1957年3月、東京都中央区八重洲に資本金3千万円で日本橋興業株式会社が設立された[1]。事業目的は不動産業務と保険代理店業務で、設立母体[2]は当時の旧富士銀行である。富士銀行が全国の店舗用地・自社所有ビルを保有しつつ、賃貸と管理業務を本体ではなく関連会社に切り出す形で生まれた。設立当初の不動産事業は富士銀行の店舗ビルと社有不動産の管理が中心で、顧客は事実上1社という閉じた業務だった。同年6月には損害保険代理店業務も開始し[3]、1965年11月には旧富士銀行の全国営業店149店の保険代理店業務を継承した[4]。日本橋興業の収益は富士銀行の店舗網に連動する設計で、独立した不動産会社という性格はもたなかった。
1960年代から2000年までの40年余、日本橋興業は富士銀行の支店ビルや本店周辺の社有不動産を運営し、家賃収入と店舗管理手数料を主たる収益源とした。1960年6月には現場の管理業務を担う阪都不動産管理株式会社(現ヒューリックビルマネジメント)を設立した[5]。本社は1965年3月に日本橋富士ビルへ移転し[6]、富士銀行本店周辺に拠点を置く体制が長く続いた。バブル景気の不動産市場高騰期にも、業務範囲を銀行系不動産の管理に限定したため、保有物件の含み益は出ても、開発デベロッパーとして他社と競合する事業範囲には踏み込まなかった。発注者依存型の経営構造が40年にわたり安定収益を生む一方、独立した不動産会社としての成長機会は限定された。
2000年9月、第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の3行統合によるみずほフィナンシャルグループの発足が決まり、3行系列の不動産会社の再編が日本橋興業の事業環境を変えた。同年11月には小舟町Fビルなど旧富士銀系の15ビルを保有する株式会社フォワードビルディングを合併し、保有物件を一度に15棟増[7]やした。3行統合に伴うグループ内の不動産機能整理が、結果として日本橋興業を旧富士銀系不動産の受け皿に当てるきっかけとなった。半世紀近く銀行の店舗管理に閉じこもっていた会社が、外部の物件を取り込む経験を初めて積み始めた時期にあたる。
2000年代前半は、みずほFG発足に伴う旧3行系不動産会社の整理が日本橋興業の役割を再定義した時期である。富士銀行系・第一勧業銀行系・日本興業銀行系の不動産会社が並存するなかで、グループ内の不動産機能をどう束ねるかという課題があり、日本橋興業はその受け皿候補の一つとなった。みずほFG本体は不動産を非戦略事業と位置づけ、関係会社として切り出す方針を採った。日本橋興業はこの方針の下で旧富士銀系不動産会社の合併を引き受け、保有物件と運営ノウハウの集約を進めた。富士銀行の社有不動産管理という閉じた事業領域から、グループ系の独立した不動産会社への移行が、外部からの圧力で進み始めた。
2006年3月、1971年に富士銀行(現みずほ銀行)へ入行し取締役副頭取を務めた西浦三郎氏が代表取締役社長に就任した[8]。同氏の社長就任は、銀行系不動産会社にとどまる従来路線を変える出発点となった。当時の日本橋興業は売上規模数百億円台の中堅不動産会社にすぎず、社員数も限られていた。だが旧富士銀系の出資関係と保有不動産は厚く、これを経営の独立とともに活かせば一段上の規模の会社になる素地があると西浦氏は判断した。社長就任から1年も経たない2007年1月、社名を『ヒューリック株式会社』に変更し[9]、日本橋興業時代との連続性を意図的に切り離す経営方針を社内外に示した。
環境が厳しい時に頑張れる人材を採用基準として掲げた西浦氏は、銀行出身者を経営陣に集めつつも、不動産業界からの中途採用と建設会社からの転籍を強化した。みずほ銀行から派遣された執行役員と並んで、大成建設出身の不動産開発担当役員を取締役に登用するなど、銀行系の規律と不動産業界の事業感覚を併せ持つ経営チームを形成した。後に社長を継ぐ吉留学氏も大成建設出身の前田隆也氏も[10]、2006〜2008年の人材登用方針の延長線上にある。半世紀続いた銀行所有不動産の管理会社というアイデンティティを、社名変更と人材登用で一度断ち切ることが、独立した不動産会社への移行の前提条件となった。
2007年1月の『ヒューリック株式会社』への社名変更は[11]、単なるリブランディングではなかった。日本橋興業という社名は富士銀行系の社内呼称として50年定着しており、銀行所有不動産の管理会社という業界内の認識と一体化していた。西浦三郎社長は、独立した不動産会社として東証一部上場を目指すうえで、銀行子会社的なイメージから脱却する必要があると判断した。『ヒューリック(HULIC)』はHUMAN(ひと)・LIFE(生活)・CREATE(創造する)の三つの言葉を組み合わせた造語[12]で、人々の暮らしを快適にする商品とサービスを創造するという意味を込めた社名である。社名変更は2008年11月の東証一部上場を視野[13]に入れた経営戦略の一環で、上場準備の本格化と並行して実施された。
