さくらインターネット都市型を捨て、北海道石狩に郊外型の大規模データセンターを建てる

地価の高い都市圏で資本力に押される事業者が、土地の「余白」に賭けた

時期 2010年6月
意思決定者(推定) 田中邦裕 さくらインターネット 社長
論点 データセンターの立地と設備投資
概要
2010年6月21日、さくらインターネットは北海道石狩市に敷地面積51,448平方メートルの郊外型大規模データセンターを建設すると発表した。1棟あたり最大500ラックの分棟式で最大8棟・4,000ラックまで増築でき、北海道の低温外気を100%活用する外気冷房を全面導入する計画で、2011年11月15日に開所した。
背景
2000年代のデータセンターは都市圏近郊への立地が主流であったが、地価の高い東京や大阪の周辺では商社や不動産会社が資本集約型で施設を整備するようになり、田中邦裕社長は「都市型では勝てなくなっていった」と振り返る。同社自身も2010年8月に本町データセンターを閉鎖し、池袋データセンターの閉鎖も決めていた。
内容
土地の「余白」を確保できる立地を重視し、1棟ずつ投資を積み増し、最大8棟・4,000ラックまで増築できる構えを取った。第1期は土地・建物に37億円を投じ、通年外気冷房のみでPUE1.11、夏季に従来型空調を運転しても1.21という水準を掲げ、空調コストを約4割削減する見込みを示した。
含意
開所と同時に「さくらのクラウド」の提供が始まり、2号棟が稼働した2014年3月期には売上高が100億円を超えた。この「余白の経営」は十数年後のAI時代に効き、2024年6月までに約2,000基のGPUを設置する拡張余地として使われている。
筆者の見解

使わない面積を先に買う

石狩で買われたのは土地ではなく、当面は使わない面積であった。敷地面積51,448平方メートルに対し1期棟の建築面積は3,850平方メートルにすぎず、開所した2011年11月15日の時点でもラックは計画の4,000に対して200にとどまる。この造りを選ばせたのは長期の構想ではなく体力の不足であった。田中邦裕社長は、新興企業の企業体力では一気に投資するのは無理で、少しずつ投資して最終的に施設の規模を大きくできる利点があったと語っている。買えなかった分が、そのまま空けておいた面積になったとみることができる。

もっとも、空けた面積が値打ちに変わるまでには時間がかかった。2号棟が動いた2014年3月期にようやく売上高が100億円を超え、生成AIが計算資源を奪い合う2024年6月までに約2,000基のGPUが石狩に入って、販売開始と同時に全数が売れている。ただし余白が効くのは、次に来る需要が同じ物差しで測れるあいだに限られる。GPUサーバの発熱に外気冷房は追いつかず、次に投じる約170億円は土地ではなく液冷の設備へ向かう。買えなかったことが生んだ余裕がどこまで持つかは、次の需要が広さと熱のどちらを問うかにかかっているといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

都市型で勝てなくなる

2000年代のデータセンターは、顧客企業のオフィスから近い都市圏近郊に置き、サーバやラックを貸す事業が主流であった。さくらインターネットも大阪と東京に拠点を構えてこの型で伸びてきた。ところが地価の高い東京や大阪の周辺で、商社や不動産会社が資本集約型の施設を整備するようになると、独立系の事業者は用地の取得と建設の規模で押されるようになる。田中邦裕社長は当時を「都市型では勝てなくなっていった」と振り返っている[1]

同社の足元でも、都市に散った小さな拠点の整理が進んでいた。2010年8月に本町データセンターを閉鎖し、池袋データセンターも閉鎖を決めて減損損失を計上している。並行して、サービスの開発から運用・保守までを自社で完結させる垂直統合型の運営をデータセンター事業の柱に据え、体制を絞り込んでいた。2008年2月の増資で債務超過を解消して以降、本業に集中した数年間が、次の投資先を決める土台になっていた[2][3]

クラウドという次の需要

立地の不利を埋める手掛かりは、需要の形が変わりつつあることにあった。顧客が自分のサーバを持ち込んで置く預かり型から、事業者側が用意した計算資源をオンラインで切り売りするクラウドへ、利用の形が移り始めていた。クラウドであれば、顧客のオフィスとの距離は意味を失い、施設の場所は電力と冷却と土地の値段で選べる。さくらインターネットはこの見通しに沿って、都市の外へ出る余地を得た[4]

