この創業が示すのは、目立った使い道の見えない原野を一括で買い取り、そこに西洋式のオフィス街を築くという長い時間軸の選択である。買収の当初は社内からも批判を招き、地元紙も繁盛の見込みを疑った。1894年の三菱1号館から1918年の一丁倫敦、そして1923年の丸ビルへと、賃貸を担う建物を1棟ずつ積み上げた歩みが、値の付かなかった土地を東京の中心的なビジネス街へ変えていったのだろう。
もう一つ見えてくるのは、丸ノ内という単一の資産を一体で管理することの意味である。1937年の独立は、財閥の一部門にとどめておけないほど育った不動産事業を専業の会社へ移す判断であったと読める。戦後の3分割からわずか3年での再合併は、丸ノ内を分けて持つ構造が事業として立ちゆかないことを、実務のなかで裏づけたものといえる。買収から60年余りを経て、三菱地所は丸ノ内一極の資産を運営する公開企業として法人の形を整えた。