この判断の核心は、2001年の設立そのものよりも、赤字と解消観測が続いた2003年に両親会社が追加出資で継続を選んだ一点にあるとみられる。合弁は撤退の敷居が低い形態であり、実際に市場は解消のシナリオを織り込みつつあった。しかもソニー本体は同じ年に"ソニーショック"に見舞われ、守勢に回ってもおかしくない年であった。それでも規模を追わず高付加価値機種に絞るという合弁側の戦略を信じ、資本で時間を買った判断が、T610からW800へ続くヒットの土台になったといえる。
同時にこの合弁は、単独では賄えない領域に他社と資本を持ち寄って挑み、軌道に乗せてから取り込むという、ソニーの事業展開のひとつの型を示している。ウォークマンのブランドを合弁の側が引き出した経緯は、親会社の資産が外部との混成組織でこそ生きる場合があることを物語る。完全子会社化を経てスマートフォン"Xperia"へ連なる系譜や、後年のソニー・ホンダモビリティのような折半合弁の選択にも、この経験の残響がうかがえる。