住友不動産 の歴史

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創業 1949年
母体 住友本社
創業地 東京都
創業
1949年12月、財閥解体で解散した住友本社の不動産部門を継ぐ第二会社として、泉不動産が設立された。丸の内は三菱地所、日本橋は三井不動産がすでに押さえており、引き継げたのは大阪の住友本社ビルを中心に東京・神戸・京都へ散らばる賃貸ビルだけだった。1957年5月に住友不動産へ商号を変更し、1963年4月には清算中の住友本社を吸収合併して戦後処理を終えた。1962年に調布で宅地分譲、1964年に神戸で初のマンション分譲を始め、1970年に東京・大阪証券取引所の第一部へ上場している。1974年3月には新宿副都心の草分けとなる新宿住友ビルを竣工させたが、同じ年の石油危機で市況が急変して赤字に転落し、住友の名を持つ会社のうち財務基盤が最も弱いと見られるまで悪化した。
決断
建てたビルを一棟も投資家へ渡さず、借入で棟数を増やしてきた。1974年に住友銀行副頭取から転じた安藤太郎氏が社長へ就任し、1976年に大阪ビジネスパークの開発から撤退、1982年には売上高の8割を占めていた住宅分譲を縮小して、経営資源を東京都心のビル賃貸へ集中させた。1982年9月の新宿NSビル竣工時点で賃貸ビルは12棟、年間101億円の安定収入を得ている。1994年6月に社長へ就任した高島準司氏も組織を絞り込みながら都心ビル路線を維持し、2000年代に三井不動産と三菱地所がJ-REITへ物件を売却して資金を回収した局面でも、住友不動産は自社保有を続けた。2019年からは同じ持ち方をインドへ移し、ムンバイのBKCとワーリーで5物件・総投資約1兆円の計画が動いている。
現況
売上は大手3社で最も小さく、営業利益率は28%で最も高い。2026年3月期の売上高1兆578億円は、三井不動産の2兆7,097億円、三菱地所の1兆7,461億円を下回る。しかし営業利益2,992億円は売上の28.3%にあたり、三菱地所の18.9%、三井不動産の14.7%を上回った。内訳は不動産賃貸4,581億円・不動産販売3,232億円・ハウジング1,887億円・ステップ746億円で、セグメント利益は賃貸の2,102億円が全体の6割超を占める。2025年4月には注文住宅と「新築そっくりさん」を住友不動産ハウジングへ分社し、仲介の住友不動産販売も住友不動産ステップへ商号を変えた。賃料で稼ぐ会社でありながら、売上の4分の1は個人から受け取る工事代金と仲介手数料が占めている。
競合
大手3社のうち、注文住宅と改修を独立した事業区分に持つのは住友不動産だけである。2026年3月期にハウジングとして切り出した区分は売上1,887億円で、1996年4月に始めた「新築そっくりさん」を中核とする。戸建の全面改修を建て替えの半額以下の定額で請け負う商品で、累計受注は15万棟を超えた。三井不動産が2003年に持たない経営へ転じ、三菱地所が丸の内の街区を保有し続けたのに対し、住友不動産は法人向けの床と個人向けの工事の両方から現金を得ている。ただし自社保有の代償として有利子負債は2025年3月期に3兆8,919億円へ達し、2025年6月にはエリオットから株主還元と資本効率の改善を求められた。借入で持ち続ける形は、賃料の伸びが支払利息の伸びを上回る間だけ成り立つ。
住友不動産:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

設立ストーリー 後発デベロッパーの東京都心集中と安藤太郎の決断 (1949年〜)

三菱・三井に東京一等地を取られた状態からの出発

1949年12月、財閥解体に伴い住友本社の不動産部門を継承する第二会社[1]、泉不動産として設立された。住友本社は400年以上の歴史を持つ住友家の事業を母体とし、戦前は住友コンツェルンの中枢を担っていたが、財閥解体で解散した。その清算段階で不動産部門の受け皿として泉不動産が生まれた。三菱地所は丸の内、三井不動産は日本橋[2]という東京の一等地を持っていた。これに対し、住友不動産が引き継いだのは大阪の住友本社ビルを中心とする物件群で、拠点は東京・神戸・京都に保有するオフィスビルの賃貸にとどまった(出所:日本会社史総覧 1995年版)。1957年5月に住友不動産へ商号を変更し[3]、1963年4月には清算中の住友本社を吸収合併[4]して戦後処理を終え、住友グループ中核の不動産会社としての法的整理を終えた。1964年4月には大阪支店を開設し[5]、関西の拠点整備も並行して行った。