2008年11月、ヒューリックは東京証券取引所市場第一部に上場した[14]。リーマンショック直後の不動産市況は冷え込んでいたが、旧富士銀系の安定した保有不動産ポートフォリオが投資家からの信頼を支えた。みずほFGは大株主としての立場を保ちつつ、日常の経営判断には関与しない関係を確立した。上場により資本市場からの直接調達が可能となり、合併・買収を含む数百億円規模の投資の原資が確保された。同時に上場会社としてのガバナンス基準が適用され、銀行系不動産会社時代の閉鎖的な意思決定構造は組織として開かれた。
上場後の最初のM&Aは、2010年7月の千秋商事と芙蓉総合開発の合併[15]、そして2012年7月の旧昭栄株式会社との合併だった[16]。昭栄も旧富士銀系の上場不動産会社で、ヒューリック[17]とほぼ同じ出自をもつ。両社の合併に伴う新株発行で資本金は219億51百万円[18]へ増え、保有ビル数も増加した。みずほFGが推進してきた旧3行系不動産機能の整理が、ヒューリックを軸とした集約で結着した格好である。1957年の設立から50年、銀行所有不動産の管理会社として歩んだ歴史が、2007年の社名変更と2008年の上場、2012年の昭栄合併で一区切りとなり、独立した不動産事業会社としての新章が始まった。
西浦三郎社長は、不動産投資の選別基準として『立地集中』を経営方針の中心に据えた。広範囲に物件を分散させるのではなく、東京の中心エリア、特に銀座・数寄屋橋・京橋エリアに保有ビルを集中させる方針を採った。先にコストをかけて手を打つことが結果的にコスト削減につながるという発想で[19]、リノベーション投資による賃料水準の引き上げと、立地優位による空室率の低減を両立させる事業モデルを社内で定型化した。中規模オフィスビルに特化することで、競合する三井不動産・三菱地所・住友不動産といった財閥系大手とは異なる市場ポジションを定めた。
2006年の西浦氏社長就任から2018年ごろまでの十数年間で、ヒューリックの銀座エリア保有ビル数は2棟から37棟へ拡大した[20]。この間に売上高は数百億円台から2,875億円(FY18)へ伸び、営業利益は756億円となった。中規模オフィスビルに対象を絞った理由を、後の前田隆也社長は、中規模ビルはテナントの裾野[21]が広く入れ替わりが生じても次のテナント決定が容易な点にあると説明している。スーパー大手の財閥系不動産会社が都心再開発の数千億円案件に経営資源を集中するなか、ヒューリックは中規模ビルを多数集積させる戦略で運営効率を高める道を選び、立地集中と物件規模の選別を組み合わせた独自路線を作った。
不動産事業セグメントの営業利益はFY15の441億円からFY18の810億円へ約1.8倍に伸びた。家賃収入による安定収益と、リノベーションによる賃料引き上げ、保有物件の売却益を組み合わせた収益モデルが定着した。長期保有を前提とした賃貸事業と、定期的な売却によるキャピタルゲインを併せて計上することで、毎期の利益を平準化しつつ成長させる仕組みが定型化した。2013年11月にはヒューリックリート投資法人を設立し[22]、自社開発・保有物件をREITに切り出すスキームも整えた。物件開発→自社保有→REIT組み入れ→次の投資原資という資金循環の仕組みは、銀行系不動産会社時代には存在しなかった事業モデルである。
2016年3月、西浦氏は会長に退き[23]、同じく旧富士銀行・みずほ銀行出身の吉留学氏が社長に就任した。日本経済新聞は当時の吉留氏について、為替ディーラー出身の経歴を踏まえた機動的なビル取得と売却の組み合わせを評価した。西浦・吉留両氏ともみずほ銀行出身で[24]、財務規律と不動産投資判断を金融的なリスク・リターン分析で結びつける経営手法が、銀行系不動産会社のヒューリックに合った。
2010年代後半のヒューリックは、不動産事業を中心に据えながら、収益源の多角化も進めた。2011年4月にヒューリックホテルマネジメント株式会社を設立し[25]、ホテル事業への参入準備を開始した。2018年7月には高級旅館『ふふ』ブランドを運営するヒューリックふふ株式会社を子会社化し[26]、2019年9月には浅草ビューホテルなど複数のシティホテルを運営[27]する日本ビューホテル株式会社を子会社化した。観光・ホテル事業への進出は、不動産賃貸とは性格の異なる事業であり、保有物件の用途を多様化させる目的があった。2017年11月には農業のヒューリックアグリを取得して農業事業にも進出し[28]、不動産以外の事業領域への接点を増やした。
