東京建物は1896年10月[1]、初代安田善次郎らの発起により資本金100万円をもって設立[2]された[3]。営業目的は月賦建築請負、土地建物担保貸付[4]、土地建物販売および仲介の3つである。日清戦争直後の都市膨張と工場建設で個人住宅需要は伸びていた。だが住宅金融公庫や銀行住宅ローンは制度として存在せず、市民の住宅資金は個人金融業者に依存していた。取引上の不便と弊害を見た安田が、法人組織による不動産金融事業の必要性から旧安田系の人脈と資本を集め、設立を主導した。本店は東京市日本橋区呉服町18番地、翌11月に横浜支店を開設し[5]、首都圏の主要港湾都市を初期から押さえた。
月賦で住宅を建て、土地建物を担保に資金を貸し、不動産を売買仲介するという組み合わせは、住宅ローン・不動産担保融資・不動産流通を1社の定款に同居させた設計にあたる。会社史総覧はこれを『およそ100年前に、今日の不動産担保金融や住宅ローンの原型を創り、それを基盤とした不動産業務を生んだ先見性は、注目に値する』[引用元]と評している。1907年9月には東京株式取引所に株式を上場し[6]、旧安田系の中核不動産会社として早期に公開市場で資本を調達する体制を整えた。1928年8月には関口台町分譲地で宅地分譲事業を開始し[7]、不動産金融から土地分譲への業容拡大を始めた。設立から約30年で月賦金融・担保貸付・仲介・分譲の4事業の原型がそろった。
明治30年代後半から東京建物は海外に進出した。1903年3月の天津支店開設では政府[8]の要請で日本専管居留地の払い下げを受け、居留民住宅の建設や電力供給など居留地インフラを担っている。1907年1月には天津企業組合を吸収合併し[9]、現地拠点を法人として束ねた。1912年5月には京城支店を開設し[10]、朝鮮半島でも都市不動産業務に着手した。明治期の不動産会社としては異例の海外展開だが、国家の海外経済政策に組み込まれた業務拡大でもあった。天津支店は1945年8月の終戦まで維持されたが、在外資産[11]はほぼ失った。これら海外拠点の喪失は、米国東京建物を設立する1990年6月まで[12]、半世紀近い空白を生む要因となった。明治期に作った海外居留地インフラの蓄積は、戦後はほぼ持ち越せなかった。
1923年9月1日の関東大震災では所有建物5棟と多数の担保建物を焼失し[13]、家賃減収と貸付金利息の延滞が重なって減益となった。ただし震災復興のための貸付金需要が急増し、建物建設の月賦償却契約も増加したため、収益は改善した。1929年11月には東京駅東側の八重洲口に『東京建物本社ビルディング』が竣工する[14]。震災復興期に建てられた当時最新のインテリジェントビルは、長く同社の顔となった。約90年後の2020年5月、本社再移転先である『東京建物八重洲ビル』へと土地[15]の系譜がつながる。災害で家賃が減るのと同時に、復興資金の貸付需要が伸びる構造は、不動産金融会社という業態の二重性を示している。
昭和10年代、東京建物は旧安田系の不動産機能を束ねる役割を強めた。1937年3月に満州興業[16]、1939年10月に臨港倉庫、1943年10月に安田ビルディング[17]、1944年3月に横浜機橋倉庫を相次いで吸収合併している。戦時下の経済統制のなかで、旧安田系の不動産・倉庫機能が一つの会社に集約され、戦後の不動産事業再開の基盤となる物件ポートフォリオが一体化された。同時に天津支店や京城支店など海外資産の喪失リスクもそのまま引き受けた。終戦を境に資産構成は歪み、残された国内ポートフォリオが戦後再建の元手となる。旧安田系の不動産会社としての性格は、戦時経済統制下で一段と強まった。
終戦後、東京建物はGHQの財閥解体指令のもとで制限会社に指定され、業務全般について厳しい統制を受けた。不動産事業そのものも低迷したが、同社は建設事業への進出で難局を支え、企業体制を整備した。1947年6月に大阪営業所を開設して[18]戦前の関西拠点を再建し、1949年5月に東京証券取引所に株式を再上場した[19]。1952年9月には宅地建物取引業者免許[20]、1956年3月には一級建築士事務所登録と[21]、戦後制度の枠組みに合わせて事業を整え直した。旧安田系の不動産金融会社から総合不動産会社への再出発は、この統制解除と制度整備の過程で準備された。月賦建築請負を出発点とする創業期の事業モデルは、戦後再建期に一度解体され、設計し直された。
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| 1896〜1956年住宅ローンの原型を作った明治期不動産金融会社 | 東京建物創業——安田善次郎が1社に束ねた月賦建築請負・担保貸付・売買仲介の不動産金融 1896年10月、安田銀行を率いた初代安田善次郎氏らの発起により、東京市日本橋区呉服町18番地で資本金100万円の東京建物株式会社が設立された。住宅金融公庫も銀行住宅ローンもない明治期に、月賦建築請負・土地建物担保貸付・土地建物販売仲介の三事業を一つの定款に同居させ、市民が住宅取得から資金調達、転売までを一つの法人窓口でまかなえる不動産金融会社として発足した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 住宅ローンの原型となった割賦販売方式での不動産売買を開始 | ★★ | |||
