丸ノ内買収の構造的特質は、市場が採算不可と判断した荒地を政府関係の維持を名目に取得し、30年の歳月をかけてオフィス街へ転換した点にある。東京駅の開業前は入札で落札者ゼロという市場評価が合理的であった。三菱財閥が本業の重工業・貿易の収益で赤字を吸収し続けられたことが超長期投資を可能…
三菱合資会社が丸ノ内の開発を「雑務」として位置づけ、専門部署を16年間設置しなかった事実は、不動産事業が三菱財閥の経営において副次的であったことを端的に示す。9年間の建築停止を挟みながら30年かけて段階的にオフィス街を形成した手法は、需要の不確実性を受容しつつ本業の収益で赤字を吸…
丸ビル竣工の意義は、三菱がロンドン模倣の赤レンガ建築からアメリカ型の大規模オフィスビルへと建築思想を転換した点にある。東京駅の開業で立地条件が改善され、サラリーマン文化の普及でオフィス需要が顕在化したことが転換の契機となった。丸ノ内買収から33年を経た竣工は、需要が存在しない段階…
三菱地所の設立と再発足は、財閥の組織構造と戦後の制度変化が不動産事業に与えた影響を示す。三菱合資会社の一部門から独立した三菱地所は財閥解体で3社に分割されたが、陽和不動産への株式買い占めという外部脅威が再統合の契機となった。分割から3年での再合併は、丸ノ内という資産の一体的管理が…
渡辺武次郎氏の功績は赤レンガ街を近代オフィス街に一新した点にあるが、超高層への反対が丸ノ内の高層化を長期にわたり制約した。社長退任後も103歳で逝去するまで45年間影響力を行使し続け、丸ビルの建て替えは逝去2年前まで進展しなかった。赤レンガ街の刷新と超高層への抵抗という二面性は、…
丸の内総合改造計画の構造的特質は、老朽化した赤レンガ街の近代化と、財閥解体で弱体化した三菱グループの求心力回復を同時に達成した点にある。新設ビルをグループ各社に優先賃貸することで丸ノ内はグループの結束を物理的に担保する装置として機能した。ただし31mの高さ制限は渡辺社長の美観論に…
美観論争の本質は、三菱地所が丸ノ内の景観を統制する権限の範囲をめぐる問題であった。自社が所有しない土地の建て替えについて異議を唱えたが、所有権に基づく開発の自由を覆すことはできなかった。31mの街並みを堅持する方針は三菱地所の美観論に依拠していたが、超高層時代の到来と他社の開発権…
初代丸ビルの建て替えが長年頓挫した要因は、350の個人テナントの立ち退き交渉の困難さにあった。渡辺武次郎氏の超高層反対の意向が経営判断を制約していた可能性も否定できない。1995年の阪神大震災が防災面での建て替え論拠を提供し、ようやく正式発表に至った。2代目丸ビルでは商業施設を併…
三菱地所レジデンス設立の経緯で注目すべきは、藤和不動産への資本参加(2005年)から完全子会社化(2009年)への移行がリーマンショックで加速された点にある。当初は少数株主としての経営支援であったが、金融危機による業績悪化が増資引受・連結子会社化・完全子会社化というステップを急速…