片倉工業 の歴史

更新:

1873年、片倉市助氏が長野・岡谷で製糸を始め、1939年に官営富岡製糸場を合併。蚕糸事業からの撤退、工場跡地の再開発とコクーンシティまでの沿革と経緯を執筆。

創業

1873年

創業者

片倉市助

創業地

長野県岡谷市

直近売上高(2025/12)

407億円

長期業績と転換点(1996/12〜2025/12)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1873年創業の片倉組は国内ではなく米国向けの生糸輸出で成長したのか
A 生糸は高級品で国内の消費量が限られ、収益を立てるには海外需要に頼るほかなかったためである。1873年に初代片倉兼太郎氏が長野県諏訪川岸村で座繰製糸の片倉組を起こすと、養蚕の盛んな信州で農家から繭を集め、製糸を米国の婦人靴下メーカーへ輸出する商いを据えた。米国市場では婦人用靴下の原料として生糸が大量に消費され、ドル建ての輸出売上が収益基盤を支えた。明治から大正にかけて全国へ製糸所を広げ、グンゼと並ぶ大手として「世界のシルク王」と呼ばれた
Q なぜ1972年の香港系投資家による株式買い占めが製糸の立て直しではなく不動産への転換を促したのか
A 1950年代にナイロンが婦人靴下の原料を置き換えて祖業の生糸需要が崩れ、1969年の無配転落で本業再起の道が細っていたためである。1972年に香港系の投資家が「資産株」として株を買い占め、都市部の好立地に変わっていた工場用地33万坪に潜む評価益を突き付けた。片倉は製糸の再建ではなく、跡地を商業施設へ組み替える道を選んだ。大宮の跡地はのちのコクーンシティ、京橋の旧本社跡は東京スクエアガーデンとなり、不動産が主な収益源になった
Q なぜ2019年就任の上甲亮祐社長は土地が生んだ利益を内部に積まず株主へ戻したのか
A 製糸跡地を組み替えて積み上げた含み益を抱え込むより、株主へ配って資本効率を高める方が保有資産に見合うと判断したためである。2019年にみずほ銀行出身の上甲亮祐氏が社長に就くと、長く抱えた政策保有株式の売却を進めて持ち合いを解いた。2024年12月期には自己株式取得を14億円規模で実施し、2025年12月期も機動的な自社株買いの継続を表明したうえ、期末配当を会社予想から10円増の60円へ引き上げた。含み益を内部へ積み増すのではなく株主へ戻す配分へ切り替えた。

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1873年〜 「世界のシルク王」の到達点から戦後の無配転落まで

片倉工業の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1920年 片倉組を改組し片倉製糸紡績を設立
  2. 1928年 ジョイント商会を設立
  3. 1939年 1872年創設の旧官営富岡製糸場(富岡製糸所)を合併
  4. 1943年 東亜栄養化学工業を設立
  5. 1943年 社名を片倉工業に変更
  6. 1954年 片倉ハドソン靴下を設立、婦人靴下事業開始
  7. 1967年 大宮ゴルフセンターを新設、旧製糸工場跡地等の開発事業に参入

諏訪の座繰製糸から始まった片倉組と全国展開

1873年、初代片倉兼太郎氏(当時24歳)が長野県諏訪川岸村において「10人繰りの座繰製糸」の事業を始めた。[1]前年に明治政府が群馬県に官営富岡製糸場を新設し[2]、洋式機械で生糸の量産を国策化した直後の時期にあたり、片倉兼太郎氏は民間として生糸の産業化に参入する形を採った。信州地区は桑の葉の生産に適した気候で養蚕が盛んだったため、農家から繭を集荷して製糸を行う事業環境が整っていた。創業から十数年で松本市内に製糸所を新設し、明治期を通じて大宮・郡山・高畠・一宮・姫路・上井・鳥栖・大分など全国各地に製糸所を構えた。大正期には全国に製糸所29カ所を運営し、輸出向け生糸の量産メーカーとして地位を確立した。

  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1873年(明治6年)に片倉組(片倉工業の事業起源)が創業した
    • [2]1872年に明治政府が群馬県に官営富岡製糸場を新設した