  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1949年12月 財閥解体に伴い住友本社の不動産部門を継承する第二会社(当時の社名 泉不動産)として設立
    • [3]1957年5月 泉不動産から住友不動産へ商号変更
    • [4]1963年4月 清算中の株式会社住友本社を吸収合併
    • [5]1964年4月 大阪支店を開設
  • 日本会社史総覧 1995年版(東洋経済新報社, 1995)
    • [2]三菱地所は丸の内、三井不動産は日本橋を保有という業界配置(本文の出所は日本会社史総覧 1995年版)

1962年に調布で宅地分譲[6]、1964年に神戸で初のマンション分譲を始め[7]、住宅事業を始めた。1970年に東証・大証第1部に上場して資金調達力を得ると[8]、1974年3月に新宿住友ビルを竣工させた[9]。新宿副都心の超高層ビルとしては草分けで、都心ビル賃貸を本格化する出発点だった。しかし同年、第一次オイルショックで不動産市況が急変し、住友不動産は赤字に転落した。1974年6月には本社を東京住友ビル(千代田区)[10]から新宿住友ビルに移し、新宿副都心の超高層ビルを拠点とする態勢へ切り替えた。後発の財務脆弱が高度成長期の勢いを呑み込み、会社の生き方そのものが問われた。これが安藤太郎体制の始まりを決定づけた。

  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1962年 調布で宅地分譲を開始(住宅事業)
    • [7]1964年 神戸で初のマンション分譲(浜芦屋マンション)
    • [8]1970年 東京・大阪証券取引所第1部に上場
    • [9]1974年3月 新宿住友ビル竣工(新宿副都心の超高層ビルの草分け)
    • [10]1974年6月 本社を東京住友ビル(千代田区)から新宿住友ビルへ移転
  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1949年12月 財閥解体に伴い住友本社の不動産部門を継承する第二会社(当時の社名 泉不動産)として設立
    • [3]1957年5月 泉不動産から住友不動産へ商号変更
    • [4]1963年4月 清算中の株式会社住友本社を吸収合併
    • [5]1964年4月 大阪支店を開設
    • [6]1962年 調布で宅地分譲を開始(住宅事業)
    • [7]1964年 神戸で初のマンション分譲(浜芦屋マンション)
    • [8]1970年 東京・大阪証券取引所第1部に上場
    • [9]1974年3月 新宿住友ビル竣工(新宿副都心の超高層ビルの草分け)
    • [10]1974年6月 本社を東京住友ビル(千代田区)から新宿住友ビルへ移転
  • 日本会社史総覧 1995年版(東洋経済新報社, 1995)
    • [2]三菱地所は丸の内、三井不動産は日本橋を保有という業界配置(本文の出所は日本会社史総覧 1995年版)

「ボロ会社」から賃貸ビル12棟への逆張り集中投資

1974年、住友銀行副頭取から転じた安藤太郎氏が社長に就任した[11]。当時はオイルショックで高度経済成長が終わり、全国の地価が暴落して不動産業界全体が苦境にあった。住友グループ内でも泉不動産時代を引きずる経営体力の弱さが目立ち、住友の名を持つ会社のなかで最も体力の弱い存在と見られていた(出所:証券アナリストジャーナル 1981/02)。1973年3月には都心の小学校で卒業生数十人という空洞化が報道されるほど、都心人口の周辺部への流出が進んでいた(出所:読売新聞 1973/03/25[12])。郊外宅地が脚光を浴びる時期に、安藤氏は1976年に大阪ビジネスパークの開発案件から撤退し、経営資源を東京のオフィスビル賃貸へ振り向ける逆張りに踏み切った。

    • [11]1974年 住友銀行副頭取から転じた安藤太郎氏が社長に就任
  • 読売新聞(1973年3月25日)
    • [12]1973年3月 都心小学校の卒業生数十人という空洞化報道(本文の出所は読売新聞 1973/03/25)

