さくらインターネット債務超過を受けた社長交代と、上場後に広げた子会社の一斉整理

拡大でつまずいた会社をどう畳み直すか——創業者の社長復帰とデータセンター回帰

時期 2007年11月
意思決定者(推定) 田中邦裕 さくらインターネット 社長
論点 経営体制と多角化の後始末
概要
2007年11月27日、さくらインターネットは笹田亮社長兼CEOが同月30日付で辞任し、代表取締役副社長で創業者の田中邦裕氏が社長兼CEOに就くと発表した。2007年9月中間期の債務超過転落を受けた引責交代であり、田中社長は就任と同時に、上場後に取得・設立した子会社の売却とデータセンター運営への回帰を打ち出した。
背景
2005年10月の東証マザーズ上場後、同社は買収と新会社設立、オンラインゲーム運営へと事業を広げた。売上高は2007年3月期に47億円と2年で2.4倍になった一方で経常損失3億4,600万円・最終損失4億9,400万円を計上し、拡大が収益に結びつかない状態が続いていた。
内容
2007年9月中間期にオンラインゲームの専用実施権などで3億9,100万円の減損損失を計上し、中間純損失5億7,500万円で債務超過となった。田中社長は債務超過の解消策として事業の一部売却と資本増強を掲げ、不採算の事業と子会社を精査して事業構造改革を進める方針を示した。
含意
2007年7月のイクスフェイズを皮切りに、2008年1月にカイロス、同年3月にさくらクリエイティブと米国法人SAKURA Internet (USA)の株式を手放した。上場から2年で広げた版図を2年で畳み、レンタルサーバとデータセンターという創業以来の一本足へ戻る選択であった。
筆者の見解

増やす計画のない再建案

2007年11月に決まったのは、誰が社長を務めるかではなく、この会社が翌年から何を持たないかであった。田中邦裕社長が就任の挨拶に並べたのは、データセンター運営事業への回帰、不採算の事業と子会社の精査、事業の一部売却、資本増強で、増やす計画は一つも入っていない。上場から2年で買収と新会社設立とオンラインゲーム進出を重ねた会社が、次の2年ですることは外へ出すことと穴を埋めることだけになった。畳んだのが広げた本人であり、挨拶が謝罪から始まったところに、この交代の性格が表れている。

もっとも、本業へ絞る操作は、稼ぐ道を一本にすると同時に、選べる道も一本にした。2009年3月期に純利益3億7,400万円へ戻せたのは、月額課金で回るレンタルサーバとデータセンターだけを残し、現金を吸い出す先を外へ出したからであった。上場後に手に入れた4社が2007年7月から2008年3月までに順に消え、同じ操作で、サーバを預かって動かす以外に現金を作る手段も消えている。畳んで一本に戻す再建は、残した一本が伸びているあいだしか成り立たない。2010年3月期に20億円まで戻った営業キャッシュフローが石狩の土地と建物へ向かったのも、太らせる先がその一本しかなかったからであろう。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

上場で得た資金が向かった先

さくらインターネットは1999年8月に大阪市で設立され、レンタルサーバと専用サーバの提供を本業としてきた。2004年7月に商号を現在の形へ戻し、2005年10月に東京証券取引所マザーズへ株式を上場する。ブロードバンドの普及で個人サイトやネット通販が増え、サーバを借りる需要が広がっていた時期であり、上場は信用力と資金を同時に手に入れる機会となった。当時の代表取締役社長兼最高経営責任者は笹田亮氏であった[1]

上場の直後から、同社は本業の外へ手を伸ばした。2005年12月にイクスフェイズ、2006年1月にカイロスを子会社化し、2006年にはウェブ制作のさくらクリエイティブと米国法人SAKURA Internet (USA), Inc.を設立、さらにオンラインゲームの運営にも進出する。売上高は2007年3月期に47億円と2年で2.4倍に膨らんだ。ところが同期は経常損失3億4,600万円、最終損失4億9,400万円を計上し、規模の拡大は利益を伴わないまま推移していた[2][3]