販売は輸出が中心だった。生糸は高級品で国内消費量は限られ、主に米国へ輸出された。米国市場では婦人用靴下の原料として大量に消費され、輸出ドル建て売上が片倉組の収益基盤を支えた。1920年3月、企業規模の拡大に合わせ組織を株式会社化し[3]、片倉製糸紡績株式会社を資本金5,000万円で設立[4]、本社を東京の京橋に置いた[5]。同社は発足時点で製糸業界の有力企業として位置付けられ、当時の日本国内ではグンゼ(郡是製糸)と並ぶ大手2社として認知された。法人化後は中小規模の製糸メーカー買収を続けて生産量を拡大し、1939年9月には1872年創設の旧官営富岡製糸場[6](株式会社富岡製糸所)を合併した。明治政府が国策で立ち上げた製糸産業の象徴を民間企業の片倉が引き受けた格好で、輸出産業としての生糸の最終的な集約者という位置を占めた。

  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [3]1920年3月に片倉組を株式会社化し片倉製糸紡績株式会社を設立した
    • [4]片倉製糸紡績は資本金5,000万円で設立された
    • [5]設立時の本社は東京の京橋に置かれた
    • [6]1939年9月に1872年創設の旧官営富岡製糸場(株式会社富岡製糸所)を合併した
  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1873年(明治6年)に片倉組(片倉工業の事業起源)が創業した
    • [2]1872年に明治政府が群馬県に官営富岡製糸場を新設した
    • [3]1920年3月に片倉組を株式会社化し片倉製糸紡績株式会社を設立した
    • [4]片倉製糸紡績は資本金5,000万円で設立された
    • [5]設立時の本社は東京の京橋に置かれた
    • [6]1939年9月に1872年創設の旧官営富岡製糸場(株式会社富岡製糸所)を合併した

「片倉王国」の到達点と1954年の連続赤字、1969年の無配転落

1932年時点で片倉製糸紡績は従業員数3.8万名、製糸所62カ所を擁し、創業家の片倉家は「製糸王」「世界のシルク王」と形容された。同社は当時の日本における大企業の一角で、「片倉王国」と呼ばれる広域経営圏を保有した。1943年10月には東亜栄養化学工業株式会社(現トーアエイヨー[7]、連結子会社)を設立し、戦時下の食糧・栄養確保政策に対応する事業として設立し、後の医薬品事業の母体とした。同年11月には商号を「片倉工業株式会社」(現社名)に変更し[8]、製糸専業の社名から事業多角化を含意する商号へと改めた。1946年11月には大宮製作所を新設[9]、1949年5月に東京証券取引所に株式を上場し[10]、戦後復興期の繊維需要を捉える資本基盤を整えた。

  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [7]1943年10月に東亜栄養化学工業株式会社(現トーアエイヨー)を設立した
    • [8]1943年11月に商号を「片倉工業株式会社」(現社名)に変更した
    • [9]1946年11月に大宮製作所を新設した
    • [10]1949年5月に東京証券取引所に株式を上場した

戦後復興期の生糸需要は1950年代前半に転機を迎えた。1950年代に合成繊維のナイロンが普及し、高価な天然繊維である生糸の需要が急減した。婦人用靴下というそれまでの主用途で安価なナイロンへの代替が進み、東レがナイロンの量産を本格化させて急成長を遂げる傍らで、片倉工業は祖業の需要を直撃された。1954年度・1955年度の2期連続で赤字(無配)に転落[11]し、戦前まで「製糸王」と称された名門企業の業績悪化として業界で注目された。1954年5月には片倉ハドソン靴下株式会社を設立し婦人靴下事業を開始[12]、1960年7月にはメリヤス肌着事業に進出[13]するなど川下の衣料品へ業容を広げたが、いずれも合成繊維時代の量販競争のなかで本業の不振を補えるほどの規模には到達しなかった。

  • 証券調査(7)(1971年4月)
    • [11]1954年度に赤字(無配)へ転落した
  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [12]1954年5月に片倉ハドソン靴下株式会社を設立し婦人靴下事業を開始した
    • [13]1960年7月にメリヤス肌着事業へ進出した

