シャープ総合開発センターを新設(半導体の内製化)
電卓開発で直面した半導体の外部調達の限界
シャープは1969年に電卓「QT-8D」を発売したが、開発過程で米国の半導体メーカーからのLSI調達に苦労した。電卓の競争力は半導体の性能とコストに直結するため、外部調達に依存する限り製品の差別化と価格競争力の確保が困難であった。半導体の安定供給と自社製品への最適化を実現するには、内製化が不可避であるという認識が経営陣に広がった。
1969年3月、シャープは米国の半導体メーカーであるロックウェル社と技術提携を締結し、半導体の自社生産を計画した。しかし、シャープには半導体の製造技術がほとんどなく、前工程(ウエハー上への回路形成)の技術蓄積にはゼロからの取り組みが必要であった。総合家電メーカーが半導体の内製化に踏み切るという判断は、当時としては異例の決断であった。
大阪万博を見送り資本金の7割を研究開発に投下
1970年、シャープは大阪万博への出展を見送る代わりに、奈良県天理市に「シャープ総合開発センター」を新設した。投資額は約75億円であり、当時の資本金105億円の約7割に相当する巨額の設備投資であった。総合開発センターは研究開発施設であると同時に半導体の量産工場を兼ねており、1970年に第1工場を竣工して半導体の生産を開始した。
製造技術が不足していたため、まずロックウェルから回路が焼き付けられたウエハーを輸入し、後工程のみで生産を開始した。1972年には前工程のラインを稼働させて一貫生産体制を確立。1976年には第2工場を竣工し、月産100万個の生産体制を整えた。
半導体の内製化が電卓戦争での競争力を生む
半導体の量産が軌道に乗ったことで、シャープは1970年代前半に電卓の価格破壊に成功した。自社で半導体を製造することで部品コストを大幅に引き下げ、国内市場ではカシオと「電卓戦争」を繰り広げる競争力を獲得した。
半導体の内製化は電卓にとどまらず、シャープの技術基盤を根本的に変えることになる。総合開発センターで培われた半導体技術は、後の液晶ディスプレイの開発にも応用され、シャープが「液晶のシャープ」として知られる基礎を築いた。大阪万博を見送ってまで研究開発に投じた75億円は、シャープの事業構造を家電メーカーからデバイスメーカーへと転換させる起点となった。