1982年にマンション・住宅分譲部門を縮小し、売上高の8割を占めていた住宅部門の経営資源をビル新設と都心土地取得に振り向けた。1982年10月に本社を新宿住友ビルから新宿NS[13]ビルへ移し、新宿副都心の自社保有ビルを中核にオフィス賃貸事業を運営する態勢を整えた。1982年9月の新宿NSビル竣工時点で[14]、住友不動産は首都圏で賃貸ビル12棟を稼働し[15]、年間101億円の安定収入を生み出した。安藤氏は森ビル・三菱地所を目標に据え、賃貸ビルこそ安定収入・安定収益の柱であると明言して拡充を行った。ビル所有棟数では三菱地所・三井不動産・森ビルに次ぐ4位だったが、新宿副都心という立地での先行が後年のポートフォリオ拡大の土台となった。

  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1982年10月 本社を新宿住友ビルから新宿NSビルへ移転
    • [14]1982年9月 新宿NSビル竣工
    • [15]新宿NSビル竣工時点で首都圏に賃貸ビル12棟(安藤社長が証券アナリストジャーナルで12棟と発言)

安藤氏は『中興の祖』と呼ばれ、1994年に会長を退いた後も2008年に98歳で取締役を退任するまで経営への影響力を保った。都心ビルへの集中投資と住宅部門の縮小という二段構えは、以後約30年の基本路線となり、バブル崩壊後の1997年からの中期経営計画体制の下でも仁島体制の下でも引き継がれた。

    • [11]1974年 住友銀行副頭取から転じた安藤太郎氏が社長に就任
    • [15]新宿NSビル竣工時点で首都圏に賃貸ビル12棟(安藤社長が証券アナリストジャーナルで12棟と発言)
  • 読売新聞(1973年3月25日)
    • [12]1973年3月 都心小学校の卒業生数十人という空洞化報道(本文の出所は読売新聞 1973/03/25)
  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1982年10月 本社を新宿住友ビルから新宿NSビルへ移転
    • [14]1982年9月 新宿NSビル竣工

「高層住宅のパイオニア」評価と関連会社網の形成

ビル賃貸への集中と並行して、住宅事業でも商品力を引き上げた。1964年の神戸での初のマンション分譲以降、東京・大阪近郊で事業を広げ、都心ワンルームから郊外の数百戸規模のファミリー物件まで商品企画の幅を広げて『高層住宅のパイオニア』[引用元]と評された(出所:日本会社史総覧 1995年版[16])。1982年11月の広尾ガーデンヒルズ(共同事業)[17]は都心高級マンション市場での地位を固めた。1963年の香港進出を皮切りに海外事業に踏み出し[18]、1972年5月には住友不動産カリフォルニアを設立[19]して米国に進出、1987年8月にはニューヨークでティッシュマンビルを取得して海外でも賃貸事業に参入した。1973年7月の住友不動産建物サービス設立[20]、1975年3月の住友不動産販売設立など[21]、グループ関連会社の創設も1970年代前半に集中した。

  • 日本会社史総覧 1995年版(東洋経済新報社, 1995)
    • [16]「高層住宅のパイオニア」と評された(本文の出所は日本会社史総覧 1995年版)
  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1982年11月 広尾ガーデンヒルズ(共同事業)分譲開始
    • [18]1963年 香港進出(初の海外進出)
    • [19]1972年5月 住友不動産カリフォルニア設立(米国進出)
    • [20]1973年7月 住友不動産建物サービス設立
    • [21]1975年3月 住友不動産販売設立

1980年代には管理(住友不動産建物サービス)、リフォーム(住友不動産シスコン)、[22]注文住宅(住友不動産ホーム)、フィットネス(住友不動産フィットネス)と関連会社を相次いで設立し[23]、総合生活産業への拡大を図った。1984年12月設立の住友不動産ファイナンスはグループ[24]の資金管理を担った。1975年に分社化した住友不動産販売は全国150の直営店舗で仲介実績業界首位の規模に育ち、グループの販売基盤を固めた。バブル崩壊後にはこれら周辺事業の多くが縮小し、ビル賃貸と住宅の2本柱に事業構造が収斂した。1980年代の多角化はそのままの形では残らなかったが、ビル管理やリフォーム事業の一部はグループの基盤サービスとして残った。仲介の住友不動産販売、ホテル事業のヴィラフォンテーヌ、フィットネスのエスフォルタとあわせ、現在も都心ビルと住宅事業を下支えしている。