国内工場の合理化は1958年から始まり、全国に点在する不採算製糸工場の閉鎖・集約を本格化させた。1961年12月に日本ビニロン株式会社(現ニチビ[14]、連結子会社)を設立して合成繊維ビニロンへの参入を試みたが、東レ・帝人など合繊大手の量産投資に追随できず事業化に失敗した。生糸部門の合理化遅れと合繊新規事業の不振が重なり、1969年12月に無配転落した。1873年の創業から96年、1920年の法人化から49年で、祖業の蚕糸業が競争力を失った時点だった。

  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [14]1961年12月に日本ビニロン株式会社(現ニチビ)を設立した
  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [7]1943年10月に東亜栄養化学工業株式会社(現トーアエイヨー)を設立した
    • [8]1943年11月に商号を「片倉工業株式会社」(現社名)に変更した
    • [9]1946年11月に大宮製作所を新設した
    • [10]1949年5月に東京証券取引所に株式を上場した
    • [12]1954年5月に片倉ハドソン靴下株式会社を設立し婦人靴下事業を開始した
    • [13]1960年7月にメリヤス肌着事業へ進出した
    • [14]1961年12月に日本ビニロン株式会社(現ニチビ)を設立した
  • 証券調査(7)(1971年4月)
    • [11]1954年度に赤字(無配)へ転落した

1969年〜 香港系投資家の買い占めを契機にした不動産事業化と4本柱の形成

片倉工業の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1973年 製糸工場跡地を自社で商業施設へ組み替える不動産事業への転換 外部から「資産株」と名指しされた土地を、売って現金に換えるか、自ら開発して収益に変えるか
  2. 1973年 取手ショッピングプラザを開業
  3. 1981年 松本カタクラモールを新設
  4. 1983年 大宮カタクラパークを新設
  5. 1987年 片倉キャロンを設立
  6. 1988年 蚕糸事業を1製糸工場・1蚕種製造所へ集約し、製造業務から完全に撤退 創業以来の生糸をどこまで残すか——縮小を続けるか、期限を切って畳むか
  7. 2005年 富岡工場の建物を富岡市へ寄付し、翌年に社有地を売却して保有を終える 売らず貸さず壊さずと決めた資産を、どう手放すか——18年続いた維持費の負担をどこで切るか

株式買い占めが浮き彫りにした「資産株」の側面

1969年の無配転落後、片倉工業は本業の繊維業で収益力を取り戻す道を絶たれた一方、創業以来全国各地に保有してきた工場用地という資産を抱える状況にあった。1972年、香港系の投資家が片倉工業の株式を10%前後まで買い占め、保有資産(工場用地を中心に33万坪)に対して株価が割安と判断した投資家による「資産株」狙いの動きとして話題を呼んだ。製糸工場跡地の都市部立地、特に埼玉県大宮などの一等地に評価益が潜むという外部資本からの指摘が、片倉工業に資産活用の方針転換を迫る圧力となった。

不動産事業の本格化は1973年3月の取手ショッピングプラザ新設から始まった。製糸工場跡地を商業施設として再開発するモデルで、立地優位を商業需要に転換する手法を採った。1981年3月には松本カタクラモールを新設[15]、1983年4月には大宮カタクラパーク(現コクーンシティ)を新設し[16]、1980年代には信州・関東を中心に工場跡地のショッピングセンター化が業容拡大の主軸となった。蚕糸事業からの撤退は1988年3月の事業集約効率化決定で本格化し、1製糸工場(熊谷工場)・1蚕種製造所(沼津蚕種製造所)体制[17]まで縮小したのち、1992年に熊谷工場の生糸製造を中止[18]、1994年には熊谷工場・沼津蚕種製造所も休止し[19]、蚕糸関係製造業務から完全撤退した。創業1873年から121年で祖業の生糸製造を畳んだ判断である。

