証券取引所に株式上場
日本の電機メーカーとしてNYSE上場により国際的な知名度と資金調達力を獲得
FY72
1972/3
売上高
8,543億円
当期純利益
464億円
FY73
1973/3
売上高
10,408億円
当期純利益
493億円
FY74
1974/3
売上高
11,612億円
当期純利益
351億円
FY75
1975/3
売上高
10,659億円
当期純利益
328億円
設備投資
米貨建転換社債1億ドルを発行
FY76
1976/3
売上高
13,106億円
当期純利益
413億円
松下電子部品を設立し電子部品部門を分離
その後パナソニックエレクトロニックデバイスに社名変更
松下住設機器・松下産業機器を設立し2部門を分離
FY77
1977/3
売上高
14,345億円
当期純利益
486億円
重要事項社長交代
山下俊彦が取締役社長に就任
松下幸之助は1961年に会長に退いてからも熱海会議のように要所で復帰しており、1977年の完全退任まで16年間の「半引退」が続いた。後任の山下俊彦以降、谷井・森下・中村と4代にわたりサラリーマン社長が続くが、創業者の理念を継承しつつ独自色を出すジレンマに各社長は直面した。結果的に、創業者の影が薄まった2000年代にようやく社名変更や持株会社化といった大胆な構造改革が可能になった点が示唆的である。
経営判断をよむ →
FY78
1978/3
売上高
15,980億円
当期純利益
568億円
松下電池工業を設立し電池部門を分離
後に車載電池事業(テスラ向け等)の母体となる事業の源流
FY79
1979/3
売上高
17,344億円
当期純利益
655億円
FY80
1980/3
売上高
20,152億円
当期純利益
731億円
FY81
1981/3
売上高
23,462億円
当期純利益
836億円
FY82
1982/3
売上高
24,735億円
当期純利益
956億円
FY83
1983/3
売上高
27,188億円
当期純利益
974億円
FY84
1984/3
売上高
32,578億円
当期純利益
1,019億円
米国に金融子会社を設立
1986年5月には欧州にも2社設立
FY86
1986/3
設備投資
半導体基礎研究所を設立
社長交代
谷井昭雄が取締役社長に就任
バブル期の経営を担い、MCA買収という大型投資を決断した社長
組織再編
松下電器貿易を合併
FY89
1989/3
重要事項
創業者松下幸之助が逝去
戦後日本を代表する経営者の死去。「経営の神様」の不在は後の経営判断に長く影響した
FY90
1990/3
重要事項企業買収
大坪文雄
米国の大手エンターテインメント企業MCA社を買収
MCA買収の背景にはVHS対ベータの規格戦争がある。VHSが勝てた要因の一つは映画コンテンツの供給にあったため、松下はハードとソフトの垂直統合に活路を見出した。しかし製造業の論理で創作ビジネスを管理する試みは文化的摩擦を招き、わずか5年で株式の大半を売却する結果に終わった。ソニーのコロンビア買収も同様に苦戦しており、1990年前後の日本家電メーカーによるハリウッド進出は、製造業とコンテンツ産業の本質的な違いを浮き彫りにした。
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FY91
1991/3
大坪文雄
FY92
1992/3
売上高
74,499億円
当期純利益
1,328億円
社長交代
大坪文雄
森下洋一が取締役社長に就任
バブル崩壊後の経営立て直しを担った
FY93
1993/3
売上高
70,558億円
当期純利益
384億円
組織再編
大坪文雄
フィリップス社との松下電子工業に関する合弁契約を解消
フィリップス社保有株式の全数を買取
1952年以来の歴史的提携を解消し、半導体事業の完全自社化を果たした
FY94
1994/3
売上高
66,235億円
当期純利益
244億円
重要事項組織再編
事業本部を廃止し、社長直轄の事業部制へ回帰(森下改革)
経営判断をよむ →
大坪文雄
FY95
1995/3
売上高
69,481億円
当期純利益
904億円
組織再編
大坪文雄
松下住設機器を合併
FY96
1996/3
売上高
67,948億円
当期純利益
-568億円
事業売却
MCA社持分の80%をシーグラム社へ譲渡
MCA買収からわずか5年での撤退。エンターテインメント事業の多角化は失敗に終わった
大坪文雄
FY97
1997/3
売上高
76,759億円
当期純利益
1,378億円
大坪文雄
FY98
1998/3
売上高
78,906億円
当期純利益
936億円
組織再編
大坪文雄
自己株式50百万株の消却を実施
FY99
1999/3
売上高
76,401億円
当期純利益
135億円
大坪文雄
FY00
2000/3
売上高
72,993億円
当期純利益
997億円
組織再編
大坪文雄
松下冷機を完全子会社化
FY01
2001/3
売上高
76,815億円
当期純利益
