シャープの創業で注目すべきは、金属加工の受託業者が自社製品メーカーへと転換した経緯にある。文具メーカーからの開発依頼をきっかけにシャープペンシルを独自開発し、受注生産から自社ブランド製品の製造へ移行した。この転換がなければ、早川の事業は零細な金属加工業にとどまっていた可能性が高い…
関東大震災で妻子・工場・特許のすべてを失った早川徳次が、大阪に転居して再起を図ったことが、シャープが関西を拠点とする電機メーカーとなる地理的な起点となった。借入金の返済不能からシャープペンシルの特許まで無償譲渡するに至った経緯は、創業者が築いた事業基盤がいかに脆弱であったかを示し…
シャープの事業転換で注目すべきは、輸入品を分解して国産化し、半額以下の価格で販売するという手法にある。鉱石ラジオでも真空管ラジオでも同じパターンを繰り返し、コスト競争力で市場を獲得した。この「新技術の国産化+低価格戦略」は、後のテレビや電卓への参入でも踏襲される。シャープの事業展…
シャープのテレビ参入は、ラジオと同じ「海外技術の導入→国産化→低価格量産」という手法で市場を先行開拓した事例である。4年連続でシェア1位を確保しながら、松下電器や日立の本格参入により短期間で優位性を失った。先行参入で市場を創造しつつも、大手メーカーの規模の経済に押されるという構造…
シャープの総合家電化は、テレビ市場での競争劣位と系列販売店の経営維持という二つの課題に迫られた結果であった。テレビ単品では松下電器に対抗できず、販売店もテレビだけでは経営が成り立たない。製品ラインの拡充は自社の成長戦略であると同時に、販売網を維持するための構造的な必然であった。3…
シャープの半導体内製化は、電卓の部品調達で直面した外部依存の限界から生まれた判断であった。資本金105億円の企業が75億円を研究開発施設に投じるという決断は、リスクの大きさにおいて異例である。大阪万博への出展を見送ってまで研究開発に資源を集中したことで、シャープは家電の組立メーカ…
町田社長の液晶テレビ宣言は、ラジオやテレビで繰り返されてきた「新技術への先行参入」というシャープの事業パターンの再現であった。有機EL・プラズマ・液晶の3方式が競合する中で液晶への一点集中を打ち出し、AQUOSブランドで市場を先行開拓した。しかし、先行参入で市場を創造しながら大手…