丸の内再開発計画の発表(1988年・三菱地所の決断)

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論点丸の内の街を超高層へ建て替えるか
三菱地所:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
地区全体の超高層化構想の提示と、自社の丸ビルからの再開発着手

何をなぜ決めたか:地区全体の超高層化構想の提示と、自社の丸ビルからの再開発着手

概要

1988年1月19日、三菱地所は「丸の内再開発計画」を発表した。対象は丸の内・大手町・有楽町の113ヘクタールで、そこに建つ115棟のビルを30年かけて40〜50階建て・高さ200メートル前後の超高層ビル60棟に建て替える構想である。決断したのは前年に社長へ就任した高木丈太郎氏で、作成に着手した1984年秋から3年あまりを経ての公表だった。

計画は国際化と高度情報化に対応した国際業務センターづくりを掲げ、増加する床の一定割合を外資系企業と金融機関へ優先して提供するとした。発表と同時に、策定チームを中核とする都市計画事業室を新設した。半年後の1988年7月には、地権者による「大手町・丸の内・有楽町地区再開発計画推進協議会」が発足している。

背景

丸の内のオフィスは足りていなかった。三菱地所への新規の借室申込みは年間10ヘクタールを超え、空室待ちだけで24ヘクタールに達していた。その一方で、1923年竣工の初代丸ビルは1988年に完成から65年を経ており、所有ビルの老朽化が目立ち始めていた。都庁舎が移る新宿や臨海部には新しいオフィス街ができつつあった。

丸の内に集まる機能は大きかった。1990年時点で丸の内に事務所を持つ企業は6,500社、東証一部上場1,195社のうち124社が丸の内に本社機能を置き、そのうち75社が三菱地所のビルに入っていた。構想の前提は、指定容積率1000%の地区で容積率2000%を認めてもらうことだった。

内容

総投資額はインフラの整備費を含めて6兆円と試算し、三菱地所はそのうち土地の保有面積に応じた3分の1、2兆円を負担するとした。ビルの総床面積は473万平方メートルから1200万平方メートルへ約2.5倍に増加する計算だった。高木丈太郎社長は『ただ高いビルを建てればよいということではない』と語り、皇居の正面に位置する地域の特性に合った街づくりを求めた。

ただし、三菱地所が保有する土地は地区全体の3分の1にすぎず、他の地権者の同意が無ければ計画は進まない。そこで推進協議会を地権者の手で設けた。会員とオブザーバーは80者で、対象区域約111ヘクタールの地権者97者の8割以上が参加し、部会方式で検討を重ねた。

含意

建替えは、地区全体ではなく自社の初代丸ビルから始まった。初代丸ビルは1997年3月末に賃借人の移転を終え、三菱地所は1998年4月に丸ビル街区開発計画を発表した。新しい丸の内ビルは地上37階・地下4階、事業費約650億円で1999年4月に着工し、2002年9月6日に開業した。開業から半年で約1,320万人が訪れ、商業施設の売上高は170億円に達した。

実現した再開発は、地区全体の60棟ではなく、10年で約5,000億円を投じて自社のビル6棟を建て替える計画だった。1988年の構想は、地権者への根回しが足りず『他人のビルまで勝手に変える気か』という反発を受けて挫折していた。2007年4月の新丸の内ビルの開業で、1998年からの丸の内再構築の第1ステージは完了した。

いつ何が起きたか12件
考察:60棟の構想と、自社の1棟からの着手
考察

考察:60棟の構想と、自社の1棟からの着手

なぜ三菱地所は、自社の土地を超える範囲の構想を公表したのか。丸の内でオフィスが不足しても、三菱地所が持つ土地は地区の3分の1にすぎない。自社のビルだけを建て替えても、容積率1000%の枠では床を大きく増やせない。容積率2000%を認めてもらうには、地区全体の計画として行政と地権者に示す必要があった。113ヘクタールで60棟という規模は、規制を動かすための提案だったと考えられる。

もっとも、その規模は他の地権者の不安も招いた。三菱地所が自社の利益のために他人のビルまで建て替えようとしている、と受け取られたのである。推進協議会には地権者97者の8割以上が加わったが、地区全体で建替えの合意を得ることは難しかった。丸ビル街区開発計画の発表までには、構想から10年を要した。地区全体を一度に動かす計画は、関係者が多いほど進めにくいという弱みを抱えていた。

結果は部分的な成功である。60棟の構想は実現しなかった。しかし三菱地所は1998年に自社の丸ビルから建替えを始め、2002年に開業した丸の内ビルには半年で約1,320万人が訪れた。2007年の新丸の内ビルまでで、10年約5,000億円の第1ステージを終えている。地区全体の構想を掲げたうえで、自社が合意を取らずに動ける1棟から始めたことが、遅れながらも街を変えた要因だったのだろう。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
数字で見る1表

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図と表

三菱地所:営業収益と経常利益の推移(単体)

営業収益(百万円)経常利益率(%)

構想を発表した1988年3月期から3期で、営業収益は1.4倍に増加した

三菱地所:営業収益と経常利益の推移(単体)
(百万円)営業収益経常利益当期利益備考
1983年3月期153,84532,56316,107住宅不況で不動産販売が伸び悩んだ期
1984年3月期185,61336,14418,421
1985年3月期191,85642,63820,531丸の内再開発計画の作成は1984年秋に着手
1986年3月期206,63647,17623,221
1987年3月期220,91356,01524,717
1988年3月期236,35464,18729,8911988年1月に丸の内再開発計画を発表
1989年3月期274,40976,28235,5421988年7月に地権者の推進協議会が発足
1990年3月期314,92585,40043,853営業収益が初めて3,000億円台に
1991年3月期338,40789,93444,012
出所:三菱地所『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』下巻(1993年)第12章 表12-31「営業収支の推移」
出所:三菱地所『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』下巻(1993年)第12章 表12-31「営業収支の推移」
参考文献

参考文献

参考
  • 三菱地所『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』下巻(1993年)終章「新たなる世紀への飛翔」
  • 『三菱地所 一〇〇年目の挑戦』(ダイヤモンド社、1990年)第8章「創業以来の大事業「丸の内再開発計画」」
  • 日本経済新聞(1988年1月20日)
  • 三菱地所『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』下巻(1993年)第12章「総合デベロッパー・三菱地所」
  • 日本経済新聞(1988年8月24日)
  • 三菱地所 平成9年3月期 決算短信
  • 三菱地所 平成11年3月期 決算短信
  • 三菱地所 アニュアルレポート2002【特集】
  • 三菱地所 アニュアルレポート2003【特集】
  • 日本経済新聞(1997年8月3日)
  • 三菱地所 有価証券報告書 第103期(2007年3月期)【業績等の概要】
  • 三菱地所 有価証券報告書 第103期(2007年3月期)【沿革】
  • 三菱地所『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』下巻(1993年)第12章 表12-31「営業収支の推移」
  • 三菱地所 決算短信「平成9年3月期 決算短信」
  • 三菱地所 決算短信「平成11年3月期 決算短信」
  • 三菱地所 アニュアルレポート「Annual Report 2002【特集】」
  • 三菱地所 アニュアルレポート「Annual Report 2003【特集】」
  • 三菱地所 有価証券報告書「第96期(2000年3月期)【経理の状況】」
  • 三菱地所 有価証券報告書「第103期(2007年3月期)【沿革】【業績等の概要】」

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