2008年の上場以降、ヒューリックは増益・増配を連続して達成した。FY24(2023年12月期)まで『15期連続増益増配』(決算説明会 FY24)を実現し、FY25(2024年12月期)には16期連続、FY26(2025年12月期)には17期連続に達した。中規模オフィスビル中心の安定収益、不動産売却による利益平準化、REIT組成による資金循環という3層構造が、長期にわたる増益増配を支えた。配当性向はFY15の25%台からFY24の40%以上へ引き上げられた。連続増益・増配の記録は、不動産業界全体が市況の波で利益の変動を経験するなかで、ヒューリックの収益構造の安定性を投資家に示す指標になった。
2020年から2021年にかけて、新型コロナウイルス感染症の流行はヒューリックのホテル・旅館事業に直接的な影響を与えた。ホテル・旅館事業セグメントはFY20に営業損失75億円、FY21に営業損失80億円を計上し、2018年からの拡張期に取得した日本ビューホテルや高級旅館『ふふ』の運営は厳しい状況に置かれた。だが連結ベースの業績は、不動産事業の収益拡大が観光事業の損失を吸収する形で増益を維持した。FY20の連結営業利益は1,006億円、FY21は1,145億円となり、不動産事業のセグメント営業利益はそれぞれ1,154億円・1,312億円へ伸びた。ホテル事業の損失を不動産事業の利益が上回る構造が、観光ショック期にも連続増益を可能にした。
不動産事業の好調は、コロナ禍で進んだリモートワーク普及によるオフィス需要減退の懸念をはねのける形で続いた。中規模オフィスビルはテナントの入れ替わりが起きても次のテナント決定が比較的容易で、賃料水準も維持された。同時に、保有物件の売却益を計画的に計上することで、毎期の利益水準を意図的に積み増す経営手法が機能した。観光事業セグメントの損失は会社全体の利益の一部にとどまり、長期保有資産の含み益と売却益で十分吸収できる規模だった。コロナ禍は同社の事業ポートフォリオが観光単独ではなく不動産を主軸とした構造であることを、業績数字で再確認させた。
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|---|---|---|---|---|
| 1957〜2006年旧富士銀行の社有不動産管理会社として50年 | 日本橋興業として設立 | ★ | ||
| 損害保険代理店業務を開始 | ★ | |||
| 阪都不動産管理を設立 | ★ | |||
| 本社を日本橋富士ビルへ移転 | ★ | |||
| 旧富士銀行の全国営業店149店の保険代理店業務を継承 | ★ | |||
| 渡辺憲二 | フォワードビルディング合併と、旧富士銀系不動産の受け皿への転回 2000年11月、旧富士銀行の関連会社であった日本橋興業(現ヒューリック)が、小舟町Fビルなど15のビルを保有する株式会社フォワードビルディングを合併し、保有物件を一度に15棟増やした判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 渡辺憲二 | かけ橋企画設立 | ★ | ||
| 2007〜2021年西浦三郎社長就任から銀座37棟集積と17期連続増配へ | 渡辺憲二 | 商号をヒューリックに変更 | ★ | |
| 渡辺憲二 | 日本橋興業からヒューリックへの商号変更と東証一部上場 2007年1月に創業50周年を機に商号を日本橋興業からヒューリックへ改め、2008年11月11日に東京証券取引所市場第一部へ株式を上場した判断。非上場の銀行関連会社から、株式市場で評価される不動産会社へ立場を移した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 藤岡正男 | 千秋商事・芙蓉総合開発と合併 | ★★ | ||
| 西浦三郎 | 旧富士銀系の上場不動産会社・昭栄の吸収合併 2012年7月1日、ヒューリックは旧富士銀行系の上場不動産会社である昭栄と合併した。法形式では昭栄が存続会社、ヒューリックが消滅会社となり、会計上は逆取得としてヒューリックが取得企業と扱われた判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 西浦三郎 | ヒューリックリート投資法人を設立 | ★ | ||
| 西浦三郎 | シンプレクス・インベストメント・アドバイザーズと合併 | ★★ | ||
| 吉留学 | 日本ビューホテルを子会社化 | ★★ | ||
| 2022〜2025年不動産から教育・配食・データセンターへの多角化 | 前田隆也 | リソー教育を子会社化 | ★ | |
| 前田隆也 | レーサムを子会社化 | ★★ | ||
| 前田隆也 | 鉱研工業を子会社化 | ★ | ||
| 前田隆也 | クックデリを子会社化 | ★ |
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事実根拠:出所(ヒューリック)