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  "company_name": "東急不動産ホールディングス",
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  "updated": "2026-09-05",
  "license": "© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.",
  "attribution": "The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/3289/",
  "title": "東急不動産ホールディングスの歴史概略",
  "summary": {
    "title": "サマリー",
    "text": "",
    "description": "東急不動産ホールディングス（旧東急不動産）の歴史。1918年設立の田園都市を前身に1953年東急不動産が発足。東急ハンズの設立、2013年の持株会社化と3社上場廃止、非中核事業の譲渡までの沿革と経緯を執筆。"
  },
  "eras": [
    {
      "title": "田園都市株式会社から東急不動産独立までの35年",
      "start_year": 1918,
      "end_year": 1972
    },
    {
      "title": "余暇時代の業態拡張とアセットマネジメント体制の助走",
      "start_year": 1973,
      "end_year": 2013
    },
    {
      "title": "持株会社化と渋谷シフトによる成長モデルの定着",
      "start_year": 2013,
      "end_year": 2023
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  "founding": [
    {
      "start_year": 1918,
      "end_year": 1972,
      "main_title": "田園都市株式会社から東急不動産独立までの35年",
      "subsections": [
        {
          "title": "渋沢栄一の理想を五島慶太が事業化するまでの空白",
          "text": "東急不動産の源流は、渋沢栄一と中野武営らが理想的な住宅地開発の必要を唱え、1918年に設立した田園都市株式会社にある。1921年に経営中枢へ加わった五島慶太は、田園都市開発と鉄道建設を一体で進める方針をとった。田園調布の街区では総面積の18%を道路・公園に充て、電灯・上下水道を完備し、建築規則で住環境を保全した。同社は1928年に同一資本の目黒蒲田電鉄と合併し、1939年には目黒蒲田電鉄が東京横浜電鉄と合併した。戦時下では住宅建物等価格統制令が公布されて田園都市事業は開店休業に追い込まれ、戦時統合で東京急行電鉄に組み込まれて休眠が続いた。\n\n戦後1948年6月、東京急行電鉄から京浜急行・小田急・京王帝都の3社が分離した。沿線開発に本腰を入れる経営環境はしばらく整わなかった。戦後の混乱が一段落し、五島慶太が公職追放を解除されて会長へ復帰すると、田園都市事業を不動産専業会社として復活させる構想が動き出した。1953年12月、資本金3億円で東急不動産が設立され、会長に五島慶太、社長に五島昇が就いた。鉄道本体から沿線以外の不動産開発を担う事業を切り出した形で、東急電鉄の田園都市事業（沿線開発を除く）を継承する建付けとした。私鉄系ディベロッパーとして、沿線資産の価値向上と沿線外の郊外宅地開発を一体で担う原型がここで定まった。設立2年後には独自で分譲地の造成販売に踏み出し、早期自立の体制を固めた。",
          "references": [
            {
              "title": "東急不動産90年史",
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              "title": "有価証券報告書",
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              "title": "日本会社史総覧（東洋経済新報社, 1995）",
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        {
          "title": "提携住宅ローンと津田山ニュータウンが固めた総合不動産の骨格",
          "text": "設立から3年後の1956年4月に東京証券取引所へ株式を上場し、同年12月には渋谷営業所を設けて仲介業へ本格参入した。1961年6月には日本初の提携住宅ローンを発表し、住宅取得層の資金調達を金融機関と組み合わせて取り込む販売体制を整えた。1962年4月の津田山ニュータウン分譲は、田園都市株式会社の住環境思想を引き継いだ郊外住宅地として支持を集めた。戦後日本における『ニュータウン』という街づくり概念の原型を作った事例と、日本会社史総覧（1995/11）に記される。郊外宅地開発が同社の幹となり、住宅供給を中心とする総合不動産経営の骨格がここで定まった。私鉄沿線の住宅地開発を、提携ローンと一体で売り切る販売モデルが、戦後型ディベロッパーの原型を成した。\n\n開発の一方で業態拡張も行った。1955年4月の外人向け代官山東急アパート、1966年3月の注文住宅『東急ホーム』、1967年4月の中高層住宅『東急ドエル』、1969年9月の再開発複合ビル『赤坂東急ビル』と、住宅から商業まで領域を広げた。1970年ごろには『デベロッパー東急』と呼ばれる総合不動産会社の地位を固めた。1970年4月にはマンション・ビル管理を担う東急コミュニティーを、1970年8月には大阪支店を開設し、1972年3月には不動産仲介専業の東急エリアサービス（現・東急リバブル）を設立した。住宅開発・管理・仲介という3事業の骨格が短期間で揃い、後年の持株会社体制を支える基本構造を先取りとなった。",
