三菱倉庫日本橋・江戸橋倉庫ビルの建て替えと賃貸オフィスビルへの用途転換
外壁を7割残す費用を払ってまで、発祥の地の倉庫を賃料を生む床に替えたのはなぜか
- 概要
- 2010年1月29日、三菱倉庫は東京・日本橋一丁目の江戸橋倉庫ビル(1930年竣工)を賃貸オフィスビルへ建て替える計画を公表した。外壁の概ね7割と船橋状の塔屋を残したまま地上18階・地下1階の高層棟を築き、2014年9月3日に日本橋ダイヤビルディングとして竣工した。投資額は約138億円であった。
- 背景
- 三菱倉庫は倉庫業とともに不動産賃貸を営み、2014年3月期は不動産事業のセグメント利益97億円が物流事業の68億円を上回っていた。賃貸用不動産の連結貸借対照表計上額849億円に対し時価は2,650億円で、都心に抱えた含み資産をどう収入に変えるかが課題として残っていた。
- 内容
- 本店事務所とトランクルームに使っていた倉庫ビルの内部を解体し、外観を保存したまま賃貸オフィスへ用途を替えた。8〜17階が1フロア約1,000平方メートルの賃貸オフィス、2〜6階がトランクルームと本店事務所となる。投資予定額130億円は自己資金と社債で賄い、工事中の3年間は本店を新川へ移した。
- 含意
- 竣工した2015年3月期の不動産事業は減価償却費と不動産取得税等の一時費用で減益となり、賃料が通年で寄与した2016年3月期にセグメント利益106億円へ伸びた。都心の含み資産を賃料に替える判断が、費用と時間を先に払う性格を持つことを示している。
残した外壁と、入れ替えた中身
歴史的建造物の保存という枠だけで読むと、この工事の芯を取り逃がす。三菱倉庫がここで行ったのは、簿価849億円に対し時価2,650億円という含みを抱えたまま眠っていた都心の土地を、賃料を生む18階分の床へ入れ替える資本の組み替えであった。外壁7割の保存は、その組み替えを地域と行政に受け入れてもらうために引き受けた条件でもあったとみられる。発祥の地という言葉は、余分な費用と工期を払う理由としても働いた。
もっとも、入れ替えが直ちに報われたわけではない。投資額は公表時の約125億円から約138億円へ膨らみ、竣工した2015年3月期の不動産事業はむしろ減益であった。工事の3年間、本店は新川に間借りし、日本橋の一等地は収入を生まない現場として空いていた。土地の含みを賃料に変えるには、これだけの時間と費用を先に払う必要がある。倉庫会社の不動産事業が長い時間軸でしか組めない事情が、ここに表れているといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
利益の大半を不動産が稼ぐ倉庫会社
三菱倉庫は倉庫会社でありながら、利益の多くを不動産の賃料から得ていた。2014年3月期の連結営業利益121億円に対し、不動産事業のセグメント利益は97億円で、物流事業の68億円を上回っていた。同社は会社の基本方針として、所有地の立地に適した活用によりオフィスビルや商業施設の賃貸事業を図ると明記している。港湾と都心に早くから土地を持った倉庫会社の資産が、そのまま賃貸事業の原資になっていた[1][2]。
その資産には帳簿に表れない含みがあった。2014年3月末時点で、三菱倉庫グループが保有する賃貸用オフィスビル等の連結貸借対照表計上額は849億円、社外の不動産鑑定士の評価に基づく時価は2,650億円であった。簿価の3倍を超える差額は、古くから抱えた都心の土地が償却の進んだ帳簿価額のまま残っていたことを示している。この含みを賃料という形の収入へどう振り替えるかが、経営の実務的な課題として残っていた[3]。
江戸橋倉庫ビルという建物
建て替えの対象となった江戸橋倉庫ビルは、ありふれた古い倉庫ではなかった。この場所には三菱の創業者・岩崎弥太郎が1876年に建てた煉瓦造りの倉庫があり、1923年の関東大震災で焼失している。再建されたのが1930年竣工の江戸橋倉庫ビルで、船をモチーフとした外観と屋上の船橋を模した塔屋を備えていた。三菱倉庫が日本で最初のトランクルームサービスを始めたのも、翌1931年1月、この江戸橋の建物であった[4][5]。
