決断
建てたビルを一棟も投資家へ渡さず、借入で棟数を増やしてきた。1974年に住友銀行副頭取から転じた安藤太郎氏が社長へ就任し、1976年に大阪ビジネスパークの開発から撤退、1982年には売上高の8割を占めていた住宅分譲を縮小して、経営資源を東京都心のビル賃貸へ集中させた。1982年9月の新宿NSビル竣工時点で賃貸ビルは12棟、年間101億円の安定収入を得ている。1994年6月に社長へ就任した高島準司氏も組織を縮小しながら都心ビル路線を維持し、2000年代に三井不動産と三菱地所がJ-REITへ物件を売却して資金を回収した局面でも、住友不動産は自社保有を続けた。2019年からは同じ持ち方をインドへ移し、ムンバイのBKCとワーリーで5物件・総投資約1兆円の計画が動いている。
2025年6月 エリオットの株主提案
1995年 都心ビル路線での事業整理
都心ビル路線での事業整理バブル崩壊後の不動産価格下落で主力の賃貸ビル収益が落ち込み最終赤字に転じた住友不動産が、1994年6月に社長へ就任した高島準司氏のもとで組織をスリム化し事業を整理した。1997年に中期経営計画体制へ切り替え、都心賃貸ビル路線を維持したまま傷を負いながら業績を立て直した。同じ経営論点に直面した企業 | 構造改革・リストラ業績の推移1994 1995 2000 売上高(億円) 3,880 2,953 4,215 純利益率(%) -0.6 0.2 3.5