  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [22]住友不動産シスコン(リフォーム会社)は1980年8月設立
    • [23]住友不動産フィットネス(現エスフォルタ)は1986年9月設立
    • [24]1984年12月 住友不動産ファイナンス設立(グループの資金管理)
  • 日本会社史総覧 1995年版(東洋経済新報社, 1995)
    • [16]「高層住宅のパイオニア」と評された(本文の出所は日本会社史総覧 1995年版)
  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1982年11月 広尾ガーデンヒルズ(共同事業)分譲開始
    • [18]1963年 香港進出(初の海外進出)
    • [19]1972年5月 住友不動産カリフォルニア設立(米国進出)
    • [20]1973年7月 住友不動産建物サービス設立
    • [21]1975年3月 住友不動産販売設立
    • [22]住友不動産シスコン(リフォーム会社)は1980年8月設立
    • [23]住友不動産フィットネス(現エスフォルタ)は1986年9月設立
    • [24]1984年12月 住友不動産ファイナンス設立(グループの資金管理)

株価206円からの再起と「新築そっくりさん」の発明

バブル崩壊後の不動産市況低迷は、住友不動産にも打撃を与えた。1990年代を通じて不動産価格の下落が続き、1998年3月期には特別損失681億円を計上[25]して株価は206円まで沈んだ。同業他社も軒並み業績が悪化するなか、住友不動産は1997年に第一次中期経営計画を策定し、以降は3年単位の中期計画を軸とする経営体制へ切り替えた。バブル期に拡大した事業を整理しつつ、都心賃貸ビルの開発・取得を継続する方針を、ここから一貫して維持した。安藤在任中に築かれた都心ビル集中路線は、バブル崩壊を経ても基本構図として残った。1995年10月に規格住宅『アメリカンコンフォート』、[26]1996年4月に『新築そっくりさん』[27]と住宅関連の新商品開発も並行して進め、ビル賃貸一本足を避ける布石を打った。

  • 住友不動産 有価証券報告書
    • [25]1998年3月期に特別損失681億円を計上
  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [26]1995年10月 規格住宅「アメリカンコンフォート」事業開始
    • [27]1996年4月 「新築そっくりさん」事業開始

1996年4月の『新築そっくりさん』は、戸建住宅の全面リフォームを建替えの半額以下の定額制で提供する独自商品で[28]、のちに累計受注15万棟を超える事業に育った。1999年6月には国内初の商業用不動産公募証券化(サムクエスト社債)を実施[29]し、不動産金融の新しい取り組みにも着手した。バブル崩壊による財務の傷が深いなかでも都心ビル投資をやめなかった判断が、2000年代以降のビル賃貸収益の急成長につながった。他社がREIT活用に方針を変えた時期に自社保有路線を貫く下地にもなった。1998年6月には住友不動産販売が東証に上場し[30]、1999年3月にはSURFシリーズで不動産小口化ファンドに進出[31]するなど、バブル後の事業再編と新規事業開拓を並行して行った。

  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1996年4月 「新築そっくりさん」(建替えの半額以下の定額制リフォーム)開始・のち累計受注15万棟超
    • [29]1999年6月 国内初の商業用不動産公募証券化(サムクエスト社債)を実施
    • [30]1998年6月 住友不動産販売が東証に上場
    • [31]1999年3月 SURFシリーズで不動産小口化ファンドに進出
  • 住友不動産 有価証券報告書
    • [25]1998年3月期に特別損失681億円を計上
  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [26]1995年10月 規格住宅「アメリカンコンフォート」事業開始
    • [27]1996年4月 「新築そっくりさん」事業開始
    • [28]1996年4月 「新築そっくりさん」(建替えの半額以下の定額制リフォーム)開始・のち累計受注15万棟超
    • [29]1999年6月 国内初の商業用不動産公募証券化(サムクエスト社債)を実施
    • [30]1998年6月 住友不動産販売が東証に上場
    • [31]1999年3月 SURFシリーズで不動産小口化ファンドに進出