415億円
重要事項社長交代
中村邦夫が取締役社長に就任
「破壊と創造」を掲げた抜本改革を断行し、松下電器の構造転換を主導した
経営判断をよむ →
組織再編
大坪文雄
松下電子工業を合併
歴史的意義yutaka sugiura
1933年に導入した事業部制は松下の多角化を支えたが、半世紀を経て事業部が上場子会社として独立したことで弊害が顕在化した。松下通信工業と本体のAV事業が競合し、九州松下と本体の白物家電が重複するなど、グループ内で共食いが発生していた。5社の完全子会社化は事業部制の負の遺産を清算する試みだったが、組織統合だけでは収益回復に直結せず、真の効果は2022年の持株会社制移行まで持ち越されることになる。
FY02
2002/3
売上高
70,738億円
当期純利益
-4,277億円
大坪文雄
東芝と液晶事業合弁会社を設立
FY03
2003/3
売上高
74,017億円
当期純利益
-194億円
組織再編
松下通信工業ほか5社を完全子会社化
中村改革の一環として子会社群の整理・統合を大規模に実施
組織再編
事業再編により事業ドメイン別経営管理に移行
中村改革の組織面の柱。縦割り事業部制からドメイン横断型管理への転換
大坪文雄
グローバルブランドを「Panasonic」に統一
「ナショナル」ブランドを廃止し、海外市場での認知統一を図った戦略的決断
FY04
2004/3
売上高
74,797億円
当期純利益
421億円
企業買収
大坪文雄
松下電工・パナホーム及び傘下子会社を連結子会社化
住宅設備・照明事業をグループに取り込み、BtoB・住宅領域を強化
FY05
2005/3
売上高
87,136億円
当期純利益
584億円
事業売却
大坪文雄
ユニバーサルスタジオ関連会社株式の全てを譲渡
1990年のMCA買収から16年を経て旧エンタメ資産を完全処分
FY06
2006/3
売上高
88,943億円
当期純利益
1,544億円
社長交代
大坪文雄
大坪文雄が取締役社長に就任
プラズマテレビへの大規模投資と三洋電機買収を決断した社長
FY07
2007/3
売上高
91,081億円
当期純利益
2,171億円
企業買収
大坪文雄
日本ビクターを持分法適用会社に変更
第三者割当増資により連結除外。2011年1月に持分法からも除外
1954年以来の資本関係を段階的に解消
FY08
2008/3
売上高
90,689億円
当期純利益
2,818億円
組織再編
大坪文雄
松下冷機を合併
FY09
2009/3
売上高
77,655億円
当期純利益
-3,789億円
重要事項
社名を松下電器産業からパナソニックに変更
松下電池工業を同時合併
73年間使用した創業者名を冠した社名を廃止。グローバルブランド戦略の総仕上げ
初の純損失を計上
リーマン・ショックで売上が前年比1.1兆円減少し、創業以来初の巨額赤字に転落
重要事項企業買収
大坪文雄
三洋電機を連結子会社化
議決権の過半数を取得
三洋電機の創業者・井植歳男は松下幸之助の義弟であり、創業期の土間工場で共に働いた人物である。戦後に独立して三洋を興したが、約60年を経てパナソニックに吸収される形となった。買収の戦略的意義は二次電池と太陽電池の技術獲得にあったが、8000億円という対価に見合う統合効果の発現には時間を要した。結果的に太陽電池事業は縮小し、電池事業がテスラ向け供給を通じて花開くまで、投資の真価が問われ続ける展開となった。
経営判断をよむ →
FY10
2010/3
売上高
74,179億円
当期純利益
-1,034億円
津賀一宏
FY11
2011/3
売上高
86,926億円
当期純利益
740億円
組織再編
津賀一宏
パナソニック電工・三洋電機を完全子会社化
買収した三洋電機と松下電工の統合を完了し、グループ一体経営の基盤を整えた
FY12
2012/3
売上高
78,462億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-7,721億円
組織再編
パナソニック電工を合併し9ドメイン体制へ移行
買収後の統合作業を完了し組織の一本化を実現
2期連続の巨額純損失
プラズマテレビ事業の減損等で過去最大の赤字を計上。デジタル家電への過剰投資の帰結
社長交代
津賀一宏
津賀一宏が取締役社長に就任
2期連続赤字の危機下で就任し、プラズマ撤退と事業ポートフォリオの抜本改革を断行
FY13
2013/3
売上高
73,030億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-7,542億円
組織再編
コーポレート戦略本社を設置
3期連続の純損失
FY11に続く巨額赤字。津賀体制下で事業の取捨選択が加速する契機となった
組織再編
津賀一宏
ドメインを解消し事業部制に回帰
携帯電話事業のモバイル社を分割・合併。NYSE上場を廃止
ドメイン制を3年で廃止し、各事業部の自律的な損益管理を重視する体制に転換
FY14
2014/3
売上高