          "references": [
            {
              "title": "東急不動産90年史",
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              "title": "日本会社史総覧（東洋経済新報社, 1995）",
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        }
      ]
    }
  ],
  "overview": [
    {
      "label": "創業",
      "text": "東急不動産の源流は、渋沢栄一と中野武営らが理想的な住宅地の必要を唱えて1918年に設立した田園都市株式会社にある。1921年に経営へ加わった五島慶太は宅地開発と鉄道建設を一体で進め、田園調布では総面積の18%を道路と公園に充てた。同社は1928年に目黒蒲田電鉄と合併し、戦時下の統制で事業は開店休業となり、戦時統合で東京急行電鉄へ組み込まれて休眠した。公職追放を解かれた五島慶太が会長へ復帰すると、1953年12月、資本金3億円で東急不動産が設立され、五島昇が社長に就任した。鉄道沿線の開発は本体に残し、沿線外の宅地開発と販売だけを切り出した。1956年4月に東京証券取引所へ上場し、1961年には日本初の提携住宅ローンで郊外分譲を売り切る販売網を整えた。"
    },
    {
      "label": "決断",
      "text": "余暇の時代に広げた事業を、45年かけて自ら解いた。1976年8月、住宅供給に偏った収益を分散するため[東急ハンズを設立して異業種小売へ参入し](/tse/3289/decisions/tokyu-hands-1976/)、以後もゴルフ場・スキー場・別荘・会員制リゾートホテルへ広げ、増えた余暇時間を需要として取り込んだ。2013年9月には[三社を一斉に上場廃止して持株会社へ移り](/tse/3289/decisions/holding-company-2013/)、開発・管理・仲介の三社を一つの資本のもとへ集約した。転機は2019年で、開発物件を全量保有する資産積み上げから、重点立地だけを保有し非重点には他人資本を入れて段階売却する[資本効率型の不動産企業へ転換した](/tse/3289/decisions/capital-efficient-shift-2019/)。45年かけて広げた余暇事業を手放した結果、投資先は渋谷の街区と再生可能エネルギーの2つへ絞られた。"
    },
    {
      "label": "現況",
      "text": "資産の3割を占める戦略投資が、利益では1割に達していない。2026年3月期の連結売上高は1兆2,460億円、営業利益1,668億円で、いずれも過去最高である。売上は都市開発3,973億円、不動産流通3,568億円、管理運営3,505億円、戦略投資1,413億円の4事業に分かれる。利益は都市開発752億円、不動産流通643億円と続き、再エネとインフラを持つ戦略投資は9,857億円の資産に対して132億円にとどまる。対して不動産流通は3,314億円の資産で643億円を生み、資産あたりでは戦略投資の14倍を超える。2021年12月に[ハンズ・ゴルフ場・スキー場・フィットネスを一斉に譲渡し](/tse/3289/decisions/noncore-divestiture-2023/)、空いた資本を再生可能エネルギーへ充当した。資本効率を掲げた転換が、当面の利益が最も薄い戦略投資へ資産を積む結果を生んでいる。"
    },
    {
      "label": "競合",
      "text": "私鉄系の同業が沿線全体へ投資を配るなか、東急不動産HDは渋谷へ寄せた。阪急阪神ホールディングスや相鉄ホールディングスは鉄道と一体で沿線の商業と住宅を持つが、東急不動産ホールディングスは2000年代から広域渋谷圏へ開発を集め、渋谷ソラスタや渋谷フクラスを連ねた。同じ集中でも、[丸の内へ投資を集めた三菱地所](/tse/8802/decisions/marunouchi-manhattan-plan-1988/)が街区を保有し続けるのに対し、東急不動産ホールディングスは非重点物件に他人資本を入れて売却し、回収した資金を次の開発へ充てる。4事業に張り付く資産は3兆5,399億円で、保有量では財閥系に及ばない。競争の焦点は保有する床の量ではなく、渋谷駅周辺の再開発を誰が主導するかへ移った。"
    }
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  "profile": [
    {
      "key": "founding_business",
      "label": "祖業",
      "value": "郊外の宅地開発と分譲"
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    {
      "key": "current_issue",
      "label": "現在の注力課題",
      "value": "広域渋谷圏の再開発と資産の段階売却",
      "tags": [
        "不動産開発",
        "資本効率"
      ]
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