REITに売らず自社で持ち続けた逆張りの代償と果実

2000年代に入ると、三井不動産や三菱地所はJ-REITを活用して開発物件を売却し、資金を回収する戦略を採った。住友不動産はこれと対照的に、賃貸ビルの自社保有・長期運用にこだわった。投資資金は銀行借入で調達したため有利子負債は膨らんだが、都心の賃貸ビルから得られる安定キャッシュフローで返済を賄う構造を保った。2002年10月に泉ガーデンタワー(港区)を竣工させ[32]、2004年5月にはWORLD CITY TOWERS(港区)を分譲[33]した。2015年4月の東京日本橋タワー、2016年10[34]月の住友不動産六本木グランドタワー、2023年2月の住友不動産東京三田ガーデンタワーと、延床数十万平方メートル級の都心ビルを次々に稼働させ、自社保有モデルの輪郭を形づくった。2003年4月には定価制都市型住宅『J・URBAN』シリーズも投入[35]し、商品ラインアップを広げた。

  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [32]2002年10月 泉ガーデンタワー(港区)竣工
    • [33]2004年5月 WORLD CITY TOWERS(港区)分譲
    • [34]2015年4月 東京日本橋タワー竣工 / 2016年10月 住友不動産六本木グランドタワー竣工 / 2023年2月 住友不動産東京三田ガーデンタワー竣工
    • [35]2003年4月 定価制都市型住宅「J・URBAN」シリーズ投入

不動産賃貸セグメントの営業利益は、2012年3月期の896億円から2020年3月期に1,694億円へ倍増した。同期間にセグメント資産は2兆8,405億円から3兆9,227億円に拡大した。自社保有にこだわった結果、賃料収入の成長が利益成長に直結する構造ができた。一方、有利子負債は2020年3月期で2兆8,688億円に達し[36]、財務レバレッジの高さが市場の評価を抑える要因にもなった。都心ビルの長期保有による安定収益と、膨らむ借入金とのバランスが、経営上の中心課題となった。2008年4月には住友不動産ベルサールを設立[37]してイベントホール・会議室事業に進出し、ビル賃貸の周辺収益源とした。自社保有モデルを軸に据えつつ、関連収益を多層化する動きでもあった。

  • 住友不動産 有価証券報告書
    • [36]有利子負債は2020年3月期で2兆8,688億円
  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [37]2008年4月 住友不動産ベルサール設立(イベントホール・会議室事業)
  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [32]2002年10月 泉ガーデンタワー(港区)竣工
    • [33]2004年5月 WORLD CITY TOWERS(港区)分譲
    • [34]2015年4月 東京日本橋タワー竣工 / 2016年10月 住友不動産六本木グランドタワー竣工 / 2023年2月 住友不動産東京三田ガーデンタワー竣工
    • [35]2003年4月 定価制都市型住宅「J・URBAN」シリーズ投入
    • [37]2008年4月 住友不動産ベルサール設立(イベントホール・会議室事業)
  • 住友不動産 有価証券報告書
    • [36]有利子負債は2020年3月期で2兆8,688億円

6年連続日本一を支えたギャラリー集約と仁島体制の発進

住宅事業でも規模を引き上げた。2011年に秋葉原・新宿・渋谷・池袋・田町へ『総合[38]マンションギャラリー』を開設し、販売チャネルを集約した。モデルルームを一か所に集めて来場者の物件比較をしやすくした結果、2014年に分譲マンションの年間供給戸数で初の日本一[39]を取り、首位の座は2019年まで6年連続で維持した。都心を中心にワンルームからファミリーまで多様な商品を大量供給する体制が奏功し、不動産販売セグメントの利益も安定して推移した。都心ビルと大量供給マンションの2本柱が、収益の中心となった。2015年9月には『新築そっくりさん』累計受注棟数が10[40]万棟を突破し、リフォーム事業も収益の柱に育った。2017年2月には住友不動産商業マネジメントを設立し[41]、商業施設運営への対応も強化した。

  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [38]2011年 秋葉原・新宿・渋谷・池袋・田町に「総合マンションギャラリー」を開設
    • [39]2014年 分譲マンション年間供給戸数で初の日本一、2019年まで6年連続首位
    • [40]2015年9月 「新築そっくりさん」累計受注棟数10万棟突破
    • [41]2017年2月 住友不動産商業マネジメント設立

2013年6月に仁島浩順氏が社長に就任[42]した。仁島浩順氏は就任早々、業界ビッグ3の一角として安全運行ではなく成長加速こそが使命だと宣言し、成長投資の加速に方針を変えた。2017年6月には住友不動産販売を完全子会社化[43]してグループ内の販売機能を統合した。営業収益は2012年3月期の6,886億円から2019年3月期に初めて1兆円を超え(1兆121億円)、経常利益も2,032億円に達した。連続増益を維持しつつ、都心ビルとマンションの2本柱で業容を広げた。販売機能の完全子会社化は、REITに売らず自社で持つという基本方針と並ぶ垂直統合モデルの一翼で、仲介機能をグループに取り込む狙いがあった。

