重要な意思決定
東京海上ビル建て替え論争
背景
建築基準法の改正で超高層時代が到来し三菱地所が後手に
1960年代にコンピュータを活用した構造計算の高度化により建築基準法が改正され、日本国内でも超高層建築が可能となった。1968年4月に三井不動産が日本初の超高層ビル「霞ヶ関ビルディング」を竣工すると、三菱地所は高層ビル開発で大きく後れをとる形となった。三菱地所は丸の内総合改造計画により31mの中層ビル群で丸ノ内を統一していたが、超高層時代の到来によってこの方針の妥当性が問われることになった。
三菱地所の新丸ビルに隣接する土地を保有する東京海上は、大正時代に建設して老朽化した自社ビルを超高層に建て替える計画を発表した。この土地はもともと三菱合資会社が所有していたが、戦前に東京海上に売却された経緯があった。東京海上の高層化計画は三菱地所が堅持してきた31mの統一された街並みを崩す可能性があり、丸ノ内の景観をめぐる対立の引き金となった。
決断
三菱地所の反対を押し切り東京海上が高層ビルを竣工
三菱地所は東京海上の計画に対して猛反対の姿勢を示した。31mの街並みが保たれている丸ノ内に超高層ビルが出現すれば皇居を見下ろすことになるとの問題を指摘し、計画の中止を申し入れた。この論争は「美観論争」として建築業界や東京都を巻き込む議論に発展し、丸ノ内における建築の高さをめぐる社会的な論点となった。
しかし東京海上にとっては自社が保有するビルの建て替えであり、三菱地所の意向に従う義務は存在しなかった。東京海上は高層ビルの建設を決定し、1974年に東京海上ビルディングを竣工した。ただし三菱地所への配慮から計画当初よりも階数を減らす措置がとられた。三菱地所が丸ノ内の景観を統制する力には限界があることが示され、超高層時代への対応を回避し続けることの困難さが明らかになった。