  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [15]1981年3月に松本カタクラモールを新設した
    • [16]1983年4月に大宮カタクラパーク(現コクーンシティ)を新設した
    • [17]1988年3月の事業集約効率化決定で蚕糸事業を1製糸工場(熊谷工場)・1蚕種製造所(沼津蚕種製造所)体制まで縮小した
    • [18]1992年に熊谷工場の生糸製造を中止した
    • [19]1994年に熊谷工場・沼津蚕種製造所を休止し蚕糸関係製造業務から完全撤退した
  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [15]1981年3月に松本カタクラモールを新設した
    • [16]1983年4月に大宮カタクラパーク(現コクーンシティ)を新設した
    • [17]1988年3月の事業集約効率化決定で蚕糸事業を1製糸工場(熊谷工場)・1蚕種製造所(沼津蚕種製造所)体制まで縮小した
    • [18]1992年に熊谷工場の生糸製造を中止した
    • [19]1994年に熊谷工場・沼津蚕種製造所を休止し蚕糸関係製造業務から完全撤退した

医薬品・機械関連を加えた4本柱体制への移行

戦時中の1943年に設立された東亜栄養化学(現トーアエイヨー)と、1955年10月設立の片倉機器工業株式会社(連結子会社[20]、2019年事業撤退)、1961年12月設立の日本ビニロン(現ニチビ)は、戦後を通じて片倉工業の本業外事業として育成された。蚕糸事業の縮小と並行して、これら子会社群を残存事業として束ねる構造へ移った。とりわけトーアエイヨーは循環器系医療用医薬品の専業メーカー[21]として1960年代から1980年代にかけて事業を確立し、片倉工業グループの医薬品事業の中核として位置付けられた。1987年10月には株式会社片倉キャロン(現片倉キャロンサービス[22]、連結子会社)を設立、1996年11月の熊本ショッピングセンター新設[23]、2004年10月の白石片倉ショッピングセンター新設と[24]、商業施設網も継続的に拡張した。

  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [20]1955年10月に片倉機器工業株式会社を設立した(2019年事業撤退)
    • [21]トーアエイヨーは循環器系の医療用医薬品を専業とするメーカーである
    • [22]1987年10月に株式会社片倉キャロン(現片倉キャロンサービス)を設立した
    • [23]1996年11月に熊本ショッピングセンターを新設した
    • [24]2004年10月に白石片倉ショッピングセンターを新設した

2004年9月のカタクラ新都心モール(現コクーンシティ コクーン1)新設[25]は不動産事業の中核を成す事業判断だった。立地はJRさいたま新都心駅から徒歩圏で、2000年開業の同駅は高崎線・宇都宮線・京浜東北線が停車する集客優位を持っていた。「コクーン」の名称は生糸の原料である「繭」に由来し、製糸事業の遺伝子を商業施設の屋号として継承する命名だった。2005年9月には旧官営富岡製糸場(富岡工場)の建物等を群馬県富岡市へ寄付[26]、2006年に同工場の土地を同市へ売却した[27]。1939年の合併以来66年保有した[28]日本近代産業の象徴的施設を、地元自治体へ譲渡する判断で、富岡製糸場は2014年に世界遺産登録された。2008年8月にはオグランジャパン株式会社を設立し、同年11[29]月にオグラン株式会社の繊維事業を譲り受けて連結子会社化した。蚕糸時代から続く繊維事業を独立子会社へ集約する形で、本体事業ポートフォリオの整理を進めた。

  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [25]2004年9月にカタクラ新都心モール(現コクーンシティ コクーン1)を新設した
    • [26]2005年9月に旧官営富岡製糸場(富岡工場)の建物等を群馬県富岡市へ寄付した
    • [27]2006年に富岡工場の土地を富岡市へ売却した
    • [28]富岡製糸場は1939年の合併から66年保有された後に富岡市へ譲渡された
    • [29]2008年8月にオグランジャパン株式会社を設立し同年11月にオグラン株式会社の繊維事業を譲り受けて連結子会社化した

不動産・医薬品・機械関連・繊維の4本柱体制が確立する過程で、有報の事業セグメント表記も変遷した。FY04(2004年12月期)からセグメント開示が始まり、繊維事業・サービス事業(不動産)・医薬品事業[30]・機械関連事業・その他事業の構成が定着、FY15(2015年12月期)には不動産・医薬品・機械関連・繊維の4セグメント体制となった[31]。FY07(2007年12月期)の連結売上高497億円のうち、医薬品事業185億円、サービス事業131億円、機械関連事業97億円、繊維事業80億円、その他事業4億円という構成で、医薬品が祖業の繊維を売上で上回る構造に既に転じていた。

