重要な意思決定
RCAと技術提携・白黒テレビの生産開始
背景
テレビ放映開始を見据えた米RCAとの技術提携
1953年2月から日本国内でテレビ放映が開始されることを見据え、シャープは1952年に米RCAと技術援助規約を締結した。ラジオの国産化と同じ手法で、海外の先行技術を導入してテレビの製品化を急いだ。放送開始の1か月前に白黒テレビ(14型)を17.5万円で発売し、国内電機メーカーとして最も早いテレビ市場への参入を果たした。当時の公務員の高卒初任給が5400円であり、テレビは一般家庭にとって極めて高額な商品であった。
先行参入の優位性を量産体制で固めるため、1954年にテレビ専用の田辺工場を新設した。ラジオ時代に培ったベルトコンベアによる量産方式を応用し、月産2万台の生産体制を確立。量産によるコストダウンを追求することで、高額商品であったテレビの普及価格帯への引き下げを目指した。
決断
先発メリットによるシェア1位の確保とその限界
シャープは国内で最も早くテレビに参入した先発企業として、1953年から1956年まで4年連続で国内シェア1位を確保した。ラジオで築いた販売網と量産技術を活かし、テレビ放映の普及に合わせて急速に販売を拡大した。テレビという新市場において、技術導入の速さと量産体制の構築が先発メリットを生んだ。
しかし、1956年時点でのシェアは16.9%にとどまり、松下電器や日立といった大手電機メーカーがテレビ生産に本格参入したことで、シャープの先発優位は急速に失われていった。大手メーカーは販売網の規模とブランド力でシャープを上回っており、量産による低価格化だけでは競争優位を維持できなかった。先行参入で市場を切り開きながらも、大手の本格参入により主導権を奪われるという構造は、シャープの事業展開に繰り返し現れるパターンとなる。