| 天津租界地の払い下げを受けた支店開設と、漢口・京城・満州への外地展開 1903年3月、東京建物は外務省から清国天津の日本租界地3万7,838坪の払い下げを受けて天津支店を開き、住宅やビルの建設と管理運営に入った。以後、漢口・京城・満州へ拠点を広げ、天津支店は租界唯一の不動産会社として昭和10年代には建物約3万坪と租界内の一等地の大半を所有するまでになった。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 東京株式取引所に株式を上場 | ★ | |||
| 関東大震災で甚大な被害 | ★★ | |||
| 関口台町分譲地で宅地分譲事業に参入 | ★★ | |||
| 東京建物本社ビルディング(東京建物ビルヂング)竣工 | ★ | |||
| 満州興業を吸収合併 | ★ | |||
| 安田ビルディングを吸収合併 | ★ | |||
| 東京証券取引所に株式再上場 | ★ | |||
| 宅地建物取引業者免許を取得 | ★ | |||
| 一級建築士事務所登録 | ★ | |||
| 1957〜2015年高度成長期からバブル崩壊までの総合不動産会社への脱皮 | 旧東京建物本社ビル新館増築工事が竣工 | ★ | ||
| 湯河原で別荘地分譲を開始 | ★ | |||
| 住宅地開発を開始 | ★ | |||
| 不動産鑑定業者登録 | ★ | |||
| マンション分譲事業に参入 | ★★ | |||
| 川越市等で「東建富士見ハイツ」の分譲を開始 | ★ | |||
| 座間ハイツ(1,046戸)の分譲 | ★ | |||
| 新宿センタービル竣工 | ★ | |||
| 東建住宅サービスが営業開始 | ★ | |||
| ホテル・レジーナ河口湖をオープン | ★ | |||
| 米国東京建物を設立 | ★ | |||
| SPC法施行直後の国内第1号登録取得と、不動産証券化・資産運用事業への進出 1998年11月、東京建物はSPC法(現・資産流動化法)の国内第1号登録を取得した。同法の施行から2か月余りという早さで、この法律を用いた日本初の不動産証券化商品として高輪の外国人向けサービスアパートメントを証券化している。自ら保有して貸す事業に、投資家の資金で持たせて運用報酬を得る事業を並べる進出であった。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 東京リアルティ・インベストメント・マネジメントを設立 | ★★ | |||
| 郊外マンション分譲への参入と、市場別5ブランドから「Brillia」への統一 1968年9月に藤沢市で分譲を始めたマンション事業を、東京建物は2003年4月に『Brillia(ブリリア)』の一名へ束ねた。1993年から市場別に5種類のブランドを並べていた分譲マンションを一つの名前に統一し、翌2004年には戸建てを『Brillia Terrace』とした。分譲は以後ビル賃貸と並ぶ収益の柱となる。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 畑中誠 | 「霞が関コモンゲート」竣工 | ★ | ||
| 畑中誠 | 日本パーキングを子会社化 | ★★ | ||
| 畑中誠 | 出資SPCの評価損の一括計上による純損失717億円と、再開発・物件売却を両輪とする収益構造への組み替え 2011年12月12日、東京建物は2011年12月期の最終損益見通しを60億円の黒字から720億円の赤字へ修正した。出資する特定目的会社(SPC)で計上した評価損によるもので、通期の実績は経常損失108億円・純損失717億円となった。畑中誠社長は事実上の引責辞任となり、以後の経営は再開発と物件売却を組み合わせる形へ組み替えられていった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 佐久間一 | 大手町タワー竣工 | ★ | ||
| 佐久間一 | 日本初の区本庁舎一体型高層マンション「Brillia Tower池袋」竣工 | ★ | ||
| 2016〜2024年717億円の赤字から過去最高益への反転攻勢 | 野村均 | 野村均が代表取締役社長に就任 | ★ | |
| 野村均 | Hareza Tower(ハレザタワー)竣工 | ★ | ||
| 野村均 | 「ONE DOJIMA PROJECT」(フォーシーズンズホテル大阪・Brillia Tower堂島)が竣工 | ★ | ||
| 小澤克人 | 小澤克人が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 小澤克人 | 通期営業収益4,745億円、経常利益781億円、純利益588億円 | ★ |
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事実根拠:出所(東京建物)