この創業が示すのは、住宅ローンも住宅金融公庫もない時代に、市民の住宅資金という制度の空白へ法人組織で応えようとした選択の意味である。月賦で建て、担保に取って貸し、売買を仲介するという三つの機能を一つの会社に集約した設計は、銀行の融資業務で担保不動産を扱ってきた安田善次郎氏の実務経験を、独立した会社の形へ移し替えたものと読める。個人の金融業者に頼るしかなかった住宅資金の流れに、法人という受け皿を用意した創業であったのだろう。
もう一つ見えてくるのは、創業者個人の力量に頼りきらない体制が早くにできていた点である。1907年の株式公開を経て旧安田系の中核不動産会社として運営される段階に入っていたため、1921年に安田氏を失った後も、会社は組織として事業を続けられた。海外居留地のインフラ運営という国家政策と一体の業務は戦争で失われたが、月賦金融・担保貸付・仲介という創業時の三事業は、その後の分譲や賃貸へと広がる原型として残ったといえる。