77,365億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,204億円
重要事項事業売却
プラズマテレビ事業からの撤退を正式表明
2014年3月末で尼崎工場を停止、パネル内製から外部調達へ
経営判断をよむ →
事業売却
パナソニックヘルスケアの全株式を譲渡
譲渡先持株会社の20%株式を取得
三洋電機から引き継いだヘルスケア事業を売却し事業の選択と集中を推進
組織再編
津賀一宏
半導体事業を分社化
パナソニックセミコンダクターソリューションズに吸収分割。2020年9月に全株式譲渡
非中核事業の切り出しの一環。後に完全売却へ至る
FY15
2015/3
売上高
77,150億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,794億円
重要事項業務提携
テスラとギガファクトリー建設で合意、車載電池へ製造機能ごと参画
経営判断をよむ →
津賀一宏
FY16
2016/3
売上高
76,263億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,652億円
津賀一宏
FY17
2017/3
売上高
73,437億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,493億円
津賀一宏
FY18
2018/3
売上高
79,821億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,360億円
津賀一宏
FY19
2019/3
売上高
80,027億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,841億円
楠見雄規
トヨタと街づくり合弁会社プライムライフテクノロジーズを設立
パナソニックホームズ等の全株式を移管
住宅事業をトヨタとの合弁に移管し、自動車産業との連携を深化
FY20
2020/3
売上高
74,906億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,257億円
楠見雄規
トヨタと車載用角形電池合弁会社PPESを設立
EV用電池事業をトヨタと共同運営する体制を構築。テスラ向け円筒形電池と並ぶ車載電池の柱
FY21
2021/3
売上高
66,987億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,650億円
社長交代
楠見雄規
楠見雄規が代表取締役社長に就任
「手を打たねばいずれ滅ぶ」と危機感を前面に出し、持株会社体制への移行と収益改革を推進
FY22
2022/3
売上高
73,887億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,553億円
企業買収
Blue Yonderを完全子会社化
2020年7月に20%取得済の株式を追加取得
約7,000億円規模のSCMソフトウェア企業買収。BtoB・デジタル事業強化の象徴的案件
組織再編
事業会社制への移行に向け新体制をスタート
2022年の持株会社化に先立つ準備段階として事業会社の自律体制を先行導入
重要事項組織再編
楠見雄規
持株会社体制に移行、パナソニックHDに社名変更
各事業を9社に吸収分割で承継
パナソニックの経営史には約30年周期で巨額買収が登場する。1990年のMCA(61億ドル)、2009年の三洋電機(8000億円)、そして2021年のブルーヨンダー(71億ドル)である。いずれも「次の成長軸」への転換を掲げたが、MCAは5年で撤退した。ブルーヨンダーはハードメーカーがソフト企業を買って「脱モノ売り」を実現できるかという問いそのものであり、収益化の遅れは過去の教訓と重なる。三度目の正直となるかは未だ結論が出ていない。
経営判断をよむ →
FY23
2023/3
売上高
83,789億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,655億円
楠見雄規
FY24
2024/3
売上高
84,964億円
親会社株主に帰属する当期純利益
4,439億円
重要事項事業売却
楠見雄規
パナソニックオートモーティブシステムズの全株式を譲渡
譲渡先のStar Japan HDの20%株式を取得
車載機器事業を切り出し、事業ポートフォリオの再構築を推進
経営判断をよむ →
FY25
2025/3
売上高
84,581億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,662億円
FY26
2026/3
売上高
80,487億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,895億円
  1. 会社設立
    松下幸之助が松下電気器具製作所を設立創業

