この合併には、経営者の構想が先にあって動いた形跡が乏しい。3行統合という親銀行の側の事情が先にあり、旧富士銀行系の不動産をどこかに寄せる必要が生まれ、その置き場所として日本橋興業が使われた面が強い。会社にとっては受け身の決定であったのだろう。それでも、他社が保有していたビルを法人ごと引き受けるという経験は、それまでの40年にはなかった。物件と借り手を丸ごと預かる作業を一度通した会社と、通していない会社では、次の合併に向き合うときの構えが違ってくる。
興味深いのは、そこで手に入った資産の性格である。銀行が店舗を置くために選んだ土地は、都心の駅の近くに寄っていた。自社で投資判断を積み上げて集めたわけではない不動産が、結果として立地を絞る経営と相性の良い形をしていた。2000年代半ば以降のヒューリックが銀座や京橋への集中投資で成長を描けたのは、この与えられた資産の並びを出発点にできたからだろう。受け身で引き受けた集約が、10年後の独立の元手になった経緯として読めるところに、この判断の性格がうかがえる。