東急不動産の源流は、渋沢栄一と中野武営らが理想的な住宅地開発の必要を唱え、1918年に設立した田園都市株式会社にある[1]。1921年に経営中枢へ加わった五島慶太は、田園都市開発と鉄道建設を一体で進める方針をとった。田園調布の街区では総面積の18%を道路・公園に充て、電灯・上下水道を完備し、建築規則で住環境を保全した。同社は1928年に同一資本の目黒蒲田電鉄と合併し、1939年には目黒蒲田電鉄が東京横浜電鉄と合併した[2]。戦時下では住宅建物等価格統制令が公布されて田園都市事業は開店休業に追い込まれ、戦時統合で東京急行電鉄に組み込まれて休眠が続いた[3]。
戦後1948年6月、東京急行電鉄から京浜急行・小田急・京王帝都の3[4]社が分離した。沿線開発に本腰を入れる経営環境はしばらく整わなかった。戦後の混乱が一段落し、五島慶太が公職追放を解除されて会長へ復帰すると、田園都市事業を不動産専業会社として復活させる構想が動き出した。1953年12月、資本金3億円で東急不動産が設立され[5]、会長に五島慶太、社長に五島昇[6]が就いた[7]。鉄道本体から沿線以外の不動産開発を担う事業を切り出した形で、東急電鉄の田園都市事業(沿線開発を除く)を継承する建付けとした[8]。私鉄系ディベロッパーとして、沿線資産の価値向上と沿線外の郊外宅地開発を一体で担う原型がここで定まった。設立2年後には独自で分譲地の造成販売に踏み出し、早期自立の体制を固めた。
設立から3年後の1956年4月に東京証券取引所へ株式を上場し[9]、同年12月には渋谷営業所を設けて仲介業へ本格参入した。1961年6月には日本初の提携住宅ローンを発表し、住宅取得層の資金調達を金融機関と組み合わせて取り込む販売体制を整えた。1962年4月の津田山ニュータウン分譲は、田園都市株式会社の住環境思想を引き継いだ郊外住宅地として支持を集めた。戦後日本における『ニュータウン』という街づくり概念の原型を作った事例と[10]、日本会社史総覧(1995/11)に記される。郊外宅地開発が同社の幹となり、住宅供給を中心とする総合不動産経営の骨格がここで定まった。私鉄沿線の住宅地開発を、提携ローンと一体で売り切る販売モデルが、戦後型ディベロッパーの原型を成した。
開発の一方で業態拡張も行った。1955年4月の外人向け代官山東急アパート[11]、1966年3月の注文住宅『東急ホーム』、1967年4月の中高層住宅『東急ドエル』、1969年9月の再開発複合ビル『赤坂東急ビル』と、住宅から商業まで領域を広げた。1970年ごろには『デベロッパー東急』と呼ばれる総合不動産会社の地位を固めた。1970年4月にはマンション・ビル管理を担う東急コミュニティーを[12]、1970年8月には大阪支店を開設し[13]、1972年3月には不動産仲介専業の東急エリアサービス[14](現・東急リバブル)を設立した。住宅開発・管理・仲介という3事業の骨格が短期間で揃い、後年の持株会社体制を支える基本構造を先取りとなった。
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|---|---|---|---|---|
| 1918〜1972年田園都市株式会社から東急不動産独立までの35年 | 前身・田園都市を設立 | ★★ | ||
| 東急不動産設立 | ★★ | |||
| 不動産賃貸業に参入 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |||
| 提携住宅ローンを発表 | ★★ | |||
| 東京証券取引所市場第一部に指定 | ★ | |||
| 津田山ニュータウン分譲開始 | ★ | |||
| 注文住宅「東急ホーム」を商品化 | ★ | |||
| 中高層住宅「東急ドエル」販売開始 | ★ | |||
| 東急コミュニティーを設立 | ★★ | |||
| エリアサービスを設立 | ★ | |||
| 1973〜2013年余暇時代の業態拡張とアセットマネジメント体制の助走 | ゴルフ事業に参入 | ★ | ||
| 東急ハンズの設立と、不動産デベロッパーによる異業種小売への参入 1976年8月、東急不動産は住関連・DIY用品を扱う大型専門店として東急ハンズを設立し、不動産デベロッパーが小売という異業種へ踏み込んだ。売れ筋に絞らず客の選択にまかせる『素人商法』と、一芸に秀でた専門職を売り場に据えるコンサルティング販売で、百貨店・スーパー商法の逆を張った経営判断であった。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 東急リゾートを設立 | ★ | |||
| スキー事業に参入 | ★ | |||
| パラオにリゾートホテル開業 | ★ | |||
| 土気あすみが丘の供給開始 | ★ | |||
| 会員制リゾートホテル事業に参入 | ★★ | |||
| 営業部門を東急リバブルに全面移管 | ★★ | |||
| 都市型ホテル事業に参入 | ★ | |||
| 東急コミュニティー 東京証券取引所二部に上場 | ★ | |||
| 東急リバブル 東京証券取引所二部に上場 | ★ | |||
| 東急コミュニティー 東京証券取引所一部に指定 | ★ | |||
| 東急リバブル 東京証券取引所一部に指定 | ★ | |||
| 東急不動産キャピタル・マネジメント設立 | ★ | |||
| 金指潔 | 東急不動産SCマネジメント設立 | ★ | ||
| 金指潔 | TLCリアルティマネジメント設立 | ★ | ||
| 金指潔 | TLCタウンシップ設立 | ★ | ||
| 金指潔 | 持株会社体制への移行と、東急不動産・東急コミュニティー・東急リバブル三社の一斉上場廃止 2013年、東急不動産は東急コミュニティー・東急リバブルとともに株式移転で完全親会社の東急不動産ホールディングスを設立し、開発・管理・仲介の上場三社を同時に非公開化して一つの持株会社の傘下に束ね直した。金指潔社長が主導した、グループの資本と意思決定を集約する経営判断であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 金指潔 | 初代社長に金指潔が就任 | ★ | ||
| 2013〜2023年持株会社化と渋谷シフトによる成長モデルの定着 | 大隈郁仁 | 大隈郁仁氏が社長に就任 | ★ | |
| 西川弘典 | 西川弘典氏が社長に就任 | ★ | ||
| 西川弘典 | 抜本的再構築による非中核事業の一斉譲渡(ハンズ・ゴルフ場・スキー場・フィットネス) 東急不動産ホールディングスは2021年から2024年にかけて、東急ハンズをカインズへ、ゴルフ場・スキー場をリソルへ、フィットネス事業をルネサンスへ譲渡し、北和建設も手放すなど、非中核事業を『抜本的再構築』として一斉に整理した。資本効率型への転換に合わせ、余暇時代に築いた多角化資産を切り離す経営判断であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 星野浩明 | 総合デベロッパーから資本効率型不動産企業への転換と、広域渋谷圏の段階売却モデル 東急不動産ホールディングスは2019年前後から、開発した不動産を全量自己保有する資産積み上げ型の経営を改め、開発・賃貸・売却を組み合わせて回収の速度で稼ぐ『資本効率型不動産企業』への転換を進めた。西川弘典氏が主導し、広域渋谷圏の再開発を他人資本を活用した段階売却モデルで回す面的な戦略であった。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(東急不動産ホールディングス)