    大阪市福島区大開町にて配線器具の製造を開始

    注目すべきは創業の動機が「貧困からの脱出」ではなく「安定への退屈」だった点にある。検査員昇格は異例の出世だったが、実働2〜3時間の余暇が松下を起業に駆り立てた。資金200円・自宅土間の零細創業ながら、ソケット不振から碍盤受注への素早い転換に商才が表れている。なお義弟の井植歳男は後に三洋電機を創業しており、この土間工場が日本家電産業の二大源流を生んだことになる。
  2. 砲弾型電池式ランプを考案発売
    寿命2〜3時間の製品を30〜50時間に改良した技術力もさることながら、注目すべきは無名メーカーが問屋の壁を突破した販売手法にある。小売店にランプを無償で配り、実際に点灯させて性能を証明する手法は、自転車店での丁稚奉公で「現場の信用」を体感した松下ならではの発想だった。この成功体験が後の系列販売店網の構築思想につながり、松下流マーケティングの原型となった。
  3. 「ナショナル」の商標を制定
    当時の家電業界では製品ごとに異なるブランド名を付けるのが一般的だったが、松下は「ナショナル」に統一する道を選んだ。後発参入のたびに「マネシタ電器」と批判されたが、統一ブランドは新製品投入のたびに既存製品の信頼を転用できる仕組みとして機能した。ストーブ・アイロン・ラジオ・乾電池と展開できた背景には、製品ではなくブランドに信頼を蓄積するという、当時としては異例の戦略がある。
  4. 松下電器貿易を設立
  5. 組織再編
    松下電器産業株式会社に改組

    資本金1,000万円で設立

    個人商店から株式会社への転換で組織的経営体制を確立
  6. 株式上場
    東証・大証に株式上場
    戦後復興期の上場により公開企業として成長資金を調達する体制を整えた
  7. 株式上場
    名古屋証券取引所に株式上場
    三種の神器への同時参入で注目すべきは、技術面と販売面の両方を同時に整備した点にある。テレビではフィリップスと合弁で松下電子工業を設立してブラウン管技術を導入し、冷蔵庫では中川機械を資本提携で取り込んだ。一方、販売面では戦前からの連盟店制度をナショナル店会に再編し、零細な町の電器店を系列化した。大規模小売が規制されていた時代に、全国の小売店との結合こそが最大の参入障壁となり、後発メーカーとの差を決定づけた。
  8. 業務提携
    中川機械と資本提携

    その後松下冷機に社名変更

    冷蔵庫・洗濯機など白物家電への進出の足がかり
  9. 設備投資
    中央研究所を設立
    自前の研究開発体制を構築し、技術蓄積を組織化する契機
  10. 業務提携
    日本ビクターと資本提携
    後のVHS規格戦争でビクターを傘下に置いていたことが松下陣営の勝因の一つとなった
  11. 九州松下電器を設立

    その後パナソニックコミュニケーションズに社名変更

  12. 大阪電気精器を設立

    その後松下精工に社名変更

  13. 松下通信工業を設立し通信機器部門を分離

    その後パナソニックモバイルコミュニケーションズに社名変更

  14. アメリカ松下電器を設立し海外展開を開始

    以後海外各地に製造販売の拠点を設ける

    米国進出を皮切りに多国籍企業への成長が始まった
  15. 社長交代
    松下正治が取締役社長に就任
    創業者から2代目への承継。松下幸之助は会長として経営に関与を続けた
  16. 業務提携
    東方電機と資本提携

    その後松下電送システムに社名変更

  17. 松下寿電子工業を設立

    その後パナソニックヘルスケアに社名変更

  18. 株式上場
    ニューヨーク証券取引所に株式上場
    日本の電機メーカーとしてNYSE上場により国際的な知名度と資金調達力を獲得
  19. 設備投資
    米貨建転換社債1億ドルを発行
  20. 松下電子部品を設立し電子部品部門を分離

    その後パナソニックエレクトロニックデバイスに社名変更

  21. 松下住設機器・松下産業機器を設立し2部門を分離
  22. 松下電池工業を設立し電池部門を分離
    後に車載電池事業(テスラ向け等)の母体となる事業の源流
  23. 米国に金融子会社を設立

    1986年5月には欧州にも2社設立

  24. 設備投資
    半導体基礎研究所を設立
  25. 社長交代
    谷井昭雄が取締役社長に就任
    バブル期の経営を担い、MCA買収という大型投資を決断した社長
  26. 組織再編
    松下電器貿易を合併
  27. 創業者松下幸之助が逝去
    戦後日本を代表する経営者の死去。「経営の神様」の不在は後の経営判断に長く影響した
  28. 社長交代
    森下洋一が取締役社長に就任
    バブル崩壊後の経営立て直しを担った
  29. 組織再編
    フィリップス社との松下電子工業に関する合弁契約を解消