  • 片倉工業 有価証券報告書 第99期(2007年12月期)【セグメント情報】
    • [30]2007年12月期当時のセグメントは繊維事業・サービス事業(不動産)・医薬品事業・機械関連事業・その他事業の5区分だった
  • 片倉工業 有価証券報告書 第107期(2015年12月期)【セグメント情報】
    • [31]2015年12月期(FY15)に不動産・医薬品・機械関連・繊維の4セグメント体制となった
  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [20]1955年10月に片倉機器工業株式会社を設立した(2019年事業撤退)
    • [21]トーアエイヨーは循環器系の医療用医薬品を専業とするメーカーである
    • [22]1987年10月に株式会社片倉キャロン(現片倉キャロンサービス)を設立した
    • [23]1996年11月に熊本ショッピングセンターを新設した
    • [24]2004年10月に白石片倉ショッピングセンターを新設した
    • [25]2004年9月にカタクラ新都心モール(現コクーンシティ コクーン1)を新設した
    • [26]2005年9月に旧官営富岡製糸場(富岡工場)の建物等を群馬県富岡市へ寄付した
    • [27]2006年に富岡工場の土地を富岡市へ売却した
    • [28]富岡製糸場は1939年の合併から66年保有された後に富岡市へ譲渡された
    • [29]2008年8月にオグランジャパン株式会社を設立し同年11月にオグラン株式会社の繊維事業を譲り受けて連結子会社化した
  • 片倉工業 有価証券報告書 第99期(2007年12月期)【セグメント情報】
    • [30]2007年12月期当時のセグメントは繊維事業・サービス事業(不動産)・医薬品事業・機械関連事業・その他事業の5区分だった
  • 片倉工業 有価証券報告書 第107期(2015年12月期)【セグメント情報】
    • [31]2015年12月期(FY15)に不動産・医薬品・機械関連・繊維の4セグメント体制となった

2008年〜 コクーンシティ拡張と祖業切り離しの完遂

片倉工業の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2008年 オグランジャパンを設立、オグランの繊維事業を譲受
  2. 2013年 東京スクエアガーデンを竣工
  3. 2015年 コクーン2を新設
  4. 2015年 大宮カタクラパークとカタクラ新都心モールを統合
  5. 2015年 コクーンシティを新設
  6. 2023年 FPGテクノロジーの全株式を取得
  7. 2025年 日機マギルス事業部を設置し高所作業車両等の販売・メンテナンス事業に参入

東京スクエアガーデンとコクーンシティで不動産事業の中核を構築

2013年3月、東京スクエアガーデンが竣工[32]した。中央区京橋にあった旧本社跡地を活用した複合施設で、東京[33]メトロ銀座線「京橋」駅直結という都心一等地の優位を高層オフィスビルとして開発した事業である。1920年に片倉製糸紡績が本社を置いた京橋という立地は、創業期から続く所有不動産が、戦後の蚕糸縮小・1980年代の商業施設化・2010年代の都心オフィス化と、3段階で活用形態を更新してきた経緯を象徴する場所となった。2015年4月にはコクーン2の新設に合わせて大宮カタクラパークとカタクラ新都心モールを統合してコクーンシティを新設、同年7[34]月にコクーン3を新設し、さいたま新都心の商業集積を大宮工場跡地で完成させた。2021年10月の福島ショッピングセンター新設で[35]、商業施設網は東日本を中心に広がった。

  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [32]2013年3月に東京スクエアガーデンが竣工した
    • [33]東京スクエアガーデンは中央区京橋の旧本社跡地を活用した複合施設である
    • [34]2015年4月に大宮カタクラパークとカタクラ新都心モールを統合してコクーンシティを新設し、同年7月にコクーン3を新設した
    • [35]2021年10月に福島ショッピングセンターを新設した