この建物は、東京都選定歴史的建造物にも選ばれていた。敷地面積は約2,900平方メートル、日本橋川と首都高速の江戸橋ジャンクションに囲まれた区画に建ち、本店事務所とトランクルームに使われていた。竣工から80年を数え、都心の一等地に低層の倉庫ビルとして残るこの資産を、保管の場として使い続けるか、賃料を生む床へ替えるかという選択が、2000年代末の三菱倉庫の前にあった[6]。
決断
外壁を残して18階建てを建てる計画
2010年1月29日、三菱倉庫は江戸橋倉庫ビルを賃貸オフィスビルへ建て替える計画を公表した。既存外壁の概ね7割と船橋状の塔屋を保存し、上部に高層棟を築造する。完成後は地上18階・地下1階、延床面積約30,200平方メートルとし、6階から17階を賃貸オフィス、2階から5階をトランクルームと本店事務所に充てる。投資額は約125億円、工期は2011年10月から2014年8月を見込んだ。当時の社長は岡本哲郎氏であった[7]。
建て替えは本店を動かす工事でもあった。三菱倉庫は2011年9月から2014年9月までの3年間、本店を日本橋から中央区新川へ一時移転させ、その間、日本橋の区画は収入を生まない工事現場となった。有価証券報告書に載せた設備計画では、投資予定金額130億円を自己資金と社債で賄うとし、着手を2011年10月、完了を2014年8月と記している。設計は三菱地所設計と竹中工務店、施工は竹中工務店が担った[8][9]。
壊さない選択が背負ったもの
工事の要点は、古い外壁を残したまま、その内側に新しい18階建てを建てるところにあった。古い建物には新しい建物の鉛直荷重をかけず、水平荷重だけが伝わる設計とし、6階と7階の間には免震層を設けた。地下では基礎として打たれていた松杭のうち約1,500本を引き抜いた。埋設されていた杭は約4,000本とされ、敷地約2,900平方メートルに1平方メートルあたり1本以上が打たれていた計算になる[10]。
古い建物を残さなければ、工期も費用も抑えられた。それでも壊さなかった理由について、三菱倉庫工務部建設チームマネジャーの新井一也氏は、この場所が同社にとって思い入れの深い発祥の地であること、東京都選定歴史的建造物に選ばれていること、周辺地域からも残存を望む声があったことを挙げている。収益ビルへの用途転換という目的と、外観を残すという制約を、同時に引き受けた工事であった[11]。
結果
竣工と、遅れて表れた収益
2014年9月3日、日本橋ダイヤビルディングが竣工した。敷地約2,900平方メートル、延床面積約30,000平方メートル、地上18階・地下1階で、8階から17階が1フロア約1,000平方メートルの賃貸オフィス、2階から6階がトランクルームと本店事務所となった。中間階免震構造を採り、長周期地震動に備えている。投資額は約138億円で、2010年の公表時に見込んだ約125億円を上回った[12][13]。
収益への反映はすぐには表れなかった。竣工した2015年3月期の不動産事業は、新規稼働に伴う減価償却費の増加と不動産取得税等の一時費用により、セグメント利益が91億円へと前期比5.5%減った。賃料が通年で寄与した2016年3月期には不動産賃貸事業の営業収益が309億円へ2.7%増え、不動産事業のセグメント利益は106億円と15.8%伸びた。投じた資金が利益として現れるまで、竣工から1年半かかった[14][15]。
- 三菱倉庫 ニュースリリース 2010年1月29日「東京・日本橋に環境対応型の高層オフィスビルを建設-東京都選定歴史的建造物である現在の建物「江戸橋倉庫ビル」の外観を保存しながら安全・安心・快適さを追及した賃貸オフィスを提供-」
- 三菱倉庫 ニュースリリース 2014年9月3日「東京・日本橋に高層オフィスビル「日本橋ダイヤビルディング」が竣工―歴史的建物の外観を保存した「災害に強い環境配慮型オフィスビル」―」
- 週刊東洋経済 2014年6月6日号「成毛眞の技術探検 隔週連載 第15回 三菱倉庫の日本橋ダイヤビルディング 古い建物の壁の裏に最新の建築技術があった」
- 三菱倉庫 有価証券報告書(2014年3月期・連結)
- 三菱倉庫 有価証券報告書(2015年3月期・連結)
- 三菱倉庫 有価証券報告書(2016年3月期・連結)