  • 住友不動産 有価証券報告書【役員の状況】
    • [42]2013年6月 仁島浩順氏が代表取締役社長に就任
  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [43]2017年6月 住友不動産販売を完全子会社化(上場廃止)
  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
    • [38]2011年 秋葉原・新宿・渋谷・池袋・田町に「総合マンションギャラリー」を開設
    • [39]2014年 分譲マンション年間供給戸数で初の日本一、2019年まで6年連続首位
    • [40]2015年9月 「新築そっくりさん」累計受注棟数10万棟突破
    • [41]2017年2月 住友不動産商業マネジメント設立
    • [43]2017年6月 住友不動産販売を完全子会社化(上場廃止)
  • 住友不動産 有価証券報告書【役員の状況】
    • [42]2013年6月 仁島浩順氏が代表取締役社長に就任

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住友不動産の沿革1949〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1949〜2008年後発デベロッパーの東京都心集中と安藤太郎の決断泉不動産として設立
住友不動産に商号変更
目白台アパート完成
宅地分譲開始
住友本社を吸収合併★★
子会社を設立
初のマンション分譲★★
東京・大阪証券取引所第1部に株式上場
住友不動産カリフォルニア設立
住友不動産建物サービス設立
新宿住友ビル竣工
住友不動産販売を設立
住友不動産シスコン設立
新宿NSビル竣工
「広尾ガーデンヒルズ」分譲開始
住友不動産ファイナンス設立
住友不動産フィットネス設立
高島準司バブル不況からの再建——高島準司氏の現場再建と都心ビル路線の継続

バブル崩壊後の不動産不況で業績が悪化した住友不動産が、1994年6月に社長へ就いた高島準司氏のもとで組織のスリム化と事業整理を進め、傷を負いながら都心賃貸ビル路線を継続した経営判断。1997年に第一次中期経営計画を策定し、3年単位の中期計画を軸とする経営へ切り替えた。

詳細を読む
★★★
高島準司組織のスリム化と再建に着手★★
高島準司「新築そっくりさん」事業に参入★★
高島準司住友不動産販売が東京証券取引所に株式上場
高島準司国内初の商業用不動産公募証券化を実施★★
高島準司泉ガーデンタワー竣工
高島準司定価制都市型住宅「J・URBAN」シリーズ発売開始
高島準司「WORLD CITY TOWERS」分譲開始
小野寺研一住友不動産ベルサール設立
2009〜2020年バブル崩壊後の再建と都心ビル積み増しの継続仁島浩順仁島浩順が代表取締役社長に就任
仁島浩順分譲マンション年間供給戸数日本一を達成
仁島浩順住友不動産六本木グランドタワー竣工
仁島浩順住友不動産販売を完全子会社化★★
仁島浩順インド事業会社Goisu Realty設立
仁島浩順大規模複合街区「有明ガーデン」まちびらき
2021〜2025年キャッシュフロー経営への転換とインド進出の本格化仁島浩順「羽田エアポートガーデン」全面開業
仁島浩順十次中期経営計画を公表
仁島浩順住宅事業を住友不動産ハウジングに分社化
仁島浩順アクティビスト・エリオットの株主提案と住友不動産の対応

2025年、米アクティビストのエリオット・インベストメント・マネジメントが住友不動産株を3%以上取得し、6月8日付の公開書簡で株主還元の強化とガバナンス改善を要求した。総還元性向を50%以上へ、政策保有株を純資産の10%未満へ縮減、ROE目標10%以上の設定を掲げ、改善がなければ経営陣の再任に反対すると表明。6月27日の定時株主総会で会社は全議案を可決したが、経営陣一部への賛成率は低く、本稿の時点で対話は続いている。

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出典・参考
  • 住友不動産 有価証券報告書【沿革】
  • 住友不動産 有価証券報告書
  • 住友不動産 有価証券報告書【役員の状況】
  • 住友不動産 決算説明会
  • 日本会社史総覧 1995年版(東洋経済新報社, 1995)
  • 証券アナリストジャーナル 1981年2月号
  • 読売新聞(1973年3月25日)
  • 住友不動産 IR

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