2019年3月、上甲亮祐氏が代表取締役社長に就任[36]した。1985年一橋大学経済学部卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)入行、2012年みずほフィナンシャルグループ執行役員、2014年常務執行役員、2018年片倉工業専務を経ての社長昇格で、前社長の佐野公哉氏は代表権のある会長へ移った。みずほFG出身の上甲亮祐社長就任は、金融機関出身者を経営トップに迎える「外部頭脳」の活用判断でもあった。同社長は「シルクのカタクラ」として培われた経営資源を活用し、不動産・医薬品・機械関連・繊維の4本柱を推進する方針を示した(片倉工業 社長ごあいさつ)。

  • 日刊工業新聞(2019年1月28日)
    • [36]2019年3月に上甲亮祐氏が代表取締役社長に就任した
  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [32]2013年3月に東京スクエアガーデンが竣工した
    • [33]東京スクエアガーデンは中央区京橋の旧本社跡地を活用した複合施設である
    • [34]2015年4月に大宮カタクラパークとカタクラ新都心モールを統合してコクーンシティを新設し、同年7月にコクーン3を新設した
    • [35]2021年10月に福島ショッピングセンターを新設した
  • 日刊工業新聞(2019年1月28日)
    • [36]2019年3月に上甲亮祐氏が代表取締役社長に就任した

衣料品事業譲渡と機械電子事業撤退で構造改革を完遂

2020年1月、希望退職者100名の募集を決定した。介護事業など不採算事業の整理を判断したものとなり、コロナ禍前夜の固定費削減策として実施された。2021年12月期(FY21)に株主報告書で報告された通り、衣料品事業の縮小と機械電子事業からの撤退決定がこの時期に重なった。2017年に策定した中期経営計画「カタクラ2021」は2022年12月期決算発表時点(2023年FY23報告)に取り下げ、構造改革(衣料品事業のオグランジャパン㈱への譲渡、機械電子事業撤退、医薬品事業のビジネスモデル見直し)を断行する方針へ切り替えた(FY23 決算説明会)。2022年4月には医薬品の自社販売体制を全製品で開始し、子会社トーアエイヨーが担っていた循環器系医薬品事業をグループ内で完結する販売モデルへ移行した。

2023年4月には株式会社FPGテクノロジー[37](現カタクラ・クロステクノロジー)の全株式を取得して連結子会社化、機械関連事業の領域を拡張した。同年1月には東近紙工株式会社を連結子会社化[38]、2024年7月には株式会社三全を連結子会社化と[39]、外部企業のM&Aで非繊維事業の事業領域を継続的に広げた。2023年6月には子会社オグランジャパン株式会社へ繊維事業のメリヤス肌着事業を譲渡し[40](1960年7月開始のメリヤス肌着事業から63年で本体から切り離し)、繊維事業の本体保有比重をさらに縮小した。2024年12月期(FY24)の連結売上高394億円、営業利益41億円・営業利益率10.4%、純利益35億円、有利子負債は78億円まで縮小、自己資本860億円という財務構造に整った。

  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [37]2023年4月に株式会社FPGテクノロジー(現カタクラ・クロステクノロジー)の全株式を取得し連結子会社化した
    • [38]2023年1月に東近紙工株式会社を連結子会社化した
    • [39]2024年7月に株式会社三全を連結子会社化した
    • [40]2023年に子会社オグランジャパンへメリヤス肌着事業を譲渡した

2025年12月期(FY25)のセグメント別売上では、不動産117億円(営業利益44億円)、医薬品117億円(営業利益10億円)、機械関連78億円(営業利益8億円)、繊維68億円(営業利益7億円)の4セグメント構成となった。1873年の創業から152年、製糸単一事業の収益で1932年に「片倉王国」を築いた会社は、不動産(コクーンシティと東京スクエアガーデン)・医薬品(トーアエイヨー)・機械関連(日本機械工業)・繊維(ニチビとオグランジャパン)の4本柱体制を整え[41]、各セグメントの売上規模が68〜117億円の幅に収まる「祖業切り離し」型の中堅複合企業として再構成した。2025年5月には日機マギルス事業部を設置し高所作業車両等の販売活動を開始[42]するなど、機械関連の領域追加も進めた。2022年4月の市場区分見直しでは東証一部からスタンダード市場へ移行し[43]、東証プライムへの再昇格よりも事業ポートフォリオ再構成の完遂を優先する経営姿勢を示した。