    フィリップス社保有株式の全数を買取

    1952年以来の歴史的提携を解消し、半導体事業の完全自社化を果たした
  30. 組織再編
    松下住設機器を合併
  31. 事業売却
    MCA社持分の80%をシーグラム社へ譲渡
    MCA買収からわずか5年での撤退。エンターテインメント事業の多角化は失敗に終わった
  32. 組織再編
    自己株式50百万株の消却を実施
  33. 組織再編
    松下冷機を完全子会社化
  34. 組織再編
    松下電子工業を合併
    1933年に導入した事業部制は松下の多角化を支えたが、半世紀を経て事業部が上場子会社として独立したことで弊害が顕在化した。松下通信工業と本体のAV事業が競合し、九州松下と本体の白物家電が重複するなど、グループ内で共食いが発生していた。5社の完全子会社化は事業部制の負の遺産を清算する試みだったが、組織統合だけでは収益回復に直結せず、真の効果は2022年の持株会社制移行まで持ち越されることになる。
  35. 東芝と液晶事業合弁会社を設立
  36. 組織再編
    松下通信工業ほか5社を完全子会社化
    中村改革の一環として子会社群の整理・統合を大規模に実施
  37. 組織再編
    事業再編により事業ドメイン別経営管理に移行
    中村改革の組織面の柱。縦割り事業部制からドメイン横断型管理への転換
  38. グローバルブランドを「Panasonic」に統一
    「ナショナル」ブランドを廃止し、海外市場での認知統一を図った戦略的決断
  39. 企業買収
    松下電工・パナホーム及び傘下子会社を連結子会社化
    住宅設備・照明事業をグループに取り込み、BtoB・住宅領域を強化
  40. 事業売却
    ユニバーサルスタジオ関連会社株式の全てを譲渡
    1990年のMCA買収から16年を経て旧エンタメ資産を完全処分
  41. 社長交代
    大坪文雄が取締役社長に就任
    プラズマテレビへの大規模投資と三洋電機買収を決断した社長
  42. 企業買収
    日本ビクターを持分法適用会社に変更

    第三者割当増資により連結除外。2011年1月に持分法からも除外

    1954年以来の資本関係を段階的に解消
  43. 組織再編
    松下冷機を合併
  44. 社名を松下電器産業からパナソニックに変更

    松下電池工業を同時合併

    73年間使用した創業者名を冠した社名を廃止。グローバルブランド戦略の総仕上げ
  45. 初の純損失を計上
    リーマン・ショックで売上が前年比1.1兆円減少し、創業以来初の巨額赤字に転落
  46. 組織再編
    パナソニック電工・三洋電機を完全子会社化
    買収した三洋電機と松下電工の統合を完了し、グループ一体経営の基盤を整えた
  47. 組織再編
    パナソニック電工を合併し9ドメイン体制へ移行
    買収後の統合作業を完了し組織の一本化を実現
  48. 2期連続の巨額純損失
    プラズマテレビ事業の減損等で過去最大の赤字を計上。デジタル家電への過剰投資の帰結
  49. 社長交代
    津賀一宏が取締役社長に就任
    2期連続赤字の危機下で就任し、プラズマ撤退と事業ポートフォリオの抜本改革を断行
  50. 組織再編
    コーポレート戦略本社を設置
  51. 3期連続の純損失
    FY11に続く巨額赤字。津賀体制下で事業の取捨選択が加速する契機となった
  52. 組織再編
    ドメインを解消し事業部制に回帰

    携帯電話事業のモバイル社を分割・合併。NYSE上場を廃止

    ドメイン制を3年で廃止し、各事業部の自律的な損益管理を重視する体制に転換
  53. 事業売却
    パナソニックヘルスケアの全株式を譲渡

    譲渡先持株会社の20%株式を取得

    三洋電機から引き継いだヘルスケア事業を売却し事業の選択と集中を推進
  54. 組織再編
    半導体事業を分社化

    パナソニックセミコンダクターソリューションズに吸収分割。2020年9月に全株式譲渡

    非中核事業の切り出しの一環。後に完全売却へ至る
  55. トヨタと街づくり合弁会社プライムライフテクノロジーズを設立

    パナソニックホームズ等の全株式を移管

    住宅事業をトヨタとの合弁に移管し、自動車産業との連携を深化
  56. トヨタと車載用角形電池合弁会社PPESを設立
    EV用電池事業をトヨタと共同運営する体制を構築。テスラ向け円筒形電池と並ぶ車載電池の柱
  57. 社長交代
    楠見雄規が代表取締役社長に就任
    「手を打たねばいずれ滅ぶ」と危機感を前面に出し、持株会社体制への移行と収益改革を推進
  58. 企業買収
    Blue Yonderを完全子会社化

    2020年7月に20%取得済の株式を追加取得

    約7,000億円規模のSCMソフトウェア企業買収。BtoB・デジタル事業強化の象徴的案件
  59. 組織再編
    事業会社制への移行に向け新体制をスタート
    2022年の持株会社化に先立つ準備段階として事業会社の自律体制を先行導入