債務超過への転落

転機は2007年9月中間期に訪れた。オンラインゲーム「ロード・オブ・ザ・リングス オンライン」の専用実施権などについて3億9,100万円の減損損失を計上し、中間純損失は5億7,500万円に達する。この特別損失によって、さくらインターネットは中間期末で債務超過に陥った。ゲームのライセンス料や運営費が会員数の伸びに見合わず、本業のホスティングが稼いだ利益を吸い込む構造になっていた[4]

債務超過の中身は、固定資産の減損損失に加えて、関係会社株式評価損と投資先の有価証券評価損であった。上場後に取得・設立した会社と投資先の価値が、そろって帳簿から削られたことになる。マザーズ上場からわずか2年、上場で調達した資金は拡大の過程で失われ、サーバを預かる事業者としての信用そのものが問われていた[5]

決断

創業者が社長へ戻る

2007年11月27日、さくらインターネットは代表取締役の異動を発表した。笹田亮社長兼CEOが業績不振の責任を取って同月30日付で辞任し、代表取締役副社長兼COOであった田中邦裕氏が社長兼CEOに就く人事である。笹田氏は、1996年に舞鶴工業高等専門学校の学生としてレンタルサーバを始めた田中氏と共同で出資し、1999年に現在のさくらインターネットを設立した相方にあたる。会社を興した二人のうち、経営を担ってきた側が退き、技術から出発した側が残る交代であった[6][7]

就任の挨拶で田中社長がまず置いたのは、経営の中心にいた人間として責任を痛感するという言葉であった。そのうえで、債務超過の解消に向けて事業の一部売却と資本増強を検討していること、第三者割当増資の引受先を数社に絞って交渉中であることを、顧客と投資家に向けて明かしている。財務の穴をふさぐ手段を二つ並べて示し、決定次第すぐ公表すると期限を切っており、信用の流出を止めることが最優先に置かれていた[8]

データセンターへ戻るという方針

田中社長が示した再建の骨格は単純であった。原点であるデータセンター運営事業に回帰して経営資源をそこへ集中し、不採算の事業や子会社は採算性を厳しく精査したうえで事業構造改革を進める。広げた版図のうち何を残すかではなく、本業以外をどう畳むかを先に決める組み立てであり、上場後2年の多角化を全面的に見直す宣言でもあった。あわせて、データセンターとホスティングの各種サービスは従来どおり利用できると告知し、顧客の離反を防ぐ手当てを同時に打っている[9]

整理はすでに始まっていた。社長交代の4カ月前にあたる2007年7月、同社は2005年12月に取得したイクスフェイズの株式を譲渡し、同社は子会社から外れている。減損と債務超過の公表より前から、上場後に取得した会社の切り離しに着手していたことになる。田中社長の方針は、この動きを個別の処理から会社全体の構造改革へ引き上げるものであった[10]

結果

2年で広げ、2年で畳む

子会社の整理は、社長交代から半年足らずで片がついた。2008年1月にカイロスの株式を譲渡し、同年3月にはさくらクリエイティブと米国法人SAKURA Internet (USA), Inc.の株式を相次いで手放している。2005年12月から2006年8月にかけて取得・設立した4社が、いずれも2年前後で連結の外へ出た。並行して2008年2月には双日を引受先とする第三者割当増資が実施され、債務超過は解消される。就任時に掲げた事業売却と資本増強の二つは、そろって実行された[11][12]

損失の処理は2008年3月期にも及び、同期は売上高65億円に対して最終損失6億3,300万円を計上した。ただ本業に絞った効果は早く表れる。翌2009年3月期には売上高71億円、純利益3億7,400万円と黒字へ戻り、2010年3月期の営業キャッシュフローは20億円へ広がった。多角化で失った投資余力を、ホスティング専業の収益が取り戻していった。この回復した現金が、のちの石狩データセンター建設の前提になる[13][14]

出典・参考

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