平井一夫の選択と集中とVAIO・電池事業の譲渡

2017年実施

何を伸ばすかより何を捨てるか——過去最大の赤字からの再建で、ソニーはどう事業を手放したか

時期 2012年4月
論点 構造改革と事業ポートフォリオの入れ替え
概要
2012年から2018年にかけて、社長兼CEOの平井一夫がテレビ・携帯・PC・電池の同時不振に陥ったソニーで進めた構造改革。VAIOのPC事業とリチウムイオン電池事業を、工場を閉じるのではなく製造拠点と雇用ごと他社へ譲渡し、PlayStation・イメージセンサー・音楽・映画・金融の五領域へ経営資源を集中させた。過去最大の純損失から2018年3月期の20年ぶりの営業最高益へ転じた。
背景
リーマンショック後にソニーは最終赤字を繰り返し、2012年3月期に過去最大の純損失4,567億円を計上した。薄型テレビは8期連続の営業赤字で、テレビ・携帯・PC・電池が同時に不振に陥り、垂直統合の家電で稼ぐ従来のかたちが行き詰まっていた。
内容
2012年4月に就任した平井は「規模を追わず違いを追う」One Sonyを掲げ、何を捨てるかを先に決めた。2014年にVAIOのPC事業を日本産業パートナーズへ譲渡してテレビ事業を分社化し、2016年から2017年にかけて電池事業を村田製作所へ譲渡した。いずれも製造拠点と従業員の雇用をつけて引き継がせる撤退だった。
含意
工場閉鎖の代わりに事業ごと売る手法は、地域との摩擦や雇用の急な喪失を抑えつつ不振事業から退く道を示し、日本の大企業が事業を縮小するときの一つの型になった。撤退で身軽になったソニーは成長事業へ資源を振り向け、2018年3月期に20年ぶりの営業最高益へ戻った。
筆者の見解

規模を縮めながら、雇用を壊さない

この構造改革の核心は、赤字事業をどう畳むかという一点にあった。ソニーが選んだのは、工場を閉じて雇用を切る整理ではなく、PC事業も電池事業も、製造拠点と働く人ごと別の会社へ引き継がせる譲渡だった。VAIOは投資ファンドのもとで独立し、電池は村田製作所が約8,500名の雇用を引き受けた。撤退でありながら、事業と人の行き先を用意する。地域経済や従業員への打撃を抑えたこの手法は、縮む事業をどう手放すかに悩む日本の大企業に、一つの現実的な型を示した。

もう一つは、選択と集中という言葉の難しさが、集中よりも選択の側にあったことである。何を伸ばすかを描くのはたやすい。難しいのは、みずから世に送り出した電池のような事業を、成長が見込めないという理由で手放すと決めることだ。平井が就任の初日から何を捨てるかを考えたことは、その難しさへの向き合い方を表している。過去最大の赤字から20年ぶりの最高益へ戻したソニーの数年は、事業の足し算ではなく引き算の巧拙が会社の姿を決めることを、静かに示している。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

過去最大の純損失とエレクトロニクスの行き詰まり

2008年秋のリーマンショックは、輸出比率の高いソニーのエレクトロニクス事業を直撃した。2009年3月期に創業以来初の営業赤字と純損失を出したソニーは、その後も最終赤字を重ね、2012年4月には2012年3月期に過去最大の連結最終赤字となる見通しを公表した。この時点で4期連続の最終赤字、累計の赤字額は9,193億円に達し、主力の薄型テレビ事業は8期連続の営業赤字に沈んでいた。デジタル家電の変化の速さに、垂直統合で稼ぐソニーの収益構造がついていけずにいた[1]

最終的な純損失は4,567億円となり、コロンビア映画の減損を計上した1995年3月期を上回る過去最大の赤字となった。テレビ事業の減損とリストラ費用が重なった結果だが、痛手はテレビだけではない。テレビ・携帯電話・PC・電池と、エレクトロニクスの主力が同時に不振に陥っていた。映画・音楽・金融が収益を下支えするという姿は、ソニーがもはや家電メーカーではなく、収益源の分散したコングロマリットに変わっていたことを映していた[2]

決断

「規模を追わず違いを追う」ワン・ソニー

2012年4月2日、PlayStation事業を率いてきた平井一夫がソニーの社長兼CEOに就いた。音楽とゲームの出身という経歴は、テレビや半導体を本流とみなす社内で傍流と見られ、就任は市場からも懐疑の目で迎えられた。平井が掲げたのは会社を一つにまとめる「One Sony」と、規模を追わず違いを追うという考え方である。事業ポートフォリオの入れ替えにあたり、平井はまず何を伸ばすかではなく、何を捨てるかを決めにかかった[3]

改革は平井ひとりの号令では進まない。2013年12月、のちに後任社長となる吉田憲一郎が最高戦略責任者としてチーム平井に加わり、財務の規律を持ち込んだ。2015年2月に発表した3カ年の中期経営計画では、株主から預かった資本をどれだけ稼ぎに変えているかを示すROEを最重視の指標に据え、規模ではなく収益で測る会社への転換を宣言した。捨てる事業と残す事業を分ける物差しが、ここで定まった[4][5]

工場を閉じず、事業ごと雇用をつけて売る

撤退の手法に、平井体制は独特の型を選んだ。工場を閉じて人員を切るのではなく、事業をまとめて別の会社へ譲り、製造拠点と従業員をそのまま引き継がせる道である。2014年2月、ソニーはVAIOブランドのPC事業を投資ファンドの日本産業パートナーズへ譲渡することで合意し、同年7月に新会社VAIO株式会社として切り出した。長野の生産拠点はそのまま新会社が引き継いだ。同時にテレビ事業を分社化し、ソニービジュアルプロダクツとして独立採算に移した[6]

2016年10月には、リチウムイオン電池事業を村田製作所へ譲渡する確定契約を結び、2017年9月に引き渡しを終えた。対象事業に携わるソニーグループの社員約8,500名は、村田製作所グループが雇用を受け入れた。みずからが世に送り出した電池を手放してでも、成長の見込めない事業からは退くという判断だった。売却先に事業と雇用を託すこの手法は、地方自治体との摩擦や雇用の急な喪失を抑えながら撤退する道を開いた[7]

結果

五つの領域への集中と20年ぶりの最高益

平井がソニーに残したのは、PlayStation、CMOSイメージセンサー、音楽、映画、金融の五つである。2016年4月にはイメージング&センシング・ソリューション事業を分社化してソニーセミコンダクタソリューションズを設け、スマートフォン向けに伸びる画像センサーへ資源を振り向けた。不振事業を切り離した効果は数字に表れた。2018年3月期の連結営業利益は前の期の2.5倍の7,348億円と、1998年3月期以来20年ぶりに最高を更新し、純利益も4,907億円へ回復した[8][9]

出典・参考