  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [41]4本柱は不動産(コクーンシティ・東京スクエアガーデン)・医薬品(トーアエイヨー)・機械関連(日本機械工業)・繊維(ニチビとオグランジャパン)で構成される
    • [42]2025年5月に日機マギルス事業部を設置し高所作業車両等の販売活動を開始した
    • [43]2022年4月に東京証券取引所市場第一部からスタンダード市場へ移行した
  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
    • [37]2023年4月に株式会社FPGテクノロジー(現カタクラ・クロステクノロジー)の全株式を取得し連結子会社化した
    • [38]2023年1月に東近紙工株式会社を連結子会社化した
    • [39]2024年7月に株式会社三全を連結子会社化した
    • [40]2023年に子会社オグランジャパンへメリヤス肌着事業を譲渡した
    • [41]4本柱は不動産(コクーンシティ・東京スクエアガーデン)・医薬品(トーアエイヨー)・機械関連(日本機械工業)・繊維(ニチビとオグランジャパン)で構成される
    • [42]2025年5月に日機マギルス事業部を設置し高所作業車両等の販売活動を開始した
    • [43]2022年4月に東京証券取引所市場第一部からスタンダード市場へ移行した

片倉工業の沿革1920〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
片倉組を改組し片倉製糸紡績を設立
ジョイント商会を設立
1872年創設の旧官営富岡製糸場(富岡製糸所)を合併★★
東亜栄養化学工業を設立
社名を片倉工業に変更
大宮製作所を新設、後の加須工場に移転(2021年事業撤退)
東京証券取引所に株式を上場
片倉ハドソン靴下を設立、婦人靴下事業開始★★
片倉機器工業を設立
メリヤス肌着事業開始
日本ビニロンを設立
片倉富士紡ローソンを設立
大宮ゴルフセンターを新設、旧製糸工場跡地等の開発事業に参入★★
製糸工場跡地を自社で商業施設へ組み替える不動産事業への転換外部から「資産株」と名指しされた土地を、売って現金に換えるか、自ら開発して収益に変えるか 詳細を読む★★★
取手ショッピングプラザを開業
松本カタクラモールを新設
大宮カタクラパークを新設
片倉キャロンを設立
蚕糸事業を1製糸工場・1蚕種製造所へ集約し、製造業務から完全に撤退創業以来の生糸をどこまで残すか——縮小を続けるか、期限を切って畳むか 詳細を読む★★★
松江片倉フィラチャーを新設
いわき片倉フィラチャーを新設
熊本ショッピングセンターを新設
宮之城片倉フィラチャーを新設
岩本謙三熊谷片倉フィラチャーを新設
岩本謙三カタクラ新都心モールを新設
岩本謙三富岡工場の建物を富岡市へ寄付し、翌年に社有地を売却して保有を終える売らず貸さず壊さずと決めた資産を、どう手放すか——18年続いた維持費の負担をどこで切るか 詳細を読む★★★
岩本謙三沼津カタクラパークを新設
竹内彰雄オグランジャパンを設立、オグランの繊維事業を譲受
竹内彰雄東京スクエアガーデンを竣工
佐野公哉コクーン2を新設
佐野公哉大宮カタクラパークとカタクラ新都心モールを統合
佐野公哉コクーンシティを新設
佐野公哉コクーン3を新設
上甲亮祐東近紙工を子会社化
上甲亮祐FPGテクノロジーの全株式を取得★★
上甲亮祐三全を子会社化
上甲亮祐日機マギルス事業部を設置し高所作業車両等の販売・メンテナンス事業に参入★★
出典・参考
  • 片倉工業 有価証券報告書 第117期(2025年12月期)【沿革】
  • 証券調査(7)(1971年4月)
  • 片倉工業 有価証券報告書 第99期(2007年12月期)【セグメント情報】
  • 片倉工業 有価証券報告書 第107期(2015年12月期)【セグメント情報】
  • 日刊工業新聞(2019年1月28日)

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