財務の側も、前年までとは違っていた。2008年2月に双日を引受先とする第三者割当増資で債務超過を解消し、本業に絞った収益で2009年3月期に黒字へ復帰、営業キャッシュフローは2010年3月期に20億円へ広がっていた。2011年3月には公開買付けと株主間合意によって双日が親会社となる。長期借入で数十億円の建設資金を賄う体力は、この立て直しの上に成り立っていた[5][6]

決断

土地の「余白」を買う

2010年6月21日、さくらインターネットは、クラウドコンピューティングに最適化した郊外型の大規模データセンターを北海道石狩市に建設すると発表した。敷地面積は51,448平方メートル。1期棟は地上2階建て鉄骨造で建築面積3,850平方メートル、延床面積6,325平方メートル、500ラックを収容し、竣工は2011年秋を予定した。日経クロステックは、土地・建物に37億円を投じる計画として報じている[7][8]

立地選びで重んじられたのは、いま使う面積ではなく、後で使える面積であった。広い北海道なら大規模な土地を安く一気に確保できる。田中社長は、新興企業の体力では一気に投資するのは無理であり、少しずつ投資して最終的に8棟まで伸ばせる利点があったと語っている。8棟・4,000ラックという最終形をあらかじめ描き、1棟目だけを建てて残りを空けておく——この構えが、のちに「余白の経営」と呼ばれることになる[9]

外気で冷やし、棟を分ける

石狩を選んだもう一つの理由は気温にあった。同社は北海道の低温外気を100%活用する外気冷房を全面的に導入し、通年外気冷房のみでPUE1.11、夏季に従来型の空調運転をおこなった場合でも1.21を実現する計画を掲げた。さらに温湿度条件を緩和した実験区画を設け、空調ファンも止めることでPUE1.0台に挑むとしている。空調コストは約4割の削減が見込まれた。冷やす電気を減らすことが、そのまま料金の下げ余地になる設計であった[10][11]

建物の造りも投資を刻めるようにした。1棟あたり最大500ラックの分棟式とし、建物から設備に至るまでモジュール設計を徹底する。需要が増えた分だけ棟を足せば、稼働率の低い床を長く抱え込まずに済む。都市部で大きな箱を一度に建てる商社・不動産型の投資とは逆に、小さく建てて長く伸ばす形が選ばれた。建設資金は長期借入で調達している[12][13]

結果

開所、そして先行負担

2011年11月15日、石狩データセンターが開所した。開所時点で建てられたのは2棟で、建築面積は合計7,091平方メートル、延床面積は11,392平方メートル、設置されたラックは200であった。最大8棟4,000ラックという計画に対し、実際に埋めたのは1棟あたり500ラックの構えのごく一部にとどまる。同じ日に、仮想サーバをオンラインで貸し出す「さくらのクラウド」の提供も始まっている。箱と売り物が同時に立ち上がった[14][15]

数字にはまず負担として表れた。2012年3月期は売上高92億円と伸びた一方、新設経費の先行で経常利益は8億円と前期の11億円から減った。稼働率が上がるにつれて収益は持ち直し、2号棟が稼働した2014年3月期には売上高が100億円を超える。2015年11月には東証マザーズから市場第一部へ移り、2016年12月には3号棟が竣工した。空けておいた土地は、およそ2年から3年ごとに1棟ずつ埋まっていった[16][17][18]

十数年後に効いた余白

空けておいた面積の値打ちが表れたのは、生成AIが計算資源を奪い合うようになってからであった。さくらインターネットは経済産業省の支援を受け、2024年6月までに約2,000基のGPUを石狩に設置して稼働させ、販売開始と同時に全数が売れたと田中社長は語っている。ゼロから施設を建てれば数年と多額の設備投資を要するのに対し、既存施設の設計に余裕があったことが、GPUを調達しても柔軟に運用できる強みになった[19][20]

もっとも、外気冷房という石狩の看板は、AI向けの熱には追いつかなくなっている。GPUサーバの発熱量は多く、空冷では対応しきれないため、同社は2024年に短期間で設置できるコンテナ型データセンターの新設を発表し、液冷を導入した。今後約170億円を投じ、2026年までに段階的に増設する計画である。田中社長は国内のデータセンターを自前で造ることはもうないのではないか、箱は外から借りるのが財務上健全だとも述べている